言葉にしないと伝わらない事もある
見渡す限り何所までも続く草原に一人佇み、俺は流れる雲を見ていた。
何も無い、今のこの場所にはぴったりの言葉だ。
しかし、それ以上の事は、頭の中に霞のようなものが掛かり、思考する事を何かが邪魔していた
俺の前に一人の青年が、忽然と現れる。でも、そんな事を不思議にも奇妙にも思う事も出来ずに、やっぱりただ眺めているだけだ。
「まさか、こんなに早くこの場所に来るとは思いませんでした」
――?
彼は俺の瞳を覗き込むと、何かを納得した様に小さく頷いた。
「これは――偶然のようですね」
――偶然?
「ならば、今はお戻り下さい」
彼の腕が斜め上にスッと伸びると、それに釣られて俺も顔を向け、また意識がゆっくりと閉じていった。
*
俺は目を開けて周りをゆっくりと見回して何処か確認をする。だがそこは、見た事も無く、何も無い殺風景な場所だった。
「ここは……?」
「おお、目覚めたようだな。此処はな、俺が仮眠する時に使う部屋だ」
「仮眠?」
そう言えば俺はあの後どうなったんだっけ?
「まったく、目覚めたから良いものの、マサトがあのまま死んでおったら、おぬし等二人とも魂まで消滅されておった所じゃぞ! 分かっておるのかっ?!」
そうだ、思い出した。二人に血を吸われて、そのまま意識失ったんだっけな。
「ったく、永久を契約した者の尊属殺人は偶然にしろ故意にしろやったら不味いのは分かってんだろうに。そんな事も忘れちまうとは、二人共ちいとばっかし浮かれすぎだな」
取り合えず起きないと……。
「無理はするなマサト。今しばらくは寝ておれ」
ウェスラの安堵した顔が迫ってくる。
「ウェスラ、泣いてた、のか?」
俺は手を伸ばして彼女の頬に触れる。涙の後が残っていたから。
「な、泣いてなど……」
途端、その瞳から溢れたものが、俺の頬に零れ落ちた。
「やっぱり泣いてるじゃないか」
優しく微笑み、彼女の頬をそっと撫でると、そのまま俺の胸に突っ伏して、声を押し殺して泣き始めた。
「ハロムドさん、俺ってあの後どうなってたんですか?」
視界の片隅でキシュアとローザの二人が一瞬、小さく身を震わせたが、それを気にせず彼は口を開いた。
「実はなあ、おめえさん、心臓が止まっちまったんだよ。ありゃ、明らかにあの二人が血を吸い過ぎたのが原因だな。お陰でアイシンは取り乱すし、二人は二人で茫然自失になっちまうし、えれえ目にあったぜ」
おいおい、心臓止まるとか洒落になって無いぞ。まあ、お花畑は見て無いけどな。
「でもまあ、何故かまた勝手に動き出したから、こうして俺がここまで運んで寝かせたんだけどよ。止まったままだったら、棺桶に運ばにゃならんとこだったぜ」
肩を竦めて苦笑を漏らしている。
そんなにやばかったのか、俺。
「済みません、お手数お掛けして」
俺は目礼を返した。
「良いって事よ。俺の造った剣の使い手に死なれちゃ困るってだけだしな! 最も、おめえは勝手に生き返ったけどよ!」
豪快に笑う。
やっぱりハロムドさんはこうでなくちゃな。
「そう言えばさっき、尊属殺人がどうとか言ってませんでした?」
魂まで消されるとかなんとかウェスラが言ってたし、永久の契約者がどうのとかハロムドさんは言ってたんだよな。
途端にハロムドさんの表情が険しくなった。
「まあ、ちと言い難い事なんだけどよ。永久の契約をした者が、家族を偶然でも殺しちまった場合はな、滅刑に成っちまうんだよ。しかも、それは教会の教義に反したって事で、申し開きはおろか、酌量も一切ねえんだ」
「滅刑?」
「文字通りよ。滅ぼして殺す。要は魂すら残さねえってこった。教会の連中曰く〝尊属殺人を犯した者は転生してもまた犯す〟って事だかららしいぜ」
魂ごと消す事で、業そのものを無理やり断ち切るのか。荒っぽいと言うか、何と言うか、愚かな行為だなあ
「まあ、言ってる事は分からなくもないけど、でも、それは間違ってますね」
ハロムドさんは一瞬目を見開くと、口角を吊り上げる。
「確かにな。だが、それを外で言ったら、おめえも滅刑になるから気を付けろよ。ま、多少の批判は問題ねえけどな。――で、あの二人、どうすんだ?」
