少女は再起する。
ねえ、聞いた?
聞いたよ。あの子、優勝したらしいね。
凄いよね。同世代だとは思えない。それに比べてこの子は何なのかな。
妹とは思えないよね。月とすっぽんみたい。
……聞いちゃダメだよ。あんなの。
お姉ちゃん。
貴方も十分頑張ってる。多分、大器晩成ってやつだよ。それにお姉ちゃんよりも四つも下なんだから。今追いつかれちゃったら逆に困っちゃうよ。
それでも、追いつきたい。
ふふ、強かな子ね。きっと貴方は強くなるわ。
うん。頑張る。
上手くいかない。どうしたらもっと速く泳げるのかな……
もっと手を伸ばして。水を掻き切れていないよ。
コーチ、分かりました。やってみます。
──はぁ、はぁ……なにこれ、しんどい。ただ五十メートル一本泳いだだけなのに。
うん、そんな感じ。しんどいでしょ。
はい……
空気が重たい。はぁ、怖いな。
ふふ、緊張してるの?
お姉ちゃん。そりゃあね……だって、お姉ちゃんと泳げる最後の大会だよ。せっかくなら良い結果見せたい。
ホントに偉い子ね。私の事なんて気にしなくていいんだよ。ただ来年から高校生になるだけだよ?
それでもだよ。同じ大会で、同じプールで追いつきたいの。
本当に強かな子。頑張ろうね。
うん。
──ほんと、なんで私ってこんなに弱いの。お姉ちゃんは今回も一番。私はどうだ。お姉ちゃんに追いつくどころか、前回より悪いまである。
辞めた方がいいのかな。どうせ私なんて続けていても結果は出ないよね。
ああそっか。……ゴーグルなんて、シリコンなんて、水着なんて、もう要らないや。
あっ、桜だ。そっかぁ。私もう高校生なんだよね。
バスケ部入りませんかー?
剣道やりましょー!
美術部楽しいですよー。
色んな部活があるなぁ。中学は何にも入らなかったんだっけ。折角だし何か入ってみようかな。
ねえ君。水泳部やらないか?
……えっ、私ですか?
そうそう。どうだい。ああそうだ、まず泳げる?
一応は。
じゃあ大丈夫だ。一緒に泳ごうよ。
えぇ……
君、ホントに中学帰宅部なんだよね?
そうだけど。
驚いたよ。何でそんなに速いの?
速くはないよ。それにどちらかといえば私の方が驚いたよ。まさか同級生だったなんて。
だって先輩が一緒に勧誘しないかっていうから。
未経験なんだよね? なんで水泳部に?
んー、泳ぐのが好きだからかなぁ。あと憧れの選手がいるの。
……好きなのに、未経験?
あはは、市民プールで泳いだりはしてたけどね。親の都合で習い事はできなくて。
へぇ、大変なんだね。
そうなんだよー。
ぷはっ!
おつかれー。
桃くん、もうメニュー終わったの?
ああ。今から飛び込みやろうかなって。
よくやるね……。
素人が皆に追いつくには人一倍やらないとだからな。
……すごいね。
だろ。
あっ、謙遜はしないんだ。
へへ。まあな。
初大会。お疲れ様。
あぁ、桜か。
落ち込んでるね。
そりゃあね。……あー、もっと練習すりゃ良かったかな。
十分練習してたでしょ。これ以上はオーバーワークだよ。それに、未経験って考えると十分凄い結果だよ。私よりも速いんだもん。
思ったんだが、桜って中学帰宅部だったんだよな。それにしては速いし、大会の事とかよく知ってるし、なんでなんだ?
あー、あはは。実は私、昔スイミングクラブに所属してたの。だから大会のことも知ってるし、それなりには速い。……まあ、クラブに所属してたわりには遅いんだけど。
へぇー! すごいやん。
凄くはないよ。所属なら誰だってできるもん。
まあ、確かに? でもさ。昔ってことはもう辞めちゃったわけじゃん。なんでまた水泳を?
……君が誘ったんだよ。
そうだけどさ。断っても良かったわけじゃん。でも断らなかった。なんで?
それは……
いや、いいや。暗くなりそうだし。
訊いたの君じゃん。
雑談のつもりでした。ただ桜が思ったより深刻な顔をするもんだから。辞めた辞めた。
そんな顔してた?
してたしてた。まるで、水泳大っ嫌いだけど理由があって辞めらんなかった、って顔してた。
……間違ってないから何とも言えない。
そうか。まあでも、俺は桜が水泳部に来てくれて良かったと思うよ。
なんで?
んー。恥ずかしいから言わないっ!
なにそれ……
なあ桜。どうすりゃもっと速くなる?
んー。もっと腕伸ばして。水掻き切れてないから。
おっけー。やってみる。
──ぷはっ! なにこれしんど!
あはは。キツイでしょ。筋肉がまだへなちょこな証拠だよ。
ぐぬぬ……もっと鍛えないと、か。
頑張ってね。
そこは、一緒に頑張ろう、じゃねえのかよ。
えっ?
ほら、やり直し!
なんでよ。
お前も今は水泳部なの。未経験だった俺を引っ張る義務がある。だからもう一回。
えー。
はーやーく!
