第二次接近遭遇
大変遅くなりまして、申し訳ございません。
戦団蟻に導かれながら、俺達は森の奥深くへと踏み込んで行った.
だが、そこに不安や恐れは微塵もない。
その理由は簡単明瞭。
ローリー教授と俺が居るから。
教授の場合は、三頭犬の王とも呼ばれているので、下位の魔獣を使役可能なのが、最大の理由。
要するに、魔獣の中での教授の立場を人間に置き換えると、どっかの国の国王様と同じって事。
ここまで話すと、何で俺の存在が教授と同等なのか、と言う疑問が湧き出て来る。
それは有る意味当然と言えば当然。
だって、森の中では人間社会の権力なんて、塵にも等しいから。
だけど今の俺は、人間社会とは別の権力も持ち合わせている。
一例を挙げると、魔獣は教授だけじゃなく俺にも従う。
これは天族であるフェンリル一族の女王、フェリスの夫だからなのが一番の理由にある。
立場的には教授よりも上だからな。
これに加えて、俺にはもう一つの立場がある。
それは、大鬼の長となった事。
なら、大鬼の長はどんなメリットがあるのか。
それは今現在の魔物達の中で大鬼は、頂点に位置する存在って事だ。
魔物達の頂点と成るべき天族、鬼神族が遥か昔に滅びてしまった所為で、事実上、大鬼よりも強い種が存在して居ない事が最大の理由。
だから、ある程度は俺の意に従いもする。
でも、このある程度、と言うのが曲者で、豚頭鬼の一氏族であるトンマス一族の行動を見ればその理由は明らか。
どうやら魔物は魔獣と違って、純粋な強さを基準として、従うか否かを判断しているっぽいのだ。
なのであの時、ポークは俺に突っかかって来た。
後、ある程度、と言うのはもう一つの意味もある。
それは、知能。
この前提条件があるお陰で、お馬鹿な小鬼や犬鬼連中は従わない事が多々あるらしい。
ま、こいつ等が従わなくても、別に大した問題には成らないけどね。
そんな訳で、俺と教授のどちらかが居れば、森の中で迷う事など有り得ない。
有り得ないけど、ついつい注意深く周囲の確認をしてしまうのは、やっぱり人間としての習性なのかもしれない。
だって、どこまで行っても同じ景色に見えるんだもん。
「それにしても……」
皆が無言で歩を進める中で、ミズキが険しい顔を見せたが、なんとなく言いたい事は俺にも分かっていた。
「確かにこれは……」
教授も分かっているのか、同意の声を漏らした。
二人が全てを告げようとしないのは、前を行く戦団蟻がこちらの言葉を理解している節があるからなのは明白だ。
俺だって言いたくはない。
どこか黒々として禍々しい感じがする空気――、所謂〝瘴気が漂ってる〟なんてな。
況してやその瘴気は、俺達の向かう先から流れて来るんだから、堪ったものじゃない。
だけどここで足を止める訳にはいかなかった。
ライルの手前、父親たる俺が率先して約束を破る事になってしまうからだ。
それに、出来る事なら助けてやりたいしな、俺も。
そんな中、ジルがぽつり、と言葉を零した。
「スミカとアルシェアナ様が居らんかったら、お二方は危のうござったなあ」
ジルの言う二人とは、ミズキとハズキの事だ。
魔物は魔獣以上に瘴気の影響を受け易く、一度、色濃く影響を受けてしまったら、もう二度と元には戻れなくなる。
具体的に言うと、自意識を無くしてただ只管破壊だけをまき散らす、生物に成り下がる。
これがまだ小鬼や犬鬼ならば、大鬼よりも力が強いだけの魔物に成るだけなので、楽ではないにしろ、排除は出来る。だが大鬼の場合は単体で人の住まう都市を滅ぼす様な、怪物と化してしまうのだ。
