覚悟と書いて諦めと読む
ノムルさんは輝く笑顔を残して走り去り、団長さんと副長さんはその後姿を眩しげに見送った後、俺に向けてたった一言「彼女を頼んだぞ」と、とんでもない言葉を残して目の前から消えていた。
しかも、何時の間にか宿泊先まで教えてしまった挙句に、結婚前提のお付き合いをしろと、言われた事に、どうやら俺は頷いてしまったらしいのだ。何故、らしい、のかと言うと、自分がどう行動していたのかを周りの状況から推察した結果だった。
迂闊にも程があるだろ、俺……。
だが、ハーレム状態の今は、結婚前提のお付き合いが妻を増やす事に繋がってしまう為、自分の思っている事とは真逆の行動になる。これはもう、自ら最悪の状況を作り出してしまった、と言う事に他ならない。しかも、それをどう断れば良いかなど幾ら考えた所で妙案が浮かぶ筈もなく、気が付けば何時の間にか宿屋に着いていた。
皆に何て言えばいいんだ……。
新しい妻が増えます! とでも言えばいいのだろうか。でも、それを言ったら終わりの様な気もする。
新しい仲間が増えます、だとどうだろうか?
いや、これも駄目だ。彼女と口裏を合わせをしない限り、直ぐにばれて終わる。
押し付けられた――は彼女に泣かれるだろうし、勝手に着いて来た、も却下だ。
結局の所、素直に話す以外に道は無いのかもしれない。
等と、考え込んでいると、
「そんな所で何をしている?」
不意に後から声が掛かった。
「あ――」
この国の騎士団の装備なのだろう。彼女はライトアーマーに身を包み、腰にはロングソードを携え、手には大きな鞄を提げていた。
その姿を見て、また取り返しの付かない愚を犯してしまった事を悟る。だが、今更そんな事に気が付ても、もう遅い。
「どうしたのだ?」
「あ、いや……」
どうすればいいのか、まったく何も浮かばず、ただ口篭もるばかり。
そんな俺を不思議そうに小首を傾げて彼女は見ていた。
「マサト様が何を迷っているのかは分からないが、ここでこうしていても解決するとは思えん。兎に角、入ろうではないか」
俺の脇をすり抜け扉に手を掛けて、固まる俺を尻目に、彼女は中へと消えていく。
さっさと入れば良かった……。
溜息を付きながら仕方なく取っ手に手を伸ばしたその時、勢い良く扉が開き、
「さっさと入って来ぬか!」
角を生やしたウェスラが立っていた。
やっちまった!
*
鬼の形相でこちらを睨み付けるウェスラの口から、抑揚を削ぎ落とした声が漏れた。
「さて、説明してもらおうかの」
抑揚が抑えられている分、彼女の怒りの大きさが窺い知れると言うものだ。
怖い怖い怖い! 怖いよ! 頼むから表情だけでも和らげておくんなまし!
「え、えーと――」
「もう良い」
口を開いた瞬間にそう言われて、しばし、唖然としてしまう。
は? 俺の説明は要らんとですか?
「おぬしは暫くそこに立っておれ。話はこの女に聞くでの」
え? それって……。
「あっ!」
「黙っておれ、と言うたのが分からぬのか?」
ノムルさんが先に入って居た事を、完全に失念していた。
また、やっちまった……・
そして、ノムルさんが事の顛末を話していく。
話を聞いている間、ウェスラは時折溜息を付いては呆れた表情で俺を眺め、最後には頭を抱えてしまっていた。
はっはっは。もう、どうにでも成れ、だ。
「なるほどのう……。これはどうにもならぬの。すでに皇帝にも話が言っておると思ったほうがええじゃろうな」
なにゆえ、そこで皇帝陛下が出ていらっしゃる?
