落ちて水入る冬の虎
皆の笑う声が駆け巡り、周囲を明るくしていく。
ただし、俺を見て目尻に光る物を浮かべていなければ、と注釈は付くが。
ただその中に、口元を隠して上品な笑いを見せるナシアス殿下も居た事で、俺は心底ホッとしていた。
でもその中には、教授とローザ、シュラマルにレジンの姿は無い。
無論、ライルも……。
最も、教授とレジンはシュラマルから聞いた話を元にライルの行方を捜しに奔走していて、そのシュラマルは未だ傷が完治していないので安静にしているそうだが、ローザの場合は事情が違っていた。
本来この国――ガルムイでは土地家屋の総てが王家の持ち物であり、国民はそれを貸し与えられているという、あっちの世界で言う所の、社会主義に似た体制を取っているらしい。
ただ、それだけであれば何の問題も無いのだが、一つだけ面倒な事があった。
それは、王家が貸し与えるのはその家系の家長にだけ、という所だった。
この家長にだけ、というのが曲者で、王家はまず、その家系の家長にだけ土地家屋の使用権利を与えて住まう事を許すが、その時点では、家長の家族が住む事は許しては居ない。
だからそこで、家長は家族が供に住まう事の許しを請い、自身が許可をすれば構わない、という言質を貰わねば成らなず、その上で家族は家長の許しを得て、初めて供に住まう事が出来る、という、兎に角、面倒臭い慣習が有るらしいのだ。
まあ、簡単に言えば、群れのボスが許可しなければ、その群れに居る事は出来ない、と言う極めて獣に近い原理原則から成り立っているらしい。
なので、事後承諾、という形にはなるが、別荘の使用許可を貰うべく、ローザは実家へと向かった、との事だった。
その話を聞いた俺は、何故そんな面倒な事をするのだろう、と首を傾げたのだが、ウェスラ曰く、種族の多い獣族を纏めるには、強者が上に立つのが一番手っ取り早い、という事で、ここでも獣の法則で成り立っている様だった。
「でもさ、それだと人虎族が頂点に立つ事に成らないか?」
獣族最強は人虎族って言われてるって聞いてたし、そんな疑問が浮かぶのも当たり前、と言うもの。
だが、俺のこの疑問に対しては、ウォルさんが即座に返してくれた。
「人虎族は集団を纏めるには適していないのですよ」
何でも、個としては人虎族が最強らしいのだが、集団を纏める、といった能力は人狼族にも劣るらしく、精々が騎士団の副団長止まりなのだそうだ。
「彼等は個としての能力が突出してるが故に単独行動を取りがちなので、部下として使う方が都合が良いのです」
ウォルさんの話に因ると、ガルムイの将軍達の大半が人狼族の血筋を持つ者で固められているらしく、唯一人虎族で将軍なのはローザの父である、ターガイル・フォン・スヴィンセンくらいしか居ないのだそうだ。
「でもさ、それだと強者の支配は成り立たないんじゃない?」
確かに人狼族は集団戦闘の指揮をするには打って付けかも知れないけど、個としての強さは人虎族の方が上な訳だし、弱者に従う言われは無い、とかの理由で反乱を起こす可能性だって有ると思う。
でも、これに関しては一度も起こった事が無いらしい。
「ガルムイ王家は個としての能力も人虎族に匹敵する人獅子族ですから、逆らう事は有りません。それに、集団を纏める、といった手腕も我等人狼族にも匹敵しますから、他の種族が反乱する事はまずありません」
俺は種族名を聞いて、なるほどな、と納得すると同時に、何故そこまで詳しいのか、少し不思議に思った。
「私の家系も元を辿ればガルムイ出身ですからね」
そんな俺の思いを察したのか、直ぐ疑問を解消してくれた。
ライルがまだ見付かっていない事を除けば、俺の心配事は粗方解消された事になるが、一つだけ気に成る事があったので、ウェスラにそれとなく聞いてみる事にした。
「なあ、メルさんなんだけど……」
俺は彼女とも永久を結んでしまった訳なのだが、あの状態でどんな影響があるのか、それが少しだけ心の中に引っ掛かっていたのだ。
「今の状態では問題ないじゃろう。じゃが、ワシでもどうすれば元へ戻るかは、全く分からん。ただ、もし運よくその方法が見付かったとしても、以前のメルカートに戻るとは、限らんじゃろうな」
人族の身で永久を結んでしまったのじゃからの、と険しい表情で付け加えられた。
「そっか……」
