死んだことにされた私ですが、婚約者様が開いてくださった葬儀に参列しようと思います
王都に戻ってきたエリシア・ルーヴェルが最初に目にしたのは、自分の肖像画だった。
王城へ続く大通りには黒い布が飾られ、道行く人々も普段より暗い色の服を身につけている。何か不幸でもあったのだろうかと考えながら馬車の窓から外を眺めていたエリシアは、広場に掲げられた大きな肖像画を見つけて目を疑った。
そこには、自分が描かれていたからだ。
肖像画の下には白い花が供えられ、王家の紋章が入った黒い垂れ幕には、金糸で文字が刺繍されている。
『第一王女エリシア・ルーヴェル殿下 追悼国葬』
「……私のお葬式?」
思わず声に出すと、向かいの席に座っていた隣国の使者も窓の外に目を向けた。彼はしばらく垂れ幕を見つめてから、困惑した様子でエリシアへ向き直る。
「殿下。本国では、すでに死亡が確定したものとして扱われているようです」
「そのようですね。私自身、今初めて知りましたけれど」
馬車が広場を通り過ぎる間にも、道端には花を手向ける人々の姿が見えた。
三か月ぶりの故郷だった。
生きて戻れたことを喜んでくれる者がいるとは思っていたが、まさか自分の葬儀に間に合うとは想像していなかった。
「殿下、まずは国王陛下にお知らせを。ご生存が確認されれば、当然ながら式典も中止になるでしょう」
「ええ。ですが、その前に少し確かめたいことがあります」
エリシアは使者に頼んで馬車を止めてもらい、広場にいた年配の女性に声をかけた。顔を隠すための深い帽子をかぶっていたので、女性は目の前の相手が肖像画の本人だとは気付かないようだった。
「失礼します。今日のお葬式は、どなたが準備なさったのですか?」
「まあ、お嬢さん。遠くからいらしたのかい?」
「ええ、今朝王都に着いたばかりで」
「それなら知らなくても仕方がないね。お気の毒なことに、エリシア殿下は三か月も前に亡くなられたんだよ。お遺体も見つからなかったそうだけど、ヴァルディス公爵様がずっと捜索を続けてくださってね」
女性は白い花を抱え直し、王城の方角へ視線を向けた。
「もう望みはないだろうって、それでもきちんとお送りしたいと陛下にお願いなさったそうだよ。あの方もおつらいだろうねえ。もうすぐ結婚するはずだったお相手を亡くされたんだから」
「……そうでしたか。教えてくださってありがとうございます」
エリシアは女性に礼を述べ、馬車へ戻った。
ヴァルディス公爵レオナール。
エリシアの婚約者であり、次代の女王を支える王配となるはずだった男性だ。
彼が自分の葬儀を準備してくれたという事実に、胸が温かくなるのを感じた。三か月もの間、行方不明の婚約者を捜し続けてくれたというのなら、これほど心強いことはない。
・・・しかし、それが本心だというのでれば、だが。
エリシアは膝の上に置いていた革鞄へ目を落とした。中には隣国で集めた調査記録が入っている。その一枚に記された名前を、彼女は何度も読み返していた。
「大変申し訳ないのですが、王城へ向かう前に仕立て屋へ寄っていただけますか?」
「仕立て屋、ですか?」
「ええ。せっかく婚約者が開いてくださったお葬式ですもの。私も参列するなら、きちんとした服装でなければ失礼でしょう?」
使者は一瞬返答に迷ったようだったが、エリシアが冗談を言っているわけではないと理解したのだろう。それ以上何も言わず、御者へ行き先を告げた。
エリシアは再び窓の外へ目を向ける。
王都の人々が自分の死を悼んでくれていることは、素直にありがたかった。けれど、もし革鞄の中にある記録が正しいのなら、今日の葬儀には別の意味がある。
その可能性を考えると、どうしてもレオナールの真意を確かめずにはいられなかった。
◇
三か月前、エリシアは隣国との外交会議へ出席するため、王都を出発していた。
出発の前夜にはレオナールが王城を訪れ、長旅を心配してくれたことを覚えている。
「最近は国境付近で山崩れが続いているそうだ。護衛には十分注意するよう伝えておくよ」
「ありがとうございます。レオナール様も、お仕事で無理をなさらないでくださいね」
