影でうろちょろと良からぬ事を画策するのが暗躍?
「くくっ、くくくっ、くははははははは!」
自身の放った魔法で焼き尽くされる様を遠目に見ながら真人は笑いを放ち、勢い良く立ち上がる。
「俺を舐めた報いだ! 地獄の底で後悔しやがれっ!」
阿鼻叫喚に見舞われる敵陣に対して歪んだ笑みを見せ付けながら叫ぶと、再び足を踏み出し始めた。
石橋を叩いて渡る様な足取りで周囲に放つ威圧感――と言うよりも殺気というべきかも知れない――は尋常ではなく、近くに気の弱い者が居たのならば、間違いなく泡を吹いて卒倒していただろう。
だが幸いにして今の真人の周囲を取り巻くのは真逆、と言っても良い穏やかな風だけであった。
油断を微塵も感じさせない様子で歩む真人だったが、不意に敵陣から上がった鬨の声に立ち止まると、ピクリ、と方眉を上げる。
その視線先には、視野の端から端までを埋め尽くす膨大な人の影が丘の上にあった。
「魔法じゃ殺れないから今度は物量で来るとか、俺一人にするこっちゃねえだろが」
本来ならば眉根に皺を寄せて言う様な台詞なのだが、彼は只単にその瞳が捉えた光景から揶揄を籠めて呟いたに過ぎず、弾む声音と弓形に反った口元からも分かる通り、この状況を大いに楽しんでいる。
「さあ、早く来い。辿り着くまでは魔法を使わないでいてやるから」
笑みを浮かべて悠然とした態度で、相手を小馬鹿にするように掌を返して手招きをする。
それに反応した訳では無いだろうが、まず始めに軽装歩兵が丘を駆け下り始め、徐々に左右へと広がって行った。
歩兵隊が丘を中ほどまで降りると、その中央を破る様な形で長槍を持った騎馬が躍り出し猛烈な勢いで真人に迫り始める。
同時に軽装歩兵は手にした弓から矢を放ち、騎兵隊の突入援護を開始し始めた。
「チッ、またこれかよ。でも、ここで潰すのも面白くないしなあ」
面倒そうな声音ではあるが、左程面倒そうに見えないのは口元に広がる笑みの所為かもしれない。
両腕を前に突き出して揃え、器用にも自分に当たりそうな矢だけに狙いを絞り風を起こして逸らし始める。
無詠唱、という武器を手に入れている真人は、魔法を使う際に手を前に突き出したりする必要性が全く無いにも拘らず突き出したのは、完全に気分からだ。しかも、面白くない、と言う変な理由で更に面倒くさい事をするなど完全に効率も無視しているが、その行動が相手の油断に繋がるのだから始末が悪かった。
鼻歌を歌いながら暢気に矢を逸らす真人であったが、その矢が不意に途切れた。
「お、やっと終わ――っぶねえ!」
余りにも暢気に構え過ぎた所為か、はたまた騎兵隊の事を忘れていたのか、槍の一撃を顔面に貰いそうになり何とか避けるも、眼前に迫る光景には些かの焦るが見える。
尤も、これはこれで自業自得でもある。
「こんなの、聞いて、ないぞっ?!」
次々に繰り出される槍の攻撃を躱しながら真人がアホな台詞を吐く。
無論、そんな事を口走った所で誰かが説明する筈も無く、数百人にも及ぶ騎兵からの攻撃は休む事無く繰り出され、しゃがもうが飛び上がろうが体を捻ろうが、何度躱しても左右から、時には高さをずらして同時に、と必殺の一撃が連続して真人一人に向かう。
「いつまでっ、続くんっ、だよ、っと!」
躱せてはいるものの、反撃する隙が殆ど見付からない攻撃を続けられれば流石の真人でも疲弊してしまう事は明らかであるし、攻撃が終わった騎馬は列の後方へと戻って行くのだから、これでは終わりなど無いに等しい。
だから、と言う訳ではないだろうが、早々に見せた真人の行動は相手に酷い動揺を与えた。
