我が力、我成すに非ず
爆弾発言を聞かされた俺はこの時、物凄く嫌な顔をしていた筈だが、ガイラスはそれで気分を害している風には見えなかった。
最も、爬虫類の表情なんて俺には分からないんだけど。
だから、という訳ではないが、思わず口が滑ったと言うか、余計な事を言ってしまった。
――竜と人間が子作りなんて出来る訳ないだろうが。
サイズが違い過ぎるからな。まあ、人化すればフェリスみたいに出来るかもしれないけど、出来るとは限らないし、そうなれば嫁に来た所で全く意味が無いしさ。
――安心するがいい。竜王様の娘は全て竜人だ。貴様とも問題なく子は生せるであろうよ。
目を細めて笑う様な鳴き声を洩らすガイラスを見て俺は、この時初めて失言した事に気が付いた。だが、一度言った事を無かった事に出来る筈も無く、掻きたくも無い汗を流してしまった。
やっべえ、ミスった……。
――しかし、その言。我等に勝つ、と言っている様なものだぞ?
さっきの台詞は暗に、俺は勝って竜王の娘を嫁にする、と言っていた様なもので、嫁を増やしたくないという思いとは完全に矛盾していて、しかも、それを言った後に気が付くとは、幾らなんでも間抜け過ぎだ。
俺って若しかして、すっごい馬鹿なんじゃなかろうか……。
そんな事を呟きそうに成ったが、そこはグッと堪えて押し止める。
――では、始めるとしよう。
行き成り戦闘開始を告げられた瞬間、俺は直ぐに待ったを掛けた。
――ここでか?
――ここ以外でも良いが、貴様が来れぬであろう?
確かに場所を移されても俺が困る。だからと言って、ここで全力でぶつかれば街にも被害が出かねない。そうなると、全力で戦う、なんて事は俺に出来る訳が無い。
――始める前に一つ聞かせてくれ。
――何だ?
――あんたもブレスって撃てるのか?
最も気掛かりなのは、ゲームとかで良くある竜の吐息とか、単にブレス、と言われる、あのでかい口から吐き出される魔力を纏った火炎とかその類の攻撃。そしてそれは、最も威力の有る攻撃として俺の中にはインプットされている。
――ブレス? ああ、そうか人間は竜砲の事をそう呼ぶのだったな。それならば撃つ事は出来るが、それがどうかしたのか?
竜族の間じゃブレスって言わないのか。一応、覚えておくか。
――その威力は、どのくらいなんだ?
――そこの街ならば、半分は消し飛ぶであろう。
あ、あぶなかった。先に聞いておいて良かったよ。
――その竜砲を撃たないでくれ、って言ったらどうなる?
撃たないのならば、ここでも遣れるけど……。
――それは出来ぬ相談だな。我の目的は貴様の力量を測る事に有る。故に、全力で相手をしなければ、力量など測りようもないのでな。
これは少々不味い展開だ。
こんな場所で全力で遣り合えば街に被害が出るのは確実だし、森にだって大きな被害が出る。そうなれば大勢の人が苦しむ事になってしまう。それにユセルフ王国国民ならば誰しも俺がアルシェの夫と言う事は分かっているし、街を壊した原因を作ったとなれば、非難の声はユセルフ王にまで向かってしまう可能性が高い。そしてこれを回避する為には、街に被害を出さず、森への被害も最小限に止め、尚且つ全力で相手をするという、とんでもなく難しい事をしなけれな成らないだろう。
そんな事が可能か? と聞かれれば、何とも言えないのが実情だ。
ただ、一つだけ方法が無い事も無い。
だから俺は、その事を念話に乗せて伝えた。
――ここで全力は出せない。俺は街に被害を出したくないし、森だって同じだ。ただ、条件を一つだけ飲んでくれれば、全力で相手をしてやってもいい。
これに乗ってくれればいいけど、乗らなかったら俺が空から一方的に空爆するしかないかもしれない。
まあ、その方が楽といえば楽なんだけどさ。
――良かろう。条件とやらを飲もうではないか。して、その条件とは何なのだ?
よし、上手い事乗ってくれた。と言うか、条件を後から聞くって、負けない自信があるのか?
