成すべき事、それは主の命なり
黒妖犬の大集団が森から湧き出し、周りを囲み威嚇をした後、相対する騎士と同数の黒妖犬が突っ掛けます。
そしてそれを合図に唐突に戦闘が始まってしまいました。
しかも黒妖犬の動きはかなり組織立っていて、流石の騎士達も戸惑いを隠せない様子で動きに切れがありませんし、最低でも五匹は相手にしなければ成らないのですから、戸惑いを持ったままで戦う事はかなりキツイだろうと思います。
それに指揮官であるターガイル殿は、一匹の黒妖犬に馬鹿にされ逆上した挙句、追い掛けて行ってしまいましたので、後は罠に嵌めて身動きを封じるだけですので、ここまでは予定通りと言って良いでしょう。
この様に開けた場所でまともにターガイル殿を相手にすれば、こちらの被害は甚大な物に成っていましたから、あの黒妖犬は後で労ってやらねばいけません。
意外と善戦する騎士達を見ていると、流石はターガイル殿が率いる獣族の騎士達、指揮官不在でも乱れが殆ど無い、とこの場は褒めて置きたい所ですが、どうやら指揮官は別に居るようですね。
でもまあ、居ても居なくても別に違いなど有りませんけどね。
それにこれは、ターガイル殿を引き剥がすだけの作戦でしたし、本当の意味での奪還作戦はこれからですので、まずは成功です。
――皆さん、これより奪還戦に入ります。ここからが本番ですから気を引き締めて掛かって下さい。誰一人として死ぬ事は許しませんからね。それでは私の考えた手筈通りに遣ってください。さあ、貴方達の力、見せて差し上げるのです!
一旦、黒妖犬が引くと、あからさまに騎士達の安堵する気配が伝わってきます。
これで安堵するとは、余程余裕が無かったと見られます。
ただ、次の瞬間は見物でした。
鬨の声が上がると同時に、空から大鬼が降って来たのですから。
突然目の前に降って来た大鬼に呆気に取られた騎士数人が、襤褸布の様に吹き飛ばされ気を失ってしまいます。
ただ、そこは錬度の高い者達が揃っている様で、被害はその数人だけで推し止め、大鬼と果敢に戦い始めました。
しかしその剣は大鬼に届きません。
それもその筈、後方からアラクネによる糸の支援が成されていたのですから。
大鬼達はアラクネの支援を受けて存分にその膂力を発揮し、相手の武装のみを破壊していきます。そして、混戦の様相を呈してきた戦いの間を縫って再び黒妖犬が攻め入り、易々と馬車を守護する騎士達に取り付いてしまいました。
ただ、そこは魔獣の中でも底辺に位置する者達、一対一では敵う筈もありません。ですが、私の言い付けを守り、彼等本来の戦い方である一対多の状況を作り出し、只管体力を奪う事だけに注力しています。
――皆さん、主の前です! 無様を晒さないように!
