第一章
過剰な静寂が混沌の証明である。
この国中に配備された軍事警察が徘徊しているからだろうか。
それもあるだろう。
だが、それは具現化された形の一つでしかない。
早朝、この国の在るどこかで工場へ向かおうとする労働者と監視する軍事警察の目が偶然にもあった。
軍警は叫んだ。
いや、叫ぶと言うよりも発生練習のような声である。
「こっちを向くな!黙って歩け!」
労働者は言うがままに、黙って職場の方向へ歩いていく。
静寂が途切れ、周りの空気が弛緩する。
叫んだ軍警もどこかほっとした表情である。
しかし、すぐに重苦しい空気に変わる。
厳格な管理という言葉さえ生易しい、なにか重苦しいものがこの国を覆っていた。
英雄の葬儀の日のことである。
陽が昇りかけようとしていた時、灰蓮は起きた。
彼も憂鬱な気分ではあったが、朝の日課は変わらない。
眠気を押し殺し、上に厚手の鼠色の服を羽織り、桶を手に持ち水を汲みに行く。
いつものように朝食をとらない。龍に乗るために体重を調整するためである。
天を見上げると雲はない、今日は快晴らしい。確認すると灰蓮は駆け出した。
急な傾斜、でこぼこした石段を駆け上がる。
迷路の城下町には住民からはみすてられ、舗装されていない道が数々にある。
どこからともなく聞こえる鼠の鳴き声、床にこびりついた滲み、清潔感からはほど遠い生きた残りが混ざりあう臭い。
そんな道には立派な身なりの人間など出会うわけでもなく、治安ももちろん悪い。
意味もなく叫ぶ者、寒い中で安い香料を混ぜた粗悪な焼酎の瓶を抱いて寝ている者などが鎮座していた。
灰蓮はそんなことも気にもせず走り抜ける。
それが井戸までの近道。
が、
突然、何かが落ちる音がした。
それほど重いものではないと聴覚で察知する。
灰蓮は立ち止まり音のした方向に振り向く。
すると日が射す光とそれを遮る建物の陰の境に本があった。
灰蓮は手に取り覗きこむ。
見るからに古い本であり、革装はひび割れをおこし紙は退色している。
破れないよう慎重に紙をめくり内容を確認しようとしたが、今では使用されていない古代文字がそれを拒んだ。
「おい!」
上から声がした。
「すまんがこっちまで持ってきてくれんか!」
見上げると、どうやら初老らしく、見張り台から白髪をなびかせながら顔を覗かせている。
影で表情は読みとれない。
灰蓮は本の埃をさっと表面を手で払い、軽く嘆息した。
老人に本を渡した。
「いやぁ、すまんかった。」
老人は握手を求めた。
「おや?これはこれは龍使い様ではありませんか。これはわざわざ、とんだご無礼を」
老人は言葉とは裏腹に緊張感もない謝り方だった。これには灰蓮も苦笑するほかなかった。強引に話を変えようとするとした。
「なにをやっている方なんですか?」
軍関係でもない限り、おいそれと出入りできるわけではない。
「銀行員」
「またなぜ?」
「空を観察してた」
「金貨を数えず星を数えてると」
「嫌みか」
老人の長話に付き合わされたくないと思うとつい感情が出てしまう。
「いえ、急いでるんで」
「俺は造営局に勤めとるが金貨なんぞ数えておらん、星もな」
「それに見張り台に勝手に昇っていいんですか」
「別にかまいやせん、許可は取っている」
老人は左手をひらひらさせながら答えた。
