子供拾いました
このガルムイという国は私達に取って、天国の様な場所、と言えるでしょう。
その理由として一番に上げられる事が、昨今の森事情です。
大山脈に沿って広がる深く広大な森林地帯は兎も角、平野部に有る森の場合、周辺は人の手が加わりある程度開墾されている為に、私達が身を隠す事に適した場所も少なくなっているのが、大きな理由です。
ですがこの国は他国に比べると森林の割合が多く、しかもその殆どが手付かずで残されているお陰で、身を隠す場所に困らないのです。
無論、街や村の近くの森はその限りではありません。
ですが、人里離れた森を通る街道等は、これは本当に道なのだろうか、と首を傾げたくなる程未整備に近い状態なので、何か裏が有るのではないか、と勘繰ってしまった程でした。
まあ、馬車の轍跡はあるので、それは無いと思いますがね。
そして物は試しにと、司令塔役の三頭犬を一匹に、後方支援のアラクネとその番の大鬼を二組、主戦力として大鬼十人に補佐役の黒妖犬三十匹を一つの集団として襲撃させた所、拍子抜けするほど簡単に荷を奪えてしまったのです。
この光景を隠れて見ていた私達は余りの呆気なさに、しばし放心した程でした。
ただ、この編成では過剰戦力気味の様な気もしたので組み合わせを変えながら三日ほど検証した結果、三頭犬は一匹増の二匹に、アラクネとその番は一組に減らし、減らした者達の代わりに一匹のアラクネを加え、そして、大鬼一人に付き補佐役の黒妖犬は二匹として五人と十匹に減らし、合計二十人の構成が一番楽しめると判明致しました。
検証を終えた私達は早速編成をし直し、ガルムイ各地へと派遣して本格的に活動を開始したのでした。
その後、順調に成果が出たのは良いのですが、予想以上の物資が私達の元へと運び込まれ、保管場所も無い今の状態では、森の中に集めた品が溢れ返る、と言った非常に不味い事になってしまったので、食糧は自分達で消費し、他の品は私の知る闇ルートで捌いて貨幣に換えてしまいました。
品物で持つよりも貨幣の方が融通が利きますからね。
勿論、人の社会の中だけで、ですけど。
そのお陰で誰一人として飢える事も無く、マサト殿に渡す資産も順調に増える好循環が生まれたのですが、私は奇妙な事に気が付きました。
それはある部隊からの物資の搬入と報告に来る時だけ、黒妖犬が森で獣族の子供を見掛ける事でした。
森の中に子供が居る事自体、別段不思議な事ではありません。
薬草を取る、食用の野草を取るなど、子供でも出来る事はありますから。
しかし、黒妖犬が物資を運ぶのは夜。
その夜に子供を見掛ける等、本来なら有り得ない事なのです。
夜行性の野生動物は凶暴な者が多いですし、人の子など恰好の餌でしかありません。なのに夜の森に居るとは、これほど奇妙な事はありませんでした。
私は直ぐにレジンを呼び寄せ、黒妖犬に案内させて見張らせる事にしました。
こういった事は子供姿に成れるレジンが適任ですし、もしもの時も一人で切り抜けられる実力が有りますからね。
しかも本人もそれを自覚しているのか、不満も漏らさず職務に着いてくれるのですから、説得する手間も掛かりません。
私にとってレジンは差し詰め、信頼の置ける腹心の部下、と言った所ですね。
「ローリー殿、本当にレジン殿一人に任せても良いのか?」
黒妖犬の先導で走り出したレジンを見送った後、キリマル殿が不安を覗かせていたので、私はきっぱりと告げました。
「問題はありません。私が知る限り、レジン程人に怪しまれず村や街の中に入り込む事が出来る魔獣は居ません。それに、子供と戯れる事に掛けては超の付く一流です。しかも私が魔法の指導をしたのですから、商隊を襲わせている部隊と戦ってもまず、負ける事はありません」
レジンは半分、私の後継者の様なものなのですから。
「それは分かるが……」
この方は一体何を心配しているのでしょう?
