これって、もしかしてピンチ?
凶悪な風壁に守られながら悠然と歩む俺達に、何度かこの国の騎士達は挑んでは来たが、その悉くが風の刃を撒き散らす凶悪極まりない風壁の前に沈んで行く。
俺のせいじゃないからな!
などと、心の中で言い訳をしながら歩く俺。
「もう直ぐじゃ」
不意にウェスラが口を開くと前方を指差し、そこに目を向けると、綺麗な装飾が施された一枚の扉があった。
「あそこか」
呟き、キシュアに目線を送る。
「中は分かるか?」
だが、キシュアは少し渋い表情をしていた。
「さっきからやっているのだが、死霊が中に入れないのだ。たぶん、護符の類でも中から貼ってあるのかもしれぬ」
こっちの世界にも護符ってあるのか。微妙に共通点があるんだな。
「それは困ったな……」
中に誰が居るのか分からないってのは不安だ。扉を開けて挨拶をした途端、ブスリ、ってのも有り得る。ただ、このまま進み、風壁で扉を破壊すればその心配もないのだが、出来れば扉は壊したくない。何故なら、ウォルさんの治療もあるからだ。
「死霊が入れぬのは、たぶん護符などではないぞ」
「そうなのか?」
「うむ。アルシェは聖魔法を使うでな、その影響じゃろ」
要するに、巫女さんの部屋、みたいなもんなのだろうか?
「それならば納得がいきます」
納得しちゃうんだ。
「大方、浄化魔法でも頻繁に使っておるのじゃろうな」
浄化ねえ。――ま、どうでもいいか。もう直ぐだし、そろそろ風壁は解除しないといけないしな。
「ウェスラ、頼みがある」
「ん?」
「風壁を解除するんで、前後に二、三枚壁を作ってくれないか?」
俺がやってもいいのだが、下手すると通路が使い物にならなくなる可能性もあるので、ここは繊細な制御に長ける専門家にお願いした方が無難、と考え、彼女に頼んだ。
「ふむ……」
チラリ、と俺を見て何かに納得したのか、口角を彼女は吊り上げ、
「マサトに任せておると、どうなるか分からんしのう」
楽しそうにそんな事を呟かれてしまった。
へえへえ、どうせ俺は派手ですよー。
憮然とした表情をする俺に柔らかい眼差しを向けた後、彼女は瞼を閉じて片手を上げ、静かに詠唱を口にする。
「我求むるは火。火を生み育むは木成り。この二つの理を持ち、相乗を持って劫火と為さん。其が道にて立ち昇らば、何人も抜ける事能わず。これ即ち、我等を守護する壁と成る」
詩を朗読するかの様な澄み切った声が響き渡ると、前後の通路が炎で完全に塞がれ、ゆっくりと瞼を開けた彼女は、満足そうな笑みを見せた。
「これで大丈夫じゃと思うが――、キシュア」
「はい」
「火壁の向こう側を死霊に警戒させてもらえぬか?」
「分かりました」
キシュアの瞳が僅かに光を帯びる。だが、それ以外の変化は何も起こらない。
そんな二人を見ていた俺に、ウェスラは小さく頷いた。
「準備完了じゃ」
俺も頷くと風壁を解除して息を付く。
「はあ――、ちょっと疲れた」
流石にかなりの時間維持していた所に、緊張していた精神が弛緩した途端、意外なほど体が疲弊していた事に気が付いた。
「それはそうじゃろ。少ない魔力とは言え、あれだけの時間維持しておれば、消費量も馬鹿にならぬじゃろうからの」
だけど、ここで休んでも居られない。直ぐにでも扉を開けて中に入らなければ、確実に前後からの挟撃を受けてしまう。
「行こう」
自分を鼓舞する様に小さく呟き、扉の前へと歩を進める。そして、何の躊躇いも無くノブに手を掛けて回し、前後に動かして見た。が、ビクともしない。
「何かで止められてるなかな?」
眉間に皺を寄せて訝しげな表情を作った俺だが、その頭をハンマーで殴られる様な衝撃的発言がウェスラから飛び出した。
「そこは引き戸じゃ」
え?
「い、今なんと……」
驚愕の表情を向ける俺に、彼女は再度同じ事を口にした。
「じゃから、引き戸だ、と言うておる」
目を見開いたまま俺は、握っているノブへと視線を落とす。
「こんなのいらねえだろがあああああ!!」
叫んでいた。
その余りにも理不尽な物体を握ったまま暫く息を荒げ、睨み付けていたが、徐々に呼吸も落ち着くと、半分怒りに任せて力を込め、開けようとしたその時、くぐもった声が中から届けられる。
『だ、誰です!』
それは三日ぶりに聞く、アルシェの声だった。
「俺だ!」
『俺なんて人は知りません!』
声で分かれよなあ……。
「マサトだよ!」
『何所のマサトですか?』
何所って言われても……。
「可憐の兄のマサトだよ!」
『証拠を見せてください』
何を見せりゃいいんだ?