ちらり、と目線だけ動かして縮こまる二人を見やってから、俺に戻す。ハロムドさんは二人の処分はどうするんだと、暗に聞いているのが分かった。
確かに俺は死に掛けた。でも、それは彼女達の本意ではないのは分かっている。ただ、今のウェスラを見れば、彼女がどれだけ取り乱したのかは、想像に難くない。だったら、言う事は一つだ。
そして、俺が目線を送ると、あからさまに二人が体が強張らせた。
「俺のことはまあ、別にいい。でも、ウェスラには謝ったか?」
彼女達の首が小さく振られた。
「なら、今すぐ謝るんだ」
あの態度からすれば、悪い事をした自覚が有るのは見て取れる。でも、態度で示すのと、声に出して謝るのは別の話だ。それに、言葉に出さなければ伝わらない事があるし。
「どうした? 謝れないのか?」
更に体が強張るのを感じたけど、それじゃ駄目なんだよ、傷付いた相手には何も伝わらないんだ。だから――。
「俺は、謝れ、と言っている」
ある決意を胸に、静かに怒気を向けた。
二人は動かない。だけど、直ぐには無理だろうと俺も思っていたので、根気良く待つ。長くも短くも感じる時間の中で、俺は二人の言葉を、待った。
体感時間で十分ほど、実際にはもう少し短いかもしれないけど、俺は諦めて目を瞑りながら、小さく息を吐いた。
「分かった――。もう……」
その時、手と手を強く叩き合わせる様な派手な音が聞こえたので目をやると、ハロムドさんが奥歯を噛み締めて悲しそうな表情で手を振りぬいて居るのが見えた。
「おめえ等! こいつがどんな気持ちで居るのか分かってんのか! おらあ、まだこいつと会って二日しか経ってねえが、今の気持ちくれえは分かる。それにな、こんなにお人好しな野郎なんざ見たことねえ! ハーレムは男のロマン。けどよ、実際に作るにはどれだけ大変だか分かるか? 全員に分け隔てなく愛情を注ぎ込み、それと同じくらいの愛情を受け止める。時にそれは我侭だったり、甘えだったりするだろうが、それを全部飲み込んで自分の欲求を限界まで殺すんだよ! 決して欲望だけで――求めるだけで出来るもんじゃねんだ、本当のハーレムってやつは! こいつがどんな事を考えてハーレムを作ってるかなんざ、正直、俺にはわからねえ。でもよ、おめえ等にどれだけの愛情を注ぎ込んでるかは、分かってる心算だぞ。その当人達がまるで分かってねえってのは、どういう事だよ! そんなんじゃ、こいつの妻だって胸張って名乗れねえぞ!」
凄まじい剣幕で怒るハロムドさんに、二人共驚きの表情を見せている。そして、彼は一つ、大きく息を吸い込んで吐き出すと、今度は穏やかな口調で話し始めた。
「おめえ等、一緒になる時、あいつに何て言われた?」
一拍の間を置いて、キシュアの口から呟きが漏れる。
「ずっと一緒に居てくれると……」
今度はローザが、
「認めると、傍に居ろと……」
「そうか……」
三人の間に薄い沈黙のカーテンが降りる。俺はその光景をただ、黙って見ていた。
「あいつは人族だよな。それが分かってるか? 嬢ちゃん」
これはキシュアに向けた言葉だ。
「分かって――いる」
キシュアが項垂れた。
「あいつが何故認め、傍に居ろと言ったのか分かるか?」
今度はローザに向けて。
「はい……」
ローザも項垂れてしまった。
でも、ハロムドさんは容赦なく打撃を加えた。
「いいや、二人共分かっちゃいねえ」
俯かれた顔を上げ、二人はハロムドさんを睨み付けて、何か言おうと口を開きかけた所を、静止される。
「おい、アイシン。いい加減、永久の本当の意味を教えてやれよ」
俺の胸に突っ伏すウェスラの身が小刻みに震えだした。それはまるで、話したくないと言っている様に見える。それに、ハロムドさんの言った事を正直に受け止めるのならば、魂の絆を結ぶ、と言うのは、誤った認識になってしまう。
「本当の意味って――」
俺が呟いた後、また、沈黙という名の薄闇が包み始め、そこにはウェスラのすすり泣く声だけが響いていた。