以前にキリマルから聞かされた話によれば、元々持っている能力は数十倍にまで膨れ上がるらしい。
唯でさえ頑健な肉体を持つ大鬼がそこまで強化されてしまうと、人間が加えられる最大の物理攻撃では皮膚に傷を付ける事すら敵わないばかりか、殆どの魔法攻撃も無効化してしまう、という事だった。
そんな怪物が命尽きるまで暴れまわれば、どれ程の被害を招くか、想像すら出来ない。
なので本来なら、瘴気が湧き出している地を見付けたのならば、速やかに今現在滞在している国に報告しなければならない義務が、冒険者にはあった。
とは言うものの、今すぐに戻って報告する心算など、今の俺達には無かった。
位置的にはかなり森の奥だし、周囲には生き物や魔獣、魔物の類の気配が無い所為だ。
それに、スミカとアルシェの二人が聖魔法を使い、光の加護を俺達に掛けてくれたからね。
無論、完全に防いでる訳じゃないけど、ミズキとハズキの様子を見る限り、殆ど影響は無いと言っていいと思う。
やや顔は顰めてるけどね。
そんな二人の事を気遣いながら、更に十分ほども歩いた所で突然、森が開けた。
見上げれば青空も見えるし、日の光も射し込んで来る。なのに、ぽっかりと穴が開いた様なそこだけは、一切の草木が生えていなかった。
その広さは、直径にして約五十メートル程度。
そして中央には、表面が平らで高さは約三十センチ、短径が約二メートル、長径は四メートル程になる円形の岩が、祭壇の如く鎮座していた。しかもその上には生贄を捧げる様な形で、胸部と腹部の二か所を俺の大腿ほどの太さがある黒い金属の杭に縫い止められた、戦団蟻の女王と思しき姿があった。
何故俺がそれを女王だと思ったのか。
先導して来た戦団蟻達が、集めた餌を眼前に置いて食べる様に促していたからだ。
勿論、体のサイズとかが一回り以上大きいから、その光景を見なくても分かったとは思う。
だけどそれ以上に、女王の状態は酷過ぎた。
頭は有る。
杭に貫かれては居るが、胸部も有る。
腹部も同様。
でも……、
「これは……」
俺達は絶句しか出来なかった。
触覚は千切り取られた様に根本付近から消失してるし、六本ある足も全の長さがバラバラで、傷口の状態から想像するに、力づくで折り取られた形跡が窺える。
しかも――、
「酷過ぎだろ……」
それは正に、やった奴の性格を表していた。
女王の瞳には、無数の釘が突き刺さっていたのだ。
彼等は確かに魔蟲だ。
普通の蟻と違って巨大だし、それが高い攻撃力を可能としている。しかもサイズがサイズだけに、外骨格も強靭だろう。
一見すると狂暴そうに見えるけど、先程俺達に示した仕草を見れば、非常に大人しい事が分る。
それなのに、何でこんなにも酷い仕打ちをしなければならないのか、俺には全く分からなかった。
だけど俺達は、今にも駆け出して戒めを解いて開放してやりたい気持ちを、グッと堪えなければならなかった。
何故ならば、女王を中心にして、寒い日の早朝の湖面から立ち上る揺らめく水蒸気の様に、視認できるほどの濃さを持った瘴気が立ち上っていたからだ。
「これ以上、皆は前に出るな。特にミズキとハズキ、二人は出来れば森の中まで下がれ。アルシェとスミカは、俺以外を守る事に専念しろ」
俺はこれから為さなければならない事を考えて、皆への呼びかけと同時に、自身の内側へも声を掛ける。
――青人、赤人、俺の守りは任せたぞ。
――御意。
――うむ、任せろ。
これでもう、俺には二人が掛けてくれる光の加護は必要がない。
この二柱の龍神が俺の魂に居る限り、この程度の穢れ程度では、浸食する等出来はしないから。
そして、一歩を踏み出そうとした時、
