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第六章

 城の裏手に龍の厩舎がある。

 灰蓮はそこにいた。

 馬の厩舎よりもはるかに大きいが老朽化した赤い屋根の木造建造物。

 遠くからの視界でも入りきらない長大な建物は城壁を思い浮かべる。

 それでも今は手前の二つの入り口しか使われていない。奥の方になればなるほどあきらかな経年劣化が見られる。

 補修もされずほっとかれるのは予算が下りないからである。

 戦争に特化した生ける兵器もたとえ仮初めの平和だとしてもこう恒常的であれば無用の長物でしかない。

 世間は龍を華やかだと思うだろう。

 だが、このように見窄らしいことを長いこと強いられることはあまり知られていない。

 まるで古びた劇場の芸人である。

 灰蓮はそのことを誰よりも認識していた。

 龍に関して従事する者の中で最年少であったため栄光を知らずに人生を歩んできた。

 そのため一歩引いて冷静に物事を把握していた。

 もし成功体験があればそれに引きずられていただろう。

 嬉しいことも楽しいこともあった。

 しかし、軍人としての栄光や勲章といったことに縁はなかった。

 そして薄々気づく。

 近い未来に龍使いはなくなるのだと。

「おやっさん!」

 灰蓮は叫ぶ。

 しばらくすると賀丹が厩舎から出てきた。

 足取りは重い。

「あいよ」

「遅い」

 灰蓮は賀丹を睨みながら言った。

「……すまない」

「謝ることはそこじゃないだろ」

「……」

 暗に灰蓮は黙って騙していることを指摘する。

 鈍い応対に灰蓮は苛立つ。

「相棒は飛べるのか?」

「飛べる……が、前回の疲れがまだ残っている。快調とは言えない」

 賀丹は視線をそらす。

 多分、後ろめいたいのだろう。

「了解した」

 即座の返事、淀みのない声に男は驚く。

「本当にやるのか、相手はおまえの唯一の理解者にたる男だぞ」

「それがどうした奴は王の座を引きずり下ろしかねない危険人物だ」

「そんなこと知らされてないぞ!」

「知らしたら荷担しないだろ」

 身内だからかそれとも騙されることなどありえないと思ったか、いずれにせよ焦りに乗じた隙に龍使いはつけ込む。

「いったい俺達はどうなるんだ!」

 賀丹は頭を抱える。

「俺は入らないのか?そもそも厩舎の人間でこの計画を知らされているのだって少数のはずだ」

 灰蓮は自身が思った以上に落胆しているのに気づく。

「それはお前達を思って……」

「責めているんじゃない、ただ自分の保身を俺に振るな」

 賀丹は腑に落ちない顔をしている。

「責めてるじゃないか」

「悪い、そんなつもりはなかった。皆のためとは理解している。なのに誰も話さず勝手に事を進ることが疑問なんだ」

「……」

「心情的には俺も理解できる。しかし組織的な行動規範が崩壊している。まるで死んだ木じゃないか。形だけ保って中身はくたばっている」

「だからどうすりゃいい。いらない組織と決定されれば解体されてしまう。そしたら明日からおまんま食い上げだ!」

「百も承知だ」

「なら!」

 相手の感情を押さえることが自身の怒りを収める。

「あんたの歳なら逃げられるかもしれない。俺は違う、いくら延命しても逃げられない。ならできるかぎり龍使いとしてまっとうすることが本望だ」

「まさかお前からそんなことを」

「自分でも不思議さ。でもやっと踏ん切りがついた」

「相手は手強いぞ」

「おや?肩を持つのかい」

 灰蓮はとぼけた顔をする。

「じゃあ風見鶏だ。勝った者の後ろを歩く」

「人間らしくていい。誰かのためなんて誰のためでもない。まずは自分自身のためだ。じゃなきゃ足下を見失う。欲望は否定してはいけない。生きるための原動力に申し訳ない」

「で、勝算はあるのか」

「負けが想像できない。明日の朝食のほうがまだできる」

「ならいい」

「あいつの頭の中では、こちらが疲れている龍であっちは本調子の龍で戦えば圧倒的にあちらが優位」

「観衆はそうとも知らずに対等に戦っていると思うぞ」

「だろうな、勝てば官軍だ。どんな状況であっても勝った人間が歴史を書き換えられる。負ければ末代まで俺はこの国に背いた者だ」

「どちらにせよ末代だがな」

「せめて最後は有終の美で終わりたい」