ウェスラの話を聞いて肩を落とし顔を伏せていると、優しく肩に手を置かれたので顔を上げれば、そこには微笑むナシアス殿下の顔があった。
「大丈夫ですわ。マサト様でしたら、きっとメルカートを元に戻せますわよ。私を二度も救って下さったのですから」
「でも、あれは俺の力じゃ……」
一度目はアルシェの力を借り、二度目は何かの力を借りた。そのどちらも借り物の力であり、俺がやった事と言えば、ただ祈り願っただけ。
決して俺自身の力で助けた訳じゃない。
でも、ナシアス殿下はゆっくりと首を振り、静かに口を開いた。
「例えあれがマサト様の力でなくとも、振るったのは紛れも無く、マサト様ご自身なのですわよ? 借り物の力でも良いではありませんか。その力を借り受ける事が出来るのも、一つの力ですわ。それに――貴方は強い意志と心もお持ちですわ。誰かを助けたい、守りたい、不幸にしたくない、悲しませたくない……。マサト様が何を思い、何を考え、何を願っているのか、私には分かりません。でも、一つだけ分かる事がありましてよ?」
その笑みを更に柔らかく温かみを深めながら、俺を見詰める。
「家族の不幸を一心に背負い、その全てを打ち砕こうとする事。そうする事で皆を幸せにしようとしてるのでしょう? ですが、それは余りにも無謀過ぎますわ」
「で、でも、そうしないと皆が――」
ナシアス殿下がゆっくりと首を振りながら、俺の唇に指を添えて言葉を止める。
「一人で抱え込まないで下さいませ。マサト様には大勢の妻と――それを支える仲間がいらっしゃるのですから。少しは私どもにも手伝わせてくださいませ。でなければ、妻に成った意味が有りませんわ。家族は供に支え合うもの。それは仲間とて同じ。そして、マサト様は私達を支える太く、逞しく、強い一本の柱。でも、私達はただ支えられている訳ではありませんわ。倒れないよう、倒されないよう、供に支えあう柱なのですわよ? どんなに太くて強い柱でも一本では何れ倒れてしまいます。でも、供に支えあう柱が有ったのならば、その柱はより強く、真っ直ぐに立ち続ける事が出来るのではなくて?」
「そ、それは……」
俺はその青く澄んだ瞳で見詰められ、言葉に詰まった。
「ワシ等は守られるだけの存在ではないぞ」
不意に放たれた声に目線を向ければ、そこには皆の笑顔が有った。
呆れた笑顔。
自信に満ちた笑顔。
柔らかく暖かい笑顔。
そのどれもが俺に向けられていた。
「おにいはもっと人を頼る事覚えないとね」
お前には言われたくねえ台詞だよ。
「マサト様は気負い過ぎです」
それは――そうかも知れない。
「だんな様、もっとお任せして下さい」
一人で抱え込むなって事だよな。
「どうじゃ? これでもまだ、ワシ等が守られるだけの存在と思うか?」
確かに俺は、自分自身に誓った。
皆の不幸を殺すと。
でもそれは、誰かに預けられる事ではなく、全て自分で成さねば成らない事だと、ずっと思ってきた。
でも――。
「少し、間違ってたんだな、俺は……」
家族はただ一緒に居るから家族なのではない。
喜びや悲しみ、幸と不幸、安心と不安、希望と絶望、その他の色々なものを分かち合い、足りない部分を補い、そして誰もが前を向いて進んで行ける様に支え合う。
一人の力だけで築くのが家族では無く、皆で力を合わせて築くのが家族。
そんな大切な事を忘れていたなんて、俺はなんて愚かだったんだろう。
「なあ、俺が力を貸してくれって言ったら――」
「無論、貸すに決まっておるじゃろうが」
「時と場合に因るけど、貸さない事はないわね」
「全力で助力いたしますよ」
「喜んでお手伝いさせて頂きます」
「私も皆さんと同じ気持ちですわよ?」
そんな風に言ってくれた皆の笑顔は、少し眩しく思えて、俺は目を細めるのだった。
そして、礼を言おうと口を開き変えた時、けたたましい勢いで扉が開けられ、俺達の顔がそちらへと向く。
「マサトさん! 逃げ――」
「いざ、尋常に勝負!!」
慌てた表情のローザを押し退け、彼女と同じ虎耳を生やした筋骨隆々としたおっさんが、大音声と供に、喜色満面で俺に剣を向けていた。
「地竜ガイラスと五分に渡り合った実力、見せて貰おうではないか!」
「ち、父上!」
「黙れローザ! 家長である儂の決定に逆らうなど、許さぬ!」
決定って何ですか?
