第五十一話 知っていること、言えないこと
――民宿の広間には、全員が揃っていた。
斎賀先生を除いて。
濡れた靴が並び、畳に落ちる雨粒の匂いだけが残る。
それぞれが、知っていることと、言えないことを抱えたまま――誰も、最初の一言を選べずにいた。
「……なーんか、辛気臭くなーい!?」
沈黙を破ったのは、光流くんだった。
「みんな無事だったんだから、ラッキーラッキー!」
光流くんは明るく言うけれど、右手には真新しい包帯が巻かれ、消毒の匂いがわずかに残っていた。
僕はぎゅっと、下唇を噛み締めた。
「……お前は、まずその怪我の説明しろよ」
颯が低い声で言う。
「いや〜、縫うほどじゃないってさ!」
「そうじゃなくて、何で怪我したのかって聞いてんだよ」
「あーっと……それは――」
「常夜の連中が、紛れ込んでいたんだ」
光流くんの言葉を遮って、狛さんが答えた。
「戒か!?」
即座に颯が噛み付く。
「違う。白寧、それから、喝采と、言っていた。
接触したのは俺と光流、それから麗子」
「あの……」
奏さんが、すっと手を挙げた。
みんなの視線が奏さんに集まる。
「私と……それから福くんもです。
喝采という男に、だけですが」
「……あの人、怖かった」
福くんは、畳に視線を落として膝を抱えていた。
「けれど、私たちは何もされていません。
“逃げた虎を捕まえに来た。今日は喧嘩の日ではない”……そのようなことを言って、去っていきました」
「虎だぁ?」
首を傾げる颯。
だけど、狛さんは納得していた。
「なるほどな。
俺たちは先に、白寧の方に遭遇した。
白虎の霊と共霊できる男だ。
――“虎”とは、そいつのことだろう」
「狛さんたちは、その二人と戦ったんですか?」
「ああ」
僕の問いに、狛さんは短く答えて口をつぐんだ。
再び、しばらくの沈黙が訪れる。
狛さんが正座のまま、ゆっくりと光流くんと麗子さんの方に向き直った。そして、深く頭を下げる。
「すまない。光流と麗子の怪我は俺のせいだ。
俺がついていながら、危険な目に遭わせてしまった」
「ちょちょ!狛さん!それは違いますって!!」
光流くんが、慌てて両手を振り否定する。
「やめろって言われたのに、聞かなかったの俺だし!!」
「狛、頭あげて!アタシも望んで前に出たのよォ!」
「……」
狛さんは膝の上で拳を握り締め、頭を下げたままだった。
それまで無言で聴いていた紫苑さんが口を開く。
「つまり、その二人に敵わなかったってことでしょ」
にっこりと笑った。
空気が凍りつく。
「僕が着くまで持ち堪えてくれてたら、話は変わってたのに⭐︎」
「紫苑さん……!
喝采という男は、ただ者ではありませんでしたよ!」
奏さんが声を張り上げて言った。
「でも虎の方にも負けてたんでしょ〜?
味方が弱すぎて僕幻滅〜⭐︎」
「おい!そんな言い方ねぇだろ!!」
思わず颯が立ち上がる。
紫苑さんが颯を睨みつけた。
「は?雑魚が何僕に楯突いてんの?」
「んだとてめぇコラ!」
「ちょっとちょっと!今喧嘩してる場合じゃなくな〜い!?」
光流くんが二人の間に割って入る。
颯は握りしめた拳を、ゆっくりと解いた。
殴っても解決しないって、わかってる。
「喝采って男、スケジュールがどうのこうのって言ってたじゃん!それ、絶対なんかあるでしょ!?」
狛さんは顔を上げて、光流くんの言葉を継いだ。
「ああ。“余興はない”とも言っていた。
……“本番”が、別にあるんだろう」
――“本番”が来る。
「遠征は中止しよう」
狛さんは、はっきりと言い切った。
「ちゅ、中止?まだ山の霊害、全部祓ってないのに……?」
狛さんの様子を上目遣いで伺いながら、伊吹さんが口を開く。
直後、紫苑さんが嘲笑った。
「依頼を途中で投げ出すのって、どうなの⭐︎?」
「戻って、父さんや三流派の祓い師たちと合流する」
「はぁ?三流派の中にも常夜がいるって言うのに⭐︎?」
「……常夜が動くのは明日、いや今夜かもしれないんだぞ」
狛さんの握り拳が震えていた。
「まだ“何も起きてない”けど?」
「お前はアイツらを見ていないから、そんな呑気なことが言えるんだ!!」
ビクッ、と僕の肩が跳ねた。
居間が静まり返る。
「……お前、負けたから焦ってんの?」
低い声。
紫苑さんはスッと立ち上がった。
「話になんない⭐︎凡才たちで話し合えば?」
紫苑さんが襖に手をかけ、部屋を出ようとしたその時。
ガラッ!
「すみません。遅くなりました」
東雲警部との電話を終え、斎賀先生が居間に戻って来た。
「邪魔⭐︎」
「へぶっ!」
紫苑さんは斎賀先生を軽く突き飛ばして、居間を出て行く。
不穏な空気だけが残った。
「……紫苑くん、何か怒ってましたね……??」
斎賀先生の言葉が宙を漂う。
「あの……?みなさん……??」
「狛」
斎賀先生の言葉をスルーして、麗子さんが話し始めた。
「気持ちはわかるわ。アタシたちは、アンタと同じものを見たからね。でも――
依頼は、最後までやりましょう。
ここにも、助けを求めてる人がいるんだもの」
「……そうそう!狛さん!
明日の朝、チャチャッと終わらしちゃって、で、サーッと帰ろ!?ね!みんな!?」
重い空気を、光流くんが無理やり破るみたいに言った。
「……うん」
「……俺も光流に賛成」
光流くんの提案に、僕と颯は揃って頷く。
「私も、それが最善かと思います」
「ボクも!福ちゃんもそう思うよね!?」
「うん!伊吹ちゃん!」
みんなの意見がまとまった。
張り詰めた糸がほんの少しだけ、緩んだ気がした。
「……そうだな。
……みんな、悪かった」
狛さんは俯いたまま立ち上がる。
「少し、頭を冷やしてくる」
狛さんは襖に手をかけ、僕たちを置いて居間を出て行った。
「あの子も色々、背負ってるものがありそうねェ」
麗子さんの呟きを、僕は聞き逃さなかった。
その“色々”の正体が、
今の僕には、見えない。
じっ、と閉じられた襖を見つめる。
襖の向こうに消えた狛さんと、
――紫苑さんの背中が、頭から離れなかった。
あの人は――
本当に、味方なんだろうか。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:2月21日15時
第五十二話 それぞれの事情