「さて、奴さんはどこかな?」

 賀丹は上空を見上げる。

 ある程度の高度があれば龍に体力を使わせずに滞空することができる。

「あった」

 灰蓮はすぐに見つける。

「奴さん悠々だな」

「太陽のおかげだな、海が暖まるにしたがって暖かい蒸気が龍の飛行を助けている」

「大商人はこれも計算にいれているのか?」

「たぶんな、むしろ文献を調べるうちに考えついて、無理矢理でも戦わすことを想像して小躍りしてたんじゃないか」

「確かに考えられる。しっかしそれにしてもすげぇ、現実とは思えない幻想と幻想にいるような現実感が交互に交錯して頭がくらくらくる」

 太陽を眺めながら男は言った。

「ん、太陽の動きが従来よりも早そうだ」

 灰蓮は気づく。

「確かに、速くこの感覚から抜け出たいぜ」

「どんないびつなことでも日常になれば馴れる。これだって馴れるぜ」

「俺は御免だ」

 賀丹はため息混じりに言った。

「じゃあ、行くか」

 灰蓮達は厩舎の方向に歩きだした。


 ぽつりと一人、だだっ広い黴びた更衣室。

 そこで灰蓮は戦闘服に着替え、腰に据えるための袋の中身を点検する。

 保存食の干し肉に狼煙玉、着火のための火付け石。

 忘れ物はない。

 更衣室から離れ、龍に会いに行く。

 細長い通路を踵を鳴らしながら歩く。

 その先に調度、龍がいる先に人だかりができていた。

「どうも」

 灰蓮は頭を下げながら軽く挨拶をする。

「どうも」

 数名が挨拶に応じる。

 灰蓮は場の中央に止まり、皆が見渡せるように振り向いた。

「長老が見えないようだが」

「どうも煙日で体調を崩したようで……」

 抗が言った。

「先は長くないかもしれません」

 その横にいる男も無念そうに俯く。

「そうか……しかし、残念だがかまけている暇はない」

 幾人かはこの非常時に納得したか神妙に頷く。

 他にもただ無表情な者。

 不服な顔をして何か訴える顔をする者。

 ただ一つ言えるのは龍に携わる人間が一枚岩ではないことだ。

「俺は今から告げたいことがある」

 皆が息を止める。

「男から聞いていると思うがこれから龍使い同士の戦闘をやる」

 奈の国の戦史の中で龍使い同士の戦闘の記録はない。

 龍関係に従事してる者達がいかにそれが異常事態かは理解できた。

 唾を飲む音がする。

「俺はそれにこれから赴く、この革命を妨げるためだ。突然のことであるが飲み込んでほしい」

「質問がある」

 切れ目の男が手を挙げる。

名は麻箕、紫落の龍を担当しており灰蓮とはあまり親しい仲とはいえない。

「許可しよう」

「俺達にとって革命は本望じゃないか?なぜなら仮にも王直属の部隊だ。将来的にはそっちの方が出世できるし原点に戻れる」

「そうだ、そうだ!」

 堰を切ったように周囲に賛同の声が上がる。

「俺たちは王に忠誠の誓いを立てて働いているんだ。あたりまえだろ!」

「あのお日様を見ればわかるだろ、大商人と共闘すれば世界は開けるはずだ!」

「誰でもいいからこんな世の中を変えておくれよー」

 半分泣き落としな言葉も出てきた。

「おまえはこの国に背くのか!」

「引っ込め!」

「馬鹿野郎!」

 次第に理屈よりも感情だけが全面に出てくる。

 いまにも暴動になりそうなほどの剣幕。

 その時である。

「うるせぇ!」

 賀丹が大声を出す。

 これには人間どころか黄欧も驚く。

「とりあえず灰蓮の話を黙って聞こうや」

 低音を聞かした声でなだめようとする。

「でもよぉ、さっきおやっさんが先方の龍を有無を言わさず出撃させたのはあんただろ、どう落とし前をつけるだよ」

 麻箕は憎悪を露わに発言する。

「こんなんじゃやってらんないよ!」

「どうすんだよ!」

「やってらんねぇ!」

 再び怒号が飛ぶ。

 男が沈痛の顔をする。

 例外が例外を呼ぶ。

 精神の混沌。

 堅い城壁のような結束が崩れていく。

 龍に携わる職人気質の人間達がここまで感情を露わに、それも身内にぶつけることなどなかった。

 それまでは仕事が終われば陰口も酒で流し込むことができた。

 だからこそ焦燥が積もる。

 考えのそごがここまで崩壊を速めるとは誰しもが思いもしなかった。

 男はうなだれる。

「悪かった……本当に悪かった」

 鼻水を啜る音がする。 

(おやっさんありがとう)

