お、怒ると、ま、魔力が、増すんだな
その余りにも惨たらしい姿に声も出せず、頭の中では、一体誰が何故こんな事を、とそんな考えばかりが巡っていた。そして、呆然としている俺に、ウォルさんは笑い掛けてきた。それも、弱々しく。
「お、お久ぶり、です――。マサ、ト様……」
苦しそうに声を吐き出すその姿は、痛々しくて見ていられない。でも、俺は目を逸らさなかった。それは、今のウォルさんにとって、失礼な事だと思ったからだ。
「この、様な姿、を、晒し、てしまう、とは、面目、ない」
力なく笑う。
そんな事はどうでもいい。一体誰がこんな惨い事をやったのか、俺はそれが知りたかった。
「何があったんですか?」
俺の問い掛けに目を伏せると、彼は悔しそうな表情を浮かべて、声を震わせた。
「済みま、せん……。カレ、ンを――我妻、を――奪わ、れて、しまいま、した」
その目に光るものを浮べて体を振るわせるウォルさんの悔しさは、俺にも伝わってくる。だから、
「教えてくれ、誰がやったのかを」
だが、ゆっくりと首を振り、何も答えてはくれなかった。
「俺は可憐の兄で、ウォルさん、あんたは妹の夫だ。なら、俺達は義理の兄弟になるんじゃないのか? それなのに教えてはくれないのかよ」
俺はその事に歯噛みしながら言葉を吐き出していく。
「なら、こんな事言いたくはないけど、二人とも自分の力を過信し過ぎて、自ら進んで最悪の状況に向かって邁進してる様にしか、見えないんだけどな」
本当ならば、何か慰めの一言でも掛けるべきなのかもしれない。でもそれは、最善に向かって努力した者にであって、自ら最悪に向かった者に掛ける事ではない。だから、遭えて辛辣な言葉を投げ付けた。それに、俺だってこんな事は言いたくはなかった。でも、今のウォルさんの態度を見た瞬間、無性に腹が立って思わず口走っていたのも確かだ。それに、これだけの力が有るのだから、何でも出来る、何とか成る。そんな考えが頭の片隅に有るとしか思えなかった。だからその傲慢さを諌めたくなった。最も、これだって俺の中にある勝手な思い込みの様なものだし、これを指摘されたからといって否定する気は無い。
「しかも、こっちは何時でも手を差し伸べる準備は出来てるのに、手を伸ばして来る気配すら無い。それどころか、拒否してるようにも見える。そんな相手に、幾ら親しかろうとう手を差し伸べるほど、俺は人間出来ちゃいないよ」
初めは呆気に取られた瞳で見ていたウォルさんだったが、次第に微かな怒りの色を浮べて俺を睨み付け始めていた。それでも、俺は一歩も退く気も無いし、撤回する心算があったなら、こんな事は言っていない。
「では、お聞き、しますが――何故、マサト様、は、ここに、居られるの、です、か?」
今の彼の声が震えているのは、何も体の問題だけじゃない。俺に対して怒っているからだ。
「俺は自分の意思でここに居る。それも、牢屋に閉じ込められる事すら織り込み済みでだ。それにここから出る目処も付いてる。多少の計画変更は有るだろうけど、それだって全部織り込んであるし、今よりも最悪の状況になった場合すらも考えてある」
真っ直ぐに刺す視線をしっかりと受け止め、俺は答えた。
「今、よりも、最悪、とは?」
「それは言えない」
「何故、です」
「言えば今みたいに聞くだろう? だから、言えない」
この最期の手段だけは本当に言えない。何故なら、俺が指示する事じゃないから。
これで話は終わりだ、と言わんばかりに俺は、ウォルさんに背を向けて牢の奥へと行こうとした。
「最後、に一つ。もし、私達、が、手をの、ばしていたら、その手を、取って、くれ、たので、すか?」
「もちろん」
「では――、今、伸ばし、ても――」
「取ってやるよ。大事な身内なんだから」
「ありが……」
床に倒れこむ音がして、ウォルさんの声はそこで途切れた。
ったく、最後に聞く事じゃねえだろうが。俺達は何時だって、手を差し伸べる準備は出来てんだから。もう少し素直になれよな。
「良いのか?」
ウェスラの心配そうな声が俺の背中を撫でる。
「今は何もしてやれないからね」
俺はそのまま牢の奥まで移動し、壁に背を付けて座り込むと目を瞑った。
考える事は山ほどあるが、今は枷をどうするかが先決。これを外さない事には、この先、牢から出る事が出来たとしても、戦う事が出来ない。何よりも、俺とローザ以上にウェスラとキシュアには重たいで有ろう事は、想像に難くない。
二人は遠距離からの魔法支援による戦闘が主体だから、それが使えないとなれば完全に戦力外もいいところで、そうなれば、俺達で守らなければ成らないし、俺も魔法が封じられているのだから、戦力はがた落ち。詰まり、今、このメンバーでまともに戦えるのはローザ只一人、と言っても過言ではない。そんな状況で牢から抜け出したとしても、ローザに負担を押し付けるだけになる。それに、助けに来るフェリスにさえ負担が掛かる。