「君がいない間くらい、私がしっかりしなければね」
そう言って笑うレオナールを、エリシアは心から頼もしく思った。
二人の婚約は王家と公爵家の結びつきを強めるために決められたものだったが、エリシアは彼を大切に思っていたし、彼もまた自分を気遣ってくれていると信じていたのだ。
ところが出発から三日目、国境へ向かう一行のもとに、予定していた街道が通行できなくなったという知らせが届く。
護衛隊長が差し出した経路変更の命令書には、レオナールの公爵家の印章が押されていた。
王家の護衛体制を任されていた彼からの指示なら問題ないだろうと、エリシアは変更を了承した。そしてその判断を後悔することになるとは、思いもしなかった。
新たに選ばれた街道は、切り立った岩壁に沿って延びていた。
馬車がその下を通りかかったとき、不自然な破裂音が響いた。
エリシアが顔を上げるより早く、護衛の一人が叫んだ。
「殿下、お伏せください!」
直後、岩壁が音を立てて崩れエリシアが乗っていた車体ごと崖下の川へ転落した。
その後の記憶は、ほとんど残っていない。
彼女が意識を取り戻したのは、およそ二か月後。隣国の国境警備隊に救助され、療養施設で保護されていたのだと聞かされた。
命を取り留めたものの重傷を負っており、意識が戻ってからもしばらくは寝台から離れられなかった。
エリシアはすぐに父である国王へ生存を知らせる親書を送ったが、いつまで経っても返事は届かなかった。
さらに、隣国の調査官から思いがけない報告を受ける。
事故現場で発見された岩の破片に、採石場などで使われる岩盤破砕用の魔導具の痕跡が残っていたというのだ。
あの土砂崩れは、自然に発生したものではなかった。
エリシアを乗せた馬車が通過する時刻に合わせ、何者かが意図的に岩壁を崩していたのである。その事実を知ったとき、彼女はようやく自分が命を狙われたのだと理解した。しかも、直前に変更された街道を通っていたことまで考えれば、王宮の内部事情を知る者が関わっている可能性が高い。
父への親書が届かなかったことも、気にかかった。
そこでエリシアは、隣国の協力を受けながら密かに調査を進めることにした。自分が生存していると犯人に知られれば、再び命を狙われるかもしれない。それ以上に、王宮内の誰を信用してよいのか判断できなかったのである。
調査の結果、崩落に使われた魔導具の購入経路が判明した。さらに、国境付近で身柄を確保された請負人から、事故当日の作業に関する証言を得ることもできた。
そして、その証言と支払い記録に記されていたのが、ヴァルディス公爵家の名前だった。
最初、何かの間違いだと思った。
王家に近い公爵家の名義が利用されただけかもしれないし、使用人の誰かが勝手に動いた可能性もある。
そう考えて追加の調査を依頼したものの、集まってくる記録は少しずつ、彼女が最も疑いたくない人物へとつながっていった。
結局、エリシアは最後までレオナールを信じたいと思っていた。
だからこそ、自分の目で確かめようと帰国したのだ。
そして、その当日に自分の葬儀が行われていると知った。
◇
王城の大礼拝堂には、重苦しい空気が漂っていた。
祭壇にはエリシアの肖像画が飾られ、その前に白い花で覆われた棺が置かれている。遺体は見つかっていないため、棺の中には王女の身代わりとして生前の衣装が納められていた。
礼拝堂の左右には貴族たちが並び、最前列には国王と第二王女イザベルが座っている。
祭壇の前で弔辞を述べていたのは、ヴァルディス公爵レオナールだった。
「エリシア殿下は、誰よりも国の未来を案じておられました。そして私にとっても、かけがえのないお方でした」
その声には悲しみがにじみ、参列者の中には涙を拭う者もいる。
「殿下と共に歩む未来を失ったことは、私にとって生涯消えることのない悲しみです。しかし、殿下が愛されたこの国を、残された私たちが支えていかなければなりません」
レオナールはそこで一度言葉を区切り、最前列のイザベルへ目を向けた。
「幸いにも、王家にはイザベル殿下がいらっしゃいます。私も亡きエリシア殿下の願いを受け継ぎ、今後はイザベル殿下をお支えしてまいる所存です」
