守られました
俺は今、睨み合っていた。
と言うと、喧嘩とか試合とかと思われるかもしれないが、それとは全く違う。
何故か少女と睨み合いをしているのだ。
実の所、こうなった経緯には訳がある。
王城に連行されて直ぐに謁見の間? らしき所へ連れて行かれ、王様の前に出された。
そして何故ガルムイへ訪れたのかを聞かれ、貰った手紙を見せた途端、王様の方眉がピクリ、と跳ね上がり瞳を動かしたと思ったら、親父さんとは別の騎士二人に両脇を抱えられ、丁寧に引っ立てられて訳が分からないまま牢屋へご招待、と相成った。
そして今、少女との睨み合いに興じている。
とまあ、こういう訳だ。
たぶん、これだけではまだ分からないだろうから、この牢に入れられた後の話もしようと思う。
招待を受けた牢屋は鉄格子が嵌っている以外は物凄く豪華な部屋だった。しかもその鉄格子の内側にはカーテンが吊るされていて、簡易的に外界をシャットアウト出来る様になっており、余りの珍しさに俺はあちこちを見て回った。
この牢、広さが三十畳くらいは優にあり、その中央には天蓋付きの巨大なベッド――大人が四人くらい楽に寝られる――が置かれ、ふっかふかの布団が敷かれている。更にその上に目を向ければ、金銀宝石を贅沢なまでに使った豪奢なシャンデリア。
そんな物がぶら下がるくらいだから、天井も馬鹿みたいに高く、まるでダンスホールか、と見紛うばかりだ。
壁際には全身を映しても尚余る大きな姿身に、これまた常識外れの大きさの衣装箪笥。
また別の所へ目を向ければ、何処かの匠が作り上げたとしか思えないような意匠を凝らした椅子と文机。
そしてその上には羽ペンにインク壷と、驚いた事に羊皮紙ではなく紙の束があった。
姿見の反対側には石壁で仕切られ扉の付いた完全個室のトイレ。
更にその隣には衝立で仕切られ、湯浴みが出来る様にバスタブが置いてあった。
しかも、少女付きで。
キラキラと輝く金色の髪に琥珀色の瞳を嵌め込んだ円らで大きな目、小ぶりな鼻と薄桜色の小さな唇。
そして――。
首から下はバスタブの中で、その事には安堵した。
誰だ? 今舌打ちした奴。
とまあ、とても愛らしい少女が入浴中で、それを見た俺は固まり、その少女は直ぐに俺に気が付き、くりっくりの琥珀色の瞳で凝視して来た。
で、冒頭の睨み合いになった、という訳だ。
流石にその気は無いが、幾ら何でもこれは不味過ぎる。
こんな場面を目撃でもされた日には、俺の人生からロリコンの四文字が消える事はないだろう。
こ、ここはとりあえず、ま、回れ右を……。
くるりと回って背を向けて何度か深呼吸して、さあ行くぞ、と足を踏み出そうとした瞬間、コートの裾が引っ張られ、条件反射、とも言うべき淀みない動きでつい、そちらに目を向けてしまった。
そこには、全身から水を滴らせた裸の少女が片手で俺のコートを掴み、もう片方の手でバスタオルを差し出していた。
えーっと……。
俺は頭の中が真っ白になり再び固まる。が、強くコートを引かれた所為で直ぐに我に返ると、バスタオルが手に押し付けられ握らされた。
その事に眉根に皺を寄せて困惑を浮かべながらバスタオルに目を落としていると、少女は誰かの体でも拭くような仕草を見せて、自分と俺を交互に指差す。
そして俺も自分と少女を指差してから、バスタオルを握らされた手を動かすと、コクンと縦に首が振られた。
どうやら俺に体を拭け、と言っている様だ。
「俺が君を拭くのか?」
一応、声に出して聞いてみたが、少女は首を傾げて不思議そうな表情をしている。
なので、少し大きな声で繰り返してみたのだが、更に首を傾げるだけだったので、これはもしや、と思い、ジェスチャーで耳が聞こえないのか? と尋ねて見たら、案の定首が縦に振られた。
溜息を付きたくなったが言葉でのコミュニケーションは早々に諦め、少女の示した通りに体を拭き始める。
小さな女の子の体を拭くのは初めてなので少々緊張はしたが、嫌な顔をされる事無く拭き終えると、安堵の溜息を漏らす。
最も、誰かに見られたら色々と問題がある光景だったので、何事も無く無事に終わってホッとした、と言うのが溜息の中身だったりもする。
しかし、俺の試練はそれで終わりではなかった。
少女はそのままトコトコと籐製の籠らしき物の場所まで行くと、一枚の布を摘み上げて俺に振り向く。
「ま、さか――」
少女の首はまた、縦に揺れる。
その動作を見た俺は口を突いて更に声が出そうになったが、この少女相手に言葉のコミュニケーションほど役立たずな物は無い事を思い出し、声の変わりに諦めの溜息を零していた。
「はあ……」
序でに顔にも諦めを載せて少女の傍まで行くと、その布を受け取り身に着ける手伝いをする。
そして可愛らしい洋服を着せる段階に入った時、鉄格子が勢い良く開かれる音と共に、慌てた声音が飛び込んで来た。
「お、遅くなりまして、も、申し訳ございま、せ、ん?」
音と声に釣られて振り向くと、立派な耳を生やしたメイドさんが目をまん丸にしてこちらを凝視している。
あれは猫耳、だろうか?