俺は考える。今、ウェスラから無理に聞き出そうとすれば、彼女は俺の元から離れるだろう事は容易に想像できる。そして、ハロムドさんの口ぶりからすると、恐らく彼は本当の意味を知っている。このまま彼女が黙っていても、ハロムドさんの口から真実が語られるのは時間の問題だ。なら、どうする事が最善なのか。
――決まってるよな。
俺は口元が緩むのを感じた。
「おめえが言わねえんなら、俺が言うぞ」
彼女の振るえが更に大きくなると同時に、俺の事を強く抱き締め始めた。
「ハロムドさん、ちょっと待ってもらえないかな?」
そう告げてから、ウェスラの銀色で艶やかな髪を優しくなでる。
「俺はウェスラの我侭を、幸せに成るのを叶えると言った。だから、何も聞かない。勿論、話してくれるならばちゃんと耳を傾けるけど。でも――お前はお前の意思で、お前の考えで生きればいいんだ。そして、それが幸せに繋がるなら、俺は幾らでも喜んで手を貸す。――だから、共に歩いて行こう。この命尽きるまで」
この世界に彼女の我侭で呼ばれて、しかも、妹のオマケの俺が出来る事なんて、それほど多くは無い。それでも、約束をした。彼女の我侭を叶えると。高々十七年しか生きてない俺の力なんて本当にちっぽけな物だし、どこまで出来るかも分からない。それに、あっちの世界に未練は有るし、出来るならば帰りたい。でも、こんな俺に好意を向けてくれるのならば、全力で応えてあげないといけない。それこそ、魂を掛けて。だから、俺は――。
「この世界で君と出会って――、この世界に永久の契約があって、それを結べた事に、俺は今、感謝する。ウェスラ、我侭で呼んでくれて、ありがとう」
彼女の泣き声が一際高くなる。そして、彼女の声が俺だけに届いた。それは謝罪の言葉。だけど、俺はそれに答える事はしなかった。
そんな彼女を俺は優しく撫でながら、ハロムドさんに目線を向けると、呆れた表情をされていた。
「ったく、お人好し過ぎるぜ、おめえはよ」
確かにそうかもしれないと思い、苦笑を漏らす。でも、彼女達と出会えた奇跡は、今の俺にとっては掛け替えのない物。
「ハロムドさん、少しだけ席を外してもらえませんか?」
ほんの数瞬だけ、俺の目を射ると、ハロムドさんは背を向ける。
「……分かった。何かあったら呼んでくれ」
そのまま、部屋から出て行った。
「なあ、キシュア」
俺の呼びかけに彼女の顔がこちらに向く。
「俺は人族で、吸血族のお前とは生きる時間が違う。でも、これだけは言っておくぞ。あの約束、反故にする心算はないからな」
彼女は何かを堪えるように身を震わせ、口を開こうとしたが、俺がそれを制した。
「俺の寿命が、――命が付き掛けた時は、眷族にしろ。そうすればずっと一緒にいてやれる。ただし、自我だけは残してくれ。じゃないと、ただの下僕になっちまうからな」
彼女の首が振られると、その瞳からは涙が溢れていた。
「わ、わらわは――、マサトを眷属になどせぬ。それに、子を授けてくれるのだろう? なれば、それで十分。その子と、そなたとの思い出と共に、生きて行ける」
「そうか――」
泣きながら微笑みを返す彼女に、俺は、頷いた。
「ローザ」
「はい」
真っ直ぐに目線を俺に向けて硬く唇を引き結ぶ彼女にも、俺は告げた。
「人族の衰えは意外と早い。だから、気にせず強く成れ。何所まで強くなれるか、俺が傍らで見ててやるから。俺は信じてる。ローザは強くなるってな。だけど、無理だけはするなよ」
笑顔を滲ませて大きく頷く彼女の瞳からも、光るものが零れ落ちていた。
「マサトさんの傍らでずっと振り続けます。わたしは剣を」
俺は応える代わりに頷き返した。
「さて、と。涙を拭いてくれ。もう少ししたら約束の時間になるし、そんな泣きはらした目で会われたら、俺が何言われるか分からないからな」
そして俺は、しがみ付くウェスラに声を掛けた。
「落ち着いたか?」
顔を埋めたまま頷いた後、俺からゆっくりと離れた。
「済まぬな。ワシとした事が――」
「いいさ、誰しも完璧な訳じゃないんだから」
「そうじゃの」
その表情に笑顔が戻った。
俺はそれに満足すると身を起こして、ベッドから降りる。
「よし、これから俺達の初仕事だ! 成功させるぞ!」
俺は気合を口にして、部屋から真っ先に出て行った。