第七十四話 指の温度
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霧島家が襲撃を受けていたその頃――
戒は、まだ自分が“切り捨てられる側”だとは思っていなかった。
ほんの少し油断しただけだ。
弱いわけじゃない。
常夜ノ会本部。
蝋燭の火だけが、闇を許されていた。
ドサッ。
響は、担いできた戒を床に下ろした。
正面のソファに、“あの方”が腰掛ける。
その横に、灰堂。
「響、お疲れ様。下がって良いよ」
灰堂が微笑む。
響は一瞬だけ戒へ視線を落とし、すぐに前を向いた。
「……はい」
それ以上、何も言わずに部屋を出ていく。
灰堂は冷え切った目で、床に倒れる戒を見下ろした。
「……負けたの?」
「……うっ……」
戒に、意識はある。
だが、受けた傷と赤い霊力の反動で、身体は一ミリも動かなかった。
「……計画は……成功、したんだろ……?」
戒は眉を寄せ、目線だけを上げる。
「ああ、成功したよ。
――でもね。
君は、博士を“失望させた”」
暗闇の奥、灰堂の左目が光った。
ドクン!
鼓動が、早まる。
本能が、危険だと知らせている。
それでも――逃げられない。
戒の指先が、抗おうと小さく動いていた。
「戒、俺の言葉を覚えているか?」
ずっしりと、腹の底に響く声。
ソファに座る影が、ゆっくりと揺れた。
「俺を失望させた者は、“処分する”」
「……ッ!」
――『頭を冷やせ』
戒の脳内に、父の声が蘇った。
暗い蔵の中。
鍵が閉まる音。
暗闇が、怖かった。
でもそれ以上に、憎かった。
自分だけがこんな目に遭うなんて、我慢ならなかった。
何度も拳で、蔵の床を叩いた。
それでも。
『また、殴ったの?』
怒るわけでもなく、笑う。
『謝る時、ついてってあげる』
隣に、座ってくれた――葉月。
「灰堂。戒を第三研究所へ連れて行け。
壊れたら、壊れたで構わない」
「喜んで」
灰堂は、祈るように目を伏せた。
「それから――燦宮桃華を捕えろ」
「よろしいのですか?暮羽さんが、黙っていませんよ?」
ぬるい風が、暗幕を揺らす。
「反抗してくるようなら、暮羽も一緒に」
蝋燭の火が、ふっと長く伸びた。
その一瞬、“あの方”の顔が、暗闇に浮かび上がる。
「――強制共霊装置にかけろ」
その言葉に、戒の瞳孔が散大した。
「……ッ!ちょっと待てよ!!」
絞り出した声で、叫ぶ。
「俺を捨てる気か!?」
灰堂が戒の腕を掴む。
ガシャ、と金属が擦れる音がした。
「……クソ!」
どうして、俺は奪う側になれねぇんだ。
*
第三研究所。実験室。
戒の腕が拘束具に固定される。
視界の端に、緑色の光。
「じゃあね、戒」
灰堂がまた、微笑む。
拘束具が締まる。
目の前が白くなる。
遠くで、誰かの声がした気がした。
――『戒は、好きに生きて良いんだよ』
あの時、
俺の手を握った指の温度。
読んでくださってありがとうございます。
明日から第三章です。
※次回更新:3月9日21時
第七十五話 崩れかけた足並み




