断ち切られる絆
今話は視点がコロコロ変わります。
序でに、人称も変わる所があります。
動きを止めたマサトさんに慌てて声を掛けたのですが、何の反応もありません。それどころか、幽鬼の様な足取りで自分が倒した魔装兵の傍へ行くと膝を付き、その首を拾い上げて抱え込んでしまいました。
今まで見た事も無いマサトさんの姿と表情に、軽く困惑を覚えてしまったわたしですが、直ぐに気を取り直して兄と目線を合わせて頷き合い、マサトさんを守るように周囲の魔装兵を薙ぎ払い始めたその時でした。
「――っ!」
マサトさんが何かを呟くと同時に、わたしの瞳から涙が零れ始めたのです。
――あれ? どうして涙なんか……。
そんな疑問を抱いたのも束の間、突如として激しい悲しみの感情が湧き上がり、思わず膝を折ってしまいました。
「ローザ!」
兄が声を掛けてくれたお陰でわたしは感情の波に飲まれる事無く、何とか立ち上がる事は出来ましたが、流れる涙は止まる気配を見せません。それどころか胸の中はより一層の悲しみで一杯になってしまい、自分とは別の何かが心の中に居る様な気がしました。
そして――。
「なんで……なんで……なんであんたを俺が殺さなくちゃいけなかったんだよ! これじゃ、恩を仇で返すようなもんじゃないか……」
マサトさんの慟哭が響き渡ると、わたしの心の中の悲しみも更に膨れ上がり、流れる涙で目の前が歪んでしまいました。
そして、マサトさん叫びを聞いてこの悲しみを理解しました。
これはマサトさんの悲しみ。
自らの手で恩人を殺してしまった悲しみなんだと。
わたしはマサトさんの傍に居て声を聞く事が出来たからその理由も分かりましたが、永久を結んだ皆さんにもこの悲しみがマサトさんのもの、という事だけは伝わっていると思います。
悲しみ嘆くマサトさんにわたしは、何て声を掛けていいのかまったく分かりません。
こうして傍で剣を振っているというのに……。
歪む視界の中、魔装兵を薙ぎ払い、掛ける言葉を紡ごうと歯を食いしばりながら必死で捜します。
でも、そんなわたしを嘲笑うかの様に、今度は真っ黒な感情が流れ込んで来たのです。
それはあらゆる負の感情を鍋に放り込み、憤怒と言う名の炎で極限まで煮詰めて凝り固め、怨嗟と言う名の皮で包んだ様な、人を狂わせる為だけに存在する食べ物。
決して人が口にしてはならない猛毒。
一度含んでしまったのならば、狂気に囚われるまま周りを巻き込んで死を撒き散らし、それはその人の死によってしか止まらない。
その食べ物は、こうも呼ばれていました。
復讐、と。
そんな禁断の食べ物をマサトさんは口にしてしまった様に思え、わたしは震えました。
ですが、そこで怯えて縮こまる訳にはいきません。
わたしはマサトさんの妻なのですから。
「だ、駄目です! マサトさん!」
殺到する魔装兵を処理しながら何とかそれだけを叫び、一瞬だけ背後のマサトさんを窺いますが、何かを呟いている、としか分かりませんでした。
でも、流れ込む黒い感情はどんどんと増すばかりで一向に減る気配も無く、わたしの心を軋ませて行きます。
それでもわたしは叫びました。
「マサトさん! それに、囚われないでくださいっ! それ以上は、皆が苦しみます! お願いです! 元に戻ってっ!」
わたしの必死過ぎる叫びに、兄も何かを感じたのでしょう。わたしを上回る大声でマサトさんに呼び掛けました。
「マサ! 今は悲しむ時ではない! 況してや、憎む時でもないぞ! 今遣らねば成らぬ事は、皆を救う事であろうがっ!」
わたしより遥かに大きい兄の声も今のマサトさんには届かない様で、立ち上がる気配は一向に有りませんでした。
「マサトさんっ! 立ってください!」
「マサっ! 立ち上がれ!」
わたし達の声と剣戟の音がほんの僅か途切れた時、
「………………てやる」
――え?
「…………してやる」
――ま、まさか!
