第十七話 十七歳【後編】
消毒液の匂いが、鼻の奥に刺さった。
――市立大学病院。
あの日、僕と颯が緊急搬送された病院だ。
奏さんの心遣いで近くの花屋に寄ってから、僕たちは病院へ向かった。
術後の経過は安定し、数日前、颯はICUから一般病棟へ移っていた。
受付で面会の札を記入し、僕たちは病室に向かう。
病院特有の空気に、みんなどこか緊張しているのが伝わってきた。
それに、僕自身も――病院の颯に会うのは少し久しぶりで、心臓がドキドキと脈打っていた。
コンコン。
「失礼します……」
颯の病室は個室だ。軽くドアを叩いてから、ゆっくりと扉を開ける。すると――
「……父さん」
そこにいたのは、父さんだった。
父さんはゆっくり振り返り、僕たちを見る。
父さんの視線は、僕と奏さん、光流くんの三人を、順に確かめるように撫でた。
「柊。それから……友達かな?」
父さんは、ふわっと柔らかく微笑む。
「初めまして。柊くんと颯くんの友人の、霧島奏です」
「朝倉光流です!」
奏さんと光流くんが自己紹介し、揃って頭を下げた。
「……麗子よォ」
届かないとわかっていても、麗子さんは、丁寧に、静かに頭を下げていた。
「友達が来てくれるなんて、嬉しいね」
「あの、これ……」
奏さんが、父さんに花束をそっと手渡した。
白を基調とした、静かな色合いの花束。
病室の空気を乱さないように。
そして、本体の颯が早く目覚めるように――そんな配慮と祈りが、花束そのものから伝わってくる。
「わざわざありがとう。トルコキキョウかな?綺麗だね。……きっと、颯も喜んでるよ」
父さんはそう言って花束を受け取り、ベッドの脇へそっと置いた。
「どうぞ。みんな、颯に声をかけてあげて」
そう言う父さんの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
颯は病室の入り口で腕を組んだまま、俯いている。
――父さんの方を、見ないようにしているんだろう。
僕たちは静かに、ベッドへと歩み寄った。
「……」
本体の颯は相変わらず、眠っているみたいだった。
身体のあちこちに、まだ包帯が残っている。
「誕生日おめでとう。颯」
僕はそっと、颯の手に触れた。
――暖かい。
その温もりが、颯が確かに生きていることを教えてくれる。
「おめでとうございます。颯くん」
「おめでとう、颯!早く目覚ませ〜!」
「十七歳、おめでとう。坊や」
三人も、僕に続いて声をかけてくれる。
その声を颯は――
病室の後ろで、黙って聞いていた。
「今日は来てくれてありがとう。これ、良かったらみんなで食べて」
父さんが小さな箱を僕に手渡した。
「ケーキ……?」
「颯の誕生日は、毎年チョコレートケーキで祝っていただろう?」
そうだ。僕の誕生日にはショートケーキ。そして颯の誕生日は、いつもチョコレートケーキだった。
「今年は、残念だけど颯は食べれそうにないからね。君たちで食べてくれたら、嬉しい」
父さんはそう言って、一呼吸置く。
「颯は、きっと、
“ひとりじゃない”ってこと、ちゃんとわかると思うから」
父さんは、僕の目をじっと見つめていた。
「ケーキ、頂きます!」
光流くんが、はっきりと答えた。
「ありがとうございます。また、来ますね」
奏さんは、丁寧にお辞儀をする。
「柊、今日も遅くなるなら、ちゃんと連絡するんだよ」
病室を出ようとする僕に、父さんが声をかけた。
その表情は、どこか嬉しそうだった。
――僕の“友達”を見るのが、久しぶりだったからかもしれない。
「うん。帰る時は連絡するよ、父さん」
僕の返事を聞いて、父さんは微笑む。
「柊……信じてるよ。気をつけてね」
僕たちは、静かに病室の扉を閉めた。
何も話さず、エレベーターホールへと並んで歩いた。
到着したエレベーターに、揃って乗り込む。
「颯……本当に、ここにいたんだなー」
階数のボタンを押しながら、光流くんがぽつりと呟いた。
「まだ死んでねぇからな」
颯の声は、誰かに言い聞かせるみたいだった。
「なーんかさ。早く二人が元に戻る方法、探そう!って、改めて思ったわ」
「アタシもよォ」
「必ず、見つけましょう」
三人の声は、不思議と落ち着いていた。
「……うん」
僕もそう思った。早く颯を元に戻したい。
そう思っているのは、今はもう、僕だけじゃない。
エレベーターの扉が閉まり、
病室の空気が、ゆっくりと遠ざかっていく。
――その時だった。
足元に、違和感。
目を向けると……そこには、一人の女の子の姿が。
年長さんくらいだろうか。白いニット帽を被ったその子は、僕のズボンの裾をきゅっと握りしめて、じっと僕の手にあるケーキの箱を見つめている。
「……い、いつの間に……!?」
「どうした、柊?……って誰だこいつ」
颯の声が低くなる。
その女の子からは、生きている人間特有の"温度"が、まるで感じられなかった。
チーン。
エレベーターが一階に到着した。
女の子は僕のズボンの裾を握ったまま、離れようとせず、一緒に降りてくる。
「あらあらあらァ……」
麗子さんが、中腰になって女の子の顔を覗き込む。
すると女の子は、びくっと肩を揺らして僕の背中にしゅっと隠れた。
「どうしたのかしらねェ。この子」
「おい、こいつ麗子にビビってんぞ」
「ま〜ァ!」
「……病院ですからね。こういう子もいるのでしょう」
奏さんが、困ったように頬に手を当てた。
「あ、わかった!」
光流くんが、ぽんっと手を叩く。
「この子、ケーキ食べたいんじゃない!?」
その言葉に女の子の目が、きらっと光った。
「……けーき」
小さな声だった。
「……一緒に、食べる?」
僕が振り返ってそう尋ねると、女の子はこくこくと何度も頷いた。
どうやら、意思疎通ができるようだ。
「ちょうど一階にカフェスペースあるし、寄ってく〜?」
光流くんが指差した先には、カフェのロゴが。
僕たちは、そのままカフェに向かうことにした。
女の子が、そっと僕の手を握る。
少し驚いたけど、僕は何も言わずに握り返した。
――その手は、氷みたいに冷たかった。
離そうとは、思わなかった。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:1月23日21時
第十八話 ずっと、会いたかった人【前編】