「おとーさん、僕も行く!」
ライルが俺に声を向けた。
「ダメだ」
有無を言わさない口ぶりで押し留める俺の言に、ライルは疑問と同時に異議を唱えた。
「なんで?! 僕もだいじょうぶだもん!」
そして瞬時に自慢の魔方陣で全身を覆って、淡く輝く姿を見せた。
それじゃダメなんだよ、ライル。
あの瘴気はたぶん、魔力を使った魔法では防げない。
そう口走ってしまいそうになるのを抑えつつ、静かに優しく諭した。
「あれは空気と同じなんだよ、ライル。だから――、それじゃ防げないんだ」
確かにライルの魔方陣は、攻撃を防ぐ事に関しては並ぶ者が無い。特に物理と魔法、この二つを反射して相手に返すその力は、子供とはいえ既にフェンリル一族の中でも最高峰に位置している。
それでも、空気を遮断する事は絶対に出来ない。
全てを遮ってしまうと、呼吸する必要のある生物は、その中で生きていけなくなるから。
そしてあの瘴気を防ぐ方法はただ一つ。
浄化して無害化する以外、手は無い。
だけどこれ以上近付けば、今使っているアルシェとスミカの聖魔法でも、浄化はし切れないだろう。
勿論、更に上位の魔法を使えば、一時的には出来るかも知れない。けど、湧き出し続ける瘴気を完全に浄化し続けていたら、あっと言う間に魔力が枯渇してしまう筈だ。
それが感覚的に分かったからこそ、俺は皆をこの場に残す事を決断したのだ。
項垂れるライルの頭に、俺は優しく手を置く。
「それにな、ライル。お父さんとお前がここを離れたら、誰が皆を守るんだ? 教授一人じゃ、守り切れないぞ?」
教授は優秀だし、俺とライルが居なくても何とかするとは思う。でも、一人で守りに徹するのと、ライルが防御して教授が牽制に回る余裕がある状態とでは、雲泥の差が生じる。
「それに、お父さんも教授も、守るよりも攻撃する方が得意だから、ライルみたいに皆を守れるとは限らないんだよ」
俺と教授が矛だとしたら、ライルは盾。
それも、世界最強最硬を誇る、鉄壁の盾だ。
「お父さんの攻撃すらも防ぐライルにしか、出来ない事なんだよ」
静かに優しく諭す俺の言葉に耳を傾けていたライルは、ゆっくりと俯けていた顔を挙げる。
その瞳には、悔しさからか涙が浮かんでいた。
そんなライルに俺は、目線を合わせる様にしてしゃがみこんで抱き寄せ、
「それとな、ちょっと嫌な予感がするんだ。だからライルには、皆と蟻さんを守って欲しいんだよ」
他の皆には聞こえない様に耳元で囁いた。
これがもし、俺達を誘き出す為の罠なのだとしたら、このまま何事もなく終わる筈がない。
何故かそんな確信が、俺にはあった。
気持ちが伝わったのか、ライルが微かに頷く感触が俺の肩に伝わる。
それを了承と取り俺が抱擁を解いた後、ライルは何度か深呼吸をしてから周囲の警戒を始めた。
今の表情からは先程まであった悔しさなど微塵も伺えず、戦場に身を晒す戦士の如き真剣さを持って、己の五感を総動員し始めていた。
しかも熟練の戦士顔負けの鋭い眼光など、とても十歳の子供とは思えなかった。
俺の目とその瞳が一瞬だけ交差した時、ライルは口の端を微かに緩めて無言で伝えてきた。
僕に任せて、と。
思っていた以上に逞しく成長している息子の姿に、俺の口元にも笑みが浮かんだが、直ぐに踵を返して女王蟻の元へと足を進めた。
一歩、また一歩と、ゆっくりと足を踏み出すたびに、瘴気の濃さが増していく。
しかも生きているかの如くぬるり、と皮膚の表面を這いずり回っているようで、酷く不快感を煽る。
そんな感触に俺が顔を顰めた瞬間、
――今すぐ目を閉じ呼吸を止めろ!
