妻は強し
国外退去を命じられた我等は今現在、森の中を突き進んでいる。
正規ルートで入国した訳ではないので、ユセルフの騎士である我等が検問を通りガルムイ国内から出て行くのは、おかしいからである。
ただ、水先案内人が三頭犬二匹に黒妖犬数匹、と言うのは全く持って笑えない。
笑えないのだが……。
「ファスー! おいでー」
『ガア!』
「これおいしいよー」
手にした菓子を三頭犬に与えながらライル君が楽しそうにお相手をしている為、無碍に扱う事も出来ない。
しかも嘆かわしい事に……、
「チーちゃん、こっちおいでー」
『ワンワン!』
「いい子ねー。よーしよし、ご褒美上げるわね」
『ワン!』
我妻カレンも一緒になって黒妖犬と戯れているのだ。
しかも、名前まで付けて……。
私が溜息を付いていると、隣に座るザロン殿に気を使われてしまった。
「お察しいたします、閣下」
狩るべき相手に守られながらこうして案内されるなど、本末転倒も良い所なのだが、マサト様と居るとこれが普通になってしまうのだから恐ろしい。
せめて私だけでも、と思いもしたのだが、出掛けにマサト様から「ウォルさんの言う事を聞くように言っておいたから後宜しく」と言う念話を受け取り、困惑してしまったのも確かなのだ。
「それにしても――、ハザマ卿には驚かされてばかりですな」
全く持って同感である。
あの方には私が常識だと思っていた事が悉く破壊されてしまい、何が常識なのか分からなくなってしまった。
「ですが、これはもしかすると、素晴らしい事なのかもしれません」
「素晴らしい事? ですか?」
「はい、今まで私ども商人は野盗や魔獣、そして魔物に怯えて商いをしておりました。その為に護衛に支払う報酬も馬鹿に成らず、商品の値下げをするどころか、場合に因っては値上げをするしかない状況もあったのです」
確かに、と私は頷く。
我等と違い、商人は物理的な防衛手段も攻撃手段も持っていない。
だからそれを金、と言う力でもって行使している訳なのだが、それも商品の値段に乗っているのだから、諦めを通り越して理不尽を感じてしまう。
最も、商人とて好き好んで値段を吊り上げている訳ではない事も分かるが故に、怒りをぶつける訳にもいかず、結局は客が半分泣かざるを得ない。
「ハザマ卿は言っておりましたよ。魔獣や魔物が私どもの護衛をすれば、皆の生活が豊かになるのに、と。それにシュラマル、と言いましたかな? あの大鬼は。その者の話を聞く分には、彼等、と言って良いかは分かりませんが、人と同じ生活をするだけの知識も技術も有るようですし、場合に因っては立派な顧客にも成り得る存在だと感じました。種族が違い過ぎる部分も多々有りましょうが、それでも話が出来る、と言うだけでも私にとっては大きな収穫でした。それに、彼等が道中の安全を確保してくれるのならば、願ったり適ったりですよ。あれほど強力な護衛は居ませんからね」
ザロン殿は、多少の手間賃を取られようとも、と最後に締めくくっていた。
それを聞きながら私は、まるで夢物語の話の様だな、と思った。
だがそれと同時にマサト様であれば、実現させてしまうのではないだろうか、とも感じていた。
そうなれば我等騎士は職務が楽になるから良い事尽くめなのだが、対して冒険者は、路頭に迷いそうな気もした。
ただ、そんな考えとは裏腹に、ある種の懸念も拭い切れない。
そもそも人間とて犯罪に走る者が居るというのに、魔獣や魔物がそうそう言われた事に従うとは思えないのだ。
ならば、そういった類の魔獣や魔物はやはり討伐対象に成り得るだろうし、場合に因っては犯罪者と手を組む可能性もある。
そうなれば今以上に危険な野盗集団も出て来るだろう事は、想像に難くないし、そんな集団が出来上がってしまえば、これは最早我等騎士が出るしかない。
だが、我等が駐屯している街の付近ならばいざ知らず、孤立しがちな小さな村などまで手が回る筈もない。
そう考えると結局の所、冒険者が暇に成る事は有り得ないだろうし、今以上に危険が伴う分、死傷者も多くなる可能性も否定出来ない。
そして、命の危険を伴う仕事ともなれば、冒険者に支払う報酬も天井知らずに上がってしまう。
私はそこまで考えて、げんなりとしてしまった。
商品の値下げに繋がる要素が全く見られなくなってしまったからだ。
「如何致しました? 閣下」
