連鎖する憎しみ
今話は全編、三人称でのお届けと成ります。
まあ、それは建前で、本音をぶっちゃけますと、一人称だとちょっときつかった、と言う事情が有るだけですが……。
小高い丘の上に整然と居並ぶ者達。
その数、ざっと見ただけでも五百以上。
全ての者の手には長弓が握られ、足元に有る矢筒には、数えるのが億劫に成るほどの膨大な矢が詰められていた。
天から降り落ちる人型の物体に目を細めながら、在る一点を凝視する一人の者がいる。
豪奢な鎧に身を包み、腰には二本の剣を帯び、精悍な顔付きをしたその男の名は、アペーロン・ゲイスト。
ターガイル・フォン・スヴィンセンに替わってこの軍の指揮を任された者であった。
その脳裏に掠めるのは、あれがあの程度で傷を負う事は万に一つも無いだろう、と言う事。
故に油断の無い思考で、まずは牽制となる一手を刻もうと、ゆっくりと手を頭上に振り上げる。
「構えっ!」
静謐が支配する中、低く良く通る声が駆け抜ける。
それに合わせて微かに響くキリキリという甲高い音が、全員がほぼ同時に弓に矢を番えた事を示していた。
降り落ちる人型が絶えた直後、
「撃てえええっ!」
アペーロンが腕を振り下ろすと同時に声を張り上げ、それに呼応して膨大な数の矢が放たれる。
それは矢の雨、と言う事が痴がましいと思える程の密度を持って在る一点に襲い掛かった。
第二射、三射と続け様に射られる矢群は、圧倒的な殺意に支えられ必殺必中の力を叩き込む。
弓隊が射撃を開始して一分近く経った頃。
「魔砲準備完了!」
報を受けたアペーロンは大きく一つ頷くと、再び声を張り上げた。
「弓隊撃ち方止めっ! 続けて魔砲隊、構えっ!」
第十射を終えた時点で掛け声が掛かり、弓隊はそこで手を止める。
代わりに魔砲隊と言われた者達が、大砲よりも遥に洗礼された火器の砲口を目標に向けた。
その砲の姿は現代に照らし合わせて見れば、第二次大戦中に使われた対戦車砲に酷似していたが、前面に装甲が無いなど、幾つかの違う面も見て取れる。
だが、周囲に砲弾らしき物が一切無い、という事だけが解せなかった。
砲弾も無しに、一体どうやって相手を仕留めると言うのか。
「撃てえええっ!」
その疑問は只一つの怒声によって示された。
砲は砲弾を打ち出すのみに有らず。
迸るは雷。
轟くは空気を引き裂く轟音。
デュナルモ大陸最強を誇るガルムイ王国軍の切り札であり、本来ならば広域殲滅を目的とした魔法を打ち出す砲。
故にそれは、魔砲と呼ばれていた。
百の砲口から打ち出された雷の全てが一点に向かって収束し一瞬に目標へと殺到する。
百が一となり、凶悪極まりない暴力を吐き出そうとしていた。
*
ライルはスミカの手を引きながら考えていた。
直接父の元へ行くのは危険だろうと。
義理の父である真人の力は強大であり、それ故に敵からの攻撃も苛烈を極める。
その様な場所に自分達が行っても足手まといにしか成らないばかりか、傷付き倒れでもしたら父の悲しみを助長する事にも成りかねない。それならばいっその事迂回して、敵陣の側面から忍び込んだ方がまだ、勝算がある。
子供である自分達の足では少々時間が掛かるかもしれないが、これ以外の方法を彼は思いつかなかった。
そんな折、不意に握った手に力を籠められ足を止めて振り向けば、強張りを見せる姉の顔がこれから行く先と違う方向に向けられている。
訝しく思いその視線を辿った先には、暗雲の如き塊が父が居るであろう場所に殺到していた。
しかも、暗雲が何なのかまで彼には見て取れていた。
それは夥しい矢の塊。