「いいえ! 黙りません! マサトさんはわたしの夫です! その夫に理不尽な要求をされては、黙って居られません!」
あのう……。
「未熟者が一丁前の口を利くでない」
「では、試してみますか?」
「ほう、自ら挑んで来るとは、少しは上達した様だな。だが、お前ではまだ勝てぬぞ?」
「遣ってみなければ――」
「分かるわ。その大剣を振るえる事は褒めてやるが、それだけで父に勝てるとは、思い上がりも甚だしい。どんなに力が有ろうとも、どんなに破壊力の有る魔法だろうとも、当てられなければ意味が無い。その程度もお前は分からぬのか」
これがローザの親父さんか。
「確か、神速の――」
「ほう、我が二つ名を知っておるか。なら、名乗る必要も無いな。表へ出て儂と勝負せよ。そして認めさせてみよ。我が娘の夫に相応しいと。それこそが貴様等をここに留め置く条件だ」
俺の呟きに反応してローザの父――ターガイルさんはつらつらと口上を述べる。
それにしても、初めて会った傍からこれとは、暑苦しい父親だな。
「勝負するのはいいですけど、何でも有り、でいいんですか?」
「構わぬ。貴様の力を儂に見せてみよ。最も、通じぬと思うがな」
大口を開けて笑うその姿は、完全に俺を見下しているとしか思えない。
なので、少し驚かしてやる事にした。
一瞬で風魔法での身体強化を発動させて背後へと周り、その背に指を突き付ける。
「はい、勝負終了」
「ふっ、何を言っておる。勝負は付いておらんぞ」
その言葉に突き出した指先に目線を送れば、背中と指の間には、何時の間にか鞘が挟まっていた。
「さすが、神速の二つ名は伊達じゃないんですね」
「抜かせ。儂を試すなど貴様が初めてだ。だが、今のは褒めてやろう。人族の癖に我等人虎族に匹敵する速さを出せる事を。例え魔法の力を借りていたとしてもな」
本当はもっと早く動けるけど、黙っておいたほうがいいだろう。なんせあれは奥の手だし、そもそも短時間しか使えないからな。
「有難う御座います。でも、もっと驚かせる事も出来ますよ?」
「ほほう、これ以上驚けるとは、益々持って楽しみだ」
俺達は互いに口角を吊り上げて笑い合う。
それにしてもローザの親父さんって、何処と無く家の親父に似てるとこあるな。具体的に何処が、とは言えないけど、全体的な雰囲気が凄いそっくりなんだよな。
「そう思わないか? 可憐」
主語を省いた言葉と目配せを送っただけで、妹も軽く頷き同意する。
「そうね」
こういう時だけは、俺達って双子なんだなって思える。
最も、周りは何の事だか分からないだろうけど。
「そちらの娘さんもかなりの腕の様だな。それと――」
「お久しぶりです。スヴィンセン卿」
「うむ、久しいな、ウォルケウス殿」
「油断せぬ方が良いぞ、ターガイル。マサトの魔法はワシ直伝じゃからの」
「これはアイシン様、ご忠告痛み入る。ですが、儂には効きますまい」
「そうであれば良いの。最も、基礎はワシが教えたが、マサトは実戦から学び取った弱点に独自に改良を加えておるから、普通の魔法と同じと思わぬ事じゃな」
なんでそういう事ばらすかな、ウェスラは。
でもまあ、ばらされても問題ないけどさ。
「それは楽しみですな。一体、どんな魔法を見せてくれるのやら」
親父さんの鋭い視線が突き刺さり、俺は思わずあさっての方向へと目を向けた。
だって、あんなに殺気の篭った視線なんて受けたくないし。
「では、外へ出るとしよう」
踵を返す親父さんの後に続き、俺達はぞろぞろと外へと出て行くのだった。
*
何という事でしょうか。
父とマサトさんが戦う事に成ってしまうなんて。
これも皆、あたしの所為かも知れません。
