第十六話 星と月【後編】
その星の下、僕たちは歩き出した。
「んじゃ、次は光流んちか。こっから近ぇの?」
「歩いてすぐよォ。柊、あと少し頑張って」
「は、はい!」
「すぴーーー……」
僕の背中で、気持ち良さそうに眠る光流くん。
今日はいろいろあったし、疲れたよね。
「斎賀先生、大丈夫かなぁ」
「いい大人なんだから大丈夫だろ」
「生徒の前で吐く教師なんて、見たことないわよォ」
駅前の通りを歩きながら、光流くんの家へと向かう。飲食店が並ぶこの通りには、夜になってもまだ、たくさんの光が灯っていた。
「麗子さんもたくさん飲んでたけど、全然変わらないね。生前から、お酒強かったの?」
僕は、麗子さんを見上げた。
「……そうねェ」
少しの沈黙のあと、麗子さんは口を開いた。
「アタシね、生前の記憶が、ほとんどないのよ」
「……え?」
生前の記憶が、ない?
「どういうことだよ?」
「……霊になってから長い間、成仏できずにいるとね。
生前のことを、少しずつ忘れていくの。
アタシはもう……
何も、思い出せないのよ。未練も、本当の名前も」
麗子さんは、静かに続けた。
「光流はね、アタシの記憶を取り戻そうとしてくれてるの。アタシが未練を晴らして、成仏できるように……」
そう言って、眠る光流くんを見る麗子さんの目は、とても優しかった。
「そうだったんだ……」
「麗子って名前は、光流がくれたのよ。“霊だから”……でも、”女性だから麗子”って」
「はーん……。
本当に、何にも覚えてねぇのかよ?」
颯が、空を見上げながら呟く。
僕もつられて見上げたけれど、街の街頭が眩しくて、星はひとつしか見えなかった。
だけど、その星は、確かに僕らを照らしていた。
「……多分ね、アタシ、娘がいたのよ」
雲の切れ間から、月だけが顔を出す。
それは、星よりもずっと大きく――まるで、誰かを見守っているみたいだった。
「名前も顔も、どんな子だったのかも――何ひとつ、思い出せないけれど」
その娘さんが、麗子さんの未練に関わっているのだろう。
この世に留まってしまうほど大切だった存在なのに、
名前も、顔も、忘れてしまうなんて。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
「名前も住んでいる場所もわからなきゃ、探しようがないわよねェ」
そう言って、麗子さんは笑った。
でも、どこか寂しそうな笑顔。
「麗子さんは……娘さんに会って、伝えたいことが、きっとあるんですよね」
「そうねェ。何か、ひどく後悔したことがあったはずなのよねェ」
「何かのきっかけで、思い出すかもしんねぇんだろ」
颯が、空を見上げたまま言う。
「娘じゃなくても、生前に関わったやつに会ったりとかよ。そしたら、何か戻るかもしんねぇじゃん」
「そ、そうですよ!」
思わず、大きな声が出た。
「僕たちも、手伝いたいです……。
できること、やります。ね、颯」
「おーよ」
「ふふ……アンタたちは、本当に優しいわねェ」
麗子さんは、少し困ったように笑った。
駅前を抜けて、十分ほど歩いた頃――
「――さァ、着いたわよ。光流の家」
目の前にあったのは、一棟のマンション。一階には飲食店が並ぶ。
その中の一つ――『スナック HIKARI』と書かれたネオン看板が、夜に滲んで光っている。
「家は上だけど、とりあえずここでいいわよォ」
「え!?ここ、スナックだよ!?」
「光流のママがやってるお店なのよ」
麗子さんは、ためらいもなく扉を開けた。
「おい!お前――!」
“一般人には姿、見えねえだろ!”
颯がそう言い切るより早く、
「いらっしゃ〜い!!」
店内に、明るい声が響いた。
「お!れいたん〜!どうした〜!?」
ぴょんぴょんと駆け寄ってきた女性。
金髪のストレートロングに派手なメイク。優しげに垂れた目元が光流くんによく似ている。顔がほんのり赤いのは、お酒のせいなのだろう。
タイトワンピースに身を包んだ彼女は、いかにもな、ギャルだった。
「れいたん……??」
麗子さんのことを指しているのだろうか。
呆然とする僕の横で、
「この美人、光流のママか!?」
颯が聞いてくる。
「ママじゃなくて姉な!ウチまだ24だから!」
颯の問いに、彼女が即答した。
「ウチは姉の光知瑠!ママはあっち!」
そう言って、カウンターの奥を指差す。
「光流の友達〜!?」
今度は、カウンターから別の女性が顔を出した。
少ししゃがれた声。けれど、どこか柔らかい。
「……あら?」
その人の視線が、僕の背中――眠っている光流くんに向けられた。
「うわ!光流寝てる!?ごめんね〜!」
慌てて駆け寄ってくる、その人もまた、派手なメイク。そして、綺麗に巻かれた金髪だった。
「麗子ちゃん、ごめん!光流、奥に運ぶの手伝って!とりあえずソファに寝かせよ!」
「もちろんよ、ママ」
「二人ともありがとうね〜!」
光流くんのお母さんは、僕たちに片手で謝った。
――待って。
この人も。
麗子さんと颯のことが、普通に見えてる……?
「色々と気になるでしょうけど、その辺は明日、学校で話すわァ〜」
光流くんを僕の背中から下ろしながら、麗子さんが言う。
「あ、は、はい……」
「んじゃまたね、ガキんちょたち〜!」
ハハハッと笑いながら、光知瑠さんが手を振る。
そのまま、勢いよく扉が閉まった。
「……ガキ扱いかよ」
「……なんか、すごいね」
取り残された僕と颯は、顔を見合わせる。
「帰ろうか。颯」
「おう」
僕たちは、そのまま夜道を歩き出した。
――そして、家に帰ると。
「おっっっそい!!」
久しぶりに、父さんの雷が落ちた。
その声は、怒っているのに、どこか震えていた。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:1月21日21時
第十七話 十七歳【前編】