思いっきり表情に出してしまっていた所為か、ザロン殿は怪訝な表情を浮かべている。
そんな彼に今の考えを話すべきか、何でもない、と誤魔化すべきか悩んでいると、
「マサト様が出来る、と仰ったのですから、必ず出来ますわよ」
三頭犬に跨ったナシアス殿下が口を挟んできた。
しかも「そうですわよね? セリ」とこれまた馴染んでいるのだから、溜息も更に深くなろうというものだ。
マサト様の周りの女性達は何故こうも簡単に受け入れてしまうのか、不思議を通り越して眩暈を感じてしまう程だ。
私とて馴染んでいない、と言えば嘘になる。
だが、それ以上に馴染みきっている彼女達を見てしまうと、今まで私は何をして来ていたのだろうと、最早騎士としての矜持すらあやふやになって来てしまっていた。
「――殿下」
「何ですの?」
「一つ、質問をしても宜しいでしょうか?」
「構いませんわよ」
「怖くはないのですか?」
「何がです?」
「三頭犬と共に居る事が、です」
「何故怖がる必要があるのですか?」
言われた意味が分からない、と言った感じで小首を傾げられ、私は言葉に詰まってしまった。
今までは狩る対象だった魔獣達。
それがこうして共に居るという事が未だに信じられない。
ローリー殿の様に人の姿を取り、人語を話していればまだ、感情的にも気分的にも警戒心は薄れる。
本来ならば薄れてしまうのは良く無い事なのだが、襲われる、という感覚が希薄、と言うよりも全く無い事が最大の理由でもある。
ライル君の場合はフェンリルの王子である事から、普通に接していても然程の驚きは無い。
人で言えば、王族と我等の関係と同じなのだから。
だが、ナシアス殿下の場合は全く異なる。
元来、人の価値観や考え方、と言う物は、成長しきってしまうと簡単には変わらない。
否、変えられない、と言った方がいい。
それこそ、余程の事でもない限り変わる事など有り得ない。
そして、彼女達にその余程の事が起こった訳でもない。
なのに、変わってしまった。
我妻カレンの場合はマサト様の妹であるから、百歩譲って良いとしよう。
それと、マサト様の妻であるマクガルド陛下とあの二人の魔物も論外。
だが、他の方達は違う。
直接的にせよ間接的にせよ、魔獣や魔物を狩り、それを糧としていたのだから。
「貴方は何を戸惑い悩んでいるのです?」
思考の隙間に殿下の声が流れ込む。
まるで私が思い悩んでいる事など、お見通しだ、と言わんばかりに。
だが私は、向けられた青く澄んだ瞳を見て、一瞬ではあるが不快感を感じてしまった。
「――いえ、何でもありません」
そう、殿下にとって私の考えている事など、些細な事に過ぎない。
そして私は、皇族たる殿下に不快感を露にしてしまった事を幾分恥じ、目を背けて前を見る。
「どんなに誤魔化しても、貴方の思い悩んでいる事は分かりますわ。先ほどの問いが全てを物語っていましたから」
「――!」
まさか、あの短い問答で見透かされてしまうとは、何という失態!
私は心の中で己を罵り、苦虫を噛み潰す。
そして、殿下は尚も募った。
「今でこそこうして平然としていられる私ですが、貴方が思うほど、易くなくてよ? 初めてマサト様が二頭犬を従えているのを見た時は、それはもう驚いたものですわ。筆舌に尽くし難い程に――」
少し困った表情を取った後、自身の跨る三頭犬の首筋を撫で、これでも一応、剣士としての鍛錬も積んでいますから、と殿下は付け加え、話を続ける。
「ですが、この子達は我が夫を主とし、慕い忠誠を捧げている。そして、主たるマサト様もこの子達を信頼している。ならばその妻たる私達がどうすれば良いのかなど、聡明な貴方なら分かりますわよね?」
私とて、もしもカレンに懐いた魔獣が居たとすれば、少々困惑しはするものの、許してしまう可能性はある。
だから、殿下の言っている意味は分かる。
だが私は、素直に頷く事が出来なかった。
マサト様の場合、それとは全く異なるからだ。
慕っている者は黒妖犬のような有象無象ではなく、皆地力の高い者ばかり。
しかも、その下には多数の部下、とも呼べる者達を抱えている。
そんな彼等が何かの拍子に反乱を起こしたら、幾らマサト様であろうとも、止める事は出来ないだろう。
人の国とて反乱の鎮圧は容易でない事は、すでに歴史が物語っていると言うのに、況してやそれが魔物や魔獣の反乱ともなれば、世界規模の災厄となってしまうだろう。