実家に帰った折、別荘の使用許可を頂こうと父の篭る書斎へと向かっていた時、兄に出会ってしまった事が運が悪かったとしか、言い様がありません。
その時、マサトさんの事を悪く言われ、ついカッとなって、父と五分に渡り合える人だ、と怒鳴ってしまったのです。
わたしの事を悪く言うのは許せます。
兄に比べれば出来損ないなのですから。
でも、マサトさんの事を悪く言われるのは、我慢出来なかったのです。
ただ、その声が聞こえてしまったのか、父は篭っていた書斎から出て来ると開口一番、わたしにこう告げたのです。
「そこまで強いのならば、確かめねばなるまい、婿殿をな」
そして剣を手に別荘へと駆けて行ってしまい、わたしも慌てて後を追う羽目になってしまいました。
幸い、わたしの方が走るのは早く、一足先に別荘へと辿り着いたのですが、本当に僅かな差だった様で、マサトさんを逃がす事が出来ませんでした。
「抜け、婿殿」
先ほどまでの事を考えている所に父の声が響き、意識を二人に向けます。
「抜いてもいいですけど、これ抜くと手加減出来ませんから、とりあえず素手でいきます」
そう言えば、マサトさんの剣は砕けたままだったんですよね。そんな事も失念しているなんて、わたしは何てお馬鹿さんなのでしょうか。
「素手とは、儂も舐められたものだな」
「いえいえ、舐めてませんよ。それに、魔法を無制限で使っていいんでしょう? だったらこの位で丁度いいですよ」
マサトさんは何で父を挑発しているんですか!
それに口元が緩んでるとか、正気の沙汰じゃないですよ!
「あーあ、おにいの悪い癖が出ちゃった」
わたしがそんな風に思っていると、カレンさんがポツリ、と呟きました。
「え? 悪い癖、ですか?」
「そ、悪い癖。今のおにいってさ、詠唱無しで魔法使えるでしょ?」
「あ!」
「ローザ姉さんも分かったみたいね。たぶんこの試合、おにいの一方的な攻撃で終わるわよ。それも、馬鹿にしたような攻撃で」
「い、言われてみれば……」
「ローザ姉さん、早いとこお父さん止めた方がいいわよ」
「で、でも、わたしの言う事は聞いてもらえませんし……」
「ふーん。じゃあ、仕方ないわね」
わたし達の会話が終わると同時に、父の声が響き渡りました。
「こい!」
「ほいほい」
そして、間の抜けた声でマサトさんが応じると同時に、父の姿がその場から忽然と消えてしまいました。
「え?」
しかも次の瞬間には、父が先ほどまで居た場所に、高さ百ネルにも及ぶ土の壁が出来上がっていたのです!
「やっぱ剣だけしか扱えないと、話にならないよな」
そんな事をマサトさんが呟いていると、上の方から囁く様な父の怒鳴り声が降って来ました。
「お、落とし穴とは、何と卑怯な手を! 正々堂々勝――」
「うるさいなあ」
嫌そうな顔でマサトさんが呟くと、今度は父の悲鳴が降って来ました。
「何いいい! み、水だとおおおお?! だ、だがこの程度で儂おおおおおおおおお! め、目が回るううううううう! お、溺れるうううううう! こ、降参だっ! 降参するからっ! た、助けてくれええええええええ!」
「ふ、勝った」
そしてマサトさんはその場から一歩も動かず、父を負かしてしまったのです。
「ね、あたしの言った通りでしょ」
「――はい」
余りにも情けない父の声を聞いてしまったわたしは、物凄く申し訳ない気持ちで一杯になってしまいました。
それにしても、マサトさんは一体どんな魔法を使ったのでしょう?
そして父は、どんな酷い目に合ったのでしょうか?
でも、その事は絶対に聞いてはいけないと、何故か心の中で感じてもいました。
最も、わたしが聞かなくてもウェスラ姉さまが聞くとは思いますけどね。