 灰蓮は心中で感謝する。

「時間がない、飛ばすのを手伝ってほしい」

 灰蓮は自分の内在する熱量に身を任せた。

「よくも抜け抜けと」

 麻箕はあきれた顔をした。

 人格もわからない人間ならともかく、灰蓮をよく知る者の軽蔑の眼差しは辛い。

「死ね」

 後ろからはっきり聞こえてくる。

 説得しようとするが状況は悪化する。

 是が非でも飛ばすために突破口を開かなければならない。

 恐怖をおくびにも出さずにその場で握りつぶした。

「殺したいならなおのこと俺を飛ばせ」

 灰蓮はさらに焚きつける発言をした。

 場の熱量を上げる。

「何ぃ!?」

 右端の男が因縁でもつける形相で灰蓮を睨んでいた。

「ここで殺せば夢見が悪いだろ」

 物騒な言葉を発し周囲は黙り込む。

「だから飛ばせ、龍使いが俺を殺す確率のほうが高い。それは模擬戦を観戦してきた、あなた達が一番知っているはずだ」

「そんな挑発に乗るかよ」

「挑発じゃない、本気さ。ただ騙されたくないから意固地になって駄々をこねる。本当か嘘かも判断せずに……まるで子供だな」

「てめぇ!」

 男は瞬間、腰を上げそのまま右の拳を握りながら灰蓮に飛び込む。

 灰蓮は重心を落とす。

 男の顔など見ずに顔を下に向け右の拳を振り上げた。

 拳と拳が交差する。

 結果、男の拳は空を切り、灰蓮の拳は男の顎を砕いていた。

 男は糸の切れた操り人形のように両膝を地面につき、頭が垂れた。

 周囲がどよめきたつ。

(まずかった)

 灰蓮は殴ったことを後悔するものの、あまりと自然に迷いのない放った拳の快感が残っていた。

「もう我慢ならね!」

 灰蓮に一斉に襲いかかる。

「やばい!」

 灰蓮は後ずさるが逃げ場がない。

 その時、黄欧の雄叫びが鳴り響く。

 これには人は立ち尽くすしかなかった。

 室内のために反響が長く続く。

 残響が止んでも頭の中で鳴り響き続いていた。

 そして、龍の口の臭気が立ちこめる。

 流石に龍と長いつき合いの人間達、これくらいでは鼻もつままない。

 灰蓮は振り向く。

「助けてくれたのか」

 黄欧のつぶらな瞳が覗く。

 灰蓮もこんな場所で黄欧に助けられるとは思いもしなかった。

 もちろん信頼はしていた。

 しかし計りかねていたのかもしれない。

 実戦もなく乱世を生き抜いたわけでもない。

 試されることのない日常が続いていた。

 相棒として事足りるのか。

 それが一気に払拭された。

 むしろ自分を恥じた。

 初めて龍と出会ったような威圧感。

 灰蓮は背中から稲妻に打たれたような感覚の思い出。

 有り余る力に利口すぎる頭、それがあまりに短すぎて忘却の彼方だった。

 脅威を目の前に灰蓮以外の者達は戦意を喪失していた。

 本意か不本意かはさておき、言い聞かせる状態にはなった。

 灰蓮は口を開いた。

「浦蔵なり紫落なりについていけば俺達も出世できるだろう。しかし、それもこの国の中の相対的なことでしかない。絶対的に言えばそれは没落、他の国に遅れをとることになる。軍事国家になれば経済を回すことは二の次になる。生産性を無視されることになれば、いづれ過去のように経済は疲弊してたちまち三等国さ」

「ようは俺達の幸せが国全体の幸福と繋がる訳じゃないってことか」

「見過ごされがちだがとても重要な点だ。どうしてもそう思いたくなる。平和な期間を曲がりなりにも引っ張てきたのは俺たちじゃない、移民の者達だ。彼らが技術と金をもたらした。俺達は何ももたらしてない」

 流石に数人が認識しているのか肩を落とす。

「俺達は幸福じゃない」

「幸福を考えず、追求せずに漠然としたままであれば時代に浸食されていく。最初は誰も気にも止めない雨粒でもしだいに大きな濁流となる。それに乗るのかあらがうかは勝手だが覚悟しなければならない。しかし俺が思うに俺達は劇中の演者じゃない、型にはまった幸福を皆が求めているわけじゃない。言えば個々の幸福を発見するはずがそうせずにありきたりな幻想にすがってしまいがちになる」