私が怪訝な表情を取ると、キリマル殿は心情を吐露してくれました。
「我が心配なのは見張っている間にその子供が襲われはしないか、という事なのだ」
なるほど、そういう事でしたか。
「キリマル殿の心配は杞憂に終わる筈です。レジンでしたらたぶん、子供の傍に付き添うでしょうからね」
私は見張りをする事、と伝えただけで、近付くなとは言ってませんし、子供姿のレジンは野生動物から見ても十分餌の資格がありますから、この場合は寧ろ子供と一緒に居た方が返って安全で見張り易い筈ですからね。
「だがそれでは見張りとは呼べぬではないか」
これは物の見方の違いなのでしょうねえ。
「見張りですよ。子供の傍に居る事だけが違いますが、その動向を備に見るのですから。これを見張りと言わずして、何と言うのです」
「それは方便であろう? 我から見れば護衛にしか見えぬ」
「半分はそうかも知れません。あれは子供好きですから」
「なれば何故――!」
勢い込むキリマル殿を手で制して、私は口元を吊り上げました。
「私には考えが有るからですよ」
今ここで口にはしませんけどね。
「その顔は何か悪巧みを考えて居る者の顔だぞ」
キリマル殿は苦笑を浮かべてしまいましたが、私の考えを聞こうとはしませんでした。
まあ、悪巧み、と言えばそうかもしれませんが、今の私達にとっては非常に良い事だと思いますけどね。
そしてレジンを送り出してから四日ほど経った昼頃、その本人が子供姿のままひょっこりと現れました。
しかも、人の子を二人も連れて。
これには流石の私でも唖然としてしまった程ですが、他の者達はもっと驚いていました。
ただ、キリマル殿だけはそれを見て何度も頷き「良く遣った」と呟いていましたが。
このお馬鹿さんは何を考えているのでしょうねえ。これは良く遣ったで済ませる事ではないですよ。
「が、ガウちゃん……」
私達を目にした子供達は恐怖で身を寄せ合いながら震えて縮こまって居ますが、ガウちゃんとは一体誰の事なのでしょうか?
『ガウガウ!』
ああなるほど、レジンの事ですか。
そのレジンですが、二人に寄り添い励ます様な感じでしきりに顔を擦り付けては、こちらを伺う素振りを見せています。ですが、子供達はただ震えるばかりで何も言おうとしません。
私に念話を送れば良いものを、何まだるっこしい事をしているのですか、あれは。
ここは私から話し掛けるしかないようなので、溜息を付きつつも笑顔を作り、子供達に声を掛けようと一歩踏み出した途端、彼等は小さな悲鳴を上げて座り込んでしまいました。
何故怖がるのでしょうか。脅すような素振りは見せて居ない筈ですが……。
彼等の行動に僅かに首を傾げはしたものの、更に一歩踏み出すと、子供達は恐怖に引き攣った顔で後退りを始めてしまいました。
おかしいですねえ。一応、笑顔を向けている筈なのですが……。これは幾ら私でも少々傷付いてしまいますよ。
「ローリー様、お顔が怖いです」
「ユキの言うとおりです。ローリー様のそれは邪悪に見えます」
「私はこれでも微笑んでいる心算なのですが?」
そうですよ、優しく微笑んでいるのですよ。
「ローリー様、僭越ながら俺からも一言言わせて頂きます」
その声に顔を向ければ、そこにはシュラマルが立っておりました。
何時の間に、とは思いましたが、シュラマルは何時もこうなのを思い出し自分を納得させていると、徐に告げてきました。
「マサト様やライル殿下と比べてしまうとローリー様のそれは、笑顔には程遠い、と言わざるを得ません。もっとこう、楽しげなお顔は出来ない物でしょうか?」
そしてシュラマルが浮かべた壮絶な笑顔を見て、終に子供達が泣き出してしまいました。
そんな二人にユキとミズキ殿は慌てて駆け寄ると、腕の中に抱き寄せて背中を軽く叩きながら、私達を睨み付けてきました。
「何ですか、その目は。私達が何か悪い事でもしたというのですか」
憮然とした表情で告げると、即答するかの様に大きく首肯され、
「「邪魔ですからあっちへ行ってください」」
同じ台詞を同時に吐かれてしまいました。
シュラマルは項垂れて肩を落とし、私は納得がいかないまま渋々と従い、その場を離れました。
数メルほど離れてから彼等の方へ向き直ると肩に手を置かれ、
「ここはあの二人に任せる方が良かろう。幼き子は男より女の方が安心出来るでな」
柔和な眼差しを彼等に注ぐキリマル殿に言われてしまいました。
「しかし、事情を――」
「直接聞く必要は有るまい?」
私の言葉を遮りながらキリマル殿は顎をしゃくりました。
「それも、そうですね」
同じ方向に目線を飛ばすと、私もそれに首肯します。
その先には、こちらへと歩いてくるレジンの姿がありました。
「それにだ、流石の貴殿でも、子供相手では分が悪い様であるしな」
口角を吊り上げたキリマル殿に、面白そうな声音を向けられてしまったのです。
これには反論しない訳にはまいりません。
「その言葉、そっくりそのまま返させて頂きます」
「ほう」
業とらしく目を見開いて驚く振りをしていますが、私は騙されません。
「シュラマルが笑った瞬間に子供達が泣き出してしまいましたから、私よりも貴方達の方が笑顔が邪悪のようですしね」
一瞬呆気に取られた顔をすると、キリマル殿は肩を震わせながら押し殺した笑いを漏らし始め、終いには声を上げて大笑して、
「――いや、参った! これは一本取られた!」
楽しそうな声音を漏らしたのですから、この方も大概です。
最も、私とこんな風に会話が出来る者はそうそう居ませんから、キリマル殿は良い相棒と言えるかもしれません。
「しかし、そうなるとこれは益々――」
「ん? どうしたのだ、ローリー殿?」
おっと、呟きが聞こえてしまいましたか。
「いえ、何でも有りません」
内心を隠し澄ました顔で告げます。
「そうか」
何とも物分りの良い方で助かりますね。
「さて、事情でも聞きますか」
「そうであるな。訳を聞かねばな」
私達の足元に座るレジンに、視線を向けました。
――単刀直入に聞きますが、何故連れて来たのです?
