有利なのに不利とはこれ如何に
大変お待たせ致しました。
ある一点から突如として湧き上がる巨大な炎。
その高さは優に三十メートルを超え、瞬きする間に村の周囲を覆い尽くすと、見事な炎の防壁と化した。
無論、こんな事が出来る人物など、俺を除けばここにはあと二人しか居ない。
一人は可憐。
そしてもう一人は、ウェスラ。
最も、今そんな事はどうでもいい。
問題は、俺達がまだ村の中に入っていない、という事。
まあ、何で俺達が村に入る寸前にこんな物が出来たかと言うと、一瞬だけウェスラの姿が視界に映り、俺と目が合うなりその口元をニヤリ、と歪めたのが見え「あ、ヤベ」と思った瞬間、目前に炎の壁が出来上がった、と言う訳だ。
要するにぶっちゃけると、未だに彼女の怒りは収まっていない、って事なのだと思うのだが、この非常時に夫婦喧嘩を優先するとか、ウェスラさんはそれでいいのか?
ただ、そんな壁が出現しても俺の突進は止まらない。
抜けるのは訳無いからね。
ただ、そんな事を知らないティグルドは腕にしがみ付いたまま恐慌状態に陥り更に喚いたのだが、俺はそれを無視して氷槍を無数に飛ばして穴を穿つと、塞がる寸前には村内に飛び込んでいた。
無論、タイミングはギリギリだったし、若干の冷や汗も掻いた。俺は兎も角、一歩間違えばティグルドは焼き虎になっていたかもしれないのだから。
最も、俺も突入寸前にその事に気が付いたのだが、ティグルドなら焼けても大丈夫そうな気もしてたから、そこは言わぬが花なのかもしれない。
だって、ティグルドは気絶してたみたいだし、起こして蒸し返す事もないからな。
そして無事に地に足を着けた俺は怒声と共に忙しなく走り回る皆の中を、ティグルドを引き摺りながら悠然とした態度で歩を進めながら、内心では呆れていた。
あの程度で気絶するとか本当に騎士なのか? こいつは、と。
そんな中、一人の大鬼が俺の姿を見止めて動きを止めると、真剣な眼差しでこちらを眺めながら近付き声を掛けて来た。
「あの、一つ伺っても宜しいでしょうか?」
「ん? なに?」
大鬼の視線が俺の腕に向けられ、遠慮がちに疑問が投げ掛けられる。
「長が腕にぶら下げている人は……」
その声と表情に若干の哀れみが含まれる感じがしたので僅かに訝しんだものの、隠すほどの事でもないので素直に返す。
「ローザの兄貴だけど?」
「ローザ様の兄上様、ですか……」
それを聞いた大鬼は更に哀れみの表情を濃くして目を伏せ、微かに溜息を付いていた。
「それがどうかしたのか?」
確かに気絶したティグルドをぶら下げているのは奇妙に映るかもしれないが、何を哀れんでいるのだろうか? 一応、捕虜みたいなもんだし、別におかしい事ではないと思うんだけどな。
最も、この大鬼が何を哀れんでいるのか皆目見当の付かない俺は首を傾げるしかないのだが、その大鬼は更に近付き、声を潜めながら耳打ちをして来た。
「兄上様の名誉の為、早々に屋内には入られるが宜しいかと存じます」
「なんで?」
俺も釣られて声を潜めて聞き返す。
「――湯気が立ち上っております」
言われて大鬼の視線を辿り顔を向ければ、俺の腕にしっかりと縋り付いたまま恐怖に引き攣った顔で気絶しているティグルドの股間からは、ほわほわと何やら暖かげな蒸気が漏れ出していた。
しかも、鎧の隙間から黄色い液体が滴り落ち、地面には点々とした跡まで付いている始末。
うむ、ご忠告、痛み入る、じゃ無くて! この程度で漏らしてんじゃねえよ、ティグルドの阿呆がっ! しかも、地面に跡が残るとかどんだけ漏らしてんだよ! ったく、余計な気を使われちまったじゃねえかよ!