私は念話により叱咤激励を飛ばします。
すると、皆は声を上げて士気を高めていき、驚いた事に黒妖犬の一団から飛び出した一匹が、大金星を上げてしまいました。
その者は馬車を守る騎士の僅かな隙を付き檻を一撃で破壊して見せ、直ぐに群れの中へと戻って行く、という離れ業をやってのけたのです。
これには私も驚きました。
騎士を抜いて檻を壊すのは、大鬼かアラクネだろうと思っていた所にあの一撃ですから、これは黒妖犬の事も少しは見直さないといけないかもしれません。
しかもあの黒妖犬は騎士達に動揺まで残していったのですから、そこに現れた一体の大鬼には、かなり楽な仕事となった事でしょう。
最も、その剣捌きは騎士達が動揺していなかったとしても、敵うものでは無さそうでしたが。
馬車の周囲の騎士の排除も完了し、他の騎士も半数が戦闘不能に陥ってしましたが、そこは慎重を期して、アラクネの糸によりマサト殿以外を素早く攫っていきます。
「おとーさーん!」
「マサト!」
「マサトさん!」
「俺は大丈夫だから!」
「チッピ! おとーさん、お願い!」
殿下は吊り上げられている最中、チッピ殿をマサト殿目掛けて放り投げ、マサト殿はそれを受け止めて笑っていました。
「マサト様、何れまた!」
「御武運を!」
「だんな様! 必ずお助けに上がります!」
「お前達も死ぬなよ!」
シュラマル殿とミズキ殿、そしてユキ殿は自らの力で縄を断ち切り、見事な跳躍で夫々の仲間の下へと消えて行きました。
「しばしのお別れでございますね」
「ああ、後は頼んだぞ」
「御意」
私は短い会話を交わした後、残存騎士の多い方に手を翳し、
「死にたくなければ今すぐ私の前から退きなさい! 滅気凍獄波!」
全ての物を凍て付かせる冷気を放ち、運悪くそれに振れてしまった騎士はその部分が氷の彫像と変わり果て、完全に戦闘不可能な状態へとなってしまいました。
まさかの計算外の出来事ですが、ここはご愁傷様、とだけ言っておきましょう。
口には出しませんけどね。
「騎士の皆様方! 鍛え方が足りませんね! そんな事では何人束になろうとも、マサト殿には勝てませんよ!」
口元に嘲る笑みを浮かべながら馬車から飛び出し、皆に撤退の念話を飛ばします。
――当初の目的は達成しました! 速やかに撤退してください!
同時に背後から追い縋る騎士達に向かって魔法を放ちました。
「縛鎖烈風獄!」
風による封じ込めで逃げる時間を稼ぐと共に、地面の砂を巻き上げ視界を遮り、私達の行方を見失わせます。
そしてただの一体も失わずに森まで逃げ果せた私達は、待機していたレジンにアイシン殿達を任せ、次なる作戦を敢行すべく移動を開始しました。
――レジン、合流場所は分かっていますね?
――承知しております。ご心配しなくとも予定までには戻りますので、先にお進み下さい。
――分かりました。あなたも気を付けるのですよ。
――承知しております。では、また後ほど。
取り合えずレジンはこれで良いとして、先ほどから私の視界の中に入る一部の大鬼とアラクネですが……。
「どうしたのだ、ローリー殿。我等の事で気に成る事でもあるのか?」
キリマル殿は私の視線に何かを感じたのか、声を掛けて来ました。
気に成るも何も、何故アラクネに大鬼が乗って移動しているのか、不思議で仕方ないのですよ。しかも、親しげを通り越して親密な感じでもありますし……。
幾ら考えても行き着く答えは一つしかありませんから、ここは思い切って聞いてみる事にしました。
「一つ、いえ、二つ、ですね。聞きたい事があります」
「我に答えられる事であれば」
「何故、彼等はアラクネに乗っているのですか?」
「共に好いておるから、ですな」
一応予想はしていましたが、まさか本当にそうだとは……。
「それはもしかして、マサト殿の影響、ですか?」
「それは何とも言えぬが、無い、とは言い切れぬ所ではありますな」
あの方は何処まで世界を引っ掻き回す心算なのでしょうねえ。これでは種の存在意義が希薄になってしまいますよ。
最も、アラクネからはアラクネしか生まれませんから、そこは問題ないのですが……。