ライルは人の子の姿を模してはいても、生来の姿は天族と呼ばれるフェンリルであり、その能力は人とは隔絶した物を持っていた。
確かにフェンリル一族の中ではまだ十歳に満たない彼だが、人族の、それも冒険者と比較しても既に十分過ぎるほどの力を持っていた。
人としての成人年齢に達していないので冒険者登録こそ出来なかったが、毎日欠かさず行っていた剣の練習のお陰で剣技だけでも三級の冒険者に比肩する程の腕前に達し、魔法を絡めた攻撃は二級クラスにも匹敵する。
その事実は既に、一流冒険者としての域に片足を踏み込んでいる事を如実に示していた。
父と母の居る更なる高みへと至る為に必要な物は、冷静な判断力と大胆な行動力、仲間を信じる心、そして、怖さを知る勇気だけだと、ライルは既に知っていた。
無論、それを知ってはいても彼はまだ、幼い。
故に此処に居るのが彼一人だけだったのならば、眼前の光景を目にした途端、後先考えずに父の元へと走り出していた事だろう。
だが今は、守らなければならない大切な家族が傍に居る。
彼の友であるチッピによれば、彼女こそが父を元へと戻す鍵らしい。
そうであれば尚の事、彼女の命を危険に晒してまで父の元へ行く訳にはいかなかった。
小さな胸に浮ぶは父から己に課せられた一言。
家族を守る為に剣を振るえ、という教えを今はただ只管守り、僅かな逡巡と父の隣に立てない悔しさを胸の内に隠し、姉に告げる。
――スミカおねーちゃん、行くよ。
――でもパパが!
――大丈夫。僕たちのおとーさんは、あれくらいじゃやられないよ。
自信たっぷりに告げる。
ライルにも不安に思う心は有る。
だがそれを上回るだけの事実を彼は知っていたお陰で、父があの程度でやられる筈がない、という確固たる自信があった。
その根拠は去年の十の月に、ヴェロン帝国の闘技場で母達と自分を相手に戦った父の姿だ。
一歩も引かず真正面からぶつかったあの戦いは彼の胸に、自分の父こそ世界最強の魔法使い、という自信を植え付けていた。
だがその直後、その自信すらも打ち砕くかの様な閃光が父の居場所目掛けて迸り、それを目にした彼は叫ぶよりも早く、咄嗟に魔方陣を自分達の周囲に展開していた。
直後、周囲は衝撃波を伴った荒れ狂う風に飲み込まれ、散乱していた魔装兵の亡骸が吹き飛ばされる。
そんな中で光り輝く白い魔方陣だけは、不動の姿勢を貫いていた。
それこそが彼の持つ最大の力であり、父が放つ攻撃すら遮る絶対の守りの力。
この一点に置いては血の繋がった育ての母すらをも超える、彼だけが持ちえた才能だった。
この時彼は姉を守りながら「世界最強最高の防御結界だな」と自分の力を評した父が言った言葉を思い出して、口元を微かに綻ばせる。
同時に父がやられてしまうかも、と言った不安も顔を擡げたが、姉の前でそんな事はおくびにも出せない。
故に――、
――行こ、おねーちゃん。おとーさんを助けに。
念話を送り微笑み掛け、姉の手を握る。
暴虐の爪跡が残る中、絶対に父は生きていると自分に言い聞かせながら、ライルは再び歩き出すのだった。
*
遥かな高みに光り輝く球体は、善悪を問わずに陽光と言う名の恵みを与える。
それが我が責務だと、言わんばかりに。
だが此処に、それを拒む様に黒い霞を纏い、ゆっくりとした歩みを見せる者が居た。
だからと言って、まったく届かない訳ではない。
外部からも姿形がはっきりと見て取れるし、足元には影も落としているいる。だがそれでも、僅かに恵みを拒んでいる事は確かだった。
そんな彼から陽光を完全に奪おうと、空から挑む者達。
尤も、その者達の行動でさえ、彼が成した事の結果なのだが。