と、憤慨したのも束の間、直ぐに平静を装い、大鬼に頼み事をした。
「とりあえず俺はあそこの家に入るから、ローザに俺の着替え一式を持って急いで来る様に伝えてくれ。それとこの事は、他言無用だ」
「畏まりました」
恭しく一礼をすると大鬼は直ぐに駆け出して行き、俺は一番近い家の扉を開いて中に入る。
だがそこには、教授とウォルさんが真剣な表情で向かい合い、村周辺を描いた地図を机の上に広げて指を刺しながら何かを話し合っている姿があった。
それを見た俺は、一瞬にして悟った。
こりゃティグルド終わったわ、と。
そう、終わりだ。
何と言っても、股間からは未だに湯気が立ち上り、鎧の隙間からは液体が垂れていたのだから。
そして俺は、心の中で手を合わせた。
「おや? マサ――」
「これは、マサトさ――」
そして二人の言葉はそこで止まり、視線は湯気を立ち上らせたティグルドへと注がれる。
「他言無用だ」
一応、こんなのでも義理の兄なので俺が威圧を篭めて全力で睨み付けると、二人は若干仰け反りぎみになりながらも首を縦に振る。
よし、とりあえずこれで、と思ったのも束の間。
「今戻った斥候のはな――」
今さっき入ってきた扉が開きキリマルが姿を現すと、即行でティグルドに視線を突き刺して固まる。
「ハザマ様、そ奴は……」
「お前は何も見なかった。いいな?」
振り向きギラリ、と睨み付けてキリマルをビビらせて強制的に頷かせると、俺はティグルドを引き摺りながら、家の奥へと入って行くのだった。
ったく、世話焼かせるなよ! アホ義兄貴!
*
部屋の扉を閉めると、俺の腕を馬鹿力で掴んでいるティグルドを何とか引っぺがして床に放り出す。その際、ゴン、とかうい音が盛大に聞こえた気もするが、知った事ではない。
起きなかったしな!
俺はとりあえず椅子に腰掛けて一息付くと、この襲撃に付いては少し、腑に落ちない点が有る事に思い至った。
無論、こうなる事は予想はしていた、と言うか、城に居る時に話は聞いていたのだから、予想もなにも、確実に来る事は分かっていた。
ただ、思ったよりも早かった、というだけだ。
それよりも俺が解せないのは、一騎打ちに出て来たティグルドをいともあっさりと切り捨てた事だ。
あれ程の力を持つ者をむざむざ捨て駒にするなど、俺ならば絶対にしない。多少性格に問題があろうとも、それはそれで使い所が有るのだから。
それにティグルドが父上と呟いていた事から、指揮官はあの親父さんで間違いない事も想像が付く。
となると、益々分からなくなる。
確かに作戦行動に支障を来たす様な輩は軍に要らない事は俺にも分かるし、勝手に先走る奴が戦場で真っ先に死ぬ事も分かる。
そして、一騎打ちで負ける様な奴は味方の士気を下げる事も、容易に想像が付く。でもだからと言って、纏めて攻撃して来るとか、あの親父さんがそんな命令を出す筈が無い。
これには何か裏が有りそうだ、と思ったその時、ノックをする音が聞こえ、俺は思考の渦から意識を引き上げた。
「開いてるよ」
そしてゆっくりと開かれた扉の向こうには案の定、ローザが立っていた。
「あの、着替えを……」
遠慮がちに声を漏らすと、顔を伏せ気味におずおずとこちらを伺う様な表情で、ゆっくりと入って来るが、床に転がるティグルドを見た瞬間、手にした着替えを落として驚きで目を見開き、両手で口元を押さえ息を呑んでいた。
「……兄、上」
震える声で漸くそれだけを呟くと、俺に目線を向けて来るので苦笑を浮かべながら伝えてやった。
「気絶してるだけだよ」
すると、胸に手を当てて深々と安堵の吐息を吐き、落とした衣類を拾いながら口元を微かにほころばせる。
「良かった……」
俺は安堵するローザを見て、何となくだが次に飛び出す台詞の想像が付いた。
「でも、何故ここに兄上が?」
なので、今朝方の事を掻い摘んで話すと、一騎打ちの話には呆れていたものの、ティグルドが味方に攻撃されたと知るや否や、有り得ない、と言った表情で声を震わせながら蚊の鳴く様な声を漏らしていた。
「そんな……」
「だけど、事実だ。それに指揮を取ってるのはどうやら親父さんらしい」
「――!」
ローザは今度こそ絶句して、声も出なくなっていた。
最も、命は助かっているので今後どうするか、という事には成るが、今はティグルドの処遇よりもどうやって相手を追い返すかが問題だ。
そう言った訳もあり、世話はローザに任せる事にして、俺は教授達の居る部屋へ行こうとしたのだが、その前に伝える事があったので、振り向きざまにニヤケた顔でティグルドがお漏らしした事実を暴露してやった。その際の何ともいえない曖昧で微妙なローザの表情が傑作だった事は、言うまでも無い。
そして俺が最初の部屋へ足を踏み入れると、教授とウォルさんにキリマルの三人が机の上に広げた地図を睨み付けて、唸っていた。
「どうしたんだ? 難しい顔をして」
三人が一斉に顔を上げて俺の方を見ると目配せをし合った後頷き、ウォルさんが口を開いた。
「マサト様、非常に不味い状況ですよ、これは」
「不味い?」
「はい」
俺も地図を覗き込むと、その上には数字の書かれた木片が村を囲むように置いてあった。
ふむ、包囲されたのか。
そんな感想を抱きつつ、木片に書かれた数字の事を尋ねる。
「これって、相手の数か?」
「ええ、斥候からの情報を元にした敵の凡その規模です」
意外と抜け目無いな、と思うと同時に、あの防壁をどうやって抜けたのだろうと疑問に思いながらも、その事は口にしない。
教授に馬鹿にされるのが落ちだし。
「ここに陣取るのが、本隊?」
「だと思います」
俺が指差した木片には、四つ置いて有る中で一番大きい数字が書いてあった。
「これって、三千?」
だが、俺の予想とは裏腹に、教授の口から飛び出した答えは、
「いえ、三万です」
最初見た時は三百かな? と俺は思っていたのだが、それでは少な過ぎかと考えを改めてそう告げたのだが、険しい表情をした教授の口から飛び出した有り得ない数に、思わす素っ頓狂な声を上げてしまっていた。
「はあ?! 三万だあ?!」
だがそんな声を上げても、三人の険しい表情は崩れない。
「そ、それじゃあ、村を囲み込む様に置いてあるこの三つは……」
俺は三人の顔を眺めながら、嘘だろ? 目で問い掛けたのだが、
「嘘では無い。夫々一万ずつ展開しておる」
キリマルが憎々しげに吐き出していた。
おいおいおいおいおいっ! 全部で六万とか、多過ぎだっつーの!