「避けて、ばっかってのも、芸が、無いよ、なっ! それっ!」
タイミングを計り、突き出された槍を引っ掴んで騎馬の後へ飛び乗ると、騎手の首を両手で百八十度以上捻り瞬時に絶命させる。
「一丁あがりっ!」
声を発した時には既に宙を飛び、別の騎手目掛けて襲い掛かっていた。
最初の何人かは驚きの余り対処が遅れて無様に遣られるだけだったが、直ぐに気を取り直した相手は槍を構え直し宙を駆ける真人目掛けて鋭い突きを見せた。
「その程度で、殺られるかよっ!」
真人のその動きは驚愕、と言うには余りにも不可解過ぎた。
何も無い宙を足場に急激な方向転換を見せ、まるで地上に居るかのように易々と槍の群れを避けて行くのだ。しかも一つ躱す毎に屍が一つ増えるのだから、相対している者からすれば堪ったものではない。
勿論、これは魔法を行使しているから行える芸当なのだが、詠唱も無ければ魔法名も言わない、となれば相手が分かる筈も無く、しかも口元に笑み浮かべて瞬く間に屍を築き上げていく様は、現実に舞い降りた死神、とでも形容する他は無かった。
それに加えて近接戦に措いては本来、人族の力は獣族に及ばない、という常識が相手にはある。だが現実として目の前では獣族よりも体格も力も、況してや素早さも劣ると見ていた人族が暴れまわり、獣族達は手も足も出ない。結果、彼等は冷静な判断力を奪われ、只管突貫するだけとなってしまっていた。
それをチャンス、と見たのかは分からないが、真人は一瞬地上へ身を降ろすと落ちている槍を拾い上げてから飛び上がり、騎手の大腿部や下腹部を貫き馬に縫い止め楽しそうに笑う。
「はははっ! これぞ正しく、人馬一体ってやつだよな!」
しかも、痛みと苦しみに悶えた直後に馬と一緒に倒れ込み、他の馬に踏み潰され絶命する姿を見て更に高笑いすると言う、鬼畜な様を見せ付けられたは相手も堪ったものではなかった。
その様を見て恐慌状態に陥るのならばまだ、良かったであろう。
我先にと逃げ出だすだけなのだから。
だが此処には、供に轡を並べた戦友が目の前で殺られるのを見て憤慨しない者は誰一人として居らず、その事が不幸の始まりであったのかも知れない。
故に当初の作戦も忘れて我先にと真人を討ち取ろうと躍起になり隊列は崩れ、味方との接触で落馬して馬に踏み潰され絶命する者も現れ始めるという負の連鎖まで起こり始める。
後方に居る軽装歩兵達を突撃させようにも騎馬が邪魔で前へ出る事も出来ず、かと言って矢を射れば無事な味方に当たり更なる被害を招きかねない。
援護すらも封じられ、仲間が次々と殺されて行く中で歩兵達が悔しさに歯噛みしていた時、
「アペーロン! 騎兵を引かせろっ! このままでは全滅するぞっ!」
本陣から巻き上がる声に、最後尾にあたる場所に居た歩兵隊の一部の者が振り向く。
そこには、精悍な顔付きをした男女が三人で自分達の指揮官の前に詰め寄っていた。
「あれは――三獣騎様……」
歩兵隊の誰かが呟く。
一人は獣族の男としては少々小柄ではあるが、短髪で浅黒い肌に何者をも射殺せそうな程の鋭い眼光を放つ瞳と相まって、その顔は非常に好戦的に見える。体付きは一見すると華奢にも見えるが、醸し出す雰囲気からしてこの男が見掛け通りな訳はない。纏う鎧は動き易さを重視したためか軽装歩兵と殆ど変わらず、武器も腰裏に生える一刀のみという潔さ。