「で、全ての人間が意識的に流されずに生きろってのかい、そんなの不可能さ」

「俺だって無理だ。今に至るまであらゆる山師にそそのかされてきて、そのたびに心揺らいだ。だからせめて核となる自身にとって譲れないのだけを如何にしても守ってほしい」

「だからそれが理想だって!」

 勢いに圧倒されながらも納得はできない。

 理屈っぽいが論理的に氷解したわけではない。

 ただ喉から感情が飛び出るぐらいに溢れるのを止めたかった。

「理想自体が何も悪いわけじゃない。理想だけが孤立したのがまずい。現状を考えず突っ走り周りを迷惑をかけてしまう。現状だけを考えるのもまた愚かだ。未来が現状のままであろうはずがない。そして……」

「人が変わったな、何かとり憑いたか?」

 麻箕の皮肉は相変わらずだ。

 空気が幾分、穏便になったがあまりの青臭い話につい茶々が入る。

「かもな、闇が続いて考える時間があっただけだが……ただ負けたくないんだよ、紫落にも浦蔵にも。例え現状を正しく認識して理想を提示されてでもまだ駄目だ」

 灰蓮は額から青筋を浮き立たせる。

「欲張りだな」

「部品が欠ければ機械が動かないことと一緒さ……観念的だから見えにくくはある。さらにどうすれば良くなるかの過程が示されないと……理想と現実は地続きなはずだ。優秀な芸術や宗教は現実を写実的なり抽象的なりで鋭く描き、理想もまるでそこに目の前に手が届くように鮮明で魅力的だ。しかしその過程はきわめて詐欺的にすり替えられていることが多いにも関わらず観衆は気づかない」

「お前に提示できるそれがあるのか」

「だからここで試している。資質なんてないし指導者になるつもりもさらさらないが自分の価値を問うことで世界を少しでも変えたい。そして様々な人間に聞きたいその人自体の価値を……横目を見ない欲望を。絶対に違う、似て非なるものだ。人がわかりあうなんて一瞬の交差でしかない。しかしそれでも認めあうことができるはずだ。認めることができれば初めてはっきりと他者が生まれる。それができれば世界の革命だ」

「俺達にできるかい」

「生きている間は無理だろうな。まずすぐに出来ることじゃない、反発する人間もいるだろう。そうなればきっと振り戻しが起こる……今のように。だが全体を見ればさっき言ったようなことが遅々としてだが進むと思っている。自信はある……自信しかないがな」