「あっちはもしかして、俺達を殲滅する心算じゃないだろうな?!」
「もしかして、ではなく、確実に、でしょうね」
「ローリー殿の言うとおり、この規模ならこちらの殲滅以外は考えられません。しかも、魔装砲らしき物も大量に配備している、との報告もあります」
「それって、やばくね?」
「ですから先ほど非常に不味い、と言ったではないですか」
「して、どうするのだ。ウォルケウス殿」
「相手が殲滅目的であればこちらも応戦以外に道はないのですがそれは出来ませんし、流石の私もここまで不利な条件が揃うと……」
そして三人が意見を交わし始める中、俺は一人考え込む。
例え相手が六万だとしても、容赦なく叩きのめす事自体は不可能じゃない。
俺が空から魔法で空爆すると言う手も有るし、ミッシーを振り回してもいい。或いはウェスラお得意の範囲魔法をぶち込む、と言う方法も有る。囲まれたからと言って、俺達の有利が覆る事は無い。ただ戦うだけなのであれば、攻撃手段は無くなっていないどころか、寧ろ都合がいいくらいなのだから。
でも、ウォルさんが言うように、状況的に不利なのは否めない。
敵を殲滅してしまえばユセルフとガルムイ、両国間での大問題に発展するだろうし、そうなればユセルフは他の国からも信用を失ってしまう。
魔獣や魔物を操って侵略戦争を仕掛ける信用の置けない国、と。
だからと言ってこのまま大人しく殺られる、という選択肢だけは絶対に無い。
でも、今となっては村から逃げ出す事は出来ないし、ここまで大規模な軍を送り込んで来るくらいだから、こちらから交渉を持ち掛けても絶対に応じてはくれないと思う。
だけど、問題はそこじゃない。
何故こんな大軍を送り込んで来たのか、と言う事だ。
殲滅が目的ならば、この半分、もしくはそれ以下でも良い筈。
そこまで考えて俺はハッとして猛烈に嫌な予感に襲われ、椅子を蹴倒して立ち上がった。
刹那、入り口の扉が勢い良く開くと、額から大量の汗を流し酷く狼狽したコタマルが転びそうな勢いで飛び込んで来た。
「も、申し上げます! あ、アイシン様の魔法が、急速に衰え始めましたっ!」
その一言で俺は、苦虫を噛み潰した気分にさせられた。
遣られたっ!
「な、何っ?!」
「彼女の魔法がこんな早く衰える等、有り得ません!」
教授は叫ぶと真っ先に外へと飛び出し、俺達もその後に続いて外へ出て防壁を目の当たりにした瞬間、愕然とした。
だが、一番愕然としていたのは、ウェスラだったに違いない。
何故なら――、
「こんな事有り得ぬ! 有り得る筈が無い! 魔力の流出が変わらぬのに、何故魔法が解けていくのじゃ!」
そう叫んでいたからだ。
急速に衰えて行く防壁を愕然とした表情で皆が見詰める中、いち早く我に返ったのはキリマルだった。
「応戦準備をせよ! これが解けたら敵が雪崩れ込んで来るぞ! 一番から三番は正面へ! 四番、五番は後方へ! 六番は右方! 七番は左方へ展開! 残り三隊は広場に女子供集めて守れ!」
キリマルの叫びを遠くに聞きながら俺は、揺らぐ防壁から一瞬垣間見えた姿に、まだ考えが甘かった事を悟り、背筋を凍り付かせたのだった。
くそったれっ! そういう事かよっ!