「キリマル殿は分かっているのですか?」
「何の事であるか?」
「あの者達が幾ら子を成しても、生まれてくるのはアラクネだけ、という事ですよ」
「その事であったか」
私の懸念を他所に、キリマル殿は笑い声を上げていました。
笑っていて良い場合では無いと思うのですが、この方の神経はどうなっているのでしょうか。
やや呆れた視線を送る私に気付いたのか、キリマル殿は咳払いを一つすると口を開きました。
「いや、失礼した。その事は我も重々承知しておる。故に番と成っておる男共は既に妻を亡くし、その亡妻との間に子も儲けた者だけだ。それにな、ローリー殿」
キリマル殿はそこで言葉を区切ると、口元に笑いを浮かべて一瞬だけ後方へと視線を飛ばしました。
「種族の違いなど些細な事だと、ハザマ様を見ていて思い知らされたわ。その垣根を乗り越えねば本当に欲しいものは手に入らぬのだ、と言う事もな」
まさか大鬼達にこんな考えが芽生えてしまっていたとは、驚くやら嬉しいやら困るやら、私とした事が何とも言えない複雑な感情に襲われて、眩暈がしまいました。
あの方は無意識でこういう事を仕出かすのですから、本当に質が悪いですよ。
「ローリー殿」
私が溜息を付いていると、キリマル殿が静かに口を開いていました。
「我等は何を争っていたのであろうな。以前であればこうして纏まる事も、共に過ごす事も無かったであろうに……。それがハザマ殿が現れただけで、こうも簡単に纏まれてしまっている。何故このような簡単な事が出来なかったのか、今では不思議で仕方がない。然すれば、滅ぶ種族も無かった筈であろうにな」
キリマル殿の話は、マサト殿に出会う以前の私も少なからず思っていた事でもありました。
何故、私達は争うのか。
何故、纏まる事が出来ないのか。
何故、弱い、というだけで滅んでしまうのか。
ですが私はそれを、この世の摂理なのだから仕方ない事なのだと、切って捨てていました。
しかし、そんな風に割り切っては居ても、心のどこかでは遣り切れない気持ちだったのかもしれません。
それは心に刺さった小さな小さな棘。
むず痒く、自分では抜く事の叶わない棘。
それを刺激したのは、マサト殿でした。
あの方の行動は余りにも不可解過ぎました。
自らの危険も省みずに手負いの者に手を差し伸べ癒す姿、飢えた者に施しを与える姿、それなのに狩り殺す。
その行為は私から見れば、自らの快楽を満たす為にやっているとしか思えず、怒りと憤りを感じていましたし、その様な危険な人は生かしておく訳にはいかない、そうも感じていました。
ですが、暫く観察しているうちに、それは間違いであったと気付かされたのです。
死した者を弔う姿を見て。
あの者は狩り殺した者に因って自分が生かされている事を知っているのだと、助けたのは心根の表れなのだ、と。
そしてその行為は、我等と何ら変わりない事も。
ある時あの方が人の罠に嵌り身動きが取れなくなっている所を、私は助けました。
それはほんの気まぐれからの行為でしたが、あの方にとっては恩以外の何ものでも無かったようで、数日後に再びあった時に礼を言われて驚いたのも、今となっては懐かしい記憶です。
そしてそれからでした、あの方が頻繁に物を尋ねる様になったのは。
魔法障壁の張り方から始まり、時には言霊魔法の欠点まで、それこそ私の知らない知識も惜しげもなく披露してくれました。
挙句の果てに名が無いと不便だ、という理由で、私にローリーという名まで付けてしまいました。しかも付けた名では呼ばずに何故か、教授、と呼ばれて戸惑ったものです。
その事を不思議に思い問うと、あの方は笑って答えてくれました。
「俺の知らない事を教えてくれるからだよ。だから、俺にとっては教授なのさ」
先生とも言うけどな、と付け加えていましたが、私の真の姿を見て居るのに、笑いながらそんな風に言った人は初めてで、何故か嬉しかった事も覚えています。
そしてその時に分かりました。
この者は種という枠を全く気にしていない、という事に。
「私達はたぶん、種という枠に囚われ過ぎていたのですよ。それこそ、意思の疎通も叶わないと思う程に……」
