妻の罠に嵌る哀れな夫
筋肉達磨を亡き者に――じゃなくて、打ち破った俺は観客の歓声を受けて調子に乗り、平均台競技宛らに丸太の上で何度かバク転をして跳躍をすると、両手を水平に広げて伸身の後方宙返りをしながら地面へと降り立った。
その際、スカートだという事をすっかりと忘れていた俺は、見せてはいけない中身を盛大に晒してしまった。
結果、大半の女性の顔を顰めさせてしまっていた。
尤も、極一部はうっとりしていた様だけど。
ただし、男どもは違う。
ある種の憧れの中に、敵意が混ざった複雑な表情をと視線を向けて来ていた。
そして、微かに聞こえるお決まりの台詞。
そう! 俺のアレを見たら必ず口にされる台詞だ!
呻く様に囁かれたそれは有る意味、真理かもれない、と最近の俺は思うようになっていた。
だって、小さいよりも大きい方が男としては嬉しいし、誇らしいからな。
そんな訳で俺は頬を染めて声が聞こえた方へと振り向き、
「――えっち」
上目遣いで小さく恥じらいの声を上げた。
途端、観客がばたばたと倒れた挙句に赤い噴水が一斉に吹き上がり辺りを赤く染め上げ、会場は一時騒然となり、救護所に詰めていた治療師達が緊急出動をする羽目になった。
勿論、司会者はこれも解説していた。
「ハザマ選手、試合が終わったにも拘らず場外でも大暴れですっ! 巨大な一物を見せ付けただけでなく、恥らう乙女――と言っていいのかわかりませんが、可憐な表情を見せ付けて男性陣を地に沈めてしまいましたっ! しかも――、しかもです! 真っ赤な噴水が止め処なく吹き上がる血の池地獄までもが目の前に現れてしまいましたっ! これは危険だー! ですがっ! 倒れた者達は何故か至福の表情を見せています! 流石はユセルフ、いや! これはもう、デュナルモ最強の男の娘と言って良いでしょう! 彼はこのまま本当の女性になっても良いのではないでしょうかっ! もしそうなったのならば、私はプロポーズしようと思います!」
ちょっと聞き捨てならない台詞があったけど、そこは聞き流して置く。
兄から姉へクラスチェンジする心算なんて、まったくないしな。
自分が仕出かした騒動を横目で見ながら皆の元へ戻ると、真っ先にライルとスミカが感嘆の声を上げた。
「――おとーさん、すごい」
「パパ、かっこいい……」
しかも、俺の事を見詰める二人の瞳の中には星が幾つも瞬き、憧れの人を見る様な眼差しを向けてくる。
「マサトくんってホント、獣族みたいに身軽なのね」
「あんな身のこなし、初めてみました……」
「わっちはもう、なんと言って良いのか――、分かりんせん」
リエルは呆れの中にも賞賛を籠めた顔を見せ、ミズキは真顔で驚いて、ハズキに至っては感服していた。
あんな動きは普通、戦いとかじゃ使えたもんじゃないけどな。着地時の隙が大き過ぎるから結局はそこを狙われて遣られる可能性が高いし、所詮は普通の戦いじゃ使い所の無い技って事になる。
まあ詰まる所、この競技だからこそ出来た大技だって事だ。
それに、勝つだけなら少々遣り過ぎたかな、って俺も思えなくも無いしさ。
だって、伸身後方二回宙返り一回捻り――俗に言うムーンサルト――なんて遣らなくても普通に宙返りするだけでも良かったし、もっと言えば宙返りすら必要無かった。
だけど俺はあの瞬間、技を繰り出す事を決めた。
理由は、他の参加者に対して、並大抵の技量では俺に敵わないと思わせる為だ。
参加者達全員がこの策に嵌ってくれれば、後の試合も有利に進められるし、労力だって減らせる。そうやって体力を温存して決勝で爆発させれば、圧倒的な強さを見せ付けての勝利にも繋がるから、俺は辺境伯の伴侶として相応しい男だと、この街の住民にも納得させる事が出来る。
まあ、最後の最後は辺境伯と勝負しなくちゃならないけど、先ずは住民が認めてくれなければ何の意味も無いからね。
感心している三人に、俺はそう説明をした。
「ふーん。マサトくんって意外と策士なのね」
「だろ?」
俺はどうだ、と言わんばかりのドヤ顔を作る。
「でも、その姿でそんな事を言われても、説得力が無いと思うんですけど……」
複雑な表情でミズキに言われて、俺はハタと気が付いた。
確かに男の姿ならば、この作戦は完璧だと言えるが、今の格好では説得力など微塵も無い。それどころか寧ろ、怪しい想像を掻き立て、淫靡な香りすら漂ってきそうなくらいだ。
しかも……、
「わっちは下手な男よりも、いいと思いんす」
これには俺達も若干引き気味となり、目を丸くして絶句するしかなかった。
だって、考えても見てくれ。男と女よりも、女と女――俺の場合は見た目だけだけど――の方がいいってハズキは言ったんだぞ。性癖を疑わずには居られないってもんだろ?
