油断をすると唇がくっ付きます
「なんか、おかしな風に有名になってるなあ、俺」
「そうじゃのう」
「殲滅とは物騒だな、マサト」
無表情無感情でキシュアがさらっと言う。
「もしかすると、デュナルモ十傑が十一傑になるんじゃないですか?」
十一傑って随分中途半端だな。ってか、増える訳ないと思うが……。
「マサトなら噂に違わず出来ると思うぞ? 最も、たとえ一匹でも遣ったら俺は怒るけどな」
怒るのかよっ!
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、でも、俺はそんなに強い訳じゃないぞ?」
剣技にしたって我流もいいとこだし、魔法だって中途半端な感じがする。ただ、身体能力の高さが人族の括りで言えば、抜きん出てるってだけだからな。
「マサトは強い。恐らく、誰も敵わぬほど強くなれる筈じゃ」
そんな俺の自分否定は、ウェスラに否定されてしまった。
「俺もウェスラと同じだな。そうじゃなきゃマサトの番なんかにゃならねえよ」
うちの二強にそう言われるのは嬉しいけど、過大評価もいい所だと俺は思います。
「そうですねえ。マサトさんは鍛えてないのにあの動きですからねえ」
それは風魔法のお陰だ。幾ら俺でも生身であんな動きは出来ない。
「マサトは単に馬鹿なだけだ」
「おいこら、馬鹿とは何だ馬鹿とは」
「自分に気付かない馬鹿に馬鹿と言って何が悪いのだ?」
キシュアがシアと同じになった?!
「あれ? マサトくんじゃない。どうしたの? ギルドに何か用でもあるの?」
声のした方に顔を向けると、丁度建物からリエルさんが出て来た所で、そこにはお馴染みの看板がでかでかと掲げられていた。
どうやら何時の間にか目的地に着いていたらしい。
「昼食ですよ。この近くのゴン屋がお勧めだって言われたんで」
「あら、それじゃあ、あたしも一緒していいかな?」
「別に構わないですよ。ただし、奢りませんけどね」
「おごってよー」
「だめです」
「ちぇっ、けちんぼ。でもまあいいわ。行きましょ」
意外なほどあっさりと引き下がったので少し拍子抜けだが、どうせ奢る羽目になるだろうな、という予感だけはあった。
リエルさんは人ごみの中を見事な体捌きですり抜けていくと、迷う事無く道の反対側へと歩を進める。それを見て俺もそちらへ目線を送ると、ジョッキと、交差したフォークとナイフの図柄を模った看板が掲げてあり、そしてその下には、ゴンの酒蔵、と店名が刻まれていた。
「やっぱ酒場なんだな」
あっちの世界では飲み屋が昼間も営業するのは珍しい事なのだが、こっちの世界ではこれが普通で、酒場が食堂も兼ねている。最も、治安の関係で深夜まで営業する事が出来ない様なので、これはこれで合理的なのだろう。
そして俺は、実の所こっちの世界の酒場に入った事がない。セルスリウスに居た時はキシュアの家が拠点だった事も有り、酒場に入る必要が無かった、と言うのが最大の理由だ。だがこれからは、今回の様に遠出をすれば利用する機会が増えるだろうし、ここで体験しておくのも悪くは無いな、と思っていた。
なんせ、ここに来るまでは、宿屋の食堂で酔い潰れてたしな!
そうして俺達もリエルさんの後を追い、ゴン屋へと入って行った。
今が丁度昼時だからだろう、店内は結構な人数の客で賑わっている。だが、その大半が冒険者達のようだ。しかも昼間から酒を飲んで騒いでいるやつも居た。
それを見た俺は、仕事しろよお前等、と心の中だけで毒づいて置く。
サッと店内を見回しリエルさんは、
「空いてる席は……なさそうねえ」
空いている席が無い訳ではない。この人数が纏まって座れるだけの席が空いていないだけだ。
「しかたない。ここはゴンに頼むしかないわね」
随分と親しげに店主の名を呟くと、カウンター越しに声を張り上げた。
「ゴーン、六人分の席作ってー」
なんだか、どこぞの大手自動車メーカーの社長の名前みたいで、偉そうに聞こえる。
「うっせえ! いま忙しくてそれどこじゃねえ!」
そりゃそうだ。これだけ客が入ってるんだし。
「いいじゃないのよー。あんたが会いたがってたアイシンさまも居るんだからさー」
「な、なにい?! ほ、ほんとうかっ!!」
お玉とフライパンを両手に持った男が奥から飛び出して来て、目を丸くしていた。
そして、この一言は店内の客達にもかなりの驚きを与えたようだ。最も、客の何人かは俺達が入った時点で既に気が付き、ポカンと口を開けたまま固まって居た様だが。
「ほ、本物だ……」
「忙しいのに済まぬのう。じゃがワシ等も腹が減っておるで、席を都合してもらえると助かるのじゃが、こう忙しくては無理かのう?」
少々困った色を乗せて微笑むウェスラの破壊力は抜群だった。
ゴンさんの手からはお玉とフライパンが滑り落ち、客達は手にした物を床にぶちまけて、頬を真っ赤に染め抜いていた。
よし、ここで皆も微笑むのだ!