――お互い、全力の一撃をぶつけ合ってそれで終わり、ってのはどうだ?
これならば、街への被害を抑えられるし、森の被害も最小限に食い止められる筈だ。俺の予想にしか過ぎないが。
――最高の一撃のみを持って貴様の力量を測れ、という事か。悪くは無い。悪くは無いが……。
不味いな、逡巡されると俺が困る。ここは一気に煽るしかない。
――一つ言っておくぞ。俺は蒼炎を使える。
まあ、ぶっちゃけ俺だけの力じゃあんな魔法は使えないんだけど、考える事を止めさせる牽制にはなると思って言ったのだが、予想以上の効果を齎した様で、ガイラスの瞳はこれでもか、と言うほど見開かれていた。
蒼炎ってそんなに凄い事なのかね?
俺が首を傾げて居ると、ガイラスの目付きが瞬時に変わる。
――ならば見せてもらおう! 貴様の蒼炎を!
頭の中に響く大音声と共に目の前のガイラスが天へ向かって凄まじい咆哮を上げる。
途端、周囲の空気が震えだし、風も無いのに森の木々が激しく揺れ動いた。そして、その口の中に目視出来るほどの膨大な魔力の塊が集まり始めるのを見て俺は焦り、直ぐに街と森に平行となるような位置へと全力で駆け出しながら、声を張り上げる。
「皆を守れ、ライル! かなりの余波がそっちへ行く筈だ! ウェスラは街に障壁を頼む!」
「わかった!」
「承知っ!」
ライルを中心にかなりの大きさで白い魔方陣が展開されると、その後に皆が隠れる様に直ぐ様動き、黒妖犬は与えられた役割を全うするかのように野盗達を銜えてその後へと素早く移動する。そして、それと前後して街を強大な炎の壁が覆った。
俺はその光景を横目で見ながら、内心で安堵の溜息を付く。
とりあえずこれで皆と街は大丈夫だな。
だがそれで焦りが消えた訳では無い。後方に一瞬だけ目線を送ればガイラスの首は元の位置に戻り始め、俺を狙ってその口腔内の魔力塊を今正に放たんとしていたからだ。
――受け切れば良し! さもなくば、貴様は髪の毛一筋残さず消し飛ぶ!
くそっ! まだ――、まだあそこに着いてない! 後少し! 後少しなんだ! 一瞬でいい! もっと! もっと加速しろ、俺!!
自分に叱責を飛ばし更なる加速を加える。
途端、足は悲鳴を上げ始めるが、ここで魔法を使って魔力を減らす訳には行かない。
俺は歯を食いしばりその状態のまま数秒間疾走を続けた。
そして、目的の場所に着いて振り向けば、既に魔力塊は眼前にまで迫って来ていた。
ま、間に合わ――!
絶望を感じた刹那、突如として腰に佩いた剣が甲高い音を立て鞘の中で激しく振動を始める。それはあたかも自分を使えと語り掛けている様で、俺は呼応するかの様に自然と柄に手を掛け引き抜き、瞬時に全力で魔力を篭める。と同時に、考える間も無く無意識のうちに剣を突き出し篭めた魔力の全て開放していた。
その切っ先から放たれた魔力は真っ蒼な炎となり、迫り来る強大な魔力の塊にぶつかると飲み込み喰らい始める。
だが、津波の如き魔力の濁流は喰らい尽そうとする蒼炎を押し包み逆に喰らい始め、その顎門が俺の眼前で口を開け始めてしまった。
――どうした! 貴様の力はその程度かっ!
ガイラスの声が頭に鳴り響いたお陰で、俺は念話を繋ぎっぱなしにしていた事に気が付き、すぐさまそれを切ると叫ぶ。
「こっからが俺の本当の全力だ!」
念話に割いていた分の魔力も、防御の目的で纏っていた魔法障壁も、その全てを攻撃に回す。
本当の全力全開、防御すら無視した渾身の一撃。
それを受けて蒼炎は更に輝きを増しその色を薄れさせ、終には微かな蒼味だけを残した限りなく透明に近い蒼となった。
「いっけえええっ!」
足に力を篭め全力で剣を突き出す。
だがそこで、微かに俺の耳に届くものがあった。
その音は不吉な予感を想起させ、微かに眉根を寄せ手元の剣に視線を落とした瞬間、行く筋もの亀裂が走り始め、そして――。
ま、まず――!
