第十五話 合図
張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。
その時だった。
「さてと。みなさん、お腹すいたでしょう?何か食べに行きますか?」
斎賀先生が、にっこりと笑って振り向いた。
「もちろん、僕の奢りです」
「え!良いんですか!?」
僕の声に、光流くんと麗子さんがすぐさま反応する。
「うぇ〜い!先生、給料出たんだ〜!」
「じゃなきゃ、そんな気前の良いこと言わないわよォ」
「へぶ……っ」
斎賀先生が、地味にダメージを受けていた。
「待ってください。親に連絡します」
奏さんはそう言ってスマホを取り出す。
みんなが完全に“ご飯行く”ムードになる中で、僕は、ひとつ気になっていたことがあった。
ちらりと、颯を見る。
「……颯は、食べられないよね?」
半霊になってから、颯が何かを口にしているところを、僕は一度も見たことがない。
「なーんか、この姿になってから、腹減らねぇんだよな〜」
颯は空中で胡座をかき、ぐーっと背伸びをする。
「霊なんだから、当たり前でしょォ?」
「でもさ〜、別に“食べれない”わけじゃないよ?」
「え!そうなの!?」
光流くんの言葉に驚いて、思わず声のボリュームが上がってしまった。
「霊力を通して取り込めばいいの〜!ちょっと霊力を付与してあげれば、触れるし食べられるよ〜!
――ただし!」
光流くんが、ぴしっと指を立てた。
「他の人には颯の姿が見えないからさ〜。“食べ物が勝手に浮いて消える”ホラー現象にしか見えないんだよね!そこは気をつけてね〜!」
「まじかよ……」
颯は一瞬考え込んでから、ぽつりと言った。
「……俺、普通にメシ食いてぇんだけど」
そうだよね、颯。
颯は食べるのが好きだったし。ラーメンとか、肉とか。
「……先生」
僕が反応を伺うように視線を向けると、斎賀先生は、にこっと柔らかく微笑んだ。
「行きましょう。柊くんも、颯くんも」
「……!」
「お待たせしました。家の許可がとれたので、私も一緒に行かせていただいても良いでしょうか?」
どうやら、奏さんも参加できるらしい。
「うぇ〜い!新チーム結成!お祝い会って感じ!?」
「では、早速行きましょうか。みなさん、僕の車へ――」
その一言に、僕たちは揃ってぴくりと反応した。
……そういえば、斎賀先生の運転だった。
「お前ら、気ィつけろよ……」
車に乗らない霊組の二人が、心底気の毒そうな目でこちらを見ていた。
――数十分後。
僕たちは、とある店の中にいた。
「……って」
颯が、眉間に深い皺を寄せる。
「なんで高校生連れてく店が居酒屋なんだよ!!」
ドンッと、テーブルを拳で叩く颯。
……実際には、テーブルには触れていないのだけれど。
「まあまあ、颯くん。居酒屋のご飯は、飲まなくても美味しいですから」
斎賀先生はそう言いながらも。
「あ、すみません。生一つ……」
「生一丁〜!」
タッチパネルを操作する光流くんが、すかさず反応した。
「ただお前が飲みたいだけだろ!!」
「僕、居酒屋なんて初めて来た……」
「わ、私もです……。結構、いろいろあるんですね」
僕と奏さんは並んで、紙のメニュー表を覗き込む。
そう。ここは居酒屋の個室。
掘りごたつの席で、他の部屋とはふすまで仕切られている。
斎賀先生の運転は相変わらず不安だったが、奏さんの的確すぎる運転サポート(?)のおかげで、何とか無事に辿り着くことができた。
「個室だし、アタシも颯も気兼ねなく飲み食いできるし、結果的にここで正解だったんじゃなァい?」
そう言って、麗子さんが光流くんを見る。
「あ、光流。アタシにも生一つ」
「うぇ〜い!」
「麗子も飲むんかい!!」
「お刺身、唐揚げ、シーザーサラダ、エリンギバター、厚焼き卵とエビマヨと〜、手羽先と味噌カツは必須でしょ!あと何いっとく!?」
ピッピッと、光流くんは軽快な手つきでタッチパネルを操作していく。
「た、頼みすぎでは……?」
奏さんが、不安そうな顔をした。
量の問題か、それとも斎賀先生の懐事情か。
「あ、枝豆も追加で……」
斎賀先生が、控えめに注文を足す。
「犬に引っ張られてんじゃねぇぞ」
颯の声が、部屋に響いた。
コンコン!
「失礼しまーす!お先にお飲み物です!」
ノック音とほぼ同時に、明るい声をした女性店員さんが入ってきた。にっこりとした営業スマイルだ。
「生二つと、カルピスと、ジャスミンティー、ジンジャーエール、コーラです!……あれ?」
店員さんが、トレイの伝票に目を落とし、首を傾げた。
「四人……?数、合ってます?」
首をかしげる店員さん。
――そりゃそうだ。
店員さんには、颯と麗子さんの姿が見えていない。
「は、はい!だ、大丈夫ですよ!」
斎賀先生が、少し裏返った声で返答する。
「大人が……一人で、生が二つ……?」
店員さんは、テーブルの上にグラスを並べながら、部屋の中を見回した。
「み、未成年の飲酒は禁止ですよ!?」
「だ、大丈夫です!」
斎賀先生は、慌てて言い訳を始める。
「ちゅ、注文を間違えまして!ぼ、僕が二つ飲みます!」
そう言って、生中のグラスを二つ、自分の手元にぐいっと寄せた。
「……」
店員さんが不審そうな目つきで、斎賀先生を見ているのがわかった。光流くんは、必死に笑いをこらえている。
やがて店員さんが去り、斎賀先生は大きく息を吐いた。
「ごめんなさいねェ、先生」
「……いえいえ」
麗子さんが、斎賀先生からグラスを自然に受け取る。
その姿を見て、疑問が浮かんだ。
「麗子さんは……物や人に触れるんですよね」
麗子さんも霊のはずなのに、僕たちと同じように触れ合えている。
「アタシはねェ、対象の物や人にほんの少しでも霊力があれば、触れるのよ」
奏さんが補足する。
「霊力が強ければ、一方的に触れるんですよ。……墓地で、友達が足を掴まれた時みたいに」
――なるほど。
でも、なんとなく、もやっとした感じが残る。
「霊は霊力を通してしか触れ合えないじゃなァい?だから霊力ゼロの颯には、いくらアタシの霊力がデカくても、触れないってワケ」
麗子さんが、肩をすくめた。
「おい……グラス持てねぇぞ」
颯が、むすっとした顔で呟く。
「はいは〜い!霊力チャージね!」
光流くんが素早く手をかざし、颯のグラスに霊力を送り込む。グラスが、ぱあっと青白く光った。
――が。
「おい!俺自身にも霊力ねぇぞ!!!」
そういえば。さっき河川敷で、確かに僕は霊力を付与したはずなのに……消えてる?
「付与された霊力は、時間と共にすこーしずつなくなるからね〜」
僕の疑問を察したかのように、光流くんが言った。
「てか颯、ある程度は霊力持ってた方がよくない?」
「はぁ?何でだよ」
「擬態だよ、擬態ー!」
その言葉に、さっきまでの賑やかさが引いていく。
ふすまの向こうの笑い声が、妙に遠く聞こえた。
声は明るいけれど、光流くんは冗談で言っているわけではないとわかった。
「なるほど……。半霊であることを隠して、普通の下級霊のふりをする、ということですね」
奏さんが、顎に指を当てて頷いた。
「下級霊!?」
颯が、即座に噛み付く。
「そうそう。さっき東雲警部が言ってたでしょ?
“最近の霊害の発生には、人的な可能性がある”って」
光流くんの声が、少しだけ低くなる。
僕はごくり、と喉を鳴らした。
「もし本当に人が関わってるとすれば、俺たちは今後、霊害だけじゃなく、人ともやり合うことになる。その時、颯の正体がバレるのは、かなり不利だよ」
「不利……?」
困惑する僕。
光流くんが、指でこめかみをトントンと叩きながら言う。
「霊害と違って、人は考えるからね〜」
「正体がバレたら――本体の方を狙われるってことよォ」
麗子さんの言葉に、背筋が凍えた。
確かに。
颯の“本体”を狙われたら、それで終わりだ。
「それは、僕も同意見です」
斎賀先生の声色は、真剣だった。
「颯くんが半霊であること、そして本体が病院で眠っていることは、極力、伏せておくべきでしょう」
ひと呼吸置いて、続ける。
「そのためにも――颯くんには、常にある程度の霊力を付与しておく。“どこにでもいる下級霊”に見せかけるために」
みんなの視線が、自然と僕に集まった。
斎賀先生が続ける。
「柊くん。今後は、君が颯くんに霊力を供給してください」
「……はい」
その役目の重さを実感して、自然と声に力が入った。
「そして颯!」
光流くんが、びしっと颯に指を向けた。
「霊力、自分で回復できないんだから、無駄遣い禁止!」
「うっ……」
颯が、苦虫を噛み潰したような顔をする。
――その時。
コンコン!
「失礼しまーす!」
不穏な空気を砕くように、さっきの店員さんが明るい声で入ってきた。
「お刺身、枝豆、シーザーサラダでーす!」
机の上に、次々と料理が並べられていく。
それを見た途端、急にお腹が減ってきた。
「さ、難しい話はここまで!」
斎賀先生が、ぱんっと手を叩く。
「まずは、食べましょう!」
「賛成〜!乾杯しよ〜!」
光流くんが、ジンジャーエールのグラスを掲げた。
店員さんが部屋を出たのを確認してから、僕はそっと颯に手をかざす。
指先から青白い光が、静かに颯へと流れ込んだ。
「柊くん。要領を掴みましたね、さすがです」
奏さんが、ふっと優しく微笑んだ。
「ありがとう、奏さん」
「おー!これで俺も飲み食いできるわけだ!」
颯はコーラが入ったグラスを手に取る。
嬉しそうな颯の声を聞いて、胸の奥が、少しだけ暖かくなった。
「ではでは〜!みんなの出会いに――」
光流くんが、楽しそうに声を張り上げる。
「かんぱーい!」
グラスが六つ、重なる音が響く。
それは、僕たちの“チーム”が動き出す、合図となった。
――同じ瞬間。
ふすまの向こうで、何かが羽ばたく気配がした。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:1月19日21時
第十六話 星と月【前編】




