どうしてこうなった
意識が戻った俺が最初に見たもの、それは石造りの天井と、ウェスラ・アイシンとかいう美女の顔だった。
「ようやく目覚めおったか。まったくあの様な無謀をしおってからに」
その表情は心なしか安堵しているように見える。そして俺は寝かされていて、その傍らに彼女が座って居るようだ。ただ、周囲の明るさが足りない気がする。体を起こそうとしたが、何故か全く力が入らなかった。
「まだ暫くは無理じゃよ。術の反動があるでな」
俺の動きを察したように、彼女が言う。
「術の反動? 何の事だ?」
彼女の表情が驚きへと変わったけど、俺は一体何をした。
「おぬし、覚えておらんのか?」
問いかける彼女の声は優しい。そして俺は思い返してみる。
「確か――あんたを引っ叩こうとして、火球に腕を突っ込んだとこまでは覚えてるけど……」
駄目だ、これ以上は何も覚えてない。
彼女は少し考え込む仕草を見せてから、俺に目線を向けると口を開く。
「意識を乗っ取られたか。まあ、それも仕方ないじゃろ。あの様な高位存在を呼び出してしまってはな」
「高位存在?」
「有体に言えば精霊じゃよ。ただし、その中でも神にも匹敵するほどの存在、神獣と言ってもよかろうな」
俺ってそんな凄いの呼び出したのか。ただ、そう言った彼女は険しい表情をしている。
「一つ、警告じゃ。今後、二度とアレを呼び出してはならぬ。今回は事なきを得たが、次もそうとは限らんからの」
「どういう事だよ?」
「起きられる保障は無い、という事じゃよ」
ずいぶんとチートなものを呼び出したんだな、と思って少し喜んでいたけど、どうやらそれは危険極まりないようだ。
「って事は、もし、また呼び出したら意識が戻らず、眠ったままに成る可能性が高いって事なのか?」
彼女が大きく溜息を付くと、俺を真剣な表情で睨み付けた。
「たわけが。眠ったまま等ではないわ。ワシが言ったのは、命その物が無くなる可能性が高いという事じゃよ」
命って、それは洒落にならないな。
「それじゃ何か? それを呼び出すと命の保障が出来ないって事なのか?」
「そうじゃよ。ワシとてあのような者は呼び出せぬのじゃ。ましてや人の身のおぬしでは、生きている事自体が奇跡じゃろうに、意識まで戻るなど本来は有り得ぬ事なのじゃよ」
また彼女が溜息を付く。
俺は自分でも知らないうちに何かの術、たぶん、召喚術だろう、それを使ったらしい。ただそれは、命の保障が出来ないほどの代物で、彼女に言わせると、こうして生きて意識が戻る事自体が有り得ないほどの奇跡、という事だった。
それにしても、チート過ぎて命が危ないとか、幾らなんでも洒落にならんぞ。どうなってる俺のスキル。などと考えていたが、ふと、ある事に気が付いた。
「ところでここはどこだ」
「城の牢じゃ」
道理で薄暗い訳だ。
「なるほど、牢屋なら薄暗くても仕方ないか。で、お前はなんで居るんだ?」
「まあ、アレを呼び出しても生きておるのが不思議でなあ、おぬしに興味が沸いたのじゃよ」
なんだか嬉しそうにしている。でも、普通、興味だけで一緒に入るものなのだろうか。
俺だったら外で待つけどな。
「じゃあ何か? 俺に興味を持ったから一緒に入って、起きるまで待ってた、と?」
「うむ、その通りじゃ」
胸を張って大仰に頷く彼女。しかし揺れるな、あの胸。一度、揉ませてもらえないかな。
「なんじゃおぬし。そんなにワシの胸が珍しいのか?」
口の端を吊り上げて、微かに彼女が笑う。
「ばっ、な、何言ってんだよ!」
「ほう、ならば興味は無いと?」
自分の胸を持ち上げて、ほれほれ、と揺する。俺はというと、指一本動かせず顔を顰めて悔しがるだけだ。
「どうした、男なら気力で襲ってみよ」
尚も、俺の目の前で揺する。
くそ! 動け俺の腕!
