死後の世界? (二)
「お前は何者でし……」
雑草を次々と引っこ抜く俺を見て、ちびっ子は吃驚していた。
雑草駆除如きで何をそんなに驚いているのかまったく分からない俺は、首を傾げる。
これがツツジ等の低木や、ちょっと大きめの庭木みたいなのを引っこ抜いた、ってのなら俺だって驚くし、なんじゃこいつ?! とも思う。
でも、たかが雑草でここまで驚く事は、絶対にない。
どんなに根っこが長くても、有り得ない位根っこが広がっていたとしても、結局は雑草だしな。
尤も、俺がこんな風に思った直後、ここの雑草の事で、ちびっ子はとんでもない事実を暴露してくれた。
「この場所は、物質界の現状を大まかな姿で映す鏡なんでし。だからここの雑草は、見た目がそうなだけで悪意の塊なんでし。しかもちょっとした悪意じゃなくて、物質世界に多大な影響を及ぼす悪意だけが雑草として生えるんでし。だから今ここに生えてる雑草の殆どは、あちしでも抜けないくらいの強さで根を張ってるんでし。だからこの、死神の鎌で切ることしか出来ないんでし。それなのに、魂の力が無い筈のお前がなんで軽々と、しかも根こそぎ引き抜いてるんでしか。これを異常と言わずして、何て言えばいいんでし」
確かに引っこ抜いた雑草の根は、地面の上に出ていた部分よりも遥かに大きく、根の方が十倍近くもでかい体積を誇っている。でも俺は、そんなに強い抵抗を感じなかった。だから、普通に引っこ抜いただけなのだが、ちびっ子に言わせると、それが異常過ぎるらしい。
まあ、俺も抜いてて、何かおかしいな? とは思ったけど、スルスルと抜けるしまあいいか、程度にしか思ってなかった。でも普通なら、こんなに根を張ってると抜くのに一苦労するのは、容易に想像出来る。
ってか、あっちの世界で経験はあるんだよ。雑草を抜く時、中々抜けないって経験は。そういう雑草に限って盛大に根を張ってたりするから、途中で根っこが千切れたりしたんだよね。
そこを踏まえて考えると、タンポポよりも少し大きいかな、程度の雑草が、ここまで盛大に根を張ってると、普通は確実に根は千切れて地面の中に残るし、下手したら葉と茎の部分だけが千切れて、根っこ全体は土中に埋まったままの可能性だってある。それを難なく引っこ抜けば、そりゃ異常に思われても仕方ないかもしれない。
でも重要なのはそこじゃない。
ちびっ子は雑草の事を〝物質界の現状を大まかに映す鏡〟と言った。
これは一体どういう意味なのだろうか。
いや、字面を素直に解釈すれば、そのものなのだろうけど……。
「物質界を映す鏡って、どういう事だよ?」
だから俺は疑問を口にした。
「そのままの意味でしよ?」
でも、返って来た言葉はやはり、と言うか、俺の思った通りだった。
「なら、俺が居る世界は相当蝕まれてなきゃおかしいだろ」
そうなのだ。
雑草が悪意の塊と言うのならば、現実世界はもっと殺伐としてる筈。でも俺の知る限り、そんな気配は微塵も感じられない。
「これだから……」
やれやれ、といった感じで大きな溜息を吐きながら、ちびっ子は首を振った。
奥歯に物が詰まった様なその態度に、俺は少々ムカついて、
「んだよ、その態度は」
苛立ちを口に出してしまった。
そんな俺の言葉に動じる事もなく、ちびっ子は人差し指を立てて偉そうな態度で「いいでしか」と前置きをしてから話し始めた。
「物質界は肉の体と魂が繋がった者達が住む世界、と言うのは分かるでしね?」
これは、現実世界の事だ。
だから俺は、頷いた。
「精神界はお前たちが言う所の、神や精霊が暮らす世界、これもいいでしか?」
あっちの世界に照らし合わせると、たぶん霊界とか神界の事だと思う。
だから、また頷いた。
「では、ここは何処だと思うでしか?」
ちびっ子の質問に俺は、少しだけ黙考した。
「確か――幽界、だったか?」
尤もこの答えは、あっちの世界ならば正解の筈。
でもこっちの世界では現実世界の事を物質界、霊界の事を精神界と言うのだから、正解からは少し外れているかもしれない。
「惜しいでし。幽幻界と言うんでし。別名、心訪界とも言うでしよ」
この別名は、言い得て妙だと思った。
肉体を持ったままでは来れないが心――この場合は魂と同義だな――だけならば訪れる事が可能な世界。
だから、心訪界。