イザベルは俯いたまま、小さく頷いた。
その様子を見た参列者たちが、静かに頭を下げる。
王太女を失った王国で、次の王位継承者として第二王女を推す声が強まっていることは、誰の目にも明らかだった。
レオナールが再び参列者へ向き直り、弔辞を続けようとしたところで、礼拝堂の後方が騒がしくなった。
入り口を守っていた衛兵が、黒い喪服を着た女性と何かを話している。
「恐れ入りますが、式典の途中でございます。参列を希望される方は、事前にお申し出を……」
「申し訳ありません。私も、どうしても参列したいのです」
「ですが、お名前を確認できなければ」
「そうですね。では、国王陛下に直接ご確認いただきましょうか」
女性の声を聞いた国王が顔を上げた。
黒いヴェールで顔を隠した女性は、衛兵に案内されて中央の通路へ進むと、祭壇から少し離れた場所で足を止める。
そして、ゆっくりとヴェールを持ち上げた。
「お葬式の途中に失礼いたします。私のためにこれほど多くの方がお集まりくださったと聞き、ご挨拶に参りました」
礼拝堂の中で、誰かが小さく悲鳴を上げた。
最前列の国王が椅子から立ち上がる。
「……エリシア?」
「はい、お父様。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「本当に……お前なのか?」
「ええ。三か月も帰ってこられず、ごめんなさい」
エリシアが答えると、国王は隣にいた近衛兵の腕を借りながら通路へ降りてきた。彼女が近づいて手を差し出すと、国王はその手を両手で握りしめる。
以前より痩せた父の顔を見て、エリシアは胸が痛んだ。
「生きていたのか……。私は、お前がもう帰ってこないものと……」
「遅くなりましたけれど、ちゃんと帰ってまいりました」
国王が娘の肩を抱き寄せると、参列者の間から安堵の声が広がった。その中で、真っ先に駆け寄ってきたのがイザベルだった。
「お姉さま!」
妹はエリシアの姿を見た途端、両手で口元を覆い、それから泣きながら姉に抱きついた。
「よかった……! 本当に、生きていらしたのね! 私、ずっと……もう二度と会えないと思って……!」
「イザベル、そんなに強く抱きついたら苦しいわ」
「あっ、ごめんなさい! でも、どうしよう。嬉しくて……!」
イザベルは何度も謝りながら、姉の顔を確かめるように見つめていた。その頬を伝う涙を見て、エリシアも思わず目頭が熱くなる。
幼い頃から、イザベルはよくこうして抱きついてきた。エリシアが公務で数日留守にしただけでも、帰宅すると真っ先に迎えに来てくれたものだ。
三か月も帰れなかったのだから、心配をかけたのは当然だろう。
そう思って妹の背中を撫でながら、エリシアは祭壇の方へ視線を向けた。
レオナールは、片手で演台の縁をつかみ、エリシアを見つめている。
顔からは血の気が引き、先ほどまで弔辞を述べていた人物とは思えないほど青ざめていた。
「レオナール様?」
エリシアが呼びかけると、彼はわずかに肩を震わせる。
「……エリシア?」
「はい。お久しぶりです」
「どうして……いや、そんなはずは……」
レオナールは何か言いかけて口を閉じた。その様子に、エリシアの胸の内で小さな疑問が生まれる。父も妹も、驚きながら喜んでくれた。
けれど、婚約者の顔には喜びが見えなかった。
「レオナール様。私が生きていたことを、喜んではいただけませんか?」
「も、もちろんだ!」
彼は慌てた様子で演台から離れ、エリシアに近づこうとした。
「驚いただけなんだ。君が無事で、本当によかった。あのような事故に遭って、生きているとは思わなかったものだから……」
「そうですね。私も運がよかったのだと思います」
エリシアは穏やかに答えた。しかし、差し出されたレオナールの手を取ることはしなかった。
「ところで、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何だい? もちろん、何でも聞いてくれ」
「三か月前、私の馬車が通る道を変更するよう命じたのは、レオナール様でしたね?」
