無節操に巻き込まれた哀れな狼
魔獣達に護衛されて森を抜けた後、我々は普通に街道を進んだのだが、あれだけ野盗が出没した国とは思えない程、カチェマ王都へと向かう道中は平和そのものだった。
これもマサト様のお陰だと思うと、騎士としての私は何とも遣る瀬無い気持ちになってしまったのだが、逆に個人的には非常に誇らしく感じていた。
これが義理の兄の実力の一旦だと思えば、こんなにも誇れる事は無いからだ。
ただし、この平穏を実現させた方法を口に出来ないのが、難点ではある。
最も、道中の間、微かに感じられる視線だけが煩わしい事この上ないが。
この視線を感じ取っているのは私を除けばローザ殿だけの様だが、何かを仕掛けてくる気配は無さそうなので、一先ずは無視していても問題は無さそうだった。
無論、王都に到着して王城へと出向いた時には、その気配も消えてはいたが、それは入る事が叶わないだけで、外へ出ればまた監視される事は、想像に堅くない。
ただ何と言うか、王都へ到着した時の我妻カレンのはしゃぎ様ときたら、それはもう顔を顰めて姑の様に小言を言いたくなるほど惨たらしいものだった。
ユセルフの騎士鎧を着込んだ者が、有ろう事か露天で買い食いをし、剰え、その両手一杯に紙袋を抱えていたのだから。
しかも! 私がどんな注意をしても上の空で、言った傍から露天に走って行く姿を見て呆気に取られた所に、皆から同情の視線を注がれてしまっては、最早騎士の矜持だけでは己が身を支える事さえ叶わないほど、脱力してしまった。
だが、カレンの暴挙はそこで止まる、という事をしなかったのだ。
王城で用向きを伝えた後、謁見の間に通され、カチェマ国王陛下と王妃様を前にして私が口上を述べようとした正にその時、
「貴女がアルちゃんのお姉さんね! 初めまして、あたしはカレン! 宜しくね!」
友にでも話し掛けるが如き言葉を吐いたのだ!
その場に集っていたカチェマの重鎮や騎士団の長達は一瞬呆気に取られた後、口々に「不敬である!」と騒ぎ始め、カレンは衛兵から槍を向けられてしまったのだが、これは当然の結果としか言えない。
だがしかし、カレン本人は不敬を働いた、等と言う意識は微塵も感じておらず、それどころか「何よ? やる気?」などと剣呑な事を口にして、剣を抜き応戦する構えを取ってしまったのだ。
本来、他国の王の御前で剣を抜くなど許されざる行為であり、問答無用でその場で斬られてもおかしくは無く、我等が恩赦を請う為に口を開く事すら許されない。
実際、何人かはカレンに斬り掛かろうとしていた寸前であったし、流石の私も目の前で切り捨てられる事を覚悟した程だった。
だがそれを止めたのは、
「貴女があのカレンさんですか。妹からの文で良いお友達が出来た、と嬉しそうに書かれておりましたので、私も会って見たかったのですが、こうして願いが叶うとは正に、神様がお導き下さったのですね」
王妃様のその一言だった。
お陰でその場に居た者全てが動きを止めカレンの命が助かったばかりか、嬉しげな微笑を投げ掛けて下さった王妃様には、どんなに感謝してもし切れるものではない。
しかも――、
「此度の件、我がカルバッゾ・ウル・カチェマの名に置いて不問と致す故、双方供、剣を納めよ。余はファルリシアの悲しむ顔は見とう無いでな」
笑顔で快くお許しして下さった国王陛下にも、感謝せねばならないであろう。
お陰で血を見る事も無く謁見は無事に終わり、確約も取り着ける事が出来た。
無論、無条件で、とまでは行かなかったが、マサト様の要求した事はほぼ全て叶える事が出来た、と言っても過言ではない。
そして一泊した後、直ぐに帰路に着いたのだが、予想していた通りに王都を出た瞬間から尾行と思われる気配が張り付いて来た。
しかも向かう先がガルムイと判明した途端、気配を隠そうともしなくなった事には、流石に苦笑を禁じえなかった。
最もその者達の気配から実力を察するに、部下と同等程度位にしか感じられず、随分と見縊られたものだな、と思ったのも確かだ。
しかし、だからと言って此方から仕掛ければ問題と成り兼ねない事も有り、用心をしつつも放って置く事にした。
向こうが先に手を出して来ればこの限りでは無いのだが、それは先ず有り得ないだろう。
数日間はそんな茶番とも言える駆け引きをしながら進んだが、あの森へ近付いた時、気配の動きが突如として変化したのだ。