「ナニでも見せろってのか?!」
『何言ってるんですかっ!」
「だから、証拠?」
『そ、そんな物見せなくてもいいです!』
じゃあ、何を見せろと言うんだ。
「マサト、早くしろ。姉さまの張った火壁の向こう側に、両方合わせて三十人以上集まっておる」
うわー、こっちもめんどくせえ。
「よし! それじゃあ、あの時の痴態をこれから大声で言うから覚悟しろよ!」
息を吸い込み腹の底から声を出そうと口を開き掛けた瞬間に扉が開き、俺は握ったドアノブに引かれて体勢を崩すと、部屋の中へと転がった。
「な、な、何て事言おうとするんですかっ!」
そこには顔を真っ赤に染めて俺を睨み付け、首輪を嵌めて鎖に繋がれメイド服を着た、アルシェが居た。
えーと……。な、なんのプレイだ?
困惑の目線を送ると、彼女の眉尻がピクリと跳ね上がる。
「何ですか?」
ちょー話し辛いんですけどー!
「え、あ、その……、た、助けに来ました」
そんな俺達を他所に、ウェスラとキシュアは扉を閉めて鍵を掛けると、奥のベッドへと行き、ウォルさんを寝かせていた。
アルシェはその様子を目だけで追うと、直ぐに俺に戻す。
「また一人増えたと聞きましたが?」
行き成りそっちかよ、おい! ってか、助けるとかスルーですかっ!
突き刺さる視線に縮こまり、何時の間にか俺は正座をしていた。
「いや、その――なんと言えばいいか……」
言葉に窮していると、キシュアが爆弾を投下する。
「一人ではない、二人だ」
釣られてアルシェの口元も上がった。
「もう一人増えそうな気配もあるがのう」
更に油まで注がれ、アルシェの蟀谷には青筋が立っていた。
どうして二人して俺を追い込むんだよ! 人生詰んじゃうじゃん!
「あ、あ、あなた、と言う人は……」
彼女の威圧感がどんどん高まり、逆に俺はどんどん縮こまる。
なさけねー。
「い、いや、だから、これには訳が……」
暑くも無いのに汗が流れる不思議。俺は今、それを体験していた。
「どんな?」
とりあえず聞きましょう的な、そんな感じを漂わせ、彼女は目を光らせる。
こ、こわい……。
「ふ、不意打ちというか、そんな感じで――」
「永久を結んだ、と?」
俺は大きく頷いた。
「あなたは避けるとか躱すとかしなかったのですか?」
更に眼光が鋭くなる。
「マサトは二人の胸に目を奪われていたからな」
ぼそり、と呟くキシュアの言葉に、アルシェの眉がピクリ、と跳ね上がった。
「そうですか……」
キシュアのやつめ! 何故俺を貶める!
「二人とも、アルシェよりも大きかったぞ」
ついにアルシェの口元が、細かく振るえ始めた。
もう駄目だ。俺はお終いだ……。ああ、思えば短い人生だったなあ。皆、線香くらいはあげてくれるかなあ……。
俺は死を覚悟した。そして、また脳裏に浮かんだものは、俺の腕の中でよがり声を挙げる、アルシェのあられもない姿だった。
「うわああああ! 俺の馬鹿野郎! なんで――、なんで、そんなのばっか浮かぶんだよおおお!」
突然頭を抱えて身悶える俺に、三人の顔は引き攣り、後退さった。
「ど、どうしたのじゃ、マサトは……」
「壊れた……」
「た、叩けば直ります、きっと……」
俺は古い家電製品化よ! などと突っ込みを入れたい所だが、何故か、アルシェの痴態が脳裏を離れない。しかも、今の彼女の姿を見ると、余計に鮮明に浮かび上がり、更に苦しめ……いや、この場合は嬉しいかもしれない。
「ぬおおおおおお!」
更に雄叫びを上げて身悶える俺だが、それを最後に動きを止め、そして、悟った。
そうだ、どうせ死ぬなら気持ちよく死ねばいい!
ゆっくりと立ち上がり顔を俯かせたまま、アルシェの傍まで歩く。
「な、なんですか……」
そして、徐に顔を上げて、ニタリ、と笑った。
「……ッ!」
逃げようとするアルシェを強引に抱き寄せて耳元に軽く息を吹き掛けると、彼女の体からほんの少しだけ力が抜ける。
よし! ここで一気にひん剥いて!
手に力を込めようとした時、何かの衝撃が下半身から突き上げ、俺はそのまま闇の中へと沈んでいった。
お、俺は気持ちよくなる前に死んだのかっ?!