俺が目で合図すると、全員が小さく頷き、夫々が微笑む。そして最後はこの俺だ。
「無理を言って申し訳ありません」
そう、久々にあの笑顔を繰り出した。
だが、これが大失敗だった。それは何故か?
全員がたっぷり十分は固まったまま動かなくなってしまったのだ。そしてその中には、リエルさんも含まれて居たのは言うまでも無い。
*
「ねえ、あんたってほんっとに男なの?」
この失礼極まりない質問は、俺の笑顔で固まったリエルさんだ。
「マサトは男じゃよ。それはワシ等が既に確認済みじゃからな!」
他の三人も何度も大きく頷いている。
そりゃまあねえ。何度も夜のお相手してるしねえ。
「あたしにも確認させなさいよ」
「断る」
「けちー」
「あんたは俺の妻じゃないから駄目」
「じゃあ、妻になるー」
「やなこった」
「えー、いいでしょー」
「さっさと食え。席が出来た功績に免じて驕るから」
「やった! そうと決まれば食べまくるわよー」
話題逸らしに成功したと思えばこれだよ。まったく、調子のよさだけは相変わらずだな。
俺達が今座っているテーブルは、店主のゴンさんとお客が準備した場所だ。何故客までもが、と思うかもしれないが、全員、皆の笑顔にやられた様だ。
それが証拠に――。
「やっぱアイシン様は綺麗だ……」
「いや、俺はあの獣族の姉ちゃんが……」
「可愛いは正義……」
「あの男勝りなとこが……」
「この際俺は男でも……」
ちょっとまてえ! なんか聞き捨てならないのがあるぞ!
「それにしても、中々じゃな」
「そうですね、姉さま。特にこの子豚の丸焼きなど……」
は? 子豚の丸焼き? そんなの何時頼んだんだ?
「やっぱりお肉はいいですよね」
「おう! もっと持ってこーい」
いや、あんまり頼むと……。
「あいよっ! 美人さんの頼みとあらば喜んでっ!」
いや、あんたも調子に乗るなよ!
「何呆けて居るのだ。ほれ、あーん」
「ん? ああ、あーん」
うむ、美味い。
「わたしからも。はい、あーん」
「あーん」
うむうむ。
「あ、ずりい! ほれ、くえー」
「おう、あーん」
これも美味いな。
「最後はわらわだな」
そう言ってキシュアは俺の顔に手を掛けると唇を寄せ、咀嚼した物を流し込んできた。
口移しキター!
「キシュアも遣りおるのう。ワシも負けてはおれぬな」
「あ、あたしもっ!」
「お、俺もだっ!」
次々と口移し攻撃を受ける俺だが、物凄く痛い視線が突き刺さる。
「くそっ! 恨め……羨ましい!」
「俺の美少女になんて事を……!」
「ア、アイシン様を汚すなど……!」
「俺の嫁がっ!」
「俺の兄貴があああ!」
おい! 最後の奴。絶対おかしいだろ!
流石に公衆の面前で臆面も無く遣られると気恥ずかしいな、などと思っていると、また俺の顔に手が添えられ振り向かされる。
「えいっ!」
あ? え? えええええっ?! や、やられたっ!!
「ほう、増えたの」
「うむ、増えたぞ」
「あら、増えちゃいましたね」
「増えたな」
どうすんだよ! また増えるとか、アルシェにどう説明すればいいんだよ!
「な、な、な、何てことすんだっ!」
狼狽える俺を尻目に、リエルさんは舌なめずりをして、妖艶な微笑を浮べた。
「これでえ、あたしもお、お仲間ね」
くそっ! 油断した!
そして彼女は徐にゴンさんへと手を振りながら声を張り上げ、
「ゴーン、あたし今日からこの人の妻になったから、お祝い宜しくねー」
「ああ?! 何言ってんだよおめえは!」
「だって今、永久結んだんだもーん」
「なにい?! と、永久だとお?! お、お前はっ! 俺の求婚蹴っ飛ばしておいてそれかよ!」
顔中を口にして喚くゴンさんがそこに居た。
この展開、何か嫌な予感しかしないんだけど、どうしよう。
案の定、ゴンさんはテーブルまでゆっくりとした足取りで近付き、俺の傍まで来ると
「おう、若造。おめえ、いい度胸してんじゃねえかよ」
怒りか嫉妬か、またはその両方か。そんな色の篭もった目線を俺に注ぐ。そして、俺が口を開く間も無く、たった一言だけ告げた。
「決闘だ」
そして、背を向けると厨房へと戻って行ってしまった。
ゴンさんから発せられる気配に店内は静まり返り、客の一人の呟きが、やけに大きく響いたのが印象的だった。
「粉砕のゴンザが、久々に本気になったか」
嫌な予感って、どうしてこう、当たるんだろうな?