無論、我等とて即座に警戒体制を取り襲撃に備えたのだが、それは有る意味必要無かった、と言える。
「ウォルおじちゃん、おっきい鳥さんがこっち来るよ?」
私の隣に座り、御者台から空を見上げていたライル君に告げられ仰ぎ見れば、十数羽にも及ぶ妖鳥の群れが円を描きながら降下して来ていた所だった。
しかも、その群れの中の数羽は先行して気配の元へと急降下していたのだから、尾行していた彼等は堪ったものではなかったに違いない。
だがそれは、我等も同じ。
ただ、一度遭遇しているが故に既に対処方法は分かっていたので、私は直ぐにあの時の事を思い出し、声を張り上げる。
「奴等の目を見るな!」
何故だか分からぬが奴等は男にだけ効く魔眼を持っているらしく、そのお陰であの時はこの私ですら前後不覚に陥ってしまった程だ。
ただ、そうは言ったものの、今度は目のやり場に困る。
奴等は確かに一瞬の見た目では鳥にしか見えない。
だがその顔は人間の女性では敵わないほどに美しく、その体は男の部分を刺激して止まぬ程の妖艶さだ。
それは我等男にとって、最強の武器足り得る。
特に未婚であれば尚の事。
現に二人の部下は腰が引けてしまっていて、最早戦闘では使い物に成らないだろう。
それに奴等は今はまだ、剣が届かぬ空を飛んでいる。それ故、流石の私でも攻撃を届かせる事が出来ない。
だからと言って、魔法を下手に撃つ訳にも行かない。
無論、アイシン様やカレンであれば広範囲に魔法を放つ事が出来るだろうが、一撃で殲滅出来なければ返って怒りを誘い、こちらが危険に晒されるだけになる。
ならばここは、ライル君の魔方陣で防御を完璧にしつつ、アイシン様とカレンの魔法で確実に叩き落す手が最善であろうと、判断した。
そして、頼もうと顔を向けた時、
「あっ! エリーちゃんだ!」
叫ぶと同時にライル君は立ち上がり、空へ向かって両手を大きく降りながら「エリーちゃーん! こっちー」と声を張り上げ始めてしまい、私は呆気に取られてしまった。
そしてその目線を追い掛けて私も顔を上へと向けると、一羽だけ凄まじいまでの勢いで此方に迫って来るのが目に飛び込んで来た。
「――は?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
それは急降下、と言うより最早、落下している、と言った方が良い速さだったからだ。
瞬きする間にその姿が視認出来る高さまで来ると突如として土埃が舞い上がり、それを避ける為私は咄嗟に腕を眼前に上げて顔を守り、目に埃が入らない様に瞑った。
時間にすればほんの僅かと言えど、目を瞑る、という行為は戦いの場に置いて最も遣ってはいけない行為だ。
何故ならば攻撃が見えないだけではなく、相手の姿すら見失い、己の敗北――云わば死を意味するからだ。
だがそれ以上に不味い事は、砂塵などが目に入り開けていられなくなる事。
そうなれば最早盲目と言っても差し支えなくなり、余程の達人でもなければ戦う事など間々成らず、後は迫り来る死に怯え、闇雲に剣を振る事しか出来なくなってしまう。
そしてこの場合は目を瞑り一瞬見えなくなる事よりも、盲目になってしまう方が遥かに不味い。相手の動きが速過ぎるが故に。
最も、土埃が収まるのを見計らい瞼を開けた瞬間、この場合は盲目の方が良かったかもしれない、と思ってしまう程、妖鳥の姿は美しかった。
淡い空色の長い髪と晴天の空を填め込んだかの如く澄み渡る瞳。整った鼻梁は主張し過ぎない程度の高さを持ち、唇は少女の様な薄紅色でふっくらとしていた。そんな神の手に因って作られたとしか思えない整った顔立ちの下には、美の女神が持てる技能を全て注ぎ込んだかの如き曲線を描き、本来腕の有る場所には純白の翼が折り畳まれている。
そして極め付けが鱗に覆われた足だ。しかも足先には鋭い鉤爪が付いており、あれならば鎧すら引き裂けそうだ。
だがそんな異形であるにも拘らず不覚にも私は、それを神々しいと思ってしまった。
「小さいマサト。大きいマサト、どこ?」
容姿に違わぬ美しい声で私は我に返る。と、同時にこの身を貫かんばかりの視線を感じてそれを辿れば、今まで見た事も無い最高の微笑と全てを焼き尽くす紅蓮の劫火の様な瞳を見止めて、掻きたくも無い汗が大量に流れ始めた。
ま、不味い! これは不味過ぎる! 何か言い訳をせねば我が命は無い!