……わかったよ。一緒に頑張ろう、桃くん。
おうっ!
って言っても今はもう君の方が速くない?
なら追いつかないとだな。清水先輩?
……えー。
なんでそんなモチベ低いんだよー。頑張ってくれよー。俺も頑張るからさー。
分かった分かった。次の大会、負けても文句言わないでよ?
負けないから大丈夫だ。
言うねー。
さて、久しぶりにここに来たなぁ。この特有の塩素臭、嫌な記憶が蘇るね。
はい。じゃあもうワンセットやってみようか。
クラブの子達かな。頑張ってるなぁ。自分達のプールあるのに。使える時間以外もこうして市民プール貸し切って練習するんだよねぇ。
よーい、はいっ。ふぅ、次でレストかな。……って、桜さん?
えっ?
やっぱりそうだ! 大きくなったねー。
あっ……コーチ、お久しぶりです。
久しぶり。まだ水泳続けてたんだ。
最近また、少しだけ。
へぇー、そうなんだ。君は才能があったから勿体ないと思っていたんだよね。続けていたのならよかったよ。
……私に才能なんてないですよ。
そんな事ないよ。君はお姉ちゃんに負けないくらいの才能がある。
じゃあなんで私は速くならなかったんですか? 才能があるんなら、お姉ちゃんのように活躍していたでしょ。
んー。原因は、君の内面にあるかな。
私の内面?
そう。君は姉と比較されていくうちに自分の事を駄目な人間だと思うようになって、次第に自分の力を過小評価するようになってしまった。
でも、私と姉の実力は雲泥の差でしたよ。
お姉ちゃんの方が早く生まれた分練習した量が多いっていうのにね。周りは今しか見ないから、そんな事が言える。君の今までの積み重ねや、個々人の努力なんて見やしない。実はお姉ちゃんの昔の頃より速いなんて、知りもしない。
コーチ……
ふふ、失礼。これはただの独り言だから気にしないでくれ。親御さんの悪口なんてコーチが言ってはいけないからね。
ああ、確かに。分かりました。
ただ、君が戻ってきてくれて嬉しいよ。もし良かったらクラブにもどうだい?
あはは、考えておきます。
是非そうしてくれ。
なんか、雰囲気変わったか?
桃くん。いや、何も変わってないと思うけど。
そうかぁ? 自信がついてるっていうか、堂々と泳ぐようになったなって思うんだが。
あー。ちょっと励まされて元気出たからかも。
良かったじゃん。
うん。
でもそれだけでこんなに変わるもんなのか? だってタイムもみるみる縮んでるだろ。
ふふ、私は天才の妹だからね。当然私にも才能があるってだけの話だよ。
なんだそれ。天才?
そう。私って天才なの。知ってた?
いや……まあ、確かに速いなとは思ってたが。
私は天才、清水梅の妹。清水桜なんだよ。だから速いし、これからも速くなる。お姉ちゃんもいつか追い抜く。
清水……梅?
知ってる人だった?
ああ、俺が憧れている選手だよ。あの人の泳ぎの綺麗さに見蕩れて水泳を好きになったんだ。
分かる。お姉ちゃん、人魚のように綺麗に泳ぐもんね。
そうなんだよ。ただそうか、だからどこかで見たことある泳ぎだったのか。
なぁに。私の泳ぎ、お姉ちゃんに似てた?
ああ。ただ、お前の方がダイナミックだな。繊細さに欠けるが、勢いがある。
褒めてるの。貶してるの。どっちなの?
褒めてるよ。競泳に限っては繊細さより勢いの方が大切だからな。
……ありがと。
おう。ただ、お前が天才だからって負けないからな。
勝てるといいね。私に。
急に強気だなぁ。
大会本番、頑張ろっ!
おう。今日こそ勝つ。
隣で泳げたら良かったのにねー。
しょうがないだろ。男女で分かれてるし。
まあ、タイムが出るから何でもいいけどさ。負けないけど、期待してる。頑張ってね。
はっ。見てろ。追いつけない速度で壁を叩いてやる。
じゃあ桃くんも見てて。私が誰よりも速く帰ってくるところ。
できるといいな。
するよ。お互いに、ね。
そうだな。
はは……まじかよ。
ほら、言ったでしょ。誰よりも速く帰ってくるって。
まさかこの大会の今までの選手も含めた誰よりもだとは思わないだろ。
私嘘つかないから。で、私の勝ちだったわけだけど。
……ぐぬぬ。くそ悔しい。
ふふ、一年で随分速くなったようだけど、まだ負けないよ。
ズルいぞ! 幼少期の積み重ねがあるなんて!
ズルくないもん。それは過去の話だし、中学時代に泳いでないせいでそんなもの無くなったよ。だから私は今の部活で君より泳いでる。確かに私は天才。でも、努力を怠っているわけじゃない。結局、私が誰よりも練習してるから速くなったんだよ。
……反論できないのがまた悔しい。
今の私も素人同然。だから追いつくために人一倍練習しないとだけど、追い抜くには更に練習しないといけない。そうでしょ?
……そうだな。
もう私は諦めないよ。お姉ちゃんを追い抜くし、君にだって負ける気はないから。