先ほどの呆れ顔から一変して、若干険しさを増した顔を俺に向ける。
「のう、マサトよ。おぬしがミスを犯したのは分かっておるか?」
「ミス?」
言われて、顔を顰めると、ウェスラは大きな溜息を付いた。
「やはりの。普段のマサトであれば気付くものを……」
やれやれ、と首を振ると、指を一本立てて真剣な表情を取った。
「まず、一つ目はノムルに妻が居ると言わなかった事じゃ。ここで既婚者である事を告げておれば、この後に起こった事には繋がらなかった筈じゃ」
そうで御座いますね。返す言葉も御座いません。
そして、二本目の指が上がる。
「二つ目は、食事に誘われ、それに乗った事じゃな。まあ、これはおぬしなりに気を使ったのじゃろうから、責める訳にはゆかぬが、それでも、ミスはミスじゃ」
これは俺の性格だからミスじゃない! と言っても却下されるよな。
三本目の指が立ち上がり、彼女の表情がより険しくなった。
マダアルンデスカー。
「三つ目、これが最大のミスじゃの。破竜騎士団の団長に会うてしもうた事じゃ」
「なんで、団長さんに会った事がミスになるんだ?」
偶然会っただけなのに、それをミスと言われてしまうと、何かが偶然に起これば、それもミスに成ってしまう気がする。だが、俺のそんな疑問など関係なく、彼女は話を進めていった。
「おぬしは偶然と思って居るようじゃが、偶然と必然の違いなど殆ど無いのじゃよ。強いて言えば、願ったかどうか、といった所じゃな。願わずに会うたのならば、それは偶然じゃろうが、おぬしは願ったのじゃろ?」
確かに俺は会ってみたいと思った。でも、それが何故いけないのだろう。
「でも、願っただけで会うはずはないと思うけど?」
口角を僅かに緩め、軽く息を吐くと、ウェスラはまた口を開く。
「願い、と言うのは一種の魔法なのじゃ。それはとても弱い力しか無い魔法なのじゃが、時折その願いは叶うのじゃよ。偶然、という形での。そして、その偶然を引き寄せるのが、願う、という行為なのじゃ。じゃがの、これが全ての魔法の基本なのじゃ。魔法を放つ、魔法を使う、どれもこれも願わねば実現せぬ。その基本たる願いを無意識に行使すれば、偶然を引き寄せる確立はグンと高まるのじゃ。そしての、意識したのならば、偶然は必然に変わる。じゃから、願う、という行為は魔法を使うのと同じ事なのじゃよ」
確かにあっちの世界でも願う事で何かが起こる事はある。でもそれは、常に偶然とか奇跡として片付けられる事の方が多い。でも、彼女の話を聞いた今では、願わなければその偶然すらも起こり得る事は無いのだと、初めて知った。
全ての魔法の基本、それが願いか。なるほど、確かに基本だな。
「それは確かに俺のミス、だな」
願ったからな、会ってみたいって。
「話が逸れたが、ミスはこの三つなのじゃが、それ自体はもうどうでも良い。今更どうにも出来んでの。問題は――」
「俺とノム――マリエが結婚する事、だろ?」
「ほう、ようやっと元に戻りおったか」
あれだけ自分の不甲斐無さと迂闊さを淡々と聞かされれば、元にも戻る。最も、この場合は戻る、と言うよりも、指摘され気が付き頭が回る様になった、と言うべきかもしれない。
「この国の結婚制度がどうなのかは知らないけど、マリエが第二師団の副隊長だ、ってのが大問題なんだろ?」
「うむ、そうじゃ。何故だか分かるか?」
俺は頷き、その答えを口にした。
「この国の軍備の事を知っているからだ。それとあと二つ」
ウェスラの口元が釣りあがる。
「皇帝がワシ等の式に来ていた事じゃの?」
「ああ、そして団長さんと副長さんは、俺の名を知らなかった」
「そこから導き出されるのはなんじゃ?」
楽しそうな表情で、彼女は聞き返してくる。それに乗っかり俺も直ぐに返す。