「だ、だめ――」
「こんな国! 滅ぼしてやる!」
わたしの声を掻き消すほどの大音声で、マサトさんが吼えたのです。
それと同時にわたしですら感じる事の出来る圧力を持った大量の魔力がマサトさんを中心に膨れ上がり、それを背後から受けたわたしは前に押し出され、転びそうになってしまいました。
「い、いかん! 繭まで下がるぞ! ローザ!」
焦りを帯びた声を上げながら兄がわたしの傍まで来ると、その太い腕を腰に回して強制的にその場から離していきます。
「は、放してくださいっ! ま、マサトさんがっ!」
「諦めろ! 奴はもう――!」
兄はその言葉の先を飲み込み、わたしにその音が聞こえる程の強さで奥歯を噛み締めていました。
「ま、マサトさあああああん!」
魔装兵に囲まれ飲み込まれて行くマサトさんに向かい、わたしは必死に手を伸ばし声の限り叫んでいました。
そして最後に目にしたのは、マサトさんの居る場所へ向かって剣を振り下ろす、魔装兵の姿でした。
*
その時俺は、初めて知った。
自分の心がこんなにも脆い事を。
親しみを感じた人の死が、こんなにも突き刺さる事を。
そしてそれが、こんなにも憎悪を掻き立てる事も。
「――殺してやる。――蹂躙してやる。――こんな国! 滅ぼしてやる!」
本能の赴くままにありったけの魔力を迸らせる。
その時、誰かの声が聞こえた気もしたが、それは次第に遠ざかって行った。
そしてたった一言だけ、呟いた。
「――爆ぜろ」
*
ワシはその時、流れ込む感情の渦に蹲り翻弄されていた。
あらゆる負の感情の濁流は、自身の自我を保つ事すら覚束無くなり、次第に意識は混濁して行く。じゃが、それが誰の感情なのかだけは分かって居った。
「ま、マサト――、お主は一体、何をする、心算じゃ……」
そしてそのまま、闇に引きずり込まれた。
*
ウチは泣いていました。
悲しみに、悔しさに、届かない想いに……。
その悲哀故に沸き起こる怒りと憎しみ。
引きずられて行くウチの感情。
それと引き換えに搾り取られる魔力。
本能が危険を叫んだ時には既に遅く、脱力感に苛まれて意識を閉じて行ったのです。
*
――いけません、マサト様! 憎しみは何も生みませんのよ!
私は心の中で直ぐに呼び掛けました。
でもそれは、届くどころか、黒い闇に飲まれてしまいました。
外で何が起きたのか私には分かりません。ですが、マサト様から伝わる感情で全てを把握する事が出来ました。
それは私の繋がりが、永久とは違うからこそ出来た事であり、深く、強く、固い絆で結ばれている証拠でもあります。
それこそ何ものを持ってしても揺るがない鉄の意志の様に。
ですが、そんな絆を与えられた私でも、彼の心を元に戻す事は出来ませんでした。
「貴方は一体、何を望んでいますの……?」
無力感に苛まれながら、私は力なく呟く事しか出来ませんでした。
*
ユセルフでは残されたマサトの妻達が突然流れ込む感情に苦しみ、涙していた。
その中には、無理やり搾り取られる魔力を感じた刹那、迅速に行動を起こした者が居た。
一人はサレシア・ラズウェル。
もう一人はフェリシアン・ビスリ・ヘヴェンス・スティート・マクガルド。
居場所は違えど二人はその時、ほぼ同時に危険を感じ取りある決断を下す。
それは――、
「アルシェアナ様! マサトとの繋がりを断ち切ります!」
「おめえら! 今すぐマサトとの繋がりを切るぞ!」
永久を強制的に断ち切り魔力の流れを止める事だった。
王城の自室でそれを聞いたアルシェは一瞬驚きを顔に宿しはしたものの、直ぐに表情を悲しみに変えて頷き、セルスリウスの自宅では、キシュアとリエルが遣る瀬無さを浮かべた表情で俯いていた。
シアは何かを呟きながら複雑に指を絡め、幾つもの印を素早く結んでゆく。