自身以外の影に塗り潰された事を煩わしく思ったのか、眉根を寄せた顔を上げてそれを確認すると、面倒臭そうに片手を上げた。
直後、彼の手の平を中心に風が集まり、その身を覆い隠す程の密度を持った塊を作り上げた。
「穿て」
たった一言呟いただけでその塊は彼の手から放たれ空へと挑む。
まるで天に挑むかのように真っ直ぐ突き進むと、陽光以外の余計な者達を全て排除していった。
そのまま数秒の間、彼は佇みながら落ちてくる者に何の感情も無い黒曜石の如き目を向ける。
降り落ちる者達は地上に辿り着いた時点で原型を留めない程にひしゃげたが、その中にあって一つの顔だけが無事に残り、その顔が彼に向けられると、黒曜石の如き瞳が感情の動きを見せた。
「死して尚、復讐を求めるか……」
哀れな者に見詰められた彼は、大きく一つ息を吸い込み吐き出す。
「その無念、確かに受け取った。後は、俺に任せろ」
前方の丘に目線を送りながら、口元を弓なりに反らせる。
なまじ顔の造作が良いだけにその笑みは、見る者全てを凍り付かせる程凄まじい。
だが今この場には、人としての原型を無くした物体しか存在しない。
それを幸い、と言うべきかは判断しかねるが、この場に漂う怨念には寧ろ、歓迎すべきなのかも知れなかった。
何故ならば、微かに怨嗟の如き地鳴りが響いたのだから。
それを耳にした彼は満足げに頷き、再び足を動かす。が、次の瞬間、視界の全てを塗り潰す黒い塊が頭上から襲い掛かった。
「不意打ちとは味な真似をする。でもこの程度、態々防壁を張るまでも無い」
呟き咄嗟に腕を上げて目だけを庇い、後は魔力にものを言わせた魔法障壁で耐える。
永遠にも感じる長さの中で彼は隙を伺い続け、これが終わったら一気に前に出て、と思った時、矢の嵐は唐突に終わりを告げ、良し! と腕を下ろした刹那。
「ま、まず――!」
代わりに、眩い光が彼の視界を塗り潰しその身を飲み込んでいった。
*
砲撃が直撃した。
魔砲隊の面々はその手応えを実感して歓声を上げる。
そんな中、アペーロンだけは冷静に状況を見詰めながら眉を顰めていた。
土煙の上がり具合から見ても砲撃が直撃している事は見て取れる。だが、あのバケモノの居る場所よりも後方には、殆ど、と言って良いほど被害を出していない様にも見えた。
雷撃と言うものは言霊魔法を扱う魔術師でも上位の者にしか扱えない魔法であり、最大級の破壊力を持っている。
それと同等の威力を持つ雷撃を百門の魔砲から放って後方に被害が出た気配が無いなど、有り得ない事だった。
土煙が晴れるに従い村を覆う白い繭が見え始めると、自身の予想が正しかった事を確信する。
それは、砲撃の余波だけしか届いていない、という事だ。
あれだけの攻撃を防ぐなどとは俄かに信じ難い気もするが、あのバケモノは生きていると仮定したほうが良い、と冷静に結論を導き出し、更なる追撃を加える為に矢継ぎ早に命令を飛ばす。
「魔砲隊は第二射の準備に掛かれ! 弓隊は矢に風魔法を付与! 準備出来次第掃射せよ!」
外見上は冷静に対処している彼ではあったが、土煙が更に晴れるに従い地表に残る爪跡を見止めると、胸の内には圧迫感にも似た焦りを覚え始めていた。
それはバケモノの後方の地面が、殆ど無傷で残っていたからだった。
「弓隊準備完了!」
「掃射!」
そんな彼の思いを見破るが如く完了の報が齎されると即座に命令を発し、焦りを追い出す様に安堵の溜息を吐いた。
風魔法を付与された矢は一直線に目標へと突き進む。
威力、速度供に先程のただの矢とは比較にならない攻撃。
