事実は小説よりファンタジー
妹の可憐が名乗った直後から、目の前の連中が動きを止めてしまっている。いい加減我に返って欲しいものだが、見ているこちらとしては結構面白いので、促す心算は全く無い。もっとも、俺達はたっぷり五分ほども待たされる羽目になったが。
「ねえ、おにい。あの人たちどうしちゃったの?」
困惑した表情で問い掛ける可憐。
こいつは自分が超の付く美人だって事に自覚がないんだよね。
「何時もの事だろ」
そう、俺達にとっては何時もの事なのだ。
可憐が自己紹介すると必ずこうなる。小学校高学年あたりからの慣例になっている。そして俺は何時も何もしない。ニヤニヤと見ているだけだ。
だって、おろおろする妹を眺めてる方が楽しいじゃないか。まあ、今の妹は慣れてしまい、殆ど動揺する事も無いが。
その可憐はと言えば、辺りを見回して、眉間に皺を寄せていた。やっと周りを見る余裕が出来たようだ。
「ねえ、ここって、もしかして……」
ようやく気が付き、不安を覗かせている。
もう少し回りを観察するクセを付けろ、と口をすっぱくして言ってたのに、未だに出来ていない。これって武道にも通じる事なんだけどな。
「たぶん、な」
「やっぱりそうなんだ」
俺は頷いた。
俺がすでに気が付き、今、可憐が気付いた事。それは、ここが異世界じゃないのか、って事。だからと言って、俺は必要以上に慌てないし、目の前の事実を否定する事もしない。そんな事をする暇が有るなら、すぐにでも情報を集めて自分の置かれた状況を分析をしたいくらいだ。ただし、今の現状分析は、余りしたくは無かったけど……。
俺達が今置かれている状況は、家ごと異世界に召喚されたらしい、という事だ。まあ、生活基盤がそのまま一緒、と言うのは有り難い事ではある。だが、水道もガスも電気も使えないだろうから、それはそれで困った事ではある。でもここは異世界で、召喚、なんて事が出来るくらいだから、魔法だが魔術も普通に存在するだろうから、水と火は何とかなるはずだ。
まあ、そんな物使わなくても何とかする方法はいくらでも思い付くから、それほど心配はしてないけどね。
しかしだ、家ごと召喚されるとか、普通、有り得ないだろ。小説や漫画でも見た事ないぞ。
「学校どうしようか」
不意に呟く妹の声を聞いた俺は、呆れてしまった。
「学校に連絡なんて出来る訳ないだろ?」
「そうだよねえ……」
そこで途方に暮れるな、可憐さん。俺の考えが正しければ、悩む所はそこじゃない。
「そんな事よりも考える事があるだろ?」
可憐は首をちょこんと傾げる。
だから、そこで可愛らしく首を傾げるな、首を! 襲いたくなるだろうが!
「だーかーらー、召喚されたって事は、何かと戦わされる可能性があるって事だろうが!」
「そっか! そうだよね」
両手を叩き合わせて仕切りに頷いている。
あまり俺に負担を掛けないで欲しい。それに双子なのだから、もう少し以心伝心をしたいと思うのは、俺の身勝手なのだろうか。
「でも、何と戦うんだろうね?」
笑顔で気楽に言う。
もう、溜息しか出ません。家に戻って寝てもいいかな? 俺。
「知らん」
「えー、そんなのあたし困る。おにい何とかしてよ」
可憐さん、頼みますから、俺の両肩を掴んで激しく前後に揺するのは止めてください。それに困ってるのはあなただけじゃないのです。
「あのなあ、状況も把握出来てないんだぞ。それで何とかしろって言われても、何とも出来ねえっての」
出来ない事を出来ないと素直に言ったのに、頬を膨らませて拗ねるとは、困った妹だ。
「あ、あの……」
遠慮がちな声が聞こえ、そちらに顔を向けると、王女様が復活していた。
「何でしょうか?」
なんだか俺をチラチラと見ながら頬を染め、やけにモジモジしてる。
トイレにでも行きたいのだろうか?