すると、複数の魔方陣が空中に浮き上がり、何かを捜し求める様に彼女達の周りを浮遊し始め、夫々がある一点で止まると輝き始める。
「解呪」
シアの唇から短い一言が発せられると魔力の流出は止まり、雪崩れ込む感情の津波も消え去った。
「私達はもう、マサトの妻ではないのですね……」
「残念ですが……」
それを感じ取ったアルシェが呟くと、シアも悲しそうに目を伏せ俯くのだった。
一方、セルスリウスの自宅では、フェリスが両手に宿した虹色の魔方陣をキシュアとリエルの体に押し付け、自身はその身に直接魔方陣を浮かび上がらせて体内へと押し込む。
「……これで、切れたぜ」
一息付く様にして軽く漏らされた声音には、言い様の無い悲しみが満ちていた。
「わらわ達はもう……」
キシュアは唇をきつく噛み締めて震え、リエルは両手で顔を覆い尽くし、小さな嗚咽を漏らす。
「マサトの、馬鹿野郎が……」
そしてフェリスはその瞳に涙を溜めながら遥か遠くを眺める様にすると、そう呟くのだった。
*
僕は最初、おかーさん達がなんで泣いているのか、分からなかった。それはスミカおねーちゃんも同じみたいで、不思議そうに首を傾げている。
でも、ウェスラおかーさんとナシアスおかーさんが言った事で直ぐに分かった。
「ねえ、ナシアスおかーさん。おとーさんに何かあったの?」
隣に居るナシアスおかーさんを見上げて、僕はたずねる。
「貴方は何も心配しなくても良いのですのよ?」
だけどそう言ってくれた顔は、とても悲しそうな笑顔だった。
そして、ウェスラおかーさんとユキおかーさんが倒れて、それを見た僕は直ぐに助け起こしに行きたかったけど、動けなかった。
だって、僕が動いたら皆を守れなくなっちゃうから。
だから、スミカおねーちゃんの方を向く。
おねーちゃんは僕を見ると直ぐに頷いて、おかーさん達の所へ行ってくれた。
それと、ミズキおかーさんとキリマルおじいちゃんも見る。
二人も頷いてウェスラおかーさんと、ユキおかーさんの所へ行ってくれた。
「これは――永久の影響、ですね。ですが、このままでは――」
先生は難しい顔で何かを考えていたけど、少しすると二人のおかーさんを見て、
「お叱りは後で受けるとして、今は致し方ありませんね」
そう言うと、指を色々な風に組みながら、何かをブツブツと言い始める。
そうしたら、小さい魔方陣が一杯おかーさんの所へ飛んでいって、周りをくるくると動いたと思ったらそれが光ながら止まった。
「解呪」
でも僕達はその時、だれも知らなかった。
動けないはずのメルおねーちゃんが、どっかへ行っちゃった事に。
*
俺は顔を上げて周囲を見渡し、近くに誰も居ない事を確認する。
「ここで暫く待っててくれ。直ぐに全部壊すから」
彼の首を胴体の傍に置き一声掛けて立ち上がると、再び周囲を見渡した。
その時、何かが途切れる様な、心に穴が開く様な感覚が襲って来たが、それを黒い感情で埋め尽くし口元に笑みを浮かべ、後に振り向く。
「まずは一つ」
右足の爪先を軽く上げて地面を叩き魔力を流し込む。
二呼吸程の時間差で村を挟んだ反対側で大爆発が起こり、直ぐに地震の如き揺れを伝えて来ると、ゴミが弾け飛ぶ様に無数の人間が空高く舞い上がった。
「次は右」
同じ事をまた繰り返し、右側の陣を壊滅させる。
「今度は左だ」
そして左側の陣からは炎の柱が吹き上がった。
再び向きを変えると最も兵数の多い本陣を視界に納め一歩を踏み出すと、操られている哀れな者達が猛然と俺に殺到し始める。
それを横目で見ながら口角を吊り上げて、両足を揃える様にして軽く地面を叩いた。
刹那、哀れな者達は視認する事すら不可能な高さまで吹き飛ばされ、全てを一掃した俺は、悠然とした足取りで本陣へと向かうのだった。




