第八十三話 最高傑作
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七月二日。
柊たちが、スナックHikariで集まっていた頃。
久世家本家。
広すぎる庭には、人の気配がなかった。
苔むした石灯籠と、手入れされすぎた松。
どこか、呼吸を潜めるような静けさがあった。
前当主――久世紫乃の私室。
屋敷の奥にある部屋だ。
“鬼才”と呼ばれた女。
だだっ広い畳の部屋の中央で、
紫乃と紫苑が向き合っていた。
紫苑は、畳に座るのも嫌そうに顔を歪めた。
「僕、この家死ぬほど嫌いなんだけど⭐︎
……知ってるよね?ばあちゃん⭐︎」
開けっぱなしの縁側。
同じ髪色が、揃って風に揺れる。
「ばあちゃんの呼び出しだから来たけどさ〜?
僕が来てることバレたら、またじいちゃんと喧嘩になるんじゃないの〜?」
「紫苑」
しゃがれた声。
「何?」
「傷を見せてみい」
紫乃は杖で紫苑を指す。
「は⭐︎?やだよ」
「ええから見せんかボケナス!!」
杖を乱暴に振った。
「老化進んだ⭐︎?短気すぎ⭐︎」
紫苑は眉を寄せながら、ワイシャツのボタンに手をかけた。
右側だけ、はだけさせる。
現れた、痛々しい火傷痕。
あの日、柊が見てしまった傷。
紫乃の眉尻が、わずかに下がった。
「痛みは?」
「もうないよ⭐︎五年も経ってる」
紫苑は素早くシャツを戻す。
「……別にばあちゃんが責任感じなくても良いんだけど」
目を伏せたまま、ボタンをかける。
一度も、紫乃の目を見なかった。
「あの術を教えたのは、わしじゃ」
「僕ならできるって思ったからでしょ⭐︎?
実際、成功したじゃん⭐︎」
口調が戻る。
蝉の鳴き声と、風鈴の音だけが和室に響いた。
「紫苑」
紫乃は、紫苑の方を真っ直ぐ見ていた。
「お前が傾けば、三流派も傾く」
「……」
紫苑は口角だけを上げる。
「期待されたり警戒されたり、天才も辛いよね〜⭐︎」
立ち上がり、紫乃に背を向けた。
「もう帰って良い⭐︎?」
「紫苑!」
紫乃の声が空気を裂く。
紫苑は襖にかけた手を、ぴたりと止めた。
「変な気を起こすなよ。
――わしの許可なく、壊れるな」
「……当たり前でしょ」
「お前は、わしの最高傑作じゃ。
久世からは逃げられん」
その言葉を弾くように、ぴしゃりと襖が閉じられた。
紫乃は、閉ざされた襖を見つめる。
「紫苑……哀れで可愛い、わしの孫よ……」
襖の向こう側。
ブレザーのポケットの中で、スマホが震える。
紫苑はスマホを取り出し、
耳元に当てた。
「――はぁい⭐︎凡才ちゃん⭐︎?」
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※次回更新:3月17日21時
第八十四話 ごめん