「見目麗しい二人であれば、お似合いと、おっしゃるもんでありんす」
続けて放たれた言葉に、俺は胸を撫で下ろして安堵した。
「あ、そゆことか」
「びっくりしたあ」
「驚かさないでくださいよ、ハズキ。私はてっきりあなたが……」
それは二人も同じだった様で、溜息を付くように言葉を吐き出していた。
ミズキは子供が居る手前、その先の言葉を言い淀み曖昧な表情を見せて居たが、ハズキはその先を察したのか、
「わっちは普通でありんす! 勘違いしないでくんなまし!」
頬を膨らませてプイっと顔を背け、剥れる。
でもそんな仕草は結構可愛くて、俺の頬は緩んでしまい、リエルとミズキの二人はそんな俺を見て苦笑を浮かべながらも、ハズキには暖かい眼差しを送っていた。
そんな折、
「これで第一会場、第一組の出場者が決定いたしました。続いて第二組の試合を開始いたします。第二組に出場する選手は、準備してください」
突然流れたアナウンスの声に、俺達は怪訝な表情を取り顔を見合わせた。
第一会場、と言うのは別にいい。問題は第一組とか第二組の方だ。確かこの試合はトーナメント形式の筈。なのに何故、第一とか第二と分ける必要が有るのか意味が分からず、俺が疑問を口にしようとしたその時だった。
「なるほどなー。四人一組で一つの組みにして試合を纏めてるのか。これじゃ明日の組み合わせとかも分かねえな。勝者が誰になるか分からないように、運営も考えてんだなあ」
「そりゃそうだろ。参加人数が軽く百人を超えてる、って話だからな」
「マジか?!」
「だっておめえ、考えてもみろよ。今まで言い寄る男どもを蹴散らしてた御領主様が、やっと御結婚なさる気になったんだぞ? それも、平等にチャンスをくれる形で。それこそ実力は足りないが、なんとか出来ないかと狙ってた奴等は勿論の事、その気が無かった奴等もここぞとばかりに、逆玉のチャンス到来! って感じで殺到する事くらい、ちょっと考えりゃ分かる事だからな」
「言われてみりゃそうだよなあ。これに勝てりゃ、貴族様の仲間入りだもんなあ」
「そう言う事さ。ま、俺達みたいに力のない輩には、関係ねえけどな」
そんな会話が俺の背後から聞こえて来て、諸々の疑問を納得させられた。
ただし、逆玉で貴族、と言う事だけは聞き捨てなら無い。
全員が全員、そういった気持ちでは無いだろうけど、これでは辺境伯が余りにも不幸過ぎる。
それが分かっていたからこそ、辺境伯は求婚者の心根を知る為に決闘をしていたのかと、今更ながらに本当の理由を知る事となった。
そして俺の心には必然の如く、闘志が漲る。
そんな奴等に彼女は絶対渡さない、と。
決意も新たに改めて三人に顔を向けると、
「マサトくん、絶対、負けちゃだめだからね!」
「あなた、あの人の不幸を打っ飛ばしてしまいなさい!」
「わっちは少々、頭にきんした。やってしまいなんし、マサトさん!」
リエルは強い光を湛えた瞳で俺に返し、ミズキは胸前に拳を掲げ、ハズキは流石は大鬼、と言わんばかりの般若の形相を見せていた。
俺は三人に力強く頷き返して宣誓する。
「任せろ。必ず頂点に立つ! 立って、俺が彼女を奪い取る!」
今だけは、ハーレムを作る心算が無い、などという俺のちっぽけなプライドなんか、シュレッダーで粉砕すべきだろう。
だって、目の前で不幸に成ろうとしている女性も助けられ無い男には、成りたくないからな!
しかしこの時の俺は、最悪の属性を最大限利用される時が来ようとは、思ってもいなかったのだった。
*
三人に宣誓した後、流れてきたアナウンスで俺はもう、今日は試合が無い事を知らされて会場を後にした。
無論、彼女達と子供達も一緒に。
ただ、日が暮れるまではまだ時間もあり、ライルがお腹が空いた、と言って来たので、渡りに船、とばかりに、屋敷に戻る前に色々な露天を巡り食べ歩きをしようと言う事に決まった。
俺としてもこの祭りをじっくりと見て回っていなかったしね。
そんな訳で、あちこち巡ったのだが……。
「マサトくん。大丈夫?」
「な、なんとか……」
「なんだったら、出そっか?」
「いや、まだ――」
大丈夫、と言おうとした瞬間、
「おとーさん。お金ちょーだい!」
ライルに強請られ引き攣った笑顔と共にお金を渡した後、財布を思いっきり開いて覗き込む。
「お、俺の小遣いが……」
セルスリウスで仕事をしていた時に少しずつ溜めたお金――金貨十枚もあった――を全部持って来たのだが、まさか、旅も序盤で無くなるとは思ってもおらず、茫然自失に陥ってしまった。
「昨日も凄かったからねー。あの三人は」
リエルの苦笑交じりの台詞に顔を上げて、露天で大量に買い食いをする三人を眺める。
ライルがあんなに食べる様になっていたのは計算外だったが、フェリスの食べっぷりを知っている俺にしてみれば、何とか納得出来る範囲。だが、ミズキとハズキの食べっぷりがあんなに凄まじい、と言うか、フェリスを遥かに凌駕しているなんて、想像の埒外だった。
お陰で三人が狙いを定めた露天は、軒並み品切れとなっている。
ただ、それだけならばまだ、よかった。俺が声を掛ければ収まる筈だから。だって、自分達で狙いを定めただけだし。
問題は、他の露天商達も自分達が提供している物が美味しい事を必死にアピールして、三人を呼び込んでしまった事だ。
こうなると食欲の権化たるフェリスの血統であるライルが止まる筈などなく、それ以上の存在であるミズキとハズキも自身の力を思う存分発揮する事など、火を見るよりも明らかだった。
「ど、どうして、こうなった……」
「パパ、元気出して」
今にも泣きそうな顔をしている俺を、心配そうな表情でスミカが見上げているが、今回だけはダメージが大き過ぎて頷けそうに無い。
「パパ、一文無しになっちゃったよ……」
遣る瀬無さを顔に浮べて、俺はそんな事をスミカに言ってしまった。
直後、優しい笑みを浮べて俺の腰を優しく叩いたスミカの仕草に、涙が零れそうになる。
しかも隣に顔を向ければ、リエルまでもが慈愛に満ちた表情で俺の事を見ていた。
「ここから先は出すから、ね」
合わせて頂戴した優しい言葉に、俺の涙腺は終に崩壊した。
「う、ううう、ひっぐ、あ、ありが、とう……」
涙を零す俺をリエルは優しく包み込み、柔らかく背中を叩く。
「もう、子供の前で泣いちゃだめでしょ?」
「うぐっ――。で、でも……」
「マサトくんは父親なんだから、どっしり構えてなくちゃだめだよ? 例えお金がなくても」
優しくて厳しい台詞に、俺は小さく頷く。
「それに、お化粧も流れちゃうじゃない」
リエルの言うとおり今の俺は、男の娘だ。あまり泣くと化粧を直さなくちゃいけなくなる。
「わ、分かった。もう、泣かないよ」
何とか笑顔を作って顔を上げた。
「あーあ。少し崩れちゃってるじゃない」
リエルは苦笑を見せると何処から取り出したのか化粧道具を手に、俺の崩れた化粧を直し始めた。
「はい、直ったわよ」
暫く目を瞑りジッとしていると、終了を告げられたので瞼を開ける。
そこには俺に向けられた手鏡があり、その中には俺じゃない俺が映っていた。
「悪いな、リエル。手間掛けさせて。それと――」
化粧を直してもらった礼を口にするついで、とばかりに自分の不甲斐なさも謝ろうとしたのだが、それは思いも掛けない一言で遮られた。
「あたしが出す訳じゃないから、謝らないでほしいな」
「え?」
リエルだ出す訳じゃない? どういうこと?
疑問符で彩られた顔を向けると、リエルはあっけらかんとした表情で言い放った。
「だって、キシュアちゃんとシアちゃんに渡されたお金だし」
二人の名を聞き驚きで俺は目を丸くする。
そんな表情を見せた俺にリエルは苦笑いを零しながら、恐ろしい事を告げて来た。
「二人からの伝言を伝えるね。キシュアちゃんからは〝無理して格好を付けないで頼る事〟で、シアちゃんはね――」
俺はその伝言を聞いて、体中に戦慄が駆け抜けた。
それは――。
「ライル様とミズキとハズキには、私がお金を出しましたので、遠慮なくマサト様からお金を無心するようにと言って有りますと、お金が無くなったマサト様にお伝え下さい」
耳を疑いたくなる言葉だった。
ってか、リエルも律儀に約束守ってんじゃねえっ! ちゅうか、預かってたなら金寄越せよ! お陰で小遣いが無くなっちまったじゃねえかっ!
一頻りリエルに怒鳴った後、それでも憤懣遣る方ない俺は、三人に加わって露天を荒らし回るのだった。
くそっ! シアの奴、覚えてろよっ!
大変お待たせして申し訳ございませんでした。
ただ、次話の更新も間が開くと思いますので
気長にお待ち頂けると、幸いでございます。




