零憶二〇九九九番
──ルビーシア帝国学院は、グノリスの始祖を育成したとされる学舎だ。
その中枢に位置する第零保護課の役割は、異能と戦闘能力の強化にある。
そんな日々の訓練の裏で、きらりの親友、結城ロミの行方も俺たちは追っていた。
「集中しろ、類」
キコウの式別《竜哭》が唸りを上げる。
竜の骨格と魔導金属を融合させた共鳴武装。
長柄の刃身には竜文様のような亀裂が走り、赤い光が脈打っている。
次の瞬間、その一撃が俺の腹部に突き刺さり、身体ごと壁に叩きつけられた。
「ぐっ――!」
「よそ見するな。何も考えなくなるぞ」
「キコウ、調子に乗るなって」
「立て、類。ひよるなら去れ」
「……誰が」
俺は歯を食いしばり、立ち上がる。
手にしたのは、グノリス討伐専用大剣。
正式には、ルビーシア帝国周辺で流通していた聖印武装の一種で、かつてリンド開発公社が「対異能生物・長距離制圧用」として設計した型落ち品だ。形状は大剣に近い長尺武器。
扱いは難しいが、使いこなせば一撃が重い。
キコウの式別が再び顕現し、龍が俺に襲いかかる。俺は目を閉じ、意識を一点に集中させた。
――首だ。
次の瞬間、龍の首が鈍い音を立てて折れる。
同時に踏み込み、《リコレクター》をキコウの腹部へ叩き込んだ。
確かな手応え。だがキコウはすぐに空気のように霧散し、次の瞬間、何事もなかったかのように再生する。
「まだだ、類」
その声に、俺は剣を握り直した。
俺は、グノリス討伐専用の大剣と、治癒再生、そして思考系の異能力をすでに開眼していた。
パチ、パチ、パチと太陽が軽い拍手を送る。
「類、リコレクターもだいぶ様になってきたね。それに同時発動、思考幻視と治癒再生。十分、実戦レベルだよ」
「思考異能……なんか、頭痛え」
「反転は同出力の負荷だからね。まあまあ、鍛えれば慣れるさ」
「まだまだだ、類。私にもっと快感をくれよ」
……相変わらず言い方が気持ち悪い。
時間は溶ける。第零保護課での日常は、刺激が強すぎる。
だがこいつらと一緒にグノリスを倒すための戦闘は、確かに有意義で、俺の生命を前に進めていた。
数日前まで、俺は隼人を育てていた。
今とは、まるで違う日々だ。
グノリスに追われ、隼人を隠し、逃げて、殺して、また追われて、また殺して。
思い出しただけで、頭がガンガンする。
「……はあ、はあ、はあ……」
床に倒れ込むと、汗が、流れてきた。
「キコウ。次は、ぶっ殺す」