「非常に言い難い事なのですが……」
やっぱりトイレかな? でも、家のは今、水が流れないぞ。
「いや、まあ、ある程度は予想付いてますんで、ハッキリと仰ってください」
トイレが流れなくても大丈夫だ。風呂に昨日の残り湯が有るしな! さあ! トイレを貸してくださいと言ってしまいなさい。
王女様は大きく深呼吸をして俺に真剣な表情を向けてくる。
俺も姿勢を正して受け止める覚悟を見せる。
緊張の一瞬だ。寛大な所を見せないとな。
「実は、――手違いで召喚してしまったのです」
うん、普通は召喚の事だよね。俺の予想が斜め上過ぎただけだ。落ち込む事じゃない、落ち込む事じゃ……。
でも、手違いで召喚って、俺達惨め過ぎないか?
「いえ、違いますね。正確には手違い、ではありません」
俺は眉間に皺を寄せる。
結局、どっちなんだ?
「私共が召喚しようとしたのはマサト様ではなく、カレン様なのです」
なるほど、そういう事か。それで手違い、と言う訳だったのか。
って、ちょっと待て! 可憐が本命で、俺は手違い、って事は……
「もしかして、俺はオマケ、――だと?」
「はい、そうなります」
この脱力感はなんだろうな。
「真に申し訳ございません」
王女様が深々と頭を下げておられる。こんな事されたら俺は何も言えません。
「ちなみに、召喚した人って誰なんですか?」
名前を聞いても分からないけど、聞かなきゃ俺の気が済まない。何故聞くかって? 決まってるだろ、後で探し出してぶっ飛ばす為だ。
「この世界最高にして至高の魔匠、ウェスラ・アイシン様に有らせられます」
物凄い敬意の詰まった声音だ。王族にここまで言わせるとは、さぞかし凄いのだろう。
「ましょう? って何?」
聞きなれない言葉に、また表情が渋くなる俺。
「魔術の道を極めた者にだけ与えられる称号です。そうですね、こう言えば分かりやすいかもしれません。魔術のみに特化した専門家、と」
要するにあれか、その道を極めた匠の事ね。
「で、その人が召喚術を使ったと?」
「はい」
そんな凄い人が何故家ごと召喚なんてした。しかも、俺も含めて。訳が分からない。でも、実際にこうして召喚されているし、俺がどんなに考えても分からない物は分からないし、それは本人にしか分からない事なのだ。
って、ちょっと待てよ。王女様は妹だけを召喚する筈だったと言っていたな。
「ところで、何で可憐が召喚対象になったんですか?」
思い浮かんだ疑問は、何で妹の可憐なのか。どうして選ばれたのか。
「私共には知らされておりませんので……」
王族が知らないって、世界最高の魔術師様は何も教えなかったのかよ。こうなったら、質問を変えるしかないな。
「では、質問を変えます」
「どうぞ。お答え出来る事は全て話しても良いと、王から申し付かっておりますので」
隠して疑われるよりも、知っている事は全て話して協力を仰ぐ方が良いって判断か。流石は一国の主だ。
「何故、他の世界からわざわざ召喚する必要が有ったのですか?」
王女様は申し訳なさそうに目を伏せた。やっぱり話し難い事だったか。
そして、王女様は語りだした。
「このデュナルモ大陸は、南北を分断する形で山脈が聳えておりまして、遥か昔は交易が非常に困難だったと聞いています。ですが、その事を憂いた我が国の初代国王がこの地に建国を果たしました。それは数々の困難を克服した、血の滲む様な努力の結果だと伝えられております。そして、この国の位置は山脈の中でも盆地の様になった高原地帯に当たり、建国時に作られた道が現在まで南北の交易路として使われ、交易の要衝として今もこの国を栄えさせております。ただ、その常、と言いますか、例外に漏れず、百年ほど前までは利権を巡って侵略の憂き目に遭う事もしばしば有ったのです。しかし、ここに至るまでの道が天然の要害としても機能している為、小国でありながら、今まで独立を貫く事が出来ていました」
ここまでの話だと、召喚とか必要なさそうだけどな。少し突付いてみるか。
「要するに、交易路が山を切り開いた谷間の道って事なんですね?」
「はい、そうです」