「団長さんが俺の事を皇帝陛下に言えば、必ずアルシェが妻だって事が伝わる。そうすれば、俺がユセルフ王国王族の縁者だ、と言う事がばれるし、その事を黙っていた俺には疑いの目が向けられる筈だ。それも、この国の軍備を探ろうとしているのではないか、ってね」
「そうじゃな。じゃが、皇帝はそうは思わぬ筈じゃがの」
ウェスラの言うとおり、皇帝陛下もそんな風には思わないだろう。なんせ、今のこの国では妻が亜人種、と言うのを隠す事は自分の身を守る事にも繋がるしな。
「問題は団長さんと副長さんか。――マリエ、ちょっといいか?」
突然、名を呼ばれ彼女は慌てた様子で居住まいを正した。
「な、何だ?」
「あの二人は亜人種の事をどう思ってるか分かる?」
少し考えるような仕草を見せた後、
「いや、特に――!」
そこで何かを思い出した様に顔を顰めた。
「どうした?」
「そう言えば、陛下がアルシェアナ王女様の式に出席すると仰られた時、メルカート副長だけはかなり嫌悪した表情をしておられたが……。だが、これと何の関係が――」
嫌悪って事は、かなり亜人種を嫌っている証拠だな。
「ああ、それともう一つ、団長さんと副長さんって貴族なのか?」
「オラス団長の事は知らぬが、メルカート副長の父上は侯爵だから……」
副長さんは貴族だったか。そうなるとこの先、俺の事を知ってどう動くか、ちょっと予想がつかないな。
「ありがとう、マリエ」
俺は素直に礼を口にして、頭を下げる。
すると、彼女は少し慌て始め、あたふたとしながら、口を開いた。
「だ、だが、私はどうすればいいのだ? この国の軍に所属している以上、不利益に成る事には加担出来ないぞ。それにまだ、妻にも成っていない。それと……その――、正直な所、一夫多妻というのはどうも……」
「誠実さに欠ける?」
小さく首が縦に振られた。
「大丈夫ですよ。マサトさんは不誠実な方じゃありませんから」
「そうだ、マサトは等しく愛情を注いでくれるぞ」
「あたしからは何ともいえないなあ。でも、不誠実じゃないってのは同意かな」
「マサトは誠実の塊だ。俺の息子にも普通に接してくれるからな」
流石は俺の妻達。すぐさま援護射撃とは。
「でも、ちょっとエッチですけどね」
「ちょっと所ではないぞ」
「そうねえ、大分エッチよね」
「あの位が丁度いいんだよ!」
……おまえら、俺の感心、返せ。
「さて、どうするのじゃ? ワシ等は無理強いはせぬぞ。じゃが、一つだけ、ワシからも言わせてもらおうかの」
ウェスラはにっこりと微笑み、
「ここに居る者は皆、マサトを慕っておるし、ノムルが同じ様に慕うのであれば、大歓迎じゃ」
彼女の瞳を見詰め、嬉しそうにしていた。
しかし、彼女は何かを迷っている様だった。それが何なのかは分からないが、そんなマリエの髪にウェスラは手を伸ばして触れる。
「それにこの髪じゃが、マリエにはダークエルフの血が流れて居るのではないか?」
その一言で彼女の体が強張り、ウェスラから目線を外してしまった。
「そ、そ、そんな事……」
その慌て振りは見様によっては肯定とも取れなくは無い。
「話したく無くば、話さぬでも良い。先ほども言ったであろう? 無理強いはせぬと」
そんな二人の遣り取りを見ていた俺は、そこで口を挟んだ。
「とりあえずは俺達と一緒に居ればいいんじゃないかな? 結婚するしないは別にしてさ。それに、命令、だろ?」
最後の一言に、彼女は上目遣いで責める様な目線を飛ばして来た。
「マサト様は意地悪だ」
そう言った後の彼女の表情は、心なしか嬉しそうだった。
「それじゃ、覚悟はいいか?」
「その様なもの、とっくに出来ている」
「はて? 覚悟するのはマサトではないかの?」
「え?」
「マリエが妻に成ったらどうなるか、分かって居るのじゃろうな?」
これはどうやら覚悟が必要なのは俺だった様だ。
そこはもう、諦めてますよ。