慌てて口を開こうとした瞬間、先にカレンの口が開いてしまった。
「――打っ飛ばしていい? ってか、いいわよね? と言うより、あんた! 何見蕩れてんのよっ! それとも何?! あたしよりもアレがいいっての?! アレがっ! へー、ふーん、そーなんだー。もうこれはあれよね、離婚しかないわよね。そんでもって慰謝料もらってあたしは一生豪遊してやるっ! 帰ったら覚悟しときなさいっ! 王様とアルちゃんに言い付けてやるんだからっ!」
言い訳もさせて貰えず一気呵成にまくし立てられ、私は茫然としてしまった。
我が人生、これにて終焉と成りにけり……。
*
カレンがとんでもない事をほざきよったお陰で、ウォルは人生に疲れ燃え尽きてしまった様な精気の抜けきった表情と死んだ魚の様な瞳で、虚空をただ只管に見詰めておった。
しかも微かに乾いた笑いをも漏らしておるのだから、今しばらくは此方に戻って来ぬであろう。
それもこれも皆、カレンの所為なのじゃが、まったく持って罪な事をしたものよ。
こんなウォルを見たのはワシも初めてじゃぞ。
ウォルの姿とそれに驚くワシ等を他所に、ライル坊とエリーの遣り取りは続いておった。
「撲しかいないよー」
「小さいマサト、だけ? 大きいマサト、居ない?」
ライル坊の事を、小さいマサト、と呼ぶのは容姿が似ておる故、言い得て妙じゃが、まさか妖鳥が人語を話すとは思いも余らなんだ。
「うん、おとーさんはちがうとこー」
「大きいマサト、居ない。エリザベス、寂しい……」
こ、こやつ! マサトに懐いておるのか!
「僕もおとーさんが居ないのは寂しいけど、エリーちゃんと会えたから今は寂しくない!」
「それ、本当か?」
「うん! だから、いっしょにいこ」
「エリザベス、一緒して、いいのか?」
良くは無いと思うのじゃが……。
「うん! いいよね? ウォルおじちゃん」
「ああ……」
ウォルの奴、反射的に許可してしもうたぞ。これはちと、不味いの。
「ちょ、ちょっとウォル! あんた――」
やはり、とワシが思った瞬間、ライル坊の顔が悲しそうに歪んでしもうた。
「だめなの? カレンおねーちゃん……」
「う……」
「諦めよカレン。今のウォルに何を言っても無駄じゃし、ライルにその顔をされたらワシ等は誰も勝てぬ」
我が家ではライル坊にこの顔をされたら誰一人、敵わぬからの。
「ですねえ。それに――、そこの鳥さんが黙って無いでしょうし」
「そうですわね。これは流石の私でも駄目とは言えませんわ。それに、マサト様絡みの様ですし、ここは諦めが肝心ですわね」
ほほう、ナシアスが分かって居るとは、少々驚きじゃ。
「で、でも!」
「う――、ひっく……」
「わー! な、泣かないで!」
ここは下手に係わらぬ方が良いの。火の粉が飛んで来てしまうからのう。
「ワシはもう知らぬ」
「では、わたしも同じ、という事で」
「では私も知らない、と言う事に致しましょう」
「「わ、私達も……」」
ほう、皆ワシに同調しよるとは、流石は機微に長けておる連中じゃの。
「に、逃げるなんて卑怯よ!」
ワシ等は逃げてなど居らぬ、距離を取っただけじゃ。それに、自身で撒いた種を自身で刈り取るは常識じゃしな。
「ひっく――、うう――、えぐ……」
む? 決壊が早い様な気がするのじゃが、もしやこれは……。
いや、この場はそれでも良いか。カレンを教育するには打って付けじゃしの。
「ほれ、早く何とかせんと、あれに襲われるぞ」
ワシが目線を送ればそこには、眉尻を吊り上げ羽を広げて此方を威嚇する、エリーの姿。
「威嚇してますねえ」
「私達は無関係ですわよ?」
「もう! お姉さん達の薄情者!」
薄情で結構じゃ。余計な火の粉なぞ被る心算はないからの。
「小さいマサト、泣かせた。お前、敵」
「ちょ、ちょっと! そんなに睨まなくてもいいでしょ!」
「エリザベス、敵、倒す」