「ほほう、動くか。流石は欲望の力は凄いのう。じゃが、それ以上は無理の様じゃな」
彼女がニタリと笑う。
「まあ、今は無理するでない。動ける様になったら、幾らでも揉ませてやるわい」
「ほ、ほ、ほんとうかっ!」
俺の余りの剣幕に一瞬彼女はたじろいだが、首は縦に振った。
思わず心の中でガッツポーズをしてしまった。
「しかし、面白い男よの。まさかワシの我侭で呼んだ者がこの様な者とは思わなんだ」
満面の笑顔を湛えて言う彼女の言葉に、俺は顔を顰めた。
ちょっと待て、今聞き捨て成らない事言ったよな。
「今、我侭って言ったよな?」
「ん? そうじゃが?」
余りにもあっさりと認められて、俺は頭に来た。
だってそうだろう? 何かの理由があったのなら、まだ納得も出来る。でも、俺達はこいつの我侭で異世界に召喚なんかされた。怒らない方がおかしいだろ? 納得できる理由が何所にも無いんだから。
「俺達はお前の我侭で呼ばれたんか!」
突然怒り出した俺をキョトンとした表情で彼女が見る。
「なんじゃ? 行き成り怒り出しよって」
俺が何故怒っているのか本当に分からないらしい。これはマジで一発叩かれなければ分からないようだ。
俺は心の中で念じる。動け、と。そして、顔を顰めて歯を食いしばり、全身に力を込めると一気に身を引き起こした。
彼女は驚愕の表情を俺に向けて固まっている。それはそうだろう。暫くは無理、と言っていたのだから。
動かない彼女に向けて俺の腕が振られる。でもそれはゆっくりとした動きだ。そして、手の平が彼女の頬に当たった。それは叩く、というより触れる、と言う方がいいかもしれない。それでも、俺の意識は叩いたと認識していた。
「お前みたいな我侭な女はこうしなきゃ分かんねえだろうからな」
力尽きて崩れ落ちながら口元を歪めて言う俺を、彼女は目を見開いたまま見ている。ただ、その瞳からは一筋、涙を流したが。
「ワシを――叩いた、じゃと……?」
「そうだ、叩いた」
その途端、彼女は顔を歪めて涙を流し始める。それを見た俺は、少々面食らってしまった。
だって、怒ると思ったのに泣き出したからな。
「は、初めて――ワシ、の――我侭、諌め――くれ、よった――」
泣きながら言うその言葉に、俺は眉根を寄せる。
「う、うれし――」
それ以上は言葉に成らなかった様だ。だって、子供のように声を上げて泣き出したんだから。
俺はそんな彼女の様を見て溜息を付いていた。
怒られてうれし泣きするのを見たのは、初めてだったからね。
彼女は泣き止むと、俺に向かって語り出した。それは彼女の身の上話だった。それを聞いた俺は、とても人に話せる事では無いと思った。
「お前、本当は何がしたかったんだ?」
話し終えた彼女に俺は言葉を投げ掛ける。あんな話を聞いてしまっては、もう怒る事は出来なかった。
「ワシは普通に暮らしたかった。普通の女としての幸せを送りたかっただけじゃよ」
俯く彼女の表情は俺には良く見えない。ただ、その声からは諦めが感じ取れた。
「だったら今からでもいいじゃん。やりたかった事やればいいだろ?」
そう、何かを始めるのに遅い、という事は無い。例えそれを享受出来る時間が短くても、やらずに後悔するよりは、やったほうが遥かにいいと俺は思っている。
「じゃが……」
何かを訴えるような目を俺に向けてくる。あの話からすると今までが今までだし、一人でどうこうは厳しいのだろう。俺は息を大きく吸い込む。
「ウェスラ・アイシン!」
突然の大声に彼女は驚いて一瞬、身を震わせると、俯けていた顔を俺に向ける。
「お前は我侭なんだろう? だったらその我侭、自分のやりたい事の為に使えよ。俺も協力してやるからさ。それにな、自分の幸せの為に我侭言う女って、可愛いと思うぞ」
自分の幸せの為に我侭を言う女を、大半の男は自分が許容出来る範囲ならば許してしまう。そして、それを可愛いとさえ思う愚かな生き物なのだ。
俺は口元を笑いの形に変えて彼女を見る。
彼女はそんな俺を、驚きと喜びの表情を重ねて見ていた。
「ワシが幸せを求めるのに手を貸すというのか!」
「そうだ」
「そ、それでは――おぬしはワシと一緒に居てくれるというのか!」
「そうだ」
「では……ワシの夫になってくれるのだな!」
「そうだ」
って、あれ? ちょっと待て! 夫――だと?!
どうしてこうなった?!