第九話 霊の麗子さん
「ここで訓練するのはやめましょうね!!これ以上、物が壊れたら……僕、クビになりますからね!!」
斎賀先生の切実な訴えを受けて、僕たちは河川敷に移動することになった。
奏さんの提案で、人目につかない高架下で訓練するらしい。
「うぇーい!」
光流くんは、スケボーに乗って先を進んでいた。
「光流くん!ここはスケボー禁止ですよ!」
奏さんの注意を受けて、光流くんがぴょんっとスケボーから降りる。
「へいへーい!」
そして、謎のダンスを踊り始めた。
買い物帰りの主婦や小学生たちが足を止め、女子高生は笑いながらスマホを向けている。
「やめてください!踊るのも禁止!!」
「アイツのテンションどうなってんだよ」
「颯も一緒に踊る〜!?あ、奏ちゃん!動画撮って〜!」
「踊らねぇよ!!」
「撮りません!!」
前を行く奏さんと光流くんの横で、颯が宙を漂いながら、悪態をついている。
そのやり取りを少し後ろから眺めながら、僕と麗子さんは並んで歩いた。
今はもう、颯も当たり前のように会話に混ざっている。
「ところで坊や、アタシのこと、前から知ってたわよねェ」
不意に、麗子さんが僕に話しかけてきた。
「は、はい。何度か、学校で……。やっぱり、気づいていましたか」
「そりゃあ、目が合ったこともあるもの。この子、“見えてる”って、すぐ分かったわよォ」
「……あの時は、すみません。見てみぬふりを、していました」
申し訳なさに、自然と視線が下に落ちる。
「謝る必要なんて、ないわよォ。霊なんて、本来怖いものだから。目を背けて当然よォ」
麗子さんの声は、意外なほど優しかった。
「それにね。この子、今までずいぶん怖い思いをしてきたんじゃないかって、思ったわ。霊が見えるって、普通の人にはない力だもの」
その言葉に視界が、わずかに滲んだ。
「だからアタシも声をかけなかったし、光流にもアンタのことは話さなかった。アンタは、霊と関わりたくないタイプって分かったからよォ」
麗子さんは、ゆっくりと僕の方へ視線を向ける。
僕は、ピクッと肩を振るわせた。
「でも――」
一呼吸、間が空く。
「そんなアンタが……どうして、斎賀先生の提案を受け入れたのかしら?こっちの世界に、深く足を突っ込むことになるのよォ?」
少しの沈黙の後、僕は息を吸い込んだ。
「正直……今でも霊は怖いです。霊害を思い出すと、ゾッとします」
僕の素直な気持ちだった。自分でも驚くほどに。
「……ここから先は、もっと怖い思いをするかもしれないわよォ?」
麗子さんの言葉は脅しではなく、忠告だった。
きっとその通りなんだろう。
これまでは、たまたま無事でいられただけ。
いつか――取り返しのつかない状況に、直面するのかもしれない。
それでも。
「……それでも、僕は颯を救いたいんです。そのための手がかりが見つかるのなら、僕はやります」
迷いはなかった。
「僕の、たった一人の……大切な弟ですから」
麗子さんは、黙って僕の話を聞いていた。
「それに……颯が今、あんな風になったのは、僕のせいなので。だから、必ず助けます」
すると、麗子さんがゆっくりと首を振った。
「それは違うわよォ」
柔らかな声で続ける。
「あの銀髪坊やはね、望んでアンタを守ったのよ。
そうじゃなきゃ――アンタが死んでたでしょォ?
それこそ、あの子は報われなかったんじゃなァい?」
「……ッ」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
確かに――。
颯が守ってくれなかったら、僕は今、ここにいない。
「あの子を守ろうとする覚悟は立派よォ。でもね、せっかく守ってもらった命なんだから……ちゃんと大事にしなくちゃ、ダメよ」
麗子さんは、そう言ってふっと笑った。
「霊のアタシが言うと……説得力あるでしょォ?」
まるで、母親のような温かい笑顔だった。
罪悪感が消えたわけじゃない。けれど、ほんの少しだけ胸が軽くなった気がした。
「とにかく、アンタの覚悟はよく分かったわ。そういうことなら、アタシと光流が全力でサポートしてあげる!」
バシィン!!
背中に衝撃が走った。
「いたぁ!!」
じーんと痛みが広がり、思わず涙が滲んでくる。
麗子さん、励ましてくれたんだろうけど、痛いよ……。
僕は涙目で麗子さんを見上げた。すると、
「契約っていうのはねェ……霊を縛るだけのもんじゃないのよ」
麗子さんが、どこか遠いところを見て言った。
「霊害になりかけている霊をね……この世に繋ぎ止める。そういう契約も、あるのよ」
「霊害になりかけている霊?」
妙に引っかかる言葉。
どういう意味なんだろう。
考える間もなく――
「颯〜!どっちが早く着くか競走しようぜ〜!」
前方で、光流くんが再びスケボーに足を乗せる。
「だからスケボーはダメですってば!」
「お前、スケボーは反則――」
颯が追いかけようとした、その時。
バチィィィン!!
颯が透明な壁に弾かれた。
「……ってぇ!!出た!バリア!!おい柊!てめぇ俺の側から離れんなや!!」
「え!?何!?告白なの!?」
光流くんが両手で口元を覆った。
「ちげぇわボケ!!」
「ご、ごめん颯!」
悪いことはしていないのに、反射的に謝ってしまった。
「……ったく、お前がいねぇと俺は動けねぇの!」
「ほらね。あの子も、アンタのこと必要としてんのよ」
麗子さんが親指で颯をさす。
「はは……そういう意味では、ないかもしれないですけど」
苦笑いする僕を、麗子さんは優しい表情で見つめていた。
「ほら、早く行くわよォ〜!」
僕と麗子さんは、前方の三人に向かって走り出した。
高架下は、もうすぐ目の前だ。
「ってか、バリアって何〜?」
光流くんが、頭上に疑問符を浮かべる。
「は?契約してるとアレだろ?一定距離離れられないっていう」
「え、そんなんないけど」
さらりと答える光流くん。
空気が、一瞬止まった。
「はあ!?俺らだけ!?何で!?」
颯の声が、河川敷に響く。
「うぇ〜い!仲良し兄弟!!」
光流くんが、楽しそうに僕らを交互に指さす。
「た、確かに……契約者同士の距離縛りなんて、私も聞いたことがありません」
奏さんが助けを求めるように、麗子さんを見上げた。
「そうねェ。契約の内容によるんじゃないかしら?」
――あ。
斎賀先生の仮説がふっと頭をよぎった。
本当に、あの時の僕の“いなくならないで”という願いが、颯との契約になったのだとしたら――。
「はっきりとは分かっていないんですけど……斎賀先生は、“いなくならないで”っていう僕の願いが、契約になったんじゃないかって」
「何それ!泣ける!!」
光流くんが、両目を潤ませた。
「じゃあ、お前らはどんな契約したんだよ」
颯が、少し不貞腐れた表情で二人に問いかける。
「ええ〜、俺ら〜?」
光流くんは、恥ずかしそうにクネクネと身体をくねらせた。
「……何でちょっと照れてるんですか」
そう言って、奏さんが一歩下がって距離をとる。
「だってぇ〜、麗子が、“守ってくれる”って言うからぁ〜」
「そうよォ」
麗子さんは、腕を組んで、ふんっと鼻を鳴らす。
「アタシが、光流の毒牙から、女子達を守ってんのよォ〜。光流を放っておいたら、何人の女子が泣くことになるか、分からないもの」
「そうそう!麗子のおかげで、俺、高校入ってから、マジで彼女できない!」
光流くんが、なぜか胸を張って言った。
「は!?どういうこと!?麗子が守ってんの、光流じゃなくて女子!?」
颯が眉を寄せる。
「麗子さんは……世の中の女子を守るために、光流くんと契約を!?」
奏さんは、感動したように目を輝かせた。
「なんという慈悲……!そんな契約も……あるのですね!!」
奏さんが、麗子さんを尊敬し始めた瞬間だった。
「え、結局、どういうこと……?麗子さんは、光流くんを守ってるの?守ってないの?」
混乱したまま首を傾げる僕の背中を、今度は光流くんがバンバンと叩く。
「ま、細かいことは気にすんなー!」
「……なーんか、嘘くせぇ話だなぁ」
颯はそう呟きながら、空中をゆらりと漂っていた。
「まあまあ、その話は置いといて〜!今日は霊力操作のレッスン〜!」
光流くんがスケボーに乗って、河川敷を勢いよく下っていく。
僕らもそれに続いて、高架下へと向かった。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:1月12日12時
第十話 触れる