最悪、フェリスに元の姿を取ってもらえば、大抵の事は切り抜けられるとしても、そんな状況にでもなれば、王都の住民に政変が起きて居る事を知られる所となる。それだけならばまだいいが、それで済む筈は無く、国外へもその話は飛び火するだろう。そうなれば、この国に対しての不安は更に広がり、民の流出は勿論だが、北と南の大国が平定の名の下に侵攻に乗り出してもおかしくは無い。もしそれが南北同時のタイミングで行われれば、この大陸を揺るがす大戦すら勃発しかねない状況へと陥ってしまう。ただ、俺が深く首を突っ込まず、ギルドの依頼の完遂だけに専念すれば、ここまでの状況にはならなかった可能性も捨てきれないが、王妃にとっては、城の外で自由に動く俺という異世界からの異物は、排除すべき対象と見なされていた可能性も高い。だから、あそこで俺が夕食の誘いを断ったとしても、たぶん、結果は同じだったのではないか、とも思う。
結局の所、その最悪の状況を脱する鍵を握っているのが俺だなんて、悪い冗談にも程がある。
「ったく、一介の高校生になんて重荷背負わせるんだよ。この世界の神様は……」
最もこんな悪態など、只の八つ当たりに過ぎない事は、分かり過ぎるくらいに分かっている。これは、俺自らが首を突っ込んだ事なのだから。
「ま、愚痴ってもしゃあないか」
苦笑と共に微かに芽生えた憤りを吐き出して、一旦、考える事を止めたその時、四人で枷の外し方を話し合っていた時の事を思い出した。
「そういえば、外す方法ばかり考えてたけど……、別に外れなくても、核さえ壊れれば問題ないんじゃ……」
先ほど見落としていた事はこの事だ。外す事ばかりに気を取られて、機能を壊す事を忘れていた。
「なあ、ウェスラ」
「ん? どうしたのじゃ?」
先ほどまで難しい表情で考え込んでいた俺が、突然話し掛けたのが不思議な様で、少し驚いていた。
「核に魔力を込め過ぎるとどうなるんだ?」
彼女は訝る表情を見せた。
「何故そんな事を聞くのじゃ」
「いいから教えてくれないか?」
真剣な表情でウェスラに詰め寄った。それに、もし、俺の考えが当たっていれば、絶対、核を壊せる筈。それを確認する為にも、込め過ぎた時どうなるかが知りたかった。
「な、なんじゃ?! 行き成り!」
「いいから!」
「訳を話すのじゃ、訳を!」
「それは後回し! 込め過ぎるとどうなるかが分からなきゃ話しても意味無いんだよ!」
余りの剣幕にウェスラは後退り、俺は更ににじり寄った。
「わ、分かった! 分かったから、少し離れんか!」
気が付くと、無理やりキスでも迫る感じで顔を寄せていた。
む、なんかこのまま下がるのも勿体無いな。
そして、軽く唇を触れ合わせる。
「な、な、な、何――す、す、する……」
「おー、久々に可愛いウェスラだ」
頭から湯気が出そうなほど顔を真っ赤に染めて、恥かしそうに俯くウェスラは本当に可愛い。
「こ、こんな姉さま、初めて見ました……」
「ウェスラ姉さまが……」
二人にも驚かれて更に俯きを深くしながら、俺を上目遣いに見て、
「マサトの――ばか」
そう呟いて、目を伏せてしまった。
うおおおお! 頂きましたあ! 萌える! 萌えるぞお!
俺は思わず小さくガッツポーズを決めた。
「誰か来ます!」
喜ぶ俺に水を差す様な緊張した面持ちでローザが告げる。全員それに素早く反応すると、牢の外へと目を向けた。
そのまま暫く全員で押し黙っていると、俺の耳にも足音が届いた。それは二つ。一つは本当に微かで集中していないと聞き漏らしそうな程だが、もう一つは、一切音を隠そうともせず、高らかに響かせていた。
「ほう、すでに目覚めておったか」
現れたのは王妃と、頭の天辺から足の先まで全身黒ずくめでがっちりした体形の、長身の男だった。
こいつ、まるっきり忍者みたいだな。
その男は、そんな印象を抱かずには居られないほど、あっちの世界の忍者と酷似していた。
「何の用ですか?」
睨むような視線を送ると、王妃は俺を蔑むように見て鼻を鳴らした。
「詰まらん。ほんに詰まらん男よ」
「国を売ろうとする人に言われたくはないですね」
俺の返しに眉尻を吊り上げて、微かに驚きを見せる。
ばーか、俺には全部分かってんだよ。
「面白い事をぬかすの」
「それはどうも」
これも気に入らないのだろう、更に目付きまできつくなり始めた。
「そうそう、そなた等の夕餉だがの――」
お返し、とばかりに口角を吊り上げてから、王妃は告げた。
「無しに決めた」
どうせそんな事だろうと思ったよ。逆に豪勢な食事でも出されりゃ驚いたのに、なんでこうも、予想通りなんだろうな。
「そうですか。――王妃様は、本当に俺の予想した通りに動いて頂けますね。もう、感激で涙が出そうですよ」
王妃の口元から笑みが消えると同時に、表情まで消えた。
馬鹿にされてるって分かったのかな?