――そうであるぞ、レジン殿。我等の元へ連れて来れば、怯える事くらい分かって居ったであろうに。
キリマル殿の言うとおり、レジンが分からない訳有りません。それが分かっていながら遭えて連れて来た、という事は何か理由が有る筈なのです。
私達の念話を受け取ったレジンは、あからさまな嫌悪の表情を見せていました。
珍しいですね、レジンがこんな表情をするとは。
私達は顔を見合わせ、これは何か有る、と思い頷き合い真剣な表情を向けます。そして、レジンから聞かされた事には、憤りを感じざるを得なかったのです。
それは、あの子供達の境遇でした。
森に居た理由を簡単に言えば、両親が憲兵に捕まった所為で村から追い出されてしまったから、という事でした。しかしその一方で、両親は何も悪い事はしていない、と子供達は頻りに言っていたそうです。
村から追い出された子供が生きていける程、世の中は甘くありません。
ではどうやって生きていたのかというと、夜間に村へと忍び込み、ゴミを漁って食べられる物を見付けて食い繋いでいた、と言う事でした。
これだけでも驚きを通り越して不憫で成らないと思った程なのですが、次に聞いた話は、流石の私達でさえ顔を顰め憤りを露にした程でした。
それは、接触初日にそれに初めて着いていったレジンの目の前で、子供達は夜間の巡回をしていた大人に見付かり、生きているのが不思議な程の暴行を受けて村の外へと放り出されてしまった事です。
私達は子供達に憐憫の情が湧くと同時に、暴行を加えた者達への激しい怒りできつく拳を握り締めて、歯軋りまでしてしまっていました。
話を聞かされた私達でさえこうなのですから、それを目の前で見てしまったレジンは、さぞ腸が煮えくり返る思いだった事くらい、容易に想像が出来ます。
人の子が好きですからね、レジンは。
そして直ぐに元の姿に戻り子供達を銜えて森へ運び、黒妖犬を呼び寄せて近くの部隊から回復薬を持って来させて飲ませたそうです。
無論、レジンは回復薬の蓋を開けたりは出来ませんが、黒妖犬から報告を受けた部隊から大鬼が一人来てくれたお陰で、無事に助ける事が出来た、という事でした。
その後、子供達が完全に回復するまでの間、悩みに悩んだ末、ここに連れて来る決心をしたという事でした。
――申し訳ございません。我の勝手な判断で子供達を連れて来てしまって……。しかし! 一つだけお願いが御座います!