砕け散った。
俺の魔力とガイラスの竜砲の圧力に耐え切れなかったのか、それとも既に限界が近かったのか、どちらにせよ俺の剣は、消えてしまった。
そして俺は魔力塊に飲み込まれ、全身を焼く炎と駆け巡る痛みに苦鳴の叫びを洩らしていた。
「ぐあああああっ!」
唯一の救いはまだ蒼炎が朽ちてはおらず飲み込まれるのを防いでいてくれる事だけだが、完全に防ぎきれていない事は、体に刻み込まれる痛みが証明している。
だがそれは、返って痛みを助長させるだけで、何の救いにも成りはしない。
急速に魔力が失われていく中、俺は死を覚悟せざるを得なかった。
その時だった、微かに声が聞こえたのは。
「おとーさん! しんじゃだめ!」
「ワシを幸せにせず逝くなど、許さぬぞ!」
「わたしを置いて逝かないでくださいっ!」
ライルとウェスラ、それにローザ、今この場にいる三人の魂の叫びが俺に届く。そして心の中、それも深い場所から暖かな力が幾つも流れ込み、魔力へと変換されていく。
「馬鹿おにい! 子供を残して討ち死にするなんて無様、あたしは許さないからねっ!」
止めに可憐の声が響き渡り、俺の口元に我知らず笑みが浮かんだ。
お前が言う事じゃねえだろうが。でも、それには同感、だっ!
歯を食いしばり痛みに耐えながら、俺を守るように漂う蒼炎を見詰める。そこには、砕け散った剣の欠片が無数に漂い、俺の魔力を増幅し続けている様に見えた。
お前もまだ諦めてないんだな。
フッとそんな事が脳裏を掠め、手にした柄を蒼炎に突き込む。
すると欠片が集まり始め、再び剣の型を取り始めた。
痛みも忘れて不思議な面持ちで眺めていると、何処からとも無く静かな声が響き渡る。
――我は主の剣にして盾なり。主思う最強の形となり再び寄り添おうぞ。
同時に集まった欠片は以前よりも小さく纏まり、ある一つの形を作り上げていった。
反りの入った作り、浮かび上がる刃紋、鍔元は今までと違い丸い形になり、柄に至っては握っているにも拘らず、手に馴染む様に変わっていく。
しかもそれは、片刃だけの剣。
俺が良く知った形。
最も使い慣れ、最も身近にあり、最も目にしていた物。
――時には剣、時には槍、時には盾、自らを作り変え、主の願い適える為、今ここに、我覚醒する也。
そこには、蒼く輝く一本の日本刀があった。
これが――、ハロムドさんの言ってた事なのかっ!
存分に扱い切れる様になったならば打ち直す、と彼は言っていた。てっきりそれは剣を上手く使える様になる事だとばかり思っていたが、そうではなく、この剣の本当の力を引き出す事なのだと、今正に知覚した。
そして、もう一つ気が付いた事がある。
――今度こそ、主の力に耐えて見せようぞ。
静かに、それでいて力強く語り掛けて来るこの声は、俺が手にした剣から発せられていた、という事だった。
――さあ、早く我を振るえ。然すればここから抜け出す事が出来よう。
「言われなくてもそうさせて貰う!」
柄を両手で握り締め残りの魔力を全て注ぎ込み、一拍の間を開け、抜刀の構えから一気に繰り出し篭めた全ての魔力を開放した。
放たれた魔力は蒼炎を纏い俺を包む魔力塊を全て喰らい吸収してガイラスの元へと突き進み、一瞬のうちにその巨体を押し包んで苦鳴の叫びを上げさせる。
その光景を目にした俺は戻れた事と、生きている、という二つの実感を得て安堵の溜息を付くと、全身を駆け巡る倦怠感と痛みで意識が薄れて行くのを感じ、その場に崩れ落ちる様に倒れる。
そしてその中で最後に目にしたのは、泣きながら駆け寄る、ライルの姿だった。
泣くなライル。お父さんは、勝ったんだぞ。満身創痍だけど、な。