いかなバケモノといえども、魔砲の攻撃を食らった後ならば無傷で居られる筈がない、と若干の安堵を覚えつつ、止めにもう一度魔砲をお見舞いすれば終わる、と視線を戦場に向ける。
そんな彼を嘲笑う様に、完全に土煙が晴れたその場所には、あのバケモノが片膝を付きながらこちらを睨み付けていた。
確かにダメージは受けている。
燻りを上げる全身と、蹲る姿が何よりの証拠だ。
だがそれとは裏腹に、こちらに向けられた目が死んでいない事を見て取ったアペーロンは、全身に走る怖気を押さえられず、
「ま、魔砲発射っ!」
早過ぎるタイミングで指示を出してしまった。
「無理です! まだ魔装核の交換が終わってません!」
魔砲は砲身から直接魔法を発射するという性質上、強度を優先した作りとなっている為、頗る付きで整備性が悪い。それに加えて最大出力での雷撃が魔装充填核に溜め込まれた魔力を完全に使い切ってしまっていた。
その所為もあり、魔装充填核の交換、と言う、本来なら戦場では有り得ない事態が起こってしまっていたのだ。
これが仮に火炎弾程度の威力であれば、魔装核の交換などと言う事態には陥らなかったかも知れないが、問題はそれだけではなかった。
早過ぎた指示が弓隊へも影響を与えていたのだ。
弓隊の面々はアペーロンの放った声を聞き、慌ててその手を止めてしまった。無論、核の交換が終わっていないという報を聞き、指示を仰がずに直ぐ様攻撃を再開をした。
これは今の己達の役割をしっかりと認識していたからこその行動であり、その錬度は流石、と言う他は無く、牽制としての攻撃が途絶えていたのは三十秒にも満たないであろう。
「核の交換は後どれくらいだっ!」
自身のミスを帳消しにするほどの錬度を見せた部下達を横目で見ながらアペーロンは、心中で感謝を述べつつ性急に聞き返した。
だが――、
「ぎゃあああああああああ!」
「うわあああああああああ!」
「た、助け――!」
「ち、ちくしょう! 火がっ、火が消えねええええ!」
「水だ! 水を――!」
返答は阿鼻叫喚だった。
突如として魔砲隊の上に現れた空を埋め尽くすほどの火槍が兵達に降り注ぎ、逃げる間も無く飲み込まれた結果だった。
直撃を受けて絶命した者は、幸せだったかも知れない。
ほぼ全身が火達磨と化し、体を焼く熱から逃れようと苦鳴を上げながら地面を転げまわる者。
体の一部だけが火に包まれ何とか消そうと試みる者。
仲間を助けようと手で炎を必死に叩き消そうとする者。
仲間を救出しようと飛び込む勇敢な者達も居たが、その者達すら絶好の餌だ、と言わんばかりに火槍は降り注ぎ瞬く間に物言わぬ躯へと変えていく。
火槍が止んだ後には、個々人の判別が不可能なまでに焼き尽くされた黒コゲの死体と、熱でひしゃげた魔砲だけが残っていた。
その光景は熟達の魔術師とはどう言うものか、という事をまざまざと見せ付け、多くの兵士達の怒りと憎しみを誘う。
それは指揮を取っていたアペーロンとて例外ではなかった。
「――さん……。許さんぞ! バケモノめっ! 我が部下の無念! 思い知らせてくれるっ!」
憤怒と憎悪に彩られた瞳を真人へと向けながらアペーロンは有らん限りの怒声を張り上げる。
「弓隊は射撃を再開! 騎兵隊は弓隊の射撃終了後、目標に向かって攻撃! 軽装歩兵隊は騎兵隊が接敵するまでの間援護しろっ! 我等の戦とはどう言うものか、あのバケモノに教えて遣れっ!」
「「「おおおおおおおおっ!」」」
憎悪の連鎖は止まらない。
それが例え自分達から先に仕掛けた結果だとしても、相手を憎まずには居られないのだった。