「さっきまで天体観測をやっておったところだ。古文書に書かれた天体観測の記録と類似点が見られた」
「はぁ・・・」
老人は少年のような目を輝かやきをするが灰蓮は気の抜けた声を出す。
灰蓮の興味なさげな顔に、老人は不満気だった。
「そんな気のない顔するから、俺みたいな移民の人間にこの国に乗っ取られるんだ!」
「関係ないじゃないですか」
「いや、関係ある!新暦の編纂に関わったのは俺だぞ、おまえの国の習慣、風習を踏みにじった奴がここでふんぞり返っているんだぞ!悔しくないのか」
「無茶苦茶ですよ」
支離滅裂なことを言われ、いざ怒れと言われても感情がすり抜ける。
老人はこちらのことをまったく考えない。
「ところで今、何時だ」
言ったその時、協会の鐘の音がなった。
「ああ・・・」
老人は納得した顔をした。
散乱した物から水筒を拾い上げた。
水を飲みながら鐘の音が鳴りやむのをやり過ごす。
周りを見下ろすと鐘の音で外に出てくる人がちらほらいた。
遠くを見ると工業地帯が平原を浸食するのがみえる。日々、龍が飛ぶ場所が減っていく。
しばらくして、音は鳴りやんだ。
それが朝の始まり。
「おまえら原住民ってのは、元は遊牧民だったらしいじゃねえか。それが大帝国に攻められ、こんな高台に逃げ込んだってえのがことの始まりらしいな」
「学者話ですか、ずっと昔の話ですよ」
「だが、遊牧民だったからこそ龍に玉乗りを仕込めたって話しだぜ。歴史を紐解けば必ずその国の特徴に結びつく。龍を操る奴なんかここにしかいない。じゃあ、この国でしかできない技術や習慣があるんだ。褒めてるんだぜこれ、俺なんか若いとき西で羊飼いやってたけど、よく逃がしてたなぁ」
老人は遠い目をしている。
「それ、駄目じゃないですか」
灰蓮は呆れた。
やはり気にもせず老人は最後の水を飲み干す。
「たしかに、あんたの師匠は偉かったよ」
ぽつりと老人はつぶやいた。
灰蓮は民舞のことに急に触れられ、おののく。
さすがにさっしたか、老人は言った。
「移民だから関心を持たんとでも思うたか」
「俺が忙しいの知ってるんですね?」
「わざわざ亡骸を覗きにいくなんて感心せんな」
「立場わかってくださいよ」
「ここまで年齢をかさねると理解しても、そうしないほうがいいのさ」
「俺の師はもうすこし物分かりがよかったですが・・・・・・」
「だからなんだ・・・・・・同じような年代だから理解できるか?そんなことはない、互いにわかってるように話すのが処世術ってもんだ。鐘の音が聞こえない場所まで出向いて、訳の分からん奴らに説法しにいくなんて、俺だったらそんなことやらん」
「俺だってやりませんよ」
「理由はなんだ……余生なんて悠々自適に暮らして偉いやつらと連むなりしときゃよかったんだ」
身内の行動に疑問に思ったとしても、それを問いにはしない。
例え善行であったとしてもその人個人には合理的判断がある。
他人からすれば非合理であったとしても。
「・・・・・・贖罪だったと思います」
灰蓮はこの時初めて、民舞の立場で考えたことがないこと知った。
老人は鼻を鳴らす。
「人間何を背負い込んでるかしらねえが、誇大妄想じゃないのか?」
「そうだと思います・・・・・・師匠は自分の贖罪をやっていたんだ」
この国が誰もが望まない社会になってしまったが、個人ではどうすることもできない。
だから、大きな穴を両手で砂をすくって埋めるような真似をせざる終えなかった。
「役割を見失ったんだな、面倒なこったぁ・・・・・・」
「長話をしすぎまいた。もう、行きますね」
「ああ・・・・・・」
井戸に辿り着くと、すでに人だかりができていた。
並ぶ最高尾の中年の女性がこちらを振り向き、「あっ」と声を出した。
と、同時に周りの人々がこちらに気づく。 そして、互いに目を合わす。
集会に間違われないよう声は出さない。
しかし灰蓮を見る人々の目は羨望、渇望、期待、希望などが混じりあったようなものがあった。
密集する人々が自然と真ん中が割れる。
「役割か‥‥‥」
灰蓮は呟く。
何気ない、毎日水を汲みにいく井戸場。
今日はここがとても神秘的に灰蓮は思えた。
鳥の泣き声がしていた。
どうやら渡り鳥がこの国までやってきたらしい。
毎年、崖に卵を産みつけて帰っていく。
それは動物の習性でしかない。
この国の人間ならば、だれしも知っていることである。
だが、不思議と渡り鳥も英雄を偲んでいるような気が灰蓮にはしていた。
ここは偉人たちが眠る霊園、限れた者しか眠れぬ場所である。
眠舞の功績を文書や口では知るも、いざこのようになると実感はわかないものの何か尻込みする。
灰蓮は眠舞の最後の弟子である。
細い目と眉で背が低く、華奢にみえるが筋肉質な身体をしている。
いまの喪服姿から印象は少年にしか見えない。
風で揺れる花を手で覆い、灰蓮はそっと置いた。
先には眠舞がいる。
しばらく顔をじっと覗く。
眠る姿が穏やかなのに灰蓮は安堵した。
歴戦を潜り抜けた英雄の皺や古傷を汚いなど言えるわけがないが、致命傷の首筋にある傷以外は斬られた形跡もなく遺体の状態は綺麗だった。
灰蓮はそれを確認すると顔を上げる。
視線の先にある遺族、関係者達に軽く一瞥した。
葬儀はその後もしめやかにおこなわれた。
何もおこらず参列者は祈り、花を手向けていく。
最後の参列者である眠舞の孫娘が棺桶に顔を突っ込み、声をかけている。
次に神父が祈りを唱えて土に埋葬すれば葬儀をと終える。
しかし、それがほとんどの参加者は解せなかった。
今回の葬儀は確かに丁重にはおこなわれたが、本来ならば奈の国の伝統にそった形式であれば火葬のはずである。
そうはならなかったのは、異国の商人側からの要望を飲み込んで、行政はその要望を飲んだと、この国の人間なら誰しもがそう思っている。
商人たちは政治中枢まで蝕んで国王の意志までねじ曲げられるまでになっていた。
灰蓮は苦虫を噛み潰したような顔をする。
そして、灰蓮はきびす返しこの場を後にする。
この空虚な場所と本質から遠のいた葬儀にはやく離れたかったからだ。
事情を知る者ならば呼び止めるような野暮なことはしない。
だが後ろから気配がした。
後を付ける複数の足音、振り向きはしない、嫌な予感が首を回すのをためらう。
迂回した先にある防風林まで着いたら振り向くことに決める。
それまではこれまであった時系列を整理するために虚空を見上げ歩きながら思考する。
(誰だ、今なになって殺されなくてもほっといても死ぬだろう。なんでこんな面倒なことをする)
犯人像が浮かばない。
自分の民舞が恨まれる人間とは考えられない。
偉業は多大だったが中枢の権力にいないため、影響力は叩から見るほどあまり無い。
(逆に端から見れば聖人に見えるか?)
不可解な死に思考がまとまらず霧散する。
そうこうするうちに防風林までたどり着いた。
灰蓮は決心して振り向いく。
そこには三人の男がいた。
いづれも若く体躯のいい男達であった。
真ん中にいる細身で長身の男が灰蓮に握手を求めてきた。どうやらほか二人は護衛らしく、直立している。
「はじめまして灰蓮、棟督と申します。一度お会いしたいと思っていました」
差し出された手に灰蓮は応じた。
握った瞬間、違和感をもつ。身なりは清潔であったが、 握手した手は痣だらけで鬱血している。職人のような使い込まれた手でもない。
「こちらこそ光栄です。あなたのような方が来られたことを我が師も喜んでいるでしょう」
かまわず灰連は笑顔をつくり歓迎した。
いや、拒める立場ではなかった。
灰蓮は彼のことは知っていた。
彼の名は棟督、絵津銀行の創設者であり、頭取であり、名誉顧問である。
今は国家予算委員を決める六人の中の一人でもある。
彼は移民の者であったが、大戦後の戦費で国は大きな借金が嵩み不況に喘ぐ奈の国を救った男である。
彼がしたことは何もない巨大な佐大陸の植民地に大規模な開発計画を提案とその佐会社の設立。
品目は金から奴隷まで貿易で莫大な財産になると自信を掲げた。
国内外の投資家はそれに熱狂、ついには政府も奈の国の政府も深く関与することとなる。
奈の国の負債をすべて買い取り、それを銀行の債券に替えた。
長年悩まされた国家債務の解消によって、奈の国にはかつてない繁栄をもたらされることとなった。
そして彼は現代の英雄となった。
「柴落は見えなかったが」
「国の大使として出張してます。訓練だけでは喰いぱっぐれますから」
「大変だな」
「ええ」
「しかし」
灰蓮は呟く。
「これでは国民が納得しないのではないでしょうか」
「何がですか?」
「やはり国葬でやるべきではなかったかと」
それを聞いた督棟はすかさず切り返す。
「私の一存だけでは決められません。こちら側としては最善のことをしたつもりです」
「ですが・・・・・・」
灰蓮は異論を唱えようとすると督棟は遮った。
「と、言われましてもこちらにも予算というものがあります。好き勝手にはいきません、それに・・・・・・」
督棟の声が低くなる。
「今年は明日の煙日でかなり割かれましたし」
煙日。
それは毎年冬になると霧がかる奈の国でも、五年に一度の周期で特に霧が濃くなる日のことである。
霧は地面まで降りて、一週間ほど都市機能が麻痺するほどである。
灰蓮は天災を呪った。
督棟も空気を読んだか、困った顔をしながら言った。
「私だって反対しましたよ。予算の件に関しましてもあちらが国民を手厚く保護しろと強引にねじ込んできたんですから」
実際、今回の保護政策は破格の手厚いものであった。国民全体が燃料と食料を一週間分、無料で配給されるという破格のものであった。これに加え、都市機能が動かないとなれば国家の財政は大赤字である。
「あちらとは?」
灰連は疑問をぶつけた。
「大商人です」
「あっさり言いますね・・・・・・いいんですか」
以外にあっさり答えたことの灰蓮は虚を突かれた。
「別に」
督棟は気にもしない様子で肩をすくめている。
「では、公然としたことですか」
「いえ、皆に秘密です」
「では・・・・・・」
「ええ、頼みたいことがあります」
(これはやばいことに突っ込んだかな・・・・・・)
灰蓮の手の平に汗が滲む。
「用件は」
「率直に大商人を殺してほしいのです」
「なぜ?」
「最近の水面下動きが怪しくて」
「ただそれだけで‥‥‥お断りします、話にならない」
「即答ですね、残念です。厚遇しようとしたのに」
「平穏無事に生きていたいですから、生臭い話はお断りします」
「平穏無事でいたいだと?」
督棟は鼻で笑う。
「なら、私の話を聞けばいい・・・・・・それが近道です。まあ、殺しなんて異常の範疇にはいりませんよ。まして、軍人ならば平穏そのもの」
灰蓮はこれに気分を害した。
「それは侮辱ですよ!」
灰蓮は感情を表にだす。
が、
「ああ、これは侮辱だ」
諭すように督棟は言った。
それが灰蓮の心をかきむしる。
「龍は王以外の者に対して束縛は受けない、言動だって含まれる。たとえあなたであってもそれが適応される!」
灰蓮が言ったことはたしかに法で定められている。
龍使いと龍はこの国の象徴である。灰蓮はその自覚があった。
自分がすでにその誇りを持っていた。
だからこそもっと大きなものに傷をつけられた気が灰蓮はした。
しかし、そんなことお構いなしに督棟は傷口に塩をぬるような言葉を吐く。
「たしかに権利がある。立派な権利だ・・・・・・だが」
ここで一泊おいて息を吸い、次に語気を荒げた。
「権利とは元々、弱者のためにあるのだよ・・・・・・君のような。では強者はどうだ、与えるのだよ権利を!だが、弱者は権利を勝ち取ったとよく叫び声を上げる、勘違いにも甚だしい。しかし強者は一時的に負けを譲ったにすぎない。強者はその後に与えた権利をわざわざ踏みにじったり、反故する。権力を使ってだ!もうその時点で差がつきすぎている。君が泣こうが喚こうが勝手だがもう少し後の危険性を考えて行動してほしい。でなければ王から君に与えた美しい権利を私の汚い権力によって塗りつぶすことになる。私をお願いだから悲しませないでくれ・・・」
芝居がかった泣き顔を督棟はした。
灰蓮の顔は硬直し、足下は震えていた。
堅い岩盤だと思っていたのに急に脆弱だったと知り、自信が揺らぐ。
大きく揺さぶられた心理はまるで波のようだった。
波風がより大きく聞こえる。
それと馬の足音。
灰蓮は一瞬耳を疑う。
「うん?」
督棟の顔付きが変わった。
どうやら勘違いではないらしい。
督棟は振り返る。
視界から馬に跨った兵士が見えた。
護衛二人の緊張が走る。
馬は短い足を賢明に前に進め、白い息を吐きながらこちらに向かってくる。
だいぶ近づき兵士は手綱を引いた。
馬の前足が跳ね上がる。
気性を落ち着かせるために兵は手綱と重心移動を巧みに操る。
止まると、急いで飛び降りこちらの方へ馬と共に向かってきた。
動きだけみてもその躍動感だけでまだ若いとわかる。
灰蓮の目の前で兵士は立ち止まり、手綱を持ちながら直立で敬礼する。
灰蓮も反射的に敬礼する。
彼から出た言葉は灰蓮にとって思いもしないことだった。
「灰蓮特尉!緊急の出撃命令がでました!」
灰蓮は聞いた瞬間にふたつの疑問が浮かぶ。
ひとつは緊急に出撃命令が下ることが今までの現状では難しいこと。
たとえ飛行訓練の許可を得ることだけでも数名の責任者から許可を得なければならない。
もうひとつ、あたりまえのことだが何のために出撃するのかだった。
「任務の内容は?」
灰蓮は静かに言った。
「こちらです」
若い兵士は督棟をちらりと見た後、灰蓮に片手で封筒を受け渡す。
馬に蹴られないよう距離を置き、封を開けた。
中にある三枚の書類に記述されたのは灰蓮の疑問を氷解する鍵と、また更なる新しい謎の鍵穴。
それは眠舞を殺害した犯人が発覚し、現在逃走中であり、犯人が検問を抜けた場合、先にある大平原で捕らえろとの命令文。
犯人の部屋から押収された計画書から割り出された脱出経路の地図。
そして、王の印が押された飛行許可の許可書。
しかも飛ぶ滑走路は戦中にしか使用されていない緊急の滑走路。
その他責任者の印は全て大商人の印が押されていた。
「どうやら今日の俺はもてるらしい」
灰蓮は暗い笑いがこみ上げてきた。
「なんだ?」
先に秘密を明かしたのは奴だ。
それだと悪いと思い、督棟の問いに書類で返した。
渡された書類を見た。
兵が緊張した面もちでこちらを見た。
文面はわからないが守秘義務のある書類を一般の人間に渡したからだ。
督棟は文面を追うごとに手は震えが増す。
どうあれ灰蓮はそれが見れて満足する。
「出鱈目だ!」
叫んだ瞬間、馬が飛び上がる。
慌てて兵がなだめる。
「話の邪魔になる。すぐ終わるから少しの間ぐるりと回ってきてくれないか」
「わかりました」
同意した兵は馬に跨り走りだした。
「まったくの出鱈目ですよ」
馬を確認しながら灰蓮は督棟の意見に同意した。
「知ってますか?犯人の名」
「知らん!」
驚かす材料が増えて喜ぶ灰蓮。
「名前からして推測するに犯人・・・・・・大商人の側近ですよ」
「じ……自作自演か!」
「だと思います。しかも俺のためのお膳立てかもしれない」
さらに激昂しそうなところではあったが予想外にも督棟は急に冷静なった。
「そうだろうな、では今回の件でおまえの兄貴と大商人が関わっているのが濃くなったな」
「どうして?」
老人といい勝手に話しを進めるのは移民の特徴かと灰蓮は愚痴りたくなった。
社会的に成功を収めれば自分に疑問を持たずおのずと直情的になるのかもしれない。
「おまえはこの事件にまったく関与していない。話していて理解できる。にもかかわらずお膳立てと言ったのはもしかしたら本来、現在いないお前の兄貴がこれをやる予定じゃないかと邪推した」
「柴落と大商人の関わりは?」
督棟はかぶり振る。
「あくまでも濃くなったと言っただけだ。現在おまえの兄貴が出張でいない時におきた事件だ。願望として偶然と言いたくないし、正直どんな奴かはあまり知らない」
つい、ひらめきで断片的な情報から口にしたらしい。かなりの直感的な感覚の持ち主である。
「向上心が強い人ですよ」
「聴いた話しだが野心家らしいな」
「身内なのでそんな言い方はしません」
「犯人の疑いは」
「どんなことでも可能性があります。殺したとしても師匠と同じ役職に付けると思えませんし、生かしていたほうが、何かと顔がききます」
「じゃあ俺の疑問はなんだ?」
(知らん!そんなの)
と、言いつけたくなるが、灰蓮はぐっとこらえる。
かわりに欠けた推測を言った。
「推論に添うならば日和主義な私より目立ちたがり屋にお鉢が回るのではないかと」
「それだ!そして兄者と大商人の間に微妙なくい違いがおこっている。それが今回の事件だ」
あまりに早合点。
だが、いつのまにか灰蓮と督棟の考えが重なっていた。
結果的に言葉としてまとまる。
(その延長線上で考えるならば……)
「奴ら……革命でも考えてるのか・・・・・・この国の人間にもおもしろい奴がいやがる」
盤遊技で思考するような喜びを督棟はしていた。
その喜びは味覚で例えるなら、うま味のある酸味の塊の中に苦みがある砂利が混ざる感覚。
この世の中を督棟は飽きていた。
あまりの成功を収め拍子抜けしていたのだ。
賞賛する者は馬鹿者にしかみえず、妬む者の口は耳に通り抜けていく。
そこに挑戦者がでてきた。
勝手に挑戦者と断定したのだが。
推測が本当ならば、施政者として自負がある督棟にとっては確かに波乱分子であり、挑戦者だ。
「俺の勘も鈍ってはいないようだおまえに会えたことが幸運だよ」
督棟の目が犬歯をむき出した動物のような目をしていた。
威圧感が周りに充満する。
「で、おまえはどうする気だ」
「とりあえず出撃命令には従います。それ以後は守秘義務で……あなたには恩は売っときたいのですが、べったりするのにも何かと問題がありますので」
督棟は気にもしない様子だった。
他人に無理強いをしない人間なのかもしれない。
「そうか、では握手だ。頑張りたまえ」
先ほどの挨拶とは違う本当の握手。
どこかで価値観を共有するつながり。
「いくぞ」
そう言うと督棟はきびす返し護衛二人を引き連れ、去っていった。
督棟達を見送りながら灰蓮は思った。
(しかし、何がおこるかは知らされていない)
高揚感だけが先走る。
そこに督棟達と馬に乗った兵がすれ違う。
「こっちにこい!」
灰蓮は叫ぶ。
馬の緊張が溶けたのか、走りが安定している。
「だいぶ落ち着いてきたな」
「ええ」
「緊急の出撃命令が出た。そこでこの馬を徴発したいのだが」
「まったくかまいませんが、その割にはゆっくりしていますね」
相手の意図を考えるならよほど時間に遅れないかぎりこちらに合わせてくれるだろう。
灰蓮は馬を撫でる。
この国の原種だが気性も荒い割に体力も速さも外来種に劣るこの馬を。
戯曲の好きな大商人ならばなんと言うのだろうか。
「真打ちとは最後に登場するものさ」