 麻箕は僅かな笑みを含ました降参した表情、手のひらを灰蓮に向けた両手を挙げる。

「情熱だけは伝わった……お前を飛ばそう」

「ありがたい!」

「おれだけじゃぁ……賛同者は手を挙げろ」

 全員ではないがかなりの人間が挙手をする。飛ばすには十分の数だ。

 主役を任命したとばかりに人差し指は灰蓮を指した

「決まった今日の主役はお前だ、舞台に俺達が上げる。まっ続編は知らんがな」

 どっと笑いが起こる。

 灰蓮は自分がとんでもないことをしてしまったことに認識した。

 顔は耳まで赤面し、身体は小刻みに震える。

 これから飛ぶというのに、人肌と同じ温度の汗は全身に流れる。また着替えたくなる。

 そんなことよりも逆境から空気を変えた。

 たとえ、全員でなくとも目の前の者達だけでも自分の手で変えることができた。

 歯車を動かしたことに手応えを感じていた。


「城下の大通りで飛ぶのとは雲泥の差だな」

 使い古された法律どおりに飛ぶと偉い目にあうことを思い知らされれば、土の平坦な滑走路は赤絨毯と同質と灰蓮には思えた。

「いろんなことがありすぎて、そんなことはるか昔に思えるな」

 賀丹は遠い場所に視線を置き、思い出を回想するような顔をする。

「おやっさん、あんたもかい。てっきり俺だけかと思ったよ。前の煙日にはこんなことなかったのにな」

「自然現象と社会情勢と身内の変化……まったく違うことにも関わらず同じ目線で解釈しちまっている。いや、許容範囲はとっくに越えちまってるな」

「人が知覚できることなんてたかが知れてる。気後れすることないさ。世界は広くて大きいしその前では人間はちっぽけで大した存在じゃない」

「俺は目の前にある訳の分からん太陽よりお前の変容ぶりのほうが驚いている。むしろ俺自信がなんなのかがわからなくなっちまった」

「何だそりゃ?」

 灰蓮は素っ頓狂な声を出し仰け反る。

「何でもない。いや何でもありあか?これ以上話すとお前の青臭さが移っちまう」

「移っちまいなよ、同じ仲間だろ」

「違ってていいんだろ、さっき言ってたじゃないか」

「口減らずだな、まったく」

「喋っててもことは進まねぇ、ほら準備が出来たぞ」

 賀丹は黄欧のいる方向を指す。

 抗が黄欧に跨って手で大きな丸を描く。

「じゃあ行ってくる」

 軽く手を振り、龍に向かう。

「槍を持っている奴はいるか!?」

 灰蓮は大きな声を上げる。

 その時、僅かな首筋に冷たい感触がした。

「龍使いにしてはおざなりじゃないか?」

 賀丹は細く長い槍の真ん中を持ち、器用にも刃先を肌に触れているのにもかかわらず灰蓮に傷をつけずにいた。

「邪魔だからそれ、俺に渡してくれないか……」

 灰蓮は喉を絞め苦しそうに喋る。下手に動くと尖らせた刃から血が滲むと思い慎重になる。

「ほらよ」

 賀丹は槍をくるっと返した。

 灰蓮は槍を掴む。

 筋肉は弛緩して、貯まった唾をぐっと飲みこむ。

「危険な冗談は出来ればやめてほしいな」

「冗談じゃなきゃいいんだな」

 賀丹はにやけ顔で憎まれ口を吐く。

「余計に遠慮したい」

 灰蓮は首筋をさすりながら言った。

「死ぬことが怖いんだな」

「当たり前だろ」

「恐怖心もなく死ぬことも恐れなくなった無鉄砲野郎にでもなったかと思ったぜ」

 どことなくほっとした表情をする。

「見えるか?」

「見えたね、人の形をしたそうでない異なる者を目の前にして、自分を支えてた基盤が崩れそうになるのさ。どうやら幸いにもそうではないらしい」

「死んだら惜しい人を亡くしたぐらいに俺は自身を世間的評価に置いているんだが」

「もしそうなら出し殻だな。ただ大半の人間はうま味なんざ出ちまってる。うま味を知らずに亡くなるほうがはるかに惜しいだろ」

「そんなこと考えるのか?」

「冴えない人生送ると他人の後光が眩しすぎるのさ。ほんの僅かな差が残酷にも決定的な差が生まれるのを薄々感じながら素知らぬ振りで生きていくしかない。負ければやり過ごすしかないし、勝てば次に行ける。こんなの印象論でしかないがな」

「人生勝ってきたとはさらさらないがこれには勝つ」

「死ね馬鹿、勝ち負けを通りすぎて死んじまえ」

 賀丹は笑いながら灰蓮の尻を蹴る。

「なら楽だろうな」

 灰蓮は言った。

「頑張りな正義の味方」

(悪がいなければ正義はないよ。少なくとも真っ黒な悪なんて俺は相対したことないよ。誰もが正義を持っていると同時に誰もが悪を持っている。その片面だけを焦点をあわせることはあまりいい趣味じゃない)

 話がややこしくなるので灰蓮は口に出すのをやめた。

(だからって解決方法を知ってるわけじゃない。むしろ勝手に正義の味方として担がれそうになったことの怒りいう不純な動機が俺をつき動かしているんだ)


 緊張が続きすぎてそれに飽きた。

 更なる緊張の前に倦怠が重石になる。

 つい、舌が寂しくなる

「酒飲みてぇ」

 灰蓮は龍に乗って第一声がそれだった。

「おらよ!」

 灰蓮は何かを認識せずに受け取る。

「ん、瓢箪?」

 振るとちゃぷちゃぷと液体の音をたてる。

「本国の友達からもらった酒だ。生きてたら飲みな」

 黒い肌に彫りの深い顔を男が言った。

 奈の国ではない国の遊牧民族であり、気のいい男で大酒のみで有名だった。

「飲みなれた酒がいいだが……」

 言いながら瓢箪の栓を抜き穴をのぞき込む。

 もちろん見えない。

 次に鼻を近づけると柑橘類の香りが漂う。

「贅沢言うな」

「そうだな、ありがたく頂くよ」

 しっかり栓を蓋にして灰蓮は瓢箪を腰に付けた。

 黄欧が灰蓮の方に顔を振り向ける。

「後で分けるよ」

 瓢箪を振る。

(舌が肥えたら困るな)

 黄欧の瞼が若干だが下がる。

 期待で目を細めたか灰蓮の下心が読めたかは定かではない。

 相棒であっても全ての心が読めるわけでないことに灰蓮は微苦笑する。

(何、あたりまえのことさ)

 気の合う人間であってもそれは往々にありえるのだから。

「いくぞ!」

 灰蓮は吐いた。

 黄欧は雄叫びを上げ、右足から踏み出す。

(勝って、祝い酒といこうや)

 模擬戦ではない龍使い対龍使いの最初で最後の決闘が始まろうとしていた。

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