尻尾があればもっと良く分かるのだが、こっちの世界が中途半端にファンタジーしている所為なのと、獣族は種族が多過ぎる合わせ業のお陰で、俺には今一良く分からない。
俺を目にしたメイドさんは驚いて固まっている様だが、俺はこの少女に服を早く着せてしまいたい。
でも何故か目が離せず、俺も彼女をずっと注視していた。
ただ、何となく嫌な予感がする。
だって、こういう場面って誤解されるのがお決まりのパターンだし。
なんて事を俺が思っていると、メイドさんはハッとなり、再起動を果たした。
「く、曲者っ?!」
慌てた様子で叫ぶと同時に彼女が僅かに腰を落として膝丈のスカートを派手に捲くり上げたのを見て、俺は思わず「おおっ!」と声を上げてしまった。
足元から太もも半ばまでは肌の色が分かる程度の薄さの白いストッキングで覆われ、その先はベルトが繋がり上に向かって伸ばされ、スカートという秘密のベールに包まれていて、俺は思わず唾を飲み込んだ。
こ、これはっ! 淑女の嗜み、ガーターストッキング!!
そして更に奥を覗き込もうと目を凝らしたがギリギリの所で見えず、俺は歯軋りをする。
く、くそう! もう少し! もう少しなのにっ!
奥を除き見る事は半分諦め、艶かしい太ももを堪能しようと目を這わせて初めて、そこに絡み付いた手の平サイズの黒い物が目に止まった。
あれは確か――。
次の瞬間、炸裂音が響くと同時に胸元を襲った凄まじい衝撃で俺は、少女の服を手にしたまま背中から床に叩き付けられ呻き声をあげる。
「ぐ……」
余りにも突然過ぎて何が起こったのか分からずにいたが、激痛が走る胸元を押さえながら体を起こそうと身動ぎをすると、
「うそ――、でしょ? な、何で動けるのよっ?! た、確かに心臓を打ち抜いたはずなのにっ!」
その台詞を耳にして自分が撃たれた事を理解した。
それも束の間。
先ほど耳にした炸裂音が連続して起こり、条件反射に近い動きで瞬時に身を強張らせてつい、きつく瞼を閉じてしまった。
だが、待てど暮らせど予想していた痛みが一向に襲って来なので、そこでフッと思い出した。
生命の危険に晒された時人は、時間が何十倍もの長さに感じられる事がある、と。
もしかして今がそれなのか、と思ってはみたものの、良く考えれば幾らなんでも長過ぎる。
第一、距離が物凄く近いから、音がしたと認識した時には当たっていなければおかしいし、時間が伸びて感じられたとしても、どんなに長くても一、二秒がいい所の筈。
だから、音が聞こえた! 身を強張らせた! ズドン、ギャー! と言葉で表せばこんな感じになると思うのだが、それが何故か、音が聞こえた、身を強張らせた、延々と思考しています、状態。
こんな生殺しの状態が長く続くなんて有り得ないから、誰かがこの空間の時間の流れを遅くしたか止めたのだろうか? とも考えたが、今の自分の状態からすれば、それは無い、と言い切れる。
空間の時間流は俺にも影響するから、こんなにも考え込んでいられないしな。
ならば、最後に残された確認手段は目を開ける事だけだ。
俺は意を決すると一つ大きく息を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出しながら瞼を開けていった。
まず目に飛び込んで来たのは、何かに押し潰された様に俯けに突っ伏して微かに呻き声を上げるメイドさん。
次に、俺達との中間に開いた数個の穴。
その穴とメイドさんの右手の間に置かれている短小砲。
そして、不思議そうな顔で俺達を交互に見る、少女の姿。