「そして、物質界、幽幻界、精神界の三界は密接な繫がりがあるでし。ただし、物質界と精神界が相互に影響し合う事はないでし。大体が精神界からの一方通行でしからね。そこで何故、一方通行なのかと言うとでしね、それは幽幻界が間にあるからなんでし。物質界からは幽幻界を通さないと精神界へと至れないから、精神界への影響は最小限しかないのでし。お陰で幽幻界は思いっきり影響を受けてるでしが」
要するに、物質界と精神界の間に挟まってるのが幽幻界で、しかも精神界に対する防波堤となっている所為で影響を受けまくっている、と。
「尤も、精神界から受ける影響は、殆ど無いでし。これは神族の方々や精霊達は、ここを通らなくても物質界に干渉出来るからなんでし。そして、幽幻界に最も影響を及ぼすのが、お前たち人間なのでし」
「って事はなにか? 俺達人間が一番悪さしてるって事なのか?」
「その通りでし。人間は悪さばっかりしてるでし。だからここの幽幻界は、物質界の現状を大まかに映し出すのでし」
だけど俺はここで疑問に思った。
神様の中にも悪神とかは居る筈。なら、そいつらはここへ影響を及ぼさないのだろうか、と。
なのでその事を告げると、また盛大な溜息を吐かれた。
「お前、馬鹿だったんでしねえ」
しかも、しみじみとそんな事まで言われてしまった。
「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」
神と名の付く奴等が俺の事を馬鹿だ馬鹿だと言うのは、もしかして仕様なのか? それとも俺が悪いのだろうか?
などと益体もない事を思っていたら、ちびっ子が呆れた声を吐いた。
「あちしの説明を聞いて、そんな事を言うからでし」
聞いたし理解もしてるよ?
でもさ、何と言うか物事には、付き物だろ?
「例外が――」
だから俺がその事を指摘しようとしたら、怒声が飛んできた。
「あちしは言ったはずでし! 直接干渉出来ると!」
「って事は……」
「神族に例外は無いでし。もちろん、精霊もでし」
「じゃあ、ここに干渉して来る事は――」
「絶対に無いでし。ここはあちし達、死神の管轄と決められてるでしからね」
まあ、色々と突っ込み所も無くは無いけど、これ以上は知る必要もないので、取り合えず俺は納得した。
「それよりもでし! お前は何者なんでしか!」
「何者、と言われてもなあ……」
ただの人間だ、と声を大にして言いたいとこなんだけど、今はすっごく疑わしいんだよな。でも人間には違いないからな。生まれた世界は違うけど。
「一応、人間だぞ?」
「――一応、とはどういう意味でし?」
あ、まじい。
「いや、人間です。はい」
直後に訂正をしたが、ちびっ子の視線からは、非常に疑わしい者を見る気配が漏れ出していた。
このままでは非常に宜しくない事態に陥りそうな予感がしたので、少々慌てながらそれらしい言い訳を付け加えた。
「ほ、ほら、俺達人間ってさ、結構曖昧な物言いするだろ? だから一応なんて言っちゃったんだよ」
お陰でちびっ子の疑いの気配はちょっとだけ緩んだ。
危ない危ない。人間離れし始めてる自覚が半分あるからか、何故か言動にも自然と現れるから、もっと注意しないといけないな。
そう心の内で自らを戒めていると、
「お前は変人だったのでしね」
うんうん、と何度も頷きながら、ちびっ子は俺の事を変人認定しやがった。
「おい! 変人ってなんだ、変人って!」
「変な人間でしから、変人でし」
変な人間だから変人ってのは、間違ってないよ?! 間違ってないけどさあ! でも本人を前にしてそれって、酷くないか?!
「で、変人。お前はなんで引っこ抜けるんでしか?」
「そう言われても――って! 変人言うな!」
「うるさいでし。お前の事は、あちしが変人って決めたんでし。だからここでは変人がお前の呼び名なんでし。だから変人、さっさと答えるでし」
変人変人と何度も言われたから、という訳では無いが、何故抜けるのか考えてみたのだが、その原因は俺の頭の中からは出て来なかった。
「なんでだろ?」
ちびっ子はまたもや盛大な溜息を吐いて、やれやれ、と首を振っていた。
確かに自分が遣らかしている事の原因とか全く分かってないのは問題だと俺も思うけど、何もそんな態度を取らなくてもいいじゃないか。
そんな不満が顔に出たのだろう、ちびっ子はまた溜息を吐くと、仕方がない、といった感じで口を開いた。
「いいでしか? 変人は今、死んだからここに居るでし」
俺、死んでないんだけど……。
「まあ、極稀に死んでないのに来る馬鹿もいるでしが」
それって俺が馬鹿ってことかっ?!
