舞い躍る文字
「何だ……、よ、こいつ」
涼進は、自分の顔からざーっと、一気に血の気がひいていく音を聞いた。
振り向けば、そこには……思わず鼻と口を覆い隠してしまう異臭を放つ“それ”がいた。
“それ”は何と表現すればよいのか。
身の丈は成人男性ほどか。身の横幅はその幾倍か。その身を構成するのは、泥のようなものだった。液体と個体の間、どろっとした何か。灰色、緑色、黒色、赤色、青色、茶色、黄色、紫色。白色以外の色が斑に蠢く体であった。
涼進は後ずさった。すると“それ”は前進する。ずる、ずると重い布を引き摺るような音をたてて、涼進へ近付く。異臭が、濃くなる。
「……く、臭い……」
涼進は懐から一枚の紙を取り出した。手は震え、紙を上手く掴めない。しかし涼進は離さなかった。離せなかった。
「おまえが、麗枝を苦しめているわけ?」
麗枝が贄にされる相手が、あれ。涼進の頭に一気に血がのぼった。
怒髪天、というのはこういう気持ちを指すのだろう。
涼進は体中が熱くなるのを感じていた。
「許さない」
涼進のたぎる感情が、“それ”へ向く。
――涼進は、教養を身につけ、かつ深めるために師に師事していた。
しかしそれだけではない。涼進は力をおさえるために、そのすべを学ぶために師事していた。
「地面があればいいんだ」
涼進は指の腹を噛んだ。がり、と嫌な音を立て傷ができ、真新しい血が溢れてくる。ぽた、ぽたと血は滴となって、涼進の足元の地面に吸い込まれていく。
「おまえ、あの世で懺悔してくるといいよ」
涼進は無表情で“それ”を見る。煮えたぎる感情とは裏腹に、表情は冷えていた。
涼進の足元から、小さな光る文字が文章を成し、くるくると舞い躍りながら涼進を取り囲む。
「僕の血液はね、先祖がえりなんだよ」
涼進の遥か遥か昔の祖先は、人ではない何かだったという。叫べば雷雨を呼び、指を鳴らせば空は晴れ渡り、涙を流せば癒しの万能薬となり、血を流せば大地が――
「僕の血液だけが、先祖の血液と同じ効果をもたらすんだ……ただし」
涼進は凄絶と怒りのこもる声で告げる。
「後始末が、色々と面倒なんだけどね」
大地が呼応するように、跳ねた。唸り声のように地響きが徐々に大きくなり、大地がどぉん! と、揺れた。
文章をなす文字たちが、鞭のように“それ”を襲った。文章の所々には“麗枝”の文字が見えていた。