「駄目です」
私はそれを聞きもせず、即座に却下しました。
勿論、レジンは親の敵でも見る様な目で、私を睨み付けます。
ですが、それでも許可出来ない理由があるのです。
「許可するしないは兎も角、貴殿には言わせたくない理由でもあるのか?」
キリマル殿の言に私は頷き、そして、静かに口を開きました。
「レジンの言いたい事は、ある程度想像が付きます」
「ならば――」
キリマル殿を手で制し、続きを口にしました。
「貴方はたぶん、彼等に成り代わって復讐をする、と言いたいのでしょう?」
レジンの首が縦に振られました。
「ですが、貴方がそれをやって、人が死なない保証はありますか?」
これは私にも言える事なのですが、元の姿は全力を発揮するには最適なのですが、細かい制御には少々難があります。
言い換えれば、力の制御がし難い体なのです。
それこそ極端に言えば、全力かそうでないか、といった具合になってしまうのです。
ですから普段から私は人の姿で、レジンは子供の姿で居るのです。
それは人と上手く遣って行く為の、私達なりの配慮とも言えます。
最も、元の姿でも細心の注意を払えば問題が有る訳ではありません。しかし、感情が高ぶった時――特に怒り――は、絶対、と言っていいほど制御が利かなくなってしまう筈なのです。
もしそれが分かっていて尚、成り代わる、と言うのであれば、私は止めねばなりません。
私はそんな事を思いながらレジンの目を見詰め、答えを待っていました。
――無い、と言うより、初めから殺す心算だ。
小さな溜息を付き、私は目を細めました。
やはり、と言うよりも、想像していた以上にレジンの怒りが大きかったからです。
――あの子等は我が居なければ確実に死んで居ただろう、それこそ襤褸布の様にな。だが、我はあの場に居た、運命に導かれるが如く。確かにこれはローリー、貴様の采配の所為やも知れぬが、それすらも運命が我を導いた事に変わりはない。そして、あの子等と我は友となったのだ。その友を殺され掛けて復讐を果たさぬなど、北地の王とまで呼ばれた我の沽券に関わる。故に我は行く。あの村の者全てを根絶やしにする為に。さらばだ、我が友であり師である、三頭犬の王よ。
元の姿に戻り私達に背を向けて、レジンは歩き出してしまいました。
「止めなくとも良いのか?」
険しい表情でキリマル殿が声を掛けて来ましたが、私は首を振る事しか出来ませんでした。
何故なら、レジンを止めようとすれば、全力で戦わなければ成らなかったからです。それに、あの者の決意は、念話を通して伝わって来ていたのですから。
邪魔する者は例え私でも容赦しない、と。
「貴殿が止めぬならば我が――」
キリマル殿が動き出そうとしたその時でした。
「ガウちゃん、何処行くの?!」
「いっちゃやだ!」
驚いた事に元の姿に戻ったレジンを子供達は恐れず、逆にその足に縋り付いて動きを止めさせたのです。
しかし、何故あの子等は、レジンの元の姿を知っているのでしょうか。もし見たとすれば――。
そんな風に思っていると、更なる驚きで私は目を見開き、先ほど思った事等、何処かへと消えてしまいました。
「コン、マム、離れ、るの、だ」
「やだ!」
「いやっ!」
「我、は、これよ、り、お主達に、代わ、り、仕返し、に行くのだ。だから――」
「そんなことしたら、ガウちゃんが殺されちゃうよ!」
「我は、大丈、夫、だ」
「お父さんも同じ事言って居なくなっちゃったもん! だからっ!」
「ガウちゃんとはなれるの、やっ!」
子供達は必死にレジンを引き止めています。
そしてレジンもそんな子供達に困惑して動きを止めていました。
そこにユキとミズキ殿が近寄り、子供達を愛おしそうに撫でながら口を開きました。
「レジンさんは、この子達の事が大切ですか?」
「無論、だ」
「でしたら何故、行ってしまわれるのです」
「そ、れは、二人に、成り、代わり、仕返――」
「この子達が望みもしないのに?」
ミズキ殿が視線の槍を飛ばし、
「悲しませても?」
ユキが悲歎の瞳を投げ掛けました。
「わ、れは……」
二人に見詰められたレジンは口篭り、何も言えなくなってしまいました。
そんな彼等の元へキリマル殿はそっと近寄り、声を掛けます。
「この子等を思う貴殿の気持ち、痛いほど分かる。だが、マサト殿やライル殿下が仕返しの話を聞いたらどう思うか、考えたか? マサト殿は共存を望み、殿下もそれを臨んでおる。それを身内の者が壊したとすれば、どの様な思いに成るか、分からぬ貴殿ではあるまい? それに、この子等はそれを臨んでは居らず、貴殿と供に居る事を懇願しておる。その思いを踏み躙ってまで行かねば成らぬほど、貴殿の怒りは強いのか?」
「そ、れは……」
「ならばここはローリー殿に全てを任せようではないか。妙案が有る様だしな」
ニヤリ、と口元を歪めて私に話を振って来ました。
やれやれ、この方はどうしてこう、私の事を見透かすのでしょうね。
苦笑いを浮かべながら私は、レジンの元へと歩を進めるのでした。