レオナールの手が止まった。
「……ああ、そうだったと思うが」
「どうして変更されたのですか?」
「予定していた街道が通行できなくなったからだ。護衛から報告を受けて、私が代わりの道を手配した。何か問題でもあったのか?」
「問題があったから、私は三か月も帰ってこられなかったのです」
エリシアが答えると、レオナールは眉をひそめた。
「何を言っているんだ。あれは不幸な事故だっただろう。君だって、あの土砂崩れに巻き込まれて……」
「あれは事故ではなかったのです。」
礼拝堂に残っていたざわめきが、少しずつ静まっていく。
エリシアは父に向き直った。
「お父様。大切な葬儀を中断させてしまったことはお詫びいたします。ですが、どうしても皆様の前でお伝えしなければならないことがございます」
「エリシア、いったい何があった?」
「私が巻き込まれた土砂崩れは、何者かによって意図的に引き起こされたものでした」
表情が険しくなる王を横目にエリシアは入り口に控えていた隣国の使者へ合図を送り、持参した革鞄を受け取る。
「こちらは事故現場から回収された、岩盤破砕用魔導具の破片です。隣国の調査官が確認したところ、崩落した岩壁には同じ魔導具が使用された痕跡が残っていました」
エリシアが布に包まれた破片と調査報告書を差し出すと、国王は近衛兵にそれを受け取らせた。
「つまり、誰かがお前の命を狙ったというのか」
「はい。しかも、私たちがあの道を通ることを知っていた人物です」
国王の視線がレオナールへ向いた。それに気付いたレオナールは、慌てて首を振る。
「お待ちください、陛下! 確かに経路の変更は私が命じました。しかし、土砂崩れが起こるなど知るはずもありません!」
「そうであってほしいと、私も思っていました」
エリシアは鞄から二通目の書類を取り出す。
「こちらは、崩落に使われた魔導具の購入記録です。購入代金はヴァルディス公爵家の管理する口座から支払われていました」
「そんなもの、私は知らない!」
「では、公爵家の使用人が勝手に購入したのでしょうか?」
「そうだ! 誰かが私の名前を利用したに違いない!」
即座に答えるレオナールの顔をエリシアはしばらく見つめ、それから静かに頷いた。
「私も最初は、そう考えました。レオナール様がそのような命令を出すはずがないと信じておりましたから」
「だったら……!」
「ですから、隣国の調査官にお願いして、さらに詳しく調べていただいたのです」
エリシアは三通目の書類を取り出した。
その封筒には隣国の司法機関の印章が押されており、中には請負人の供述記録と、報酬の支払いに使われた命令書の写しが収められていた。
「国境付近で、魔導具を使用した請負人が捕らえられました。彼は事故の前日に、公爵家から派遣された使者より作業の指示を受けたと証言しています」
「そいつが嘘をついているんだ!」
「その可能性も考えました。ですが、彼が保管していた命令書には、レオナール様の署名と公爵家の印章がありました。支払い記録も一致しています。原本は隣国で保全されており、正式な調査で照合できるよう手配していただきました」
レオナールは一歩後ずさった。
「……何を言いたいんだ、エリシア。・・・まさか私が君を殺そうとしたとでも?」
エリシアは彼から目を逸らさなかった。
「私は、あなたを信じていました。事故に遭ったときも、目を覚ましたときも、王都に帰ることができればレオナール様が笑顔で迎えてくださると思っていたのです」
「だったら、私を信じればいいだろう!」
「信じていたからこそ、確かめたかったのです。どうして私が通る道を変更したのか、どうしてその道で土砂崩れが起こることになったのか」
レオナールは口を開いたが、すぐには言葉が出てこなかった。国王が近衛兵に書類の確認を命じると、彼はさらに青ざめた。
「陛下、お待ちください! このような場所で一方的に責められても、私には弁明のしようがありません!」
「だまれ!本当に何もしていないのであれば弁明などする必要はあるまい!」