もう一人の男はそれとは対照的に大柄な体躯で、極限まで鍛え上げた肉体は鎧に隠れていても筋肉の隆起が想像出来る程だ。一方で体とは不釣合いな程の柔和な表情を浮かべる顔は、虫も殺せ無い程優しげ見えた。だが、全身を覆う鎧は頑健その物、と言った感じで見た目からして無骨なまでに丈夫さを追求したそれの重量感たるや凄まじい。しかも余程力には自身があるのか、身の丈程もありそうな剣――ローザの大剣よりもサイズは劣るが――を二本も背負っていた。
紅一点、と言えば聞こえがはいいだろうが、醸し出す雰囲気が有る意味、三人の中ではこの女性が一番危険だった。美麗な顔に浮ぶ目を細めた笑みに、後で一本に結った長い髪、女性にしてはやや高めの身長でスレンダーな体型と、モデル、と言っても良さそうな外見。ただし、纏っている物が戦装束でなければ、と注釈は着くが。その鎧は短髪の男と然程遜色はない物であるが、唯一違うのは、肘から指先まで完全に覆う手甲であった。拳の部分には鋭い突起が生え、肘の部分から十センチほども伸びる刃、と防具と言うよりも武器、と言うべき代物だ。そして極め付けはその足元にあった。微細な棘がびっしりとグリーブから生えているのだ。長さは一センチほどと長くは無いが当たれば一溜まりも無い事だけは予想出来た。
そしてこの三人はガルムイ国内では、三獣騎、と呼ばれ尊敬されている。
何故ならば、単騎ではターガイルに一歩及ばないものの、三人揃えばターガイルすら屠る事が可能とまで言われているからだった。
尤もこの三人はターガイルの部下では無い為、この場に居る事自体珍しいのだが、そこは王子の護衛、と言う名目で借り出されていたのだから、指揮官であるターガイルの姿が見えない今は、これ以上に心強い者達は居なかった。
だが彼等の声は憎悪に燃える指揮官には届かない。
「出来ぬ!」
「奴に並みの騎士をぶつけても殺られるだけと、貴様は何故気が付かない!」
「笑止! 人族一人に我等が敗れる事など有り得る筈が無なかろう!」
浅黒い男――アンビット・ダーレンスは現実が見えていないアペーロンに失望して、大きな溜息を吐く。
無論、アペーロンの気持ちは分からないでも無いし、獣族は人族よりも強い、という事も間違っては居ないだろう。だが、何事にも例外と言うものは付いて回る。現に目の前で起こっている事を見れば、あれがその例外に当たる事など、明白だった。
「アペーロン、このまま負ければあんたは責任を取らされるぞ? 良くて一生牢住まい、悪ければ打ち首だ。それが何を意味するか、分からないあんたでもないだろう?」
重々しい声でそう諭すのは、大柄な男――マーティン・マゴット。
「確か、貴方にはお子様がいらしたわよね?」
鈴の鳴る様な済んだ声音を響かせる笑顔の美女――ライム・トライトは言外に子供にも害が及ぶと漏らしている。
マーティンとライム、両名の言葉を聞いてもアペーロンの表情は変わらず、さしもの三人も顔を見合わせ難しい表情を取ったそんな折だった。
「も、申し上げます! 騎兵隊は奮戦虚しく――ぜ、全滅っ! 今現在、軽装歩兵隊が牽制をしておりますが、歩みは一向に止まらないばかりか、魔法攻撃により我が方に甚大な被害が出始めおります!」
「ぜ、全滅、だと……?」
数百騎にも及ぶ騎兵隊の全滅。
その報は、アペーロンに対して厳し過ぎる現実を突き付けたのであった。
*
暴れまわる真人の頭上の遥か上空に、青い空に溶け込む様に浮ぶ一つの物体がある。
下半分を空色に染め上げたそれは、目を凝らせば辛うじて違和感が分かる程度でしかないが、これこそがユセルフ王国が懸念し、アルシェが真人達に伝えた事でもあった。
そして真人達が育った世界では既に、広告宣伝程度の役割しかなくなってしまい一般的には余り利用されていない物。