最後に胸元に目線を落とせば、物凄く機嫌の悪そうな目をしたガイラスが胸ポケットから顔を出し、メイドさんを睨み付けていた。
それで合点がいった。
俺を最初に襲った弾はガイラスに命中して、その衝撃だけを俺に伝えて吹き飛ばした。
ただ、至近距離からの銃撃だった所為で、威力が殆ど落ちる事無く伝わった為、かなりの痛みを覚えたに過ぎない。
そしてガイラスは、今は形が小さくとも立派な竜族。それも四竜と呼ばれ、竜族の中でも頂点の一角に位置する者。
その鱗を短小砲の通常弾如きが貫ける訳が無い。
だけどガイラスは自分に痛みを与えたメイドさんに怒り、固有魔法の重力操作を使って地に縛り付けた。それも、打ち出された弾すら直ぐに床に落ちたほどの、強力な力を発生させて。
それこそが、俺が今、生きて居られる理由だった。
偶然とは言え直接俺を救ってくれたガイラスに感謝する事もそうだが、投げて寄越してくれたライルには、感謝しても仕切れない。
「守る筈の俺が、守られちまったな」
苦笑を零しながら立ち上がり、ガイラスの頭を軽く撫でる。
「ありがとな」
礼を掛けるとガイラスは驚いた様な目で俺を見上げて、すぐにメイドさんへと移す。
「悪いけど、暫くそうしててくれ」
呻くメイドさんに一声掛けてから手にした服を持ち少女の傍まで行くと、その視線はガイラスに注がれていた。
どうやらこの少女はガイラスに興味を持ったらしい。
「こいつを触るのは服を着てからだぞ」
伝わる筈はないけど、俺は一声掛けてから服を着せに掛かる。
だけど、驚いた事に少女は頷き、俺の差し出した服の袖に腕を通していった。
ふんだんにフリルをあしらった薄桃色の可愛らしい服を着た少女は、何処かのお姫様の様にも見える。
その少女に手の平を上に向けて差し出させ、俺はそっとガイラスを降ろす。
「暫くその子の相手をしてやっててくれるか?」
そう声を掛けるとガイラスは頷き、少女の肩へとよじ登って行き、その様を嬉しそうに眺める少女から、俺はメイドさんへと目線を移す。
「それじゃ、行き成り撃って来た訳でも聞かせてもらおうかな」
俺の声を合図にガイラスは魔法を止め、メイドさんは重圧から解放されたからか、大きな溜息を付いてその場に座り込んだ。
「訳も何も――」
そこから彼女は延々と五分もしゃべり続け、聞かされた俺はうんざりしてしまった。
でも、彼女の話を要約すると……。
俺があの少女の服を脱がせてたから撃った、と実に簡単に纏まる。
それを自分の妄想と憶測を絡めて延々と話すとか、聞かされるこっちの身にもなって欲しい。
しかもその話は、俺が赤面したくらい妄想に力が篭っていた。
どっから引っ張って来た、その妄想。エロ同人誌とかこの世界にもあるのか?
ってか、俺が幾らライルから「すけべなおとーさん」と呼ばれていてもだな、小さな女の子にあんな事やこんな事なんてするわきゃねえだろうがっ!
それをこのメイドときたら恍惚とした表情で臆面も無く語りやがって、思わず頭を叩いちまったくらいだ。
「いったーい! 何するのよ!」
「うっせい! このっ、エロメイド!」
「私はエロくないです!」
「じゃあ! ロリコンメイドだ!」
「ろりこん? って何です?」
あ、これも通じないのか。
「小さい女の子が大好きって意味だよ」
直接的表現を避けて柔らかくしたのだが、ちょっと不味った様だった。
なんせ……。
「ロリコン――、私はロリコン――、ロリコンメイド――。いい響きだわ」
ウットリした表情で呟きながらにやけていたのだから。
大丈夫か? このメイド……。
また変なの出て来た……。




