繁茂神分神羽夜 目覚め
8/26です
世界は前回起きたときと比べはるかに変化を遂げていた。
前回旅の楽士に起こされ話をしたのがおおよそ150年ほど前。
森も森の周囲も獣とあやかしの気配で変わりない世界。
楽士のぼろけた服装も特になんとも思わなかった。
楽士は三日ほどかけて吾から話を聞くと再び錠に封じ、吾を眠らせた。
わずらわしい。
その場を守れと定めたは繁茂神様であるが、それを人の仔がいいように扱う。
なんともわずらわしきことか。
森の周囲に生きるものからの信仰すら、永の眠りで食い潰されてゆく。
楽士ごときの術にすら対抗することができぬ身がうとましい。
おおいなる御神が下、共にある同胞として親しんだ日があったことすら遠い。
ばきり
そんな音を立てて吾を眠らせていた錠が動いた。
よりにもよって人の仔に絡んだ。
この人の仔が血を残さずに失われれば吾は消える。
何の素養もない娘。
騒々しくも畏怖と礼儀をもたぬ浅慮と思える小娘。
うとましい。
ただ、その人の仔は無知ゆえか吾に迷うことなくその腕を広げた。
それは信仰でも畏怖でもない力には生り得ぬ純粋なる賞賛。
もう一歩昇華すれば力と生り得る信仰なのだがと思う。
そしてそう思う吾自身が浅ましくもうとましい。
存在をかければ祟り神にもなりうることを教えた。
その折には錠となった人の仔の魂すら食いつぶすだろう。
それを知らぬ仔は長閑に『森は焼かれないから大丈夫』と笑う。
信仰に満ちいたときならば、この仔の振る舞いを好ましく思ったであろうに。
このまま、ここにいたら吾は歪む。
吾は森に生きるものの命を愛しむ繁茂神様より分け出でたる分神。
この森で他者を嫉む性に吾が堕つるは許せぬ。
うとましい。わずらわしい。ねたましい。
姿を人と化し、大きな歪みが起きぬように僅かに残った力を振るう。
残る力はあまりにも幽。
そっと東を見やる。
深和鎮様が支配する海。
西を見やる。
石持媛様が座する山。
馴染みある気配が強いのは東。
錠より外れた、吾と同様か?
箱型の乗り物は奇怪だった。
叩かれ、入ってきた若衆は海の気配が強かった。
「鎮」
錠で結ばれた仔が好意を載せて呼ぶ。
錠で結ばれているがゆえに届く思い。
吾はこの仔に情を寄せるようになるのだろう。
吾の本意とは別に。
吾は変わるのだろう。
繁茂神様から離れて。
深和鎮様の残香。
纏わるは蛇の気配。
信仰の力を得がたいこの世界。
忘れられているものがなぜこうも残香を残す?
少なくとも前回は吾以上に忘れられていたはずであるに。
学び舎に通えと錠に絆されし仔が言う。
なぜ吾が学び屋などに?
渡されたものはまっすぐな木片。
尖った先端が墨の色。
竹筆のようなものであろうか?
端で綴じられた紙束。
『伊藤 はやと』
見慣れぬ線を仔が描く。
これが今の文字だと聞いて驚いた。
うむ。読めぬ。
『計算』とやらは何を言いたいのかがわからなかった。
吾に何をさせたいのだ人の仔よ。
その絶望した眼差しと感情はひどく辛いので早々に撤回するがよい。
吾は今まで人の仔が必要とするようなことは不要であったのだ。
錠とは情だ。
不本意に絆され情を移し吾は変わる。
人を知り、力を失う。
いつか、分神であったことすら忘れてしまうのかもしれない。
「はやと。勉強しよう!」
吾の現代に関する知識、この仔が認識する知識の十分の一程度が流れ込んでくるので人の仔がもっと学べと思うのだがなぁ。
はやとくん視点