「その道を使わなければ攻める事が出来ず、また攻めて来られたとしても大部隊の移動は困難な為、守り易く、小国にも関わらず、属領にもならずに済んだ、と、こういう事ですね」
「今までは」
俺は今の言葉を聞いて考えを巡らせる。
――今までは、か。という事は、何らかの問題が起こったと見るべきか? いや違うな、その道を使わなくても攻められる方法が出来上がった、と見た方がいいな。しかも、ここ百年は戦争が起きていない。となればこれは、戦時を見据えての準備という事か。
王女様がちらちらと俺を見てる。何か聞きたそうな感じがするけど、余計な事は言わない方が無難かもしれない。
「それで異世界人の力が必要になった、と?」
王女様が頷く。
「しかし、俺達は何の取り得もありませんよ?」
一介の高校生だし、喧嘩なら兎も角、戦争なんて無理だからな。
「いいえ、何がしかの技術とかでは無いのです。実は異世界から召喚されて来た者は私達の世界の者からすれば、無限に近い魔力量を持っているのです」
魔力と来たか。これもテンプレ、やっぱりファンタジーですね。
しかし、魔術とか魔法の無い世界に住む者が、こっちの世界へ召喚されると途方も無い魔力を持つってのは何の皮肉だろうな。それに知らされていない、と言っていたけど、これが理由なんじゃないのか?
「それで俺の妹の魔力量がアイシン様とやらのお眼鏡に叶った、という事ですか」
「はい」
後に目をやると、妹が踏ん反り返っていた。悲壮感の欠片も無いな、こいつは。
俺も人の事言えた義理じゃないけどさ。
「何? なんか文句でもあるの?」
どうやら呆れていたのが顔に出ていた様だ。
「なんも」
俺はまた、王女様に視線を戻した。
「それで、その魔力量ってのは測れる物なんですか?」
「はい、可能です」
量れるのか。でもどうやるんだろ?
だが、俺のその疑問はすぐに解消された。
「魔力計測の水晶球がございまして、そこに両手を翳せば分かるのです。もっとも、それを公平かつ正確に読み取る魔導師の方が必要ですが」
なるほどね。
でも待てよ? 俺達はそんなもんに触れた覚えはないぞ。
「それじゃ、俺達のはどうやって量ったんです? 水晶球ってのに触れた覚えもありませんよ?」
そう、俺達はこの世界の人間じゃない。そして、そんな物は俺達が居た世界には無いのだ。だから量る事は出来ないはず。それに、他に方法が有ったとしても次元を超えて出来るものなのだろうか。ほんと、ファンタジーな世界は分からない事が多いな。
「私どもでは叶いませんが、アイシン様でしたら……」
そのアイシン様とやらが次元を超えて計測までしてくれたって事か。まったくもって迷惑な話だ。
「客人が到着したようだの」
突然流れる声に俺も含めたその場の全が視線を向ける。
そこには艶然と微笑む超絶美女が立っていた。
歳は二十歳前後とも、俺達と同じくらいにも見える。
その容姿は、足首まで届こうかというほどの長い銀髪に褐色の肌。気だるげな半眼から覗く瞳は翡翠色の輝きを放ち、少し控えめだが形の良い鼻が程よい位置にあった。薄い唇は血の様な赤さを持ち、薄く笑った口元から覗く歯の白さを際立たせている。身に付けている物はといえば、大胆に胸元が抉れたドレスを纏い、惜しげもなく豊満な胸をさらし、その腰は触れれば折れそうなほど細く、そして、ロングスカートにも関わらず、サイドスリットが腰の位置まで切れ込み、艶かしい太ももを半分以上も露出させていた。
妹とは違う美の結晶。
可憐を太陽と形容するならば、こちらは月だ。それも、楚々と光るのではなく、怪しく光る月。
そして、俺達を召喚した本人で、俺が怒りをぶつける相手。だけど、そんな彼女に目を奪われてしまった。
「アイシン様、またその様なはしたないお姿でお出に成られるとは……」
俺は我に返って彼女を睨み付ける。
この美女がウェスラ・アイシン。俺達を呼んだ張本人か。
「あんたが俺達を召喚したのか」
彼女は口の端を吊り上げる。
「だとしたら、如何いたす? ぼうや」
試すような、誘うような口調を向けられた。
俺も口元が無意識に笑ってるのが分かる。なんせ、召喚した本人が目の前に居るんだぜ?