言うが早いかエリーは一瞬の羽ばたきでカレンに肉薄すると、翼を打ち下ろし始めたのじゃ。
しかし、骨は大丈夫なのじゃろうか? 確か、鳥の骨は脆い、と聞いた覚えがあるのじゃが……。
「や、やめ――、いたっ! 痛いってば! 羽で叩かな――あぶなっ! 爪は反則――、って言った傍からまたっ! ちょ、ちょっと、ウォル、これ、何とか、してっ!」
こやつ……、自分が何をしたか分かって居らんのか……。
「頼むだけ無駄じゃぞ、カレン」
ワシは溜息を吐きつつ、そう告げる。
「な、何で――くっ! は、速いっ!」
言うだけ言って状況も見ておらぬとは、まったく、救い様の無い奴じゃのう。仕方ない、説明してやるとするかの。
「お主が先ほど離縁をすると口にしたからじゃよ。しかもアルシェと王にも言うのじゃろ? そうなればウォルの人生なぞ最早、終わったも同然じゃからの」
「何で、あたしがっ、離婚を、口にした、だけでっ、おわ――終わる、のよっ!」
カレンが余りにも戯け過ぎて、ワシは最早、何を言うべきか分からなくなってしもうた。
本当に何も分かっておらんのじゃなあ……。こういう時、マサトは何と言っておったかのう? 確か、終わった、じゃったか?
「カレンさん、もしかして自分の居た場所の常識で考えてません?」
「それがどう――」
「やっぱり……」
「カレンさんの常識が何処の物かは存じませんが、デュナルモの常識では、妻から離縁をされた男性は社会的な信用を全て失いますから、未来は有りませんのよ? 分かってらして?」
うむ、丁寧に説明してくれて、二人とも感謝するぞ。
「え?! それっ――」
「つまりじゃ、おぬしは、ウォルの人生をここで終わらせたのじゃよ。しかも、ワシ等の居る前で宣言したのじゃから、決定的じゃ。まあ、おぬしはマサトの妹じゃしい、ワシ等とて堅物では無いしい、今すぐに撤回すれば聞かなかった事にしても良いのじゃがのう?」
これ、本音じゃぞ? まあ、半分ふざけた物言いじゃったがの。
「じゃ――、くっ! や、やばっ! えい! これでっ! もう! 躱さないでよっ!」
何だか随分と白熱しておるが、此処は一つ、助言をした方が良いかも知れぬ。カレンが傷付けばマサトが悲しむしの。
「ウォルに頼むよりも、もっと簡単にそれを止める方法があるのじゃが――」
「え?! ほ、ほん――、このっ!」
「聞くか?」
「うん! ていっ! ああ、もう! 何で当たらないのよ!」
当たらぬのは当然じゃ。エリーは風魔法を上手く操っておるしの。
「は、早く! くっ! やばっ! そろそろ――、限界、かもっ!」
余り時間が無い様じゃな。
「許可すれば良いのじゃよ」
「きょ、許可?!」
「そうじゃ、エリーの同行を許可すれば良いのじゃ。そうすれば、ライルが止めてくれる筈じゃ」
「わ、分かった、わよ! 許可すれば――、いいんでしょ、許可すれば!」
これで言質は取れたから、後はライル坊に伝えるだけじゃな。
「ライルよ、カレンがエリーの同行を認めてくれたぞ」
ワシはシクシクと泣いておるライル坊に伝える。
すると、顔を俯けたまま、
「ほんと?」
ふむ、この感じ、やはりあれじゃな。
「うむ、本当じゃ。なあ、そうじゃよな、カレン」
今だ奮戦するカレンに言葉を投げ掛けた。
「いい、からっ! は、早く――これ、止め、てっ!」
「ちゃんと口にせねば伝わるものも伝わらぬぞ」
まあ、これはマサトの受け売りじゃがな。
「一緒に、行って――いい、からっ! 反対――しない、からっ! は、早く――とめてえええええ!」
これで、問題は解決じゃな。
しかし、ライル坊も遣りおる様になったものじゃのう。一体、誰に似たのじゃろう?
まあ、それはさて置き、後はマサトに問い詰めるだけじゃし、どんな言い訳が飛び出すやら今から楽しみじゃの。
ワシは口元を歪めてほくそ笑むのじゃった。
また無節操に登場人物(?)を増やしてしまった……。