即ち、飛行船である。
無論、上昇を助けるかのように回転する左右二対のローターを備えていたりと形状は幾分違う所も有るが、浮力を発生させる為に必要な気嚢を中央部分に備え、後方には推進力を得る為のプロペラが付いている時点で、紛れも無く飛行船だと見て取れる。
その飛行船下部に設けられたゴンドラの窓辺には、眼下を見下ろす様にして一人の男がへばり付いていた。
「ここまで上手く行くとこれはもう、自画自賛するしかないよね」
直接正面から激突する両者を遥かな高みから睥睨しながら男は、満足げに言葉を吐き出している。
その手に握られている物もそうだが、奇妙な事に男は顔を仮面で隠しているし、その両手は何故か金属の様な光沢を放っていた。
「あの子も出て来た事だし、ここまでは計算通りかな?」
誰に聞かせるでもなく呟く声には幾分、浮ついた感が有るが、この事態が計算通りなどと言う台詞からは、狙って引き起こした様にも聞こえる。
「でもなー、狭間は昔っから僕の思った通りに動かない奴だったからなー。この間隙を見て何とか仕込みはしたけど、思ってる通りには動いてなかったし、ホント、癪に障る奴だよな」
まるで真人とは旧知の間柄の様な台詞を放っているが、そもそも真人はこの世界の人間では無い為、旧知、と呼べる程の者など居ない。
なのに何故この獣族の男は、真人の事を昔から知っている様な素振りを見せるのであろうか?
「それでもまあ、別のとこの仕込を弄るだけで修正は出来たし、今は奴の仕込みも上手く行ってるみたいだから、僕としてはこのまま何事も無く進んでくれると苦労しなくていいんだけどね。そこんとこ、君としてはどう思う?」
仮面の目に当たる部分から奇妙な物を外して奥の暗がりへと顔を向ける。
その動きから鑑みるに言葉尻の問い掛けは、どうやらそこに居る者へのようだった。
だが問い掛けられた者は身動ぎどころか、声一つ発しようとしない。
尤も、男も返答を期待していた訳では無い様で、直ぐに顔を元に戻していた。
「でも、あの子と手を繋いでる子は何なんだ? 恰好からすると男の子みたいだけど、倍率が低いから此処からだと良く分かんないんだよねー」
然もそれが一番の不満だ、と言わんばかりにやや不機嫌な声を漏らす。
「でも仕方ないか。向こうとこっちじゃ差が有り過ぎるから、ここまで出来れば上等かもね」
こっち、と言うのは何となく分かるが、向こう、とは何を、何処を指しているのか、男の言動だけを聞いていると皆目見当も付かない。ただ、今の言が奇妙な物の技術的な問題を指している事だけは、先ほどの言葉と合わせれば理解出来る事だった。
「うわっ、狭間の奴えげつなっ! 普通あんな事するか?! あれは僕でも引くぞ?! こりゃ全滅は時間の問題だな」
楽しげな色を滲ませる男の言から察するに、真人がガルムイ王国軍の騎兵隊に対して行った行為を指している様だ。
「ところで、君は何時までそこに居る心算なんだい? 僕としてはそろそろ役目を全うして欲しいんだけど?」
暗がりに背を向けたまま男は問い掛けるが、やはり何も返答はない。
「まあ、君にも何か思う所があるのかも知れないけど、これは契約に基づいての事だし、違反すればどうなるかは、分かってるよね?」
脅すでもなく、威圧するでもない。だた単に指摘するだけの言葉。
彼等が交わした契約が何ののかは分からないが、その言葉を受けて、暗がりからは気配が消えた。
「さてと、これで一先ずは大丈夫かな? でも、狭間は天然なとこがあるから油断は出来ないね」
一人呟くと男は、再び眼下に目を移すのだった。




