無意識誑しモード発動!
俺達は今、五日ぶりにちゃんとした建物の中に居る。
道中はエリー達の事もあり、ずっと野宿をしていたから、久しぶりに柔らかい布団かベッドで寝られると思うと、非常に嬉しかった。
のだが……。
「なんで俺だけ?」
疑問を投げ掛けた先には立て横に組み合わされた鉄の格子があり、更にその先には、以前会った事のある然るお方が、額に青筋を浮かべながらにこやかな笑みを浮べていた。
「自身の胸に聞くと良いでござる」
言われて俺は、胸に手を当てて目を瞑る。
俺の体を張った説得のお陰で衛兵達の誤解は解けたし、エリー達は無闇に人間を襲わないから大丈夫、とも伝えて安心させた。それに彼女達は今、美味しいご飯と引き換えに街の周囲を警戒する仕事の手伝いもしてるし、俺達は俺達で何も問題は起こしてない。
「心当たりはないですよ?」
胸に手を当てたままの姿勢でそう告げはしたものの、剣を取り上げられた挙句、何故俺だけがこんな場所に入らなければいけないのか、甚だ以上の疑問が頭の中に渦巻いていた。
だが目の前のお方は、口の端を痙攣した様に引き攣らせて、本来ならば俺が握るべき鉄の格子を握り締めて俺の事をジッと見詰めながら、一オクターブ低くなった声で語り始める。
「――拙者、この街を先々代の国王陛下より預かり、早や七十年と少し。秩序は元より、民の平穏を願い守り続けてござったが……。罪人を捕らえて尋問した挙句、すっ呆けられたのは、今回が初めてでござる」
「へえ、随分と図太い神経した奴もいるもんだな」
でも、その罪人って何処に居るんだろう?
「まったくでござる。と言うか、そ奴は今、拙者の目の前に居るのだが?」
「はい?」
俺は首を傾げて怪訝な表情を取った。
だってさ、罪を犯した覚えも無いのに、お前が犯人だ、と言われても実感ないしな。
「今ここで帰す、と言うのであれば、一晩そこで寝泊りするだけで済むでござるよ?」
「俺、何か借りてたっけ?」
とは言ったものの、それだけでこんな場所に入れられる理由に成るとは思えない。
強いて挙げれば、身内奪還の依頼がまだ完遂されてない事くらいなのだが、確か期限とかは決めて無かった筈だし、更に言えば、捜索人の容姿とか性別とかも分からないので、完遂しようがなかったりする。
ただ、俺としても出来ればここでの寝泊りは避けたい。
なので、腕を組みながら目を瞑って唸りながら再度記憶を弄りはしたものの、罪に問われる様な何かを借りた覚えなど、やっぱりどこにもなかった。
やっぱこれって、冤罪じゃね?
そんな結論に達した時、目の前のお方が爆発した。
「さっさとスミカを――、拙者の娘を帰すでござる!!」
突然の激白に俺は目を瞠って驚愕はしたものの、頭の片隅では別の俺が何故か小躍りしていた。
やったー、スミカのお母さんみっけー、って。
だがしかし、この激白は俺に問題を突き付ける。
スミカを養女にする際、俺は彼女の母親も嫁に貰うと約束をした。
そして今、目の前にはスミカの母親が居る。
しかもこの母親は確か、求婚するなら決闘、とか何とか言っていた気がするから、詰まる所俺は、このお方と戦わなければいけない、と言う事だ。
目前で鼻息も荒く、般若の形相で俺の事を睨み付けるアーツ辺境伯の顔を視界に治めつつ、微妙に現実逃避をしながらつらつらとそんな事を考えていたが、何時までもそうしている訳にもいかず、フッと現実に目を剥けると、何時の間にか俺は説教を受けていた。
「――一体何を考えておるのでござるかっ! 拙者の依頼を完遂して置きながら報告もせぬ等、冒険者としての自覚はあるのでござるか?! そもそも――」
そして再び俺は現実から目を背けた。
こんなの一々聞いてられるかってえの。
でも、耳に入った部分だけはしっかりと頭の中で反論はする。
いやいや、そうは仰られてもですね、捜索人の特徴を一切言わなかったのは貴女ですよ? それを全部俺の所為にするとか、おかしくはないですかね? と言うか、まああれだ。早くここから出して下さいませんかね? そろそろお腹が空いて来たんでお願いします。
顔を真っ赤にして口角泡を飛ばして必死に説教をする彼女の言葉を、かるーく右から左に聞き流し脳内に残らない様にしていると、終わる気配を感じて、また現実に戻った。
「――馬鹿にしておるのではないでござろうなっ!」
何とか最後だけはしっかりと聞いたお陰で、とりあえず言い訳っぽい言葉は浮んでくるが、聞いていなかったらたぶん、また怒鳴られたに違いない。
「そんな事は……」
無難な返しをするも、結局は怒鳴られる羽目になった。
「申し開きなど聞きとうないでござるっ!」
本当だぞ? 馬鹿にした覚えはないんだから。
「えー」
とりあえず、不満を言葉にしたら、ライルみたいになった。
ま、いいか。
「えー、ではないでござるっ!」
でもやっぱり怒鳴られた。
可愛さが足りなかったかな?
「じゃあ、ええー」
「同じでござるよっ!」
同じじゃ無いじゃん、と言いたかったが、それは揚げ足取りになるので止める。
だって、言ったら言ったで違う事でまた説教されそうだし。
でもこのまま黙り込んでいても、また何かを言われるのが落ちだろうから、何かを言わなければいけないのだけど、辺境伯が満足する様な台詞は思い付かないし、かと言って、スミカを帰します、とも言えない。と成れば、この状況を打破する為には、最早あれ言うしかない。
僅かな逡巡の後俺は、野球で言えば九回裏ツーアウト満塁、一打逆転のチャンス、という場面で打順が巡って来たバッターの心境で静かに口を開いた。
「んじゃ、俺達結婚しようか」
「けっ――!」
その言葉は割とサラリと口から零れて俺は少しだけ驚いたのだが、辺境伯は絶句した挙句、驚きを通り越した様で目が点になり、口も半開きのまま動きを止めてしまっていた。
やったぜ! 逆転満塁ホームランだ! じゃなくて、不味くねえかこれ?
どう見ても完全に思考停止しているとしか思えない。かと言って、ここで下手に強制再起動を掛けると、先ほどよりも酷い結果が待っている様な気がしたので、俺はそのまま放置する事を決めた。
「うん。たぶんそれが一番安全だな」
俺は腕を組んで目を瞑り、何度も力強く頷くのだった。
*
十分ほどで再起動を果たした辺境伯は、俺と目が合うなり視線を彷徨わせ、ぷいっと顔を背けると、そのまま立ち去ってしまった。
お陰で俺は一晩、冷たーい石の床で寝る羽目になった。
幾ら慣れてる――慣れたくは無かったけど――とは言え、流石に朝起きた時は体の節々が不満を漏らしていた。
ま、ガルムイの時は至れり尽くせりの環境だったから、体がそっちに慣れちゃったもんなあ。
強張る体を解すために軽くストレッチをしていると忙しない足音が響き始め、何だろう、と思った矢先に、何故か涙目の辺境伯が現れたので明るく挨拶をする。
「おはようございます!」
「ひ、卑怯でござるよ!」
挨拶は無視され、朝っぱらから罵声を浴びたが、突然言われた台詞に、何が? と首を傾げていると、更に怒声が雪崩れ込んで来た。
「恍けるのもいい加減にするでござる! 貴殿が何やら指示を出したのでごうざろうがっ!」
「はい?」
身に覚えの無い事で怒られる方が心外なのだが、どうやら何か抜き差しなら無い事態が起こっている様だ。
「屋敷の外での乱痴気騒ぎでござるっ!」
「は?」
何それ? 本当に身に覚えが無いんですけど。
「う、腕相撲大会で勝ち残った者と、せせ、せっ、拙者が腕相撲で勝負する等と、何を考えているのでござるかっ!」
「へ?」
それを聞いた俺は、呆気に取られた。
だって、彼女の夫の座を賭けての腕相撲とか、初耳だったからな。
「どうするでござるっ! 力自慢の男共が大挙して押し寄せて来てしまったでござろうがっ!」
「な、なにい?!」
「なにい! ではないでござるっ! この始末はどうするでござるかっ!」
それヤバイじゃん! ってか、誰だよ、こんな事考えた奴!
沸々と怒りが沸き起こった俺は、自然と拳を握り締め、辺境迫は辺境伯で鉄格子をきつく握り締めながら目尻から涙を零し始め、俺に切々と訴え掛け始めた。
「拙者が夫に迎える者は、強く優しく誠実で、包容力があって笑顔が眩しいくらい似合い、拙者の危機に際しては何を於いても駆け付けてくれる、そんな男が良いと思っておったからこそ、決闘をして資質を見極めていたでござるに、何故こんな催しで決めねばならないのでござる! 拙者とて口調がおかしい事くらい自覚しているでござるが、これでも歴とした女でござる! 腕相撲で男に勝てる筈ないでござろうがっ! それも――、それを然も拙者から言質を取ったと言わんばかりの喧伝までされてしまっては、最早否定など出来ぬでござるよっ! こんな遣り方、卑劣ではござらぬかっ!」
泣き崩れながら最後に「拙者が夢を抱くのはおかしい事なのでござるか?!」と募って顔を俯けてしまった。
彼女が訴える事は尤もな事だ。自分の伴侶となる者に対して理想を持たない者など誰一人として居ないし、無論、俺だってその一人だ。だから辺境伯の想いだって少しは分かるし、否定なんてする心算は無い。
そして俺は、そんな理想像を思い描く彼女に結婚を申し込んだ。
だからこそ、今の俺は動かなければ成らない。
言葉に成らない声で今も必死に訴え掛ける彼女の為に。
その姿を見ても動かないならば、それこそ伴侶になる資格など有りはしないだろう。
だから――。
「俺は何も指示してないし、誰が遣ったのかも知らない」
「う、嘘を吐くで――」
俺の事を泣き腫らした瞳で睨み付けながら、声を絞りだそうとする彼女に手の平を上げて制して話を続ける。
「けど、俺にはスミカとの約束がある。お母さんを俺の嫁にするって約束が」
こんな事で何処の馬の骨とも分からん奴に、彼女を掻っ攫われて堪るかってんだ。こうなったら全力全開で相手して、どんな奴にも、それこそ大鬼だろうが何だろうが全部ねじ伏せてやる。
「だから、俺が出て勝ってくる。そうすれば外の騒ぎも収まるだろうさ。その後で、俺と腕相撲以外で正式に勝負をしてくれ。どんな勝負にするかは全部あんたに任せる。俺に取って不利な勝負を選択されても一切、文句は言わないと約束する。だから――、今すぐにここから出してくれ。あんたに降り掛かった不幸を、この俺が切り捨てる為に」
彼女と目線を合わせて真摯な態度で俺は、そう告げた。
一瞬、彼女は目を見開いて驚いた顔を見せたが、信じられないのか直ぐに頭を振った。
「貴殿の細腕で勝てる筈はないでござるよ……」
その声には微妙に嬉しそうな響きも垣間見え、もう一押し、と感じた俺は、口の端を吊り上げ、不敵な笑みを見せる。
「なら、俺が勝てる証拠を今、見せてやる」
立ち上がり、同時に自身の内側へも声を掛けた。
――やるぞ! 赤人、青人!
――この、ええ恰っ好しいめ。どうなっても我は知らぬぞ。
――ここは仕方有りませんね。後ほど癒しを掛けますので、彼女には痛みを悟られない様にして下さい。でないと、恰好を付けた意味がありませんから。
――無理言って悪いな。二人とも。
二人との会話が終わると直ぐに万能感が駆け巡り始めたが、直後に痛みが全身に走り、現在許容出来る範囲を超え始めた事を知らせてくる。
――もっとだ、もっと寄越せ! でないと、鉄格子は引き千切れねえ!
――主は女一人の為に、自ら体を破壊する心算かっ?!
――この程度で壊れる程、柔な体はしてねえよ!
――良くぞ言った!。なれば、見事限界を超えて見せよっ!
赤人の嬉しそうな声を内側に聞き、俺は眉間に僅かに皺を寄せて鉄格子を握り締める。
「い、一体、何を――!」
「俺が勝てるって証拠を今、見せてやる!」
雄叫びを上げて俺は、握り締めた鉄格子を左右に引っ張り始める。
「千切れ、ろおおおおおお!」
鉄格子を握り締めた手の平からは血が滲み始め、噛み締めた奥歯は今にも砕け散りそうな気配が漂い、それでも俺は手を離さず更に力を注ぎ込み、終には袖口からも血が滴り始めた。
「な、何をしているでござる?! こ、これでは貴殿の体が――!」
彼女は慌てふためき、俺の手に自分の手を重ねて来る。
「危ねえ、から――、手え放、せ――!」
鉄格子が徐々に外側へと湾曲し始め、格子の部分が音を立てて剥がれ始めて行く。
「……いい加減、千切れ、やが、れえええええ!」
これで最後だ、と言わんばかりに俺が全身を使って鉄格子を引き千切りに掛かると、一気にひしゃげ始め、終にはギターの複数の弦が一瞬にして引き千切れるような音を発して、人一人が通り抜けられる隙間を作り上げる事に成功した。
「ど、どうだ……。こ、これでもまだ――、俺が勝てない、って言う、か……」
俺は全身に駆け巡る痛みを堪えながら笑みを見せ、精魂尽き果てて目を瞑って意識を手放すのだった。
その際、何かが聞こえた様な気もしたが、今の俺に聞こえる筈も無かった。