「ただ、普通の人間だったら、あちしも魂の力が強いからだと考えるとこなんでし」
だから、死んでないっつーの!
「でも変人は、魂を中途半端に喰われてるから、消滅寸前に近い状態なんでしよ?」
言われて自分の手を見る。
うむ、見事なまでに向こう側が透けて見えるでおじゃる。
「それなのに雑草を掴んで、剰え引っこ抜くなんて、異常としか言えないんでし」
まあ、傍から見ればそうだろうなあ。何でこの手で物を掴めるのか、俺だって不思議でしょうがないしな。
「百歩譲って変人の魂の力が異常なほど強かったからそんな手でも物を掴めるのだとしても、そこまで透けたなら普通は、引っこ抜けるはずがないんでし」
でも俺は、何の違和感も感じてないどころか、肉体的――って言うと語弊が有るけど、兎も角、今までで一番調子がいい。
理由なんて分からないし、知らなくても今のところは問題ないしさ。
それに、もし知ってたとしても、口には出さないと思う。
大体、俺の場合は特殊な理由が有りそうだから、大問題に発展しないとも限らないからね。
「そんな事言われてもなあ」
スケスケの指で頬をぽりぽりと掻いた。
答えを持ち合わせていない俺の事を暫くの間、ちびっ子はジッと見詰めていたが軽く息を吐くと「まあいいでしが」と言って俺から目を逸らすとしゃがみ込み、左手で雑草を握り、右手の鎌を振り抜いた。
「――これでもう、おしまいでしね」
寂しそうに呟かれた台詞に俺が首を傾げた直後、ちびっ子の背後の空間が、突如として歪んだ。
気配を感じ取ったのかちびっ子はビクっと身を震わせると、瞬時に立ち上がり振り向く。
それと殆ど時を同じくして、歪みから一個の影が抜け出して来た。
擦り切れた闇色の貫頭衣に、身の丈を超える大鎌。それを握るのは、骨格標本と同じ真っ白な骨だけの手。そして、頭巾の中からチラチラと見える顔は、全く表情の読めない頭蓋骨そのものだった。
そいつは瞳の無い、真っ暗な眼窩で俺を一瞥してから辺りを見回し、最後にちびっ子に視線を固定すると、底冷えのする声を響かせた。
「我等との約定、忘れてはおらぬだろうな?」
「――忘れてないでし」
「ならば、早々に出て行け」
「――分かったでし」
ちびっ子は項垂れて、奴が出て来た空間へと足を向けるが、再び奴の口から底冷えのする声が漏れ出した。
「貴様、何処へ行く心算だ?」
「何処へって、帰るんでしよ?」
「我は出て行け、と言ったのだ。帰れ、とは言っておらん」
その声には嘲りと蔑みが混じり合い、しかも勝ち誇るが如き喜色に満ち溢れている。
一瞬、ちびっ子は唖然とした気配を漂わせたが、直後には肩を震わせて怒りを露わにする。が、それを声に出す事もなく直ぐに肩を萎めて項垂れると、俺の方へ向かって歩き出した。
二人の遣り取りを見ながら、少々呆気に取られて立ち尽くす俺と擦れ違う瞬間ちびっ子は「変人、ありがとでし」と小さく呟き、背後へと抜けて行く。
その言葉で我に返った俺は、先程までの一連の事を思い出して、ちびっ子が何故あそこまで必死になっていたのか、合点がいった。
と同時に、言い知れぬ怒りが火山の噴火口から溢れ出るマグマの様に心の底から噴き上がる。
あいつが言った約定の中身は分からないが、ちびっ子に取って、非常に不利な物だったに違いない。だけど、それが分っていても、ちびっ子はそれを飲まざるを得なかった。
それはあいつが、我等、と言った事から窺い知れる。
詰まり、数の暴力で不利な約定を結ばせた、という事だ。
黒い霧から吐き出される様にして現れたちびっ子を見た時は、変な奴だな、とも思ったけど、能々考えてみれば、最初の一言が全てを物語っていたのかも知れない。
何故ちびっ子を排除したいのか何て俺には分からないけど、このまま見過ごせば絶対に後悔すると思った。
それに俺は、約束をした。
雑草を一緒に刈ると。
「――待てよ。まだ、終わってねえぞ」
だから、静かに声を荒げた。
約束とは、例えどんな事が有っても、必ず果たさなければならないのだから。