国王の低い声に、レオナールは黙り込んだ。そのとき、エリシアの隣に立っていたイザベルが、かすれた声で呟いた。
「……あの道」
エリシアが振り向くと、妹は姉の顔を見つめたまま立ち尽くしていた。
「イザベル?」
「私、お姉さまが通る道を変えるって……レオナール様から聞いていました」
その言葉に、レオナールが勢いよく顔を上げた。
「イザベル、余計なことを言うな!」
礼拝堂に響いた声に、イザベルはびくりと肩を震わせる。
エリシアは驚いて妹へ目を向けた。
「あなたも知っていたの?」
「……はい。お姉さまが出発する前の晩、レオナール様が道を変更するとおっしゃっていて……」
「なぜ、それを今まで話さなかった?」
国王に問われたイザベルは、唇を噛みしめた。
「事故のあと、調査をしていた方にも聞かれました。でも、私は何も知らないと答えてしまいました。」
「どうしてだ?」
「怖かったのです。レオナール様は、あの道は少し危険だけれど必要な変更なのだとおっしゃいました。だから事故が起きたと聞いたとき、もしかしたら何かご存じだったのではないかと思って……」
そこでイザベラの言葉が途切れた。しかし、意を決したように口を開く。
「でも、聞けませんでした。もしレオナール様が本当にお姉さまを……そんなことをしていたら、私は……」
「イザベル、もう黙っていろ!」
レオナールが遮ったが、イザベルは首を振った。
「嫌です。もう、嘘はつきたくありません」
彼女は泣きながら姉へ向き直った。
「お姉さまが亡くなったと聞いて、本当に悲しかったのです。でも、レオナール様が私と結婚してくださるとおっしゃったとき、嬉しいと思ってしまいました。そんな自分が嫌で、でも……もし真実を知ってしまったら、レオナール様と一緒にいられなくなると思って……」
エリシアは妹の言葉を聞きながら、ようやく二人の関係を理解し始めていた。レオナールが先ほど、亡き王太女に代わってイザベルを支えると宣言したこと。
妹が彼の言葉に頷いていたこと。
そして、事故の前から二人が互いに想いを寄せ合っていたということ。
いつからなのだろう。
エリシアが公務で王城を離れている間も、レオナールがいつもと変わらぬ笑顔で接してくれていたときも、二人はこうして会っていたのだろうか。
「レオナール様」
エリシアが名前を呼ぶと、彼は苦しげな顔をした。
「……違うんだ、エリシア」
「何が違うのですか?」
「私は……私は、ただイザベルと一緒になりたかっただけなんだ」
イザベルが息を呑んだ。
「君には何の落ち度もなかった。次の女王として申し分ない女性だし、私だって君を尊敬していた。だが、私が愛してしまったのはイザベルだったんだ!」
レオナールはエリシアへ近づこうとしたが、国王の合図を受けた近衛兵が間に入った。
「婚約を解消したいと申し出ても、王家が簡単に認めるはずはないだろう。私がイザベルと結ばれれば、王位継承にも問題が生じる。だから……」
「だから、私を殺そうとしたのですか?」
レオナールはその問いには答えなかった。
「私がいなくなれば、イザベルが次の女王になる。そして、あなたはその夫として国を支えられる。そうお考えになったのですか?」
「……仕方がなかったんだ」
その返答を聞いて、エリシアは胸が締めつけられるのを感じた。
三か月もの間、何度も考えてきた可能性。
ーそれでも、レオナール本人から違うと言ってほしかったー
彼が何かの事情で利用されたのだと、そう説明してくれることを最後まで期待していたのである。
「仕方がなかった、ですか……」
「私たちは愛し合っていたんだ! それなのに、君との婚約がある限り、私とイザベルが結ばれることはできなかった!」
「では、私に相談してくださればよかったではありませんか」
「そんなことを言って、君が許したと思うか!?」
レオナールの叫びが礼拝堂に響いた。
エリシアは彼を見つめたまま、少しだけ首を傾げた。
「どうして、最初から許されないとお考えになったのですか?」
「……何?」
「私があなたを愛していたからですか。それとも、王太女との婚約を失うことが惜しかったのでしょうか」
「それは……」