「ほお……」
無表情に徹して居る様だけど、手にした扇子は壊れそうなほど握り締めているし、体は小刻みに震えてるし、その様は滑稽で、つい、笑いを漏らしてしまった。
「何がおかしい!」
俺は更に笑いを上げる。
本当に、本当に滑稽だよ、王妃様。
笑い続ける俺に向かって、王妃の罵声が飛ぶ。
「今更負け犬が何をほざこうとも、もう遅いわっ!」
笑いを止め、俺はまた王妃に視線を突き刺した。
「ふん、その目、気に入らぬ。エルシリアと同じ目をしておるわ」
エルシリア? 誰だそれ?
「まあ、あ奴はその所為で命を落としたのだがな。精々、そなたも気を付けるが良い」
どう言う事だ。そのエルシリアが俺と同じ目をした事で、命を落としたってのは。まあ、ウェスラあたりに聞けば分かるか。
「俺は簡単に殺せませんよ」
「ふん、やはり詰まらぬ」
興味を無くした、とでも言うように、一言残して踵を返すと、元来た方角へと去って行った。そして、その場に静寂が訪れた時、ウェスラの震える声が、微かに響き渡った。
「そうか……エルは、あ奴が……。これで――これで漸くじゃ……」
ウェスラは拳を握り締めて歯を食いしばり、その瞳からは光る物が零れ落ちていた。
「エルシリアって――」
「エルシリア・ミル・ユセルフ……元第一王妃であり――アルシェの母。そして……、ワシの――ワシの、掛け替えの無い友人じゃった者じゃ!」
彼女は床に突っ伏して嗚咽を漏らし始め、他の二人はその衝撃に、驚きで固まっている。
「なっ……!」
俺は絶句した。アルシェの母親がすでに亡くなっていたという事に加え、その人がウェスラの友人だったという事実。そして、彼女の口ぶりからすると、アルシェの母親は何者かに殺された可能性が高い。その事と、王妃の言動から推測出来る事は――。
「あいつが命令した可能性が限りなく高いって事か……」
この時ほど腸が煮え繰り返る思いをした事はなかった。
目つきが気に入らない、たったそれだけで――、本当にそんなちっぽけな理由だけで、手を汚さずに口だけで殺すなんて、卑怯にも程がある。だったら――、彼女達に代わって俺がその報い、きっちりと渡してやる! 覚悟して置け、くそったれ王妃!
「ウェスラ……核は魔力を充填しすぎるとどうなる」
怒りの篭もった俺の声に、彼女は泣きながらも答えてくれた。
「……充填し過ぎれば、核にヒビが入り、込めた魔力、が漏れて――使い物に成らなくなる……」
「そうか……、なら、次は、充填方法を教えろ」
この時、俺は自分がどんな顔をしていたかは知らない。でも、彼女達の驚いた表情を見る限り、初めて見せた本気の怒りの表情だったのかもしれない。
「たぶん、この枷から核は取り出せぬはずじゃ。そこまで複雑な構造を取る必要はないじゃろうから。故に、こう、手を翳してゆっくりと込めるのであろうな」
ウェスラは身を起こして、手振りを交え俺に伝える。
「わかった」
そして俺は、首枷に自分の手を翳した。
「な、何を――」
「核の許容量を上回る魔力を充填してぶっ壊す」
「なっ! ま、まて! 待つのじゃ! ワシの言った事は憶測に過ぎぬ! もし、もしも、それすら予測して作られておったら、マサトが死んでしまう!」
顔面蒼白になり、慌てて俺の手に縋り付き止めようとする彼女に、笑顔を向ける。
「大丈夫だ」
「じゃ、じゃが……じゃが!」
「約束しただろ? ウェスラが幸せに成るのに手を貸すって。だから、俺は絶対に死なない」
彼女の手を静かに振り解くと、首枷に両手を添えて、目を瞑った。
――もしも、俺の中に何かが眠っているのなら、今だけでいい、手を貸してくれ。俺は、この国が――、この国を愛する人達の力になりたい。この国を守りたい! 大切な人達を守りたいんだ! だから、――力を貸せ!
その瞬間、俺の体内で爆発的に魔力が高まり全身から迸った。そしてそれは、両手を添えた首枷に収束していく感覚を伝えると同時に、冷えたガラスのコップに誤って熱湯を注いでしまった時と同じ音を、俺の耳に流し込む。
そして、首枷から静かに手を離した俺は、口角を吊り上げて呟いた。
「成功だ」
待ってろよクソババア! てめえの目論見なんざ、俺が打ち砕いてやるぜ!