牢屋は甘い香りで満ちている
俺が今、牢屋に居るのは周知の事実だが、膝枕をされている事は、誰も知らない。
ま、そりゃそうだよね、誰も見てないんだし。
それに、先ほどのやり取りで、失言で夫宣言をしてしまった俺だけど、彼女に何かして欲しいとか、何かしたいとか、そういう欲求は今の所は無いし、今してくれている事には正直、感謝もしてる。でも、この石床で膝枕などをすれば、彼女の脚の方が俺よりも先に参ってしまう事も分かっているから、それを止めさせようと、ずっと言い続けては居るのだけど、彼女は、嫌、の一点張りで止めようとしないんだ。
流石に俺もこの頑固さには参った。
「なあ、本当に俺はその辺に転がしておいてもいいんだぞ?」
「嫌じゃ」
また同じ答えが返って来る。
「俺はお前の脚の方が心配なんだよ。頼むから止めてくれ」
でも、返って来た言葉はまた同じだ。どう言えば止めてくれるのだろう。
「脚は痛くないのか?」
「大丈夫じゃ」
これでも駄目か、と溜息を付きたくなったけど、その時、別の考えが浮かぶ。それならば、何故そうしたのか理由を聞けば止めさせられるかも知れない、と閃いた。
「なあ、なんで俺に膝枕をする気になったんだ?」
「牢の床は石造りじゃからな。せめて頭だけでもワシの膝に乗せれば、少しは冷えを回避出来ると思ったのじゃよ」
だから止めろと言っても止めなかったのか。って事はだ、冷えを解消出来れば良いって事だよな。
「それじゃあ、添い寝してくれない?」
このヒントは今朝の出来事だった。可憐が寝ぼけて俺を抱き枕代わりにした時、体の熱が伝わって来たのを思い出したのだ。
「添い寝、じゃと?!」
何故か声に動揺が走っているのを感じた。もしかして恥ずかしいのだろうか。
「それならウェスラの脚も痛くならないし、俺も暖かいからな」
「い、今、何と! ワ、ワシの事をウェスラ、と言ったか?!」
また動揺してる。名前で呼んではいけなかったのだろうか。
「呼んだよ。だって、俺の奥さんになるんだろ? だったら名前で呼んでもいいじゃないか」
「そ、それはそうなのじゃが……」
今にも消え入りそうな声が返って来る。
なんなんだこれ。目の前で胸を揺すって見せた人物とは思えないぞ。
「なあ、ちょっと聞いていいか?」
俺の頭に、少しだけ緊張する感覚が伝わって来た。
「な、なんじゃ?」
やっぱり声も緊張してる感じがする。
「俺が動けるようになったら、胸揉ませてくれるんだよな?」
どんな答えが返って来るかと思っていたけど、返って来たのは、動きが固まった彼女の気配だった。
やっぱりあれは、世界最高の魔術師、ウェスラ・アイシンを演じていたって事だ。そして、こっちが本来の彼女のようだ。
俺は少しおかしくて、笑ってしまった。
「な、何が可笑しいのじゃ!」
ちょっと怒らせてしまったみたいだな。でも、これはまだ大丈夫そうだ。
「いや、何、あの時は作ってたんだな、と思ってさ。それがちょっと可笑しくてね」
また笑う。
「そ、そんなに笑わんでもええじゃろ!」
世界最高の魔術師で凄い美人。だけど、根は純粋でとても恥かしがりや。俺がそんな彼女に抱いた感覚、それは――、
「ウェスラって可愛いな」
そう、この一言に尽きる。それに今の一言でまた固まったし、ホント可愛い。
「も、もう、マ、マ、マサトの事なぞ知らん!」
その途端、俺の頭は心地よい感覚を失って、硬い石床と激突する。あれは俺の素直な感想だったんだけどな。でも、やっと名前で呼んでくれた。
「いてて……。もう少し優しく下ろしてくれよ。今は体の自由が利かないんだからさあ」
痛みで俺は顔を顰めたけど、内心はちょっぴり嬉しかったりもする。やっと膝枕を止めてくれたから。
「ワシを可愛いなどと言った罰じゃ」
そう言った彼女だけど、
「そして、こ、これは――ワシの罰じゃ」
俺に寄り添って手足を絡めてくる。
ホント、素直じゃないって言うか、可愛いっていうか、やっぱり笑ってしまった。
だけど、俺の肩に顔を押し当てている彼女も、笑っていた。
「なあ、本当に俺みたいのが旦那でいいのか?」
この世界に来たばかりの俺なんかが、世界最高の魔術師と言われる彼女と釣り合う訳が無い。周囲だって同じ事を思うだろう。それに、もしかすると俺が彼女の枷になるかもしれないのに。
「マサトじゃからじゃよ。他の男なぞ、真っ平御免じゃわい」
異性にここまで慕われたのは初めてで、思わず赤面してしまう。でも、別に異性と接するのが苦手な訳でもないし、話が出来ない訳でもない。ただ、恋愛対象に出来ない、と言われた事はあった。成らないではなく、出来ない、なのだ。その事はしばらくの間、俺の心に引っかかっていたが、ある時それは取れた。それ以来、俺は異性を全く意識する事をしなくなった。もちろん、あっちの気が有る訳じゃないけどさ。
「俺だからいいなんて言われたのは初めてだ」
自分の頬が緩むのが分かる。それだけ俺も嬉しいのかもしれない。
「じゃが、マサトはワシで良いのか? その――年上じゃし、話し方も――、それに、他の者から何か言われるかも知れんのじゃぞ?」
俺の服をぎゅっと握り締めて、不安でいっぱいの声で言われる。
「ウェスラだからいいんだよ。それにお前が世界最高の魔術師って言われてるなら、俺が世界最強になれば文句は出なくなるはずさ、なれるか分からんけどね。それに、可愛いじゃん。そんなに不安そうにしてるお前は」
「可愛いと言うでない」
服の上から抓られた。まったく、こういう事するから可愛いんじゃないか。
「なあ、マサト」
「ん?」
「その――、キス――しても良いか?」
これには俺が絶句してしまう。だって、キスだぞ。俺は初めてなんだぞ。
「だめ、かの?」
こう言われたら、駄目だなんて言えやしない。
「駄目――じゃない」
「そう、か――」
しばらくの間、俺達二人は緊張に体を強張らせる。でも、俺は動けない。だから――。
彼女が俺に重なった。その間だけ俺達の時は止まる。実際には止まった訳じゃないけれど、でも、止まるんだ。だってそれは、二人だけの時間なのだから。
「お、お、お、お、おにい! な、何してんのよ!」
「アイシン様も何を為さって……」
俺は声のした方に目を、ウェスラは顔を、それぞれ向ける。
「何って――」
一瞬、ウェスラと目を合わせた。
「キス、じゃが?」
俺達は今のキスで何かが吹っ切れていた。二人の声に動揺しなかったのが何よりの証拠だ。
「キ、キ、キ、キ、キスって!? え?! ええええ!」
可憐が慌てふためいている。こいつ、こんなに免疫が無かったっけ?
「キ……!」
王女様は絶句して固まっていた。こっちはもっと免疫が無いようだ。
俺達はその反応が可笑しくて、顔を見合わせて笑った。
「ふ、ふ、ふ……な……」
「お二人とも一体何をしていたのですか!」
可憐は慌てすぎて言葉が出て来ないようだが、王女様は流石だ。ただし、顔は真っ赤だけど。
「それに、キ、キ、キスの意味は理解していらっしゃいますよね!」
俺がウェスラに、意味有ったの? と目で問いかけると、目で頷き返してくる。
この世界だと何か意味があったのか。どんな意味なんだろ?
「無論、知っておる。それも、ワシ等のは永久の契約じゃろ」
「へー、そんな意味があったのか」
「うむ、男が女にした場合は、どちらかが死してしまえば無効じゃが、女から男への場合は、その魂が消滅するまで永劫に消えぬからの。じゃから、永久の契約なのじゃ」
何それ! すっげえ重いじゃん! 俺ってそんなの結んじゃったの?!
「そ、それが分かっていて、何故してしまったのですか!」
なんだか王女様は凄い慌てている。まあ、そうだよなあ。俺も今聞いて驚いたし、知っていたのなら尚更だよな。
「ワシは世界最高の魔術師の前に女じゃからな」
彼女は俺に顔を向けるとはにかみ、王女様は諦め顔で溜息を付いてる。同姓同士だし、何か分かったのかな?
「私も女ですから分からないでも有りませんが――世間ではそうは見てくれませんよ? それに――」
王女様は憐憫の表情を俺に向けてくる。俺はそんなに哀れなのか?
「マサト様がどれほどの嫌がらせを受ける事か……」
あの表情はそういう事か。一応、覚悟はしていたけど、王女様がこれほど心配するのなら、相当凄いんだろな。
「それなら大丈夫。おにいは慣れてるから」
自信満々の笑顔で可憐がほざきやがった。
「それは本当なのですか?」
相変わらず俺の事を心配してくれている。王女様って優しいねえ。それに引き換え……。
「うん! だってこっちに来る前は、あたしがおにいの秘密とか、ぜーんぶ友達に話してたもん!」
嬉々として話す我が妹。こっちでは止めて貰いたいものだな。
でも、なんか随分と気が楽になった。
「あの、俺の事って、城内ではどうなってます?」
俺が知りたい点を聞いてみる。たぶん、嫌がらせを受けて一番危険なのは、城の中の筈である。外でなら、髪形を変えたり偽名を使えば、ある程度までは誤魔化せる。でも、城の中はそうもいかない。召喚された時、顔は覚えられてる筈だし、知らない人も話は聞いているだろうから、噂でどう言われているかは意外と重要だ。
「一応、城外へは漏らさないように緘口令が布かれておりますが、やはり中ではかなり噂になっておりますね」
何故か少し困った表情をしている。もしや、良くない噂なのだろうか?
俺の懸念を察したのか、すぐに表情を引っ込めたようだけど、すでに遅い。
「どんな噂なんです?」
チラリ、と可憐の方に視線を向けて王女様は何かを伺う仕草を見せる。視線を向けられた可憐も、なんだか少しだけ気不味そうだった。
「実は――その――何と申しましょうか……」
言葉を濁す王女様の態度に、猛烈に嫌な予感がする。
「アイシン様と並び立つほど美しいオカマの精霊使いが来た、と噂になっております。一応、私が否定したのですが、どうやら駄目だったようで――、真に申し訳ございません」
俺の上ではウェスラが大笑い。しかも、可憐も顔を背けて笑ってるし。笑ってないのは腰を折って謝る王女様だけだ。
まったく、オマケの次はオカマかよ。どうしてこう、俺は不憫なんだろうな。