第八十四話 ごめん
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Side:柊
翌日、午前十時。籠屋市港区。
古い商店街の裏通り。
シャッターを閉じたままの建物が連なる。
「柊ー!こっちー!」
三階建てのビルの真下で、光流くんが手を振る。
横に麗子さん、それから先輩たちの姿も。
福くん、今日も大きい方の姿だ。
最近、痩せた方を見ていない。
僕は駆け足で向かった。
「遅くなってすみません」
息を切らす。
「時間通りだ。問題ない」
狛さんはビルを見上げていた。
三階の窓に貼られたテナント募集の紙が、風にめくれて音を立てる。
窓ガラスは薄く曇り、中の様子は見えない。
――築港センタービル。
港の潮風にさらされ続けているせいか、灰色というより、くすんだ緑色に見えた。
壁面の塗装はところどころ剥がれ、コンクリートの素肌が覗いている。
人の気配がない。
建物が、息をしていない。
「いかにも怪しいね〜」
光流くんが、入り口脇の立て看板をちらっと見る。
【メンズマッサージ&エステ♡ 60分3,000円】
怪しげなハートマーク。
自動ドアは半分開いたまま止まっている。
その隙間から、カタコトの日本語が聞こえた。
甘ったるい香水と、湿ったタオルの匂いが鼻を刺す。
「このビルの地下なんだよね?」
伊吹さんが、マッサージ店の入り口横、地下へ続く階段を指さした。
薄暗く、階段の底は見えない。
地下は蒸し暑いはずなのに、下から冷気が昇ってくる。
「行くぞ」
狛さんが、一歩踏み出した。
僕たちはその後に続く。
カツ……カツ……。
打ちっぱなしコンクリートに、足跡が響いた。
潮の匂いが、錆と薬品の臭いに変わる。
最下段。
鉄の扉に、“立ち入り禁止”の文字。
その張り紙だけが、妙に新しかった。
「麗子、扉の向こう、見れるか?」
「お安いご用意よォ」
「……気をつけろよ」
狛さんの声に、心拍数が上がった。
麗子さんは、すーっ、と上半身を扉に通り抜けさせる。
「……真っ暗ね。何も見えないわ」
カチャ。
麗子さんは内側から鍵を回すと、光流くんの元へ戻ってきた。
「これで入れるわァ」
「ありがとう、麗子。
……入ろう」
狛さんがドアノブを握りしめる。
ギイィィ……。
ドアが、不気味な音を立てて軋む。
中は――真っ暗だった。
奥の闇から、冷たい霊力が波のように押し寄せる。
勝手に、身体が強張った。
光流くんが掌に青白い光を灯した。
「懐中電灯代わりね〜」
ぱっ、と視界が開ける。
長い廊下が続く、連絡通路。
奥は暗闇のまま、見えない。
先頭を行く狛さんの後ろを、僕たちは二列で歩いた。
冷たい霊力が、皮膚の上をなぞる。
僕は思わず腕を抱いた。
しばらく真っ直ぐ進むと、また厚い鉄扉が現れた。
だけど、さっきとは違う。禍々しいオーラを感じる。
狛さんがドアノブを握る。
僕は固唾を飲んだ。
「……やはり、鍵がかかっているな」
狛さんはドアノブから手を離して振り返る。
「麗子、行けるか?」
「どうかしらねェ……」
麗子さんがすっと手を伸ばした。
その手が扉に触れると、
バチィッ!!
赤い光が瞬いた。
麗子さんは顔を顰めて手を離す。
「霊力入ってるわねェ」
麗子さんの手の先から、焼けた匂いが立ちのぼる。
「壊すか?」
颯が拳を構える。
僕は颯の腕を掴んだ。
「そんなの、バレちゃうよ」
「いや、もう入って来てるのはバレてるでしょ?」
光流くんが指さした先に――防犯カメラ。
「どこまでバレてるのかは、わからないけどさ」
その時。
ピピピ……
鉄扉の上部、小型のセンサーが動いた。
赤い光が、十字に狛さんの顔を照らす。
一瞬、機械音に混ざって、誰かの笑い声が聞こえた気がした。
ピーー……ガチャ。
「……!?」
僕は、光流くんと顔を見合わせた。
狛さんの顔を認識して、開いた……?
「誘っているな」
狛さんが振り返って僕らを見る。
「戻るなら今だ」
誰も、微動だにしなかった。
「――行くぞ」
――この先に囚われた人を、必ず助ける。
重い扉が、ゆっくりと開かれた。
扉の向こうから、光が差す。
僕は目を細めた。その瞬間。
ピィ――――ッ!
乾いた電子音が地下を震わせた。
ギュイィィィィィン!!
サイレンが耳をつんざく。
赤い警告灯が、廊下を血の色に染めた。
ガクンッ!
足元が揺れた。
廊下の床が、斜めに傾き始める。
「トラップだ!早く中へ!」
狛さんが扉の内側に飛び込んだ。
光流くんと麗子さんが続く。
前に出たいのに、靴底が滑る。
「……っ!」
床がさらに傾いた。
重心が後ろにもっていかれ、思わず振り返る。
そこに見えたのは――暗闇。
底の見えない穴が、僕たちを誘っていた。
落ちる……!
「おい柊!早く!」
颯が扉の内側から手を差し伸べる。
その手を握ろうと手を伸ばした。
だけど。
「柊くん……!」
後ろの伊吹さんが、傾斜を滑り落ちながら、僕のシャツを掴んでいた。
「伊吹!柊!!」
狛さんが叫ぶ。
「……あ……ッ!」
視界が反転する。
赤い警告灯が遠ざかっていく。
僕と伊吹さんは、暗闇に吸い込まれた。
「柊!!」
上から、颯の声が響く。
ドクン!
心臓が、大きく跳ねた。
「――颯!!」
ブワァァァ!!
白銀の光が、視界を覆う。
僕の中で、心音が二つ、
音を立てた。
壁が近い。
蹴れば、戻れる!
「伊吹さん!手を!」
僕は手を伸ばした。
だけど伊吹さんは、僕ではなく――
福くんを見ていた。
守るように。
ガリッ。
飴を、噛み砕く音。
次の瞬間、福くんの霊力が跳ね上がる。
さっきまでとは別物の、獣のような圧。
「――ごめんね。柊くん」
伊吹さんの声には、覚悟があった。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:3月18日21時
第八十五話 桃色の霊力




