第三十七話 準備段階
***
「……」
橋の上から、柊たちの訓練を見下ろす女がいた。
きっちりと一つに束ねられた長い黒髪が風に揺れる。
「おい、暮羽」
「てめぇ勝手に動いてんじゃねぇぞ」
戒だった。
暮羽は振り返らずに答える。
「……貴方も、勝手に来たのでしょう。
あの兄弟に、止めを刺したくて」
「ふん」
「でも、残念でしたね。
すでに久世の連中と合流したようです」
戒の目が、わずかに細くなる。
暮羽の視線の先には、紫苑の姿。
「また、めんどくせぇやつらが出てきやがったな」
戒は、狛を見ながら呟いた。
「“久世が絡んできたら、勝手に手を出すな”。
“あの方”からの命令です」
暮羽は振り返って戒の方を向く。
「……チッ」
戒は腕を組み、舌打ちをする。
暮羽は、少しだけ口角を上げて言った。
「指示があるまで、余計な手出しは不要です」
「おい、てめぇ。
何でちょっと嬉しそうなんだよ」
「そのようなことはありませんが」
暮羽は、キッパリと言い切った。
きゅっとネクタイを締め直し、その場を去ろうとする。
「待てよ!裏切るつもりじゃねぇだろうな!」
戒の声が橋の上に響いた。
「まさか」
そう言って、再び橋の下に目線を落とす。
その瞬間、紫苑が振り返ったように見えた。
だが、本当にこちらを見ていたのかは、わからない。
「……読めない子」
暮羽はぽつりと呟いた。
「まあ、手出すなっつってもよ」
戒が、せせら笑う。
「“あの方”のことだからな。
……もう誰かに、手ぇ回しててもおかしくねえ。
どいつが、どこまで噛んでるかわからねぇが」
戒の視線が、河川敷を手前から奥へとなぞった。
「……どうでしょうね。
どちらにせよ、今が準備段階であることに変わりはないでしょう」
二人は踵を返し、橋を後にする。
――この場にいる“誰か”が、いずれ盤面を壊す。
暮羽は、そう確信していた。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新 2月13日21時
第三十八話 回らないまま