赤人の慌てた声が響いた。
俺は指示された通りに呼吸を止めて瞼を閉じる。
無論、何時までも息を止めたままではいられない。が、動かなければ俺は、三分はいける。
俺がそうやってジッとしていると、不意に体表に纏わり着いていた瘴気の感触が消えた。
――もう良いですよ。
今度は青人の声が響き、俺は瞼をゆっくりと開いて呼吸も再開する。
ただ、視界だけは何かの膜を通した様な感じで、微妙な歪みを見せていた。
「これは……」
疑問の呟きには、俺の中から答えが返ってきた。
――私の力で瘴気を退けているからですよ。
俺はなるほど、と納得した。
細かい事は今の俺には分からないけど、今回の様な攻撃の防御に関しては青人が適任、という事なのだろう。
視界に慣れる為に俺は暫くの間、その場に踏み止まる。
その間、膜の外側を漂う瘴気を観察していた。
何かの意思にでも操られているかの様に、漂う瘴気は俺の周囲へと集まり、青人の張った膜に触れては浄化されていく。しかも、面で触れるのが駄目ならば点で、とばかりに錐の様な鋭い尖端を形作り、ゆっくりとではあるが膜を突いて波紋を起こしていた。
何度も何度も挑み、その度に浄化され、それでも執拗に攻撃を仕掛けて来る。無駄と分からないのか、それとも分かっていて尚、繰り返せば突破出来る、と思っているのか。
何れにせよ、余りにも執拗な攻撃を見て俺は、眉を顰めた。
ただ、何時までもここで立ち止まっている訳にも行かない。
ある程度慣れた所で俺は、再び歩みを再開した。
一歩進むたびに、俺に触れた瘴気は浄化され、無害な空気へと変わる。
自然、俺の歩みは早くなり、程なくして祭壇の前へと到着した。
祭壇の傍では五匹しか居ない戦団蟻が女王に寄り添っていたが、俺の到着と同時にこちらへと顔を向けた。
彼等の表情の変化は全くないけど、向けられた目を見れば期待されている事くらいは察せられる。
だけど俺は、彼等が何時までもここに居るのは良くないのでは、と思っていた。
「お前達はライルの所まで下がれ。後は俺が何とかする」
俺の台詞に彼等は互いの顔を見合うと、ゆっくりとではあったが女王蟻の元から離れて行った。
彼等が十分に離れた事を確認すると、俺は女王を縫い止めている杭と祭壇を具に観察した。
見た限りでは表面に凹凸は見られないし、杭を打ち込まれた事による亀裂も走っていない。寧ろ鏡、とまでは行かなくても、鏡面加工を施した形跡すらあるくらいだ。
こっちの世界でも石を平らに切り出す技術はあるし、鏡面加工も施せる。現にセルスリウス城の床や壁などは、手で触れた限りでは凹凸が一切見られなかったし、場所によっては鏡面加工も施されていた。
それは帝国でも同じで、この手の加工技術はどこの国でも持っていると見ていい。
「妙だな……」
だからこそ俺は、その事を不審に思った。
何かを封印する為ならば、加工した石よりも自然石の方が良い筈。
それに、自然石を加工して封印石にするのならば、何かしらの封印術が刻まれていてもおかしくはない。
なのにこの石には、それが一切見られなかった。
勿論、女王蟻が縫い止められている下に隠れている、と言う可能性も無くはないが、それでは余りにも小さ過ぎる。
そして女王蟻を縫い止めている杭だが、これは明らかに人の手に因って作られた物だ。
緩い楔形の形状から察すれば、杭の長さは二メートル近くは有る筈で、それが半ばまで突き刺さっている事から、相当な強さで打ち込まなければならない事も容易に分かる。
それをこの石に打ち込んだとすれば、後端部分には打ち込んだ際の形跡が有って然るべきなのだが、それが全くないのもおかしい。
幾ら力が強くても、ここまで打ち込むには相当な時間が掛かるし、徐々に打ち込まれていけば、石に亀裂も出来る筈。
「だとすれば……」
俺は女王蟻と杭の接触面に目を凝らした。
「やっぱそうか」
俺が痕跡を発見して顔を顰めた時、
「おとーさん! 上っ!」
背後からライルの叫びが木霊した。
その声に反射的に仰ぎ見ると、灼熱色をした杭が上空から俺目掛けて振り落ちて来ていた。
迎撃を、と思った刹那――、
「まさか動けてたなんて、驚きだよ」
前方の森の中から不意に声を掛けられ、一瞬だけの心算で向けた目線は動きを止めてしまい、俺は驚愕で目を見開いていた。
「久しぶり、というべきかな?」
姿も声音も違うが、顔を覆った仮面が全てを言い表していた。
「だけど、もうさよなら、だね」
奴がにっこりと微笑んだ直後、頭上で何かが弾け跳び、俺は爆炎に包まれるのだった。