故にマサト様の対応如何で世界はまた、戦乱の世に陥ってしまう可能性が高いのだ。
そこで私はハッとなった。
「ま、まさか! マサト様は――!」
「おにいはウォルの思ってる様な事、考えてないわよ」
私の台詞をさえぎり、可憐は馬鹿馬鹿しいといった感じで溜息を付きながら、首を振っていた。
「考えても見てよ。あのおにいよ? 親馬鹿なのよ? しかも、甲斐性なしなのよ? そんなおにいが家族を大切にするって事以外、考えてる訳無いじゃない」
「だがカレン、現状を鑑みれば――」
「ウォルは考え過ぎよ。もしもおにいがそんな事考えていたとすれば、ヴェロン帝国もユセルフ王国もとっくの昔に手中に収めてるわよ。おにいはそれを出来るだけの頭をもってるんだから」
どうやるかは分からないけどね、とカレンは肩を竦めていた。
「カレン、私の懸念はそれではない」
「じゃあ、何よ。まさか世界征服、とか言い出さないわよね? もしそうなら、それこそ考え過ぎもいいところだわ」
呆れた、といった具合に大きな溜息を付くと、カレンは「いい?」と前置きをしてから、また話し出した。
「おにいの目下の悩みは稼ぎが少ない事なのよ。まあ、ぽんぽん奥さんを増やして、子供も作っちゃったんだから自業自得なんだけど。でも、それをちゃんと自覚してるからこそ、必死になって稼ごうとしてるのよ。結果が伴って無いけどね。だけど、悩みはそれだけじゃ無いの」
口元に軽く笑みを浮かべながら私に向かって「分かる?」と問い掛けて来る。が、まったく分からないので、首を振った。
「ハーレム、って言えば分かるわよね?」
「ハーレム?」
たった一言だけ示唆されても、何故それが関係あるのか等、私に分かる訳が無い。
なので、眉根に皺を寄せて訝る表情を取ったのだが、その瞬間にカレンの表情は苛立ちに支配され、怒鳴られてしまった。
「同じ男なんだから少しは察しなさいよ!」
「す、済まん……」
しかも、ナシアス殿下とザロン殿には笑われてしまう始末。
何故マサト様の悩み事が分からないだけで、怒られねばならないのだろうか。仮にも私は、群躁の名を持つデュナルモ十傑が一人なのに。
不満を乗せた視線をカレンへと飛ばしたが、怒りを湛えた瞳に呆気なく叩き落されてしまった。
何なのだ、この理不尽さは。
「まったく……、どうしてこういう事は鈍いのかしら……」
そしてまた、呆れられてしまった。
しかも「これじゃ群躁の名が泣くわ」とまで呟かれてしまっては、如何に温厚な私とて怒りを露にするな、と言われたとしても無理がある。
「い、言うに事欠き侮辱するとは! お前はそれでも俺のつ――」
「それ以上言ったら、あたしから離縁するわよ?」
流石の私もこの台詞には、顔面蒼白に成らざるを得なかった。
妻から離縁を申し出られてしまった場合、男としての面子が完全に潰されるだけでなく、今まで築き上た信頼すらも失ってしまうし、そうなれば今の職を続ける事も出来ず、凋落の一途を辿る以外の道は全て閉ざされてしまう。
男にとってこれは正に、死の宣告と同義。
最も、宣言された訳では無いのでカレンとはまだ夫婦であるが、ナシアス殿下とザロン殿の二人が居るこの場で言われてしまったら、取り返しが付かなくなってしまう。
とんでもない手札を見せられた私は、額に汗を浮かべながら硬直する事しか出来ない。
しかもカレンは更なる追撃を放ち、私を震え上らせた。
「そう言えば、ユセルフって一夫多妻だけじゃなくて、多夫一妻もいいのよね?」
確かに法の上ではそれも可能だ。
だがしかし、今までそれを成した者は居ない。
何故ならば、生まれて来る子の夫が誰なのか、分からないからである。
そもそも多夫一妻は現実的ではない。
なのに何故、法に明記してあるのか。
それは、法の上では男女平等である、と民に知らしめる為でもあった。
そう、法の上では。
しかし、まさかそれを逆手に取って攻められるとは、思っても見なかった。
何だかこれでは間の抜けている時のマサト様と同じではないか、そう思った途端、ハタと気が付いた。
「そうか、私はこんな所でマサト様の影響を受けていたのか……」
「い、行き成り落ち込むとか、どうしたのよ?!」
がっくりと項垂れる私には、慌てるカレンの声すらも届いていなかった。
マサト様、お恨み申上げますぞ……。
スマホからの投稿なので、ルビなどは後日修正いたします。