「私は、あなたと結婚するつもりでおりました。だからこそ、もし別の方を愛してしまったのだと言われれば、きっと悲しかったでしょうね」
エリシアは一度言葉を切り、妹へ目を向けた。
「しかも、その相手がイザベルだったのなら、すぐに受け入れることはできなかったと思います」
イザベルは姉の視線を受け止められず、俯いた。
「でも、私はあなたの命を奪おうと思うことはなかったでしょう。・・・少なくとも、話し合うことはできたはずです」
「君には分からない! 私がどれほど苦しんだか!」
「そうですね。私には、あなたの苦しみのすべては分かりません」
エリシアは静かに頷いた。その姿を見てレオナールは何かを言おうとしたが、エリシアはもう彼の返答を求めなかった。
王太女として、多くの人々の前で決断しなければならない。
そう理解していても、目の前にいる男性が、かつて自分の未来を共に歩むと約束してくれた相手であることに変わりはなかった。
彼と過ごした日々を思い返せば、今でも楽しかった記憶はいくつも浮かぶ。
けれど、その思い出のために今回の罪を見過ごすことなど、到底できなかった。
「別にあなたが誰と結ばれようと、もう私には関係ありません。しかし、あなたにこの国を背負わせるわけにはいきません!」
エリシアの声が礼拝堂に響いた。
「レオナール・ヴァルディス公爵。私はあなたとの婚約を解消する意思を、ここに表明いたします。そして王太女として、今回の暗殺未遂事件について正式な審理を求めます」
「エリシア、待ってくれ!」
「お父様。お許しいただけますか?」
国王は娘の顔を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「当然だ。レオナール、そなたには王太女暗殺未遂に関する重大な嫌疑がある。正式な調査が終わるまで身柄を預からせてもらう。」
国王がそう命じると、近衛兵たちがレオナールを取り囲んだ。
レオナールはしばらく抵抗するように身をよじっていたが、兵に両腕を押さえられると、ようやく力を抜いた。
「エリシア……頼む。私は本当に、君が死ぬことを望んでいたわけでは……」
その言葉に、エリシアは思わず顔を上げた。
「では、何を望んでいたのですか?」
「私は、ただ……イザベルと……」
「私を殺すために岩壁を崩させたのに、私の死を望んでいなかったとおっしゃるのですか?」
エリシアは、それ以上追及する気にはなれなかった。
自分が愛した男性だった。できることなら、こんな形で別れたくはなかった。
しかし、王太女として自分は決断をしなければならないのだ。
◇
レオナールが連れていかれたあとも、礼拝堂には多くの参列者が残っていた。
国王は式典の中止を命じ、今回の事件について正式な調査を行うことを宣言した。公爵家の関係者からも事情を聴き、提出された証拠については隣国と協力して確認することになるという。
エリシアが父と今後の対応について話していると、イザベルがおずおずと近づいてきた。
「……お姉さま」
エリシアが振り向くと、妹は泣き腫らした目で彼女を見つめていた。
「本当に、ごめんなさい」
「イザベル……」
「私、お姉さまが生きていてくださって、本当に嬉しかったんです。その気持ちは嘘ではありません」
「ええ。分かっているわ」
「でも、レオナール様のことを疑っていたのに、何も言わなかったのも本当です。お姉さまにひどいことをしたと・・・私は、」
エリシアは妹の顔を見つめた。
彼女が駆け寄ってきたときの喜びは、疑いようのないものだった。しかし、だからといって妹が調査で嘘をつき、真実から目を背けていた事実まで消えるわけではない。
「イザベル。あなたに一つ、聞いてもいいかしら」
「……はい」
「もし私が帰ってこなかったら、あなたはどうしていたの?あなたが私を殺そうとしたとは思っていないわ。でも、あなたは何かがおかしいと気付いていたのよね」
「……はい」
「そのことだけは、忘れないでほしいの」
イザベルの頬を、新たな涙が伝った。
「私、どうすれば……」
「まずは調査に協力してちょうだい。あなたが知っていることを、すべて話してほしいの」
「……分かりました」
エリシアは妹の肩に手を置いた。
「それから、今までと同じように接するには、私にも少し時間が必要だと思う」
「お姉さま……」
「嫌いになったわけではないの。ただ、何もなかったように笑うことは、今の私にはできそうにないわ」
イザベルは何度も頷きながら、涙を拭った。
国王は第二王女の公務を当面停止し、調査の結果によっては王位継承資格についても改めて審議すると告げた。
イザベルは処分を受け入れ、侍女に付き添われて礼拝堂を退出した。
もし、もう少し早く帰って来ていればレオナールとの婚約も、イザベルとの関係も、違う結末を迎えられたのだろうか。
答えは出なかった。
けれど、これから先のことなら、まだ考えることができる。
「エリシア」
父に呼ばれ、エリシアは振り向いた。
「お前には、つらい思いをさせたな」
「お父様のせいではありません」
「そうかもしれん。だが、父親として何もできなかったことが悔しい」
国王は疲れた様子で椅子に腰を下ろした。
エリシアもその隣へ座り、父の手を握った。
「私も、もっと早くお知らせできればよかったのですが……」
「いや。お前が無事に帰ってきてくれただけで十分だ。今は少し休みなさい。難しい話は明日でもできる」
「ありがとうございます。ですが、その前に一つだけ、よろしいでしょうか?」
「何だ?」
エリシアは祭壇へ目を向けた。
そこには、今も自分の肖像画と棺が置かれている。
「せっかく皆様がお集まりくださったのですもの。最後に、きちんとご挨拶をしたいのです」
国王は少し驚いた顔をしたあと、娘の手を離して頷いた。
エリシアは立ち上がり、祭壇の前まで歩いていった。
白い花に囲まれた棺を間近で見ると、なんとも不思議な気分になった。
三か月前、あの川へ落ちたときには本当に死ぬかもしれないと思ったし、意識を取り戻してからも、歩けるようになるまでには時間がかかった。
それでも生きて帰ってきたというのに、故郷では自分の葬儀が開かれていたのである。
エリシアは参列者たちへ向き直った。
「皆様。本日は、私のためにお集まりくださり、ありがとうございました」
貴族たちが一斉に顔を上げる。
「王都へ戻る途中、多くの方が花を手向けてくださっているのを見ました。私のことを覚えていてくださった方が、これほど大勢いらっしゃると知り、とても嬉しく思いました」
エリシアは一度、自分の棺へ視線を落とした。
「今回の件では、皆様にも大変なご心配をおかけしました。私自身、まだ整理できていないことがたくさんあります。これから正式な調査も始まりますし、しばらくは落ち着かない日々が続くかもしれません」
参列者の中から、誰かが小さく頷くのが見えた。
「ですが、私はこうして無事に帰ってまいりました。これからも王太女として、皆様のためにできることを一つずつ果たしていきたいと思っています」
言い終えて頭を下げると、礼拝堂のあちこちから拍手が聞こえてきた。
エリシアは少し照れくさくなりながら顔を上げた。
本来、葬儀の場で拍手が起こることなど滅多にないだろう。
けれど今日ばかりは、これも悪くないと思えた。
喪服の裾を整え、父の待つ席へ戻ろうとしたところで、エリシアはもう一度振り返った。
「ああ、それから。一つだけお願いがございます」
参列者たちが静かになる。
「こちらの棺と肖像画は、すぐに片づけていただけますか? 自分のお葬式というのは、どうにも落ち着かないものですから」
可愛らしく舌を出すエリシアを見て何人かが思わず笑い声を漏らし、それにつられるように礼拝堂の空気が少し和らいだ。
「私のために涙を流してくださった皆様には、心から感謝しております。ですが、その涙はあと・・・80年ぐらい先までは取っておいてくださいな」
そして、集まった人々の顔をゆっくりと見渡してから、彼女は告げた。
「私は、生きていますから」
もし少しでも
「面白かった!」
と思っていただけたら、
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