間抜けさここに極まれり
あの日、ワシは陣に魔力を込めた後、一休みしておった。魔力さえ込めてしまえば、ある一定の魔力を持つ者ならば起動が可能じゃたからな。そして陣の起動を感じて赴いた時、マサトに仕掛けられた。その時彼が召喚したのは、途方も無い力を感じさせる見た事も無い精霊。ただ、それからは、神々しさと同時に、全てを慈しみ育む様な優しさを感じたのも確かじゃった。
「もしやおぬしは……」
「思い出していただけたようですね。ウェスラさん。――もっとも、今は奥様、と言うべきでしょうか?」
にっこりと微笑むアオのその笑顔は、あの優しさを感じさせた。
「どういうこと?」
訝る表情を見せて、カレンがワシとアオを交互に見ておった。それは皆も同じらしく、疑問を顔に浮かべておるのが見て取れる。
「アオはあの時顕現した神獣じゃよ」
一瞬の間を置き、驚きの声が一斉に上がりよった。しかし、皆もあの気配は感じておった筈じゃのに何も思い出さんとは、よほど余裕が無かったのじゃろうな。
「おぬし、あの時は確かこう言うたの、争う心算はない、と」
あの日顕現したアオは、皆の頭の中に直接言葉を伝えよったのじゃ。それは争いを望む意思ではなく、共に歩もうとする者の言葉じゃった。
「そうですね。私には争う心算などありません。ただ一つを除いて」
「それは何じゃ」
じゃがワシには、答えなど既に分かっておった。
「主の意思。――ですが、幸いな事に主は争いを望んではおりませんし、起こす心算もありません。寧ろ、平らかなる世の中をお望みです。ならば、私はそうなるように力をお貸しする事こそが、使命だと思っております」
真っ直ぐなその瞳と笑顔は、他の者を見下す者ではない事が分かる。
「やはりマサトは平穏な世を望んでおったか……。もっとも、あの性格じゃから争いなぞ望む筈はないじゃろうがな」
ワシは話しながらキシュアの事を任せようと思っておった。じゃから、話終えた時、頷いた。そしてアオは一礼してゆっくりと歩を進め、キシュアの元に跪いた。
「なんと、惨い事を……」
キシュアの姿を目にした途端、その表情が歪み、目には涙を浮かべておる。
未だ警戒を解かぬキシュアじゃったが、アオが次に取った行動には、カレンを除いた全員が度肝を抜かれた。
「私の半身とも在ろうクレナイが貴女にこの様な惨い事をしてしまい、真に申し訳ございませんでした。どうかこの通り、お許しください。あの者にはきつく言って起きますので」
「か、か、か、か、神の如き存在が、へ、平伏しよった!」
ワシ等が驚いたのは謝罪の言葉などではない。力有る者ならば絶対にやらぬ事をしたからじゃった。
「神様だろうと何だろうと、最上級の謝罪をする時の土下座なんて、あたしの国じゃ普通よ? 皆、何驚いてるのよ」
神の如き存在が謝罪するだけでも奇跡であるのに、あっちの世界、それもカレン達の国では常識じゃと聞いて、更に度肝を抜かれてしもうた。
「悪い事は悪い。だから謝る。ただ言葉だけ並べ連ねたって何の意味も無いでしょ? だからキチンと頭を下げる。それにね、土下座するって結構勇気いるのよ? 相応の覚悟が無い限り出来るものじゃないしね」
胸を張って言うカレンじゃが、その理屈で行けばワシ等もドゲーザとやらをやらねばいかんのではなかろうか。
ワシ等が互いの顔を見合わせ、ドゲーザをしようと頷き掛けた時、またもやカレンが口を開きよった。
「あたしはやらないわよ、悪い事したと思ってないし。だいたい、身内があんな状態にされれば、どんな事をしても戻そうとするのは普通だしね」
なるほど、と納得してしもうた。ならば、ワシ等三人はする必要ない。マサトの妻じゃからの。
「ならば私もする必要はありませんね。カレンの夫として、命の危機を救うのは必定でしたから」
今、ウォルケウスが聞き捨てならぬ事を口走りよった。
「カ、カレンの――夫、じゃと?!」
ワシ等ばかりか、ドゲーザを敢行中のアオですら、驚きの顔をカレンに向ける。その彼女の顔は、夕焼け空の様じゃった。
「二人は一体何時の間に……」
「マサトの妹ですから、ここは逆ハーレム狙いかと」
「いや、それは無いじゃろ」
「ウォルケウス様が旦那で御座いますから、もしか致しますと、すでに遣ってしまわれたかもしれませんね」
「なるほどのう。流石はカレンじゃな。すでに捧げてしもうたか」
「私たち、遅れを取ってしまいましたね」
「大丈夫です。回数で挽回できます」
「カレンさんは主よりも早く子持ちになるのですね」
「ん? アオか。そうじゃな、そうかもしれぬ。じゃが、ワシ等も負けてはおらぬぞ。何せ三人も居るからの。数で勝てる」
「おお、そうですか。子沢山で勝負に出るのですね!」
「ちょっとあんた達! 何勝手な事言ってんのよ! それにウォル! しばらく内緒にしようって言ってなかった?! なんで言い出したあんたが真っ先に破るのよ!」
がなるカレンをチラリと見やって、ワシ等はまた話し始める。やはり他人の事をアレコレ言うのは止められぬの。
「おぬしらはいいの。そうやって楽しく話す仲間が居って……」
キシュアの羨む声と笑顔を浮かべて泣く姿を見て、ワシ等は押し黙った。
「わらわは物心付いてからずっと一人。話し相手もおらず、笑いあう仲間も――喧嘩をする相手すらおらんかった。……だが、もうよい。わらわはこのまま朽ちていこうぞ。最期におぬし等の様な者達に出会えたのだから……。さあ、わらわを早く放逐するがよい。さすればこの屋敷はおぬし達の物だ」
アオがワシ等の輪から離れ、悲しい笑顔で泣くキシュアに近付き抱き起こすと、そのまま抱き締めよった。
「ここに居る者はその様な事は致しませんよ。大丈夫、あなたは幸せになれます」
「だ、だが、わらわは一人では何も出来ぬ体。それにわらわはすべての種族に忌み嫌われる吸血族。そのような者に尽くそうなどという酔狂な輩なぞ……」
「居ますよ。それにその手足、必ず私が取り戻してみせます」
「その様な事出来るものか! わらわをこれ以上辱めると言うのならば、この場で死んでくれる!」
キシュアの口が何かの言霊を紡ぎ出し始めよった。それはワシ等の知る言語では無いが、明らかに自らの体を死に至らしめる魔法である事は確かじゃった。その証拠に、彼女の体が闇と同化し始めておったのじゃから。
「ふふふふ――。これでもう、誰も止める事は出来ぬ。オスクォルがわらわを引き摺り込むであろうからな」
泣きながら笑い、泣きながら強がる。それは誰かに助けを求めても叶わぬ事を知っておるかのようじゃった。じゃが、その言葉を聞いてなお、アオは笑顔を見せたのじゃ。
「死すべき時は遥か彼方。故に死する事無し。滅びは遥か遠く、知らぬ者を連れ去る事能わず。我が願い、主が願うと同じ。主願う事、神の願い成り。神願う事、即ち、この者の死あらず。されば混沌の闇よ、光食らいて無へと帰さん」
アオが紡いだ言霊。それは闇を退け、キシュアが同化するのを防いだ。それどころか、闇その物が塵の様に舞い落ち、光の粒となって消えていき、キシュアはただ呆然としておるだけじゃった。
「貴様はわらわにこの様な姿で生き恥を晒せと? それとも、身動き出来ぬわらわを嬲り者にでもする心算か? どちらにせよ、すでに生きる気力なぞわらわには無い。嬲るなり、犯すなり好きな様にするがよい」
「分かりました。では、私の好きなようにさせて頂ます」
抱いておった彼女を寝かせると、上着を掛け体を隠しよった。それをキシュアが不思議そうに見詰め、ワシ等も何をする心算なのかと、不思議に思ったのじゃ。
「存在を消されし物、今ここに我が力を持って呼び戻さん。万物を育みし水よ、彼の者の失われし体を呼び戻せ。さあ集え、主はここに。縛は解かれた。各々が在るべき居場所へと戻るがいい」
キシュアの周りが朝日に照らし出された湖面の如く光り輝き始めると、それは瞬く間に彼女を覆い隠し、さながら小さな湖を作り上げておった。暫くはその煌きを見せておったが、徐々に光が薄れ、隠した者の輪郭を露にし始めよった。そして、綺麗に湖面が消え去ると、そこには失った物を全て取り戻した一人の少女が寝ておった。それは、成長したキシュアの姿でもあった。
「これで本来の貴女の姿に戻りました。今まではあの魔器に何らかの力が干渉していたようですね。それで成長が止められていたのですが、それを排除した事で貴女本来の姿も取り戻せたようです」
アオが微笑む。その微笑みは、見るもの全てを癒す、正に天使の微笑みじゃった。
キシュアは身を起こし自分の手足を眺め、信じられないものを見る様な目をしておったが、その瞳には嬉しさが滲んでおった。
「あ――あり、がとう……」
小さな小さな感謝の呟き。じゃが、それは皆の耳にまで届き、アオの笑顔は更に輝きを増して見えたのじゃ。
「その心、決して忘れてはいけません。それを忘れない限り、貴女は貴女で居られます。いいですね、重ねて言わせていただきます。絶対に忘れてはいけません」
真っ直ぐな眼差しを向けて、キシュアに強く念を押す。それに頷く彼女は、嬉しさからまた涙を流しておった。
「それと皆さん、私達が主の中に居る、と言う事を黙っていてもらえませんか?」
ワシ等はこの提案に少し困惑した表情を見せた。じゃが、それを察していたかの様に、直ぐに言葉を続けたのじゃ。
「主は私達の存在を知りませんし、知ったとしても従えるだけの力も育ちきっていません。その証拠に、以前も今も、こうして主の体を簡単に乗っ取れてしまうのですから。ただ、然るべき時が来たならば、私共からその存在を明かす事に成るはずです。ですから、その時まで黙っていて貰いたいのです」
マサトに宿る力。それは余りにも大きく、余りにも強過ぎる、と言う事か。それにもし、その力を振るおうとするならば、それを従えるだけの力と精神が無ければ、それがどれ程危険な事か、あの事を知るワシは、十二分以上に分かっておった。
「そうか、じゃからおぬしが顕現したあの時、マサトはその反動で動けなくなったのじゃな」
アオは何も言わなんだが、その瞳が如実に物語っておった。そして、ワシが一同を見回すと、一様に頷くのが見えた。
「了承した。その時が来るまでわし等は黙っていよう」
「有り難うございます。キシュア、貴女も良いですね?」
キシュアが頷くのを見た後、アオが頷く。
「それでは皆さん、何時か、またお会いしましょう」
そう言うと、瞳の色が徐々にマサトのそれに戻っていきよった。
「あれ? 皆何してんの? って、あれ? 俺どうしてたんだっけ? それに、ここどこ? ってか、なんで俺上着を着てないんだ?」
マサトは状況が分からず、驚きでしきりと首を傾げておる。じゃが、その間抜けとも言える言動と行動に、場の空気が軽くなった事は確かじゃった。
まったく、この差異はどうすればいいのじゃ。苦笑しか出て来ぬわ。
「あれを覚えておらぬとは……」
「本当に……」
「皆に迷惑を掛けてこれですか。マサトはやっぱりヒモですねえ」
ワシ等はお互いに笑う。じゃが、マサトには訳が分からぬようじゃった。
「そなたには申し訳ない事をした。済まぬ、この通りだ」
キシュアが頭を垂れ、マサトに謝罪をするが、当の本人はキョトンとしておった。
「あ、それ俺の――、って君だれ? 俺、何かされたん?」
顔を顰めておるが、見ているこちらが溜息を付きたくなるほどの間抜けっぷりじゃ。幾ら成長したといっても顔立ちで分かるじゃろうに。
「わらわがそなたの血を吸った、のじゃ」
「えっ?! えええ! 君があの、幼女?! え? どうして成長してんの?! でも、そ、それじゃあ――俺、まさかっ! き、きみと……!」
大層うろたえておるが、たぶん、マサトの考えておる事は、ワシ等が最初に教えた事なのじゃろうな。なんせ「性犯罪者になっちまったあ!」とか騒いでおるからの。
「そうではない。わらわがそなたを眷属にしようとしたのだ」
「え? 違うの? って眷属ってもしかして、俺が吸血族になりかけてたのか?」
全員が頷くのを見て、ほっとしておる様じゃが、安心する問題でもないと思うがのう。
「でもまあ、こうして元に戻ってるんだし、問題無し!」
「そなたは、――怒らぬのか?」
「なんで?」
キシュアが絶句しておる。まあ、これがマサトじゃしの。
「だってお前、一人でずっとここに居たんだろ? 寂しかったんだろ? だから側に居てくれる奴を欲しがったんだろ? それがたまたま俺だったってだけだ。違うか?」
「ちがわ、ぬ……」
「だったらいいじゃん。そんくらいの我侭。なんなら俺達と一緒に居ろよ。そうすりゃ寂しくないし、お前もここに居られるし、俺達も居られる。全部解決だぜ」
マサトはキシュアに笑顔を向け、彼女はそんな彼を頬を染めて驚きの瞳で見詰め返しておった。
こやつは何も分かっておらぬくせに、変に鋭い所がありよるの。それにキシュアのあの顔、絶対今ので惚れよったぞ。どうなってもワシは知らぬ。
「で、では、そなたは――わらわを許すと? ここに居ても良いと? 一緒に居てくれると? そう言ってくれるのか?」
満面の笑みを向けたマサトが、大きく頷いておった。
「その通りだ。お前が寂しくなくなる為の我侭なら、俺は幾らでも力を貸してやる」
「ならば! わらわを受け入れてくれるのだな!」
「そうだ!」
「わらわと共に居てくれるのだな!」
「そうだ!」
「わらわに子を授けてくれるのだな!」
「そうだ!」
何かを感じたのじゃろうな、マサトは。眉間に皺を寄せて首を傾げて考えておるしの。じゃがその隙にキシュアの唇が重なり、永久の契約が結ばれてしもうた。
ワシは一瞬、マサトは馬鹿なんじゃなかろうかと、真剣に思った。じゃって、ワシと似たようなやり取りをして、永久まで結んだのじゃから。
しかし、あのキシュアの本当に嬉しそうな笑顔には、ちと妬けてしまうがの。