「――そう、やも知れぬ」
キリマル殿は深く頷き、私に同意を示してくれました。
「あの方は私達に道を示してくれているのかも知れません。人と言う種が違う種族同士で纏まれる様に、私達にもそれが可能だ、という事を」
たぶん、無意識に、でしょうが。
それでもあの方の存在なくして私達は纏まる事など出来はしなかったでしょうから、そういった意味では、私達の王に相応しいのかもしれません。
「なればハザマ様は我等の長、と言うだけではなく、ここに集った者達の王、という事にもなるのだな」
どうやらキリマル殿は、私と同じ種類の者の様ですね。
ならばここは少し、意地悪をしてみましょう。
「それはどうかと思いますよ」
「それはどういう意味だ? ローリー殿」
「あの方は人です。何時手の平を返すか分かりません。それに、生きる時が違い過ぎます」
「フッ――、何事かと思えば、その様な事か」
鼻で笑われてしまいましたが、その仕草には流石にイラっときてしまいました。
自分で誘って置いてなんですけどね。
「では、逆に問おう、ローリー殿。貴殿は何故その名を捨てぬ」
随分と痛い所を付いてきますねえ。ですが、この程度で私が怯む事などありません。
「私にとって呼び名など、どうでも良い事です。それこそ昔の名を名乗っても良いのですよ。ですが今は便宜上、ローリー、と言う名の方が都合が良いだけです」
「そうであるか」
確かマサト殿に言わせれば、ちょろい、でしたか。この大鬼も大した事は有りませんね。
私と同じ匂いがすると思ったのは、どうやら気のせいのようでしたね。
やはり私の居る場所まで辿り着ける者は、マサト殿しか居ないのですね……。
心の内で一抹の寂しさを感じていた時でした。
「それにしても、貴殿は残念な者だな」
キリマル殿に残念、と言われてしまったのです。
流石にこれは聞き捨てなりません。
なので睨み付けたのですが、キリマル殿は嘲るような笑みを口元に浮かべて、尚も募りました。
「我は殿下に祖父と呼ばれておるが、貴殿は先生、だそうだな」
「それが何だというのです?」
「殿下との血の繋がりは無くとも我は家族で、貴殿は何処まで行っても他人、という事だ。故に残念、と申したまでよ」
私は足を止めて己が手に魔力を集中させ、殺気を篭めた言葉を飛ばします。
「私を愚弄する心算ですか、貴方は」
ですが彼は、涼しい顔をして私を眺め、呆気に取られる事を口にしたのです。
「先に口撃して来たのは貴殿であろうが。我はそれを丁寧に返したまで。だがここで実力行使をする、と言うのであればこのキリマル、武人として受けて立つのも吝かではない。とは言え、今は不味かろう。ハザマ様の命に逆らう事にもなる故な」
確かに私は口撃をしました。
それを逆手に取られて逆上させられ、剰えマサト殿の命まで忘れさせられてしまうとは、これでは私の負けではないですか。
「それにな、我の言った残念、という意味だがな、あれは殿下のお話を聞いたが故に残念と申したのだ」
「それは……」
「ローリー殿にもご息女が居ると、殿下から聞いたのだ。そして殿下はな、貴殿の事を祖父と呼べぬ事を非常に残念がっておったのだよ」
「まさか、それで私の事を……」
「うむ――。まあ、少々意地の悪い言い方はであったが、それは相子、という事で許せ。最も、それ故に効果覿面ではあったようだがな」
キリマル殿の大笑に、周りの者は何事か、とこちらを見ていましたが、私だけは苦笑いを零すしかありませんでした。
本当に意地の悪い御仁ですよ。
「ならば、覚悟していてください、キリマル殿。私の娘にも人化の術を叩き込み、マサト殿の妻として送り込みますので」
「その覚悟、寧ろ我が娘、ミズキに言うが良いぞ。我は既に祖父の座を射止めておるからな!」
そして二人で笑い合うのでした。
ただ、キリマル殿には感謝をしなければいけません。殿下が秘めていたお気持ちを伝えて頂けたのですから。
私は心が浮き立つのを押さえながら、再び目的地へと足を踏み出すのでした。
主人公の知らない所で嫁は増えるようです。