「引っ叩く」
俺の答えに彼女は豪快に笑った。
これじゃ綺麗な顔が台無しだな。
「面白い男よの。もっとも、ワシに触れられるものなら、だがな」
触れられるものなら、か。宜しい、触れてやろうじゃないか。ついでにその豊満な胸も揉んでやる。
目的を果たす為に、俺は彼女に向かって静かに足を前に出した。
後では不安そうな声で「よしなよ」と囁く可憐。だけど、数歩行った時点で、前には俺を睨み付け行く手を遮るアルシェアナ第三王女が居た。
とりあえず王女様は邪魔だ。出来れば力尽くってのはしたくないから、素直に退いてくれればいいんだけど。
「済まないが退いてくれないか?」
案の定というか、俺を睨んだまま何も言わず、動きもしない。それに、その後に騎士達も集まっているから、力尽くでの突破も無理。ならば、残る道は一つ。
俺はそのまま数歩後に下がる。それを見た王女様以下、全員が訝しげな表情を取った。
その気持ち分かるよ。何をする気だ、って思ってるんだよな。
王女様から最後尾の騎士まで、約五メートルほど。これならば……。
ほんの数歩だけの全力疾走。でも、俺にはこれで十分だ。
俺はその数歩分だけの助走で飛び上がった。
舐めるなよ、俺のチート運動神経を! 数歩分の助走距離があれば世界記録が出せるんだぜ!
あっと言う間に彼等の頭上を俺は飛び越え、ウェスラ・アイシンまで後数歩、という位置に着地する。
肩越しに目線を送ると、こちらを振り向き唖然とする顔が見えた。
「とんでもない男がオマケで付いて来たものよのう」
彼女は相変わらず艶然と微笑んでいる。
「悪いな、とんでもない男で」
「じゃが、これは躱せるかな?」
目の前に突如、俺をすっぽり飲み込めそうな火球が現れ、向かって来る。
魔術か! それも無詠唱ってやつかよ!
後には可憐とこの国の王女と、お付の親衛隊。俺が避ければその全員が餌食となる。因って避ける事は出来ない。火球が俺を包み込むまでのゼロコンマ何秒の世界で、一瞬で答えを導き出した。
それは、一か八か、使えるかどうかも分からない魔術を使う事。躊躇している暇は無い。すでに火球は眼前に迫っていたのだから。
即座に迫り来る火球に向けて、叩き付ける様に左手を伸ばした。
「出ろ!」
何故、そう叫んだのかは分からない。でも、それが正しい事だと思っていた。だが、俺の左腕全体が火球に飲み込まれ、その熱に顔を歪め、駄目か、と思った瞬間、体の中心、丹田と呼ばれる部分から、何か凝縮された物が左腕まで動き、そして、頭の中に声が響き渡った。
(その体、しばし借り受ける)
その瞬間、俺の意識は闇に閉ざされ、深く沈み込んでいった。
一体、どうなったんだ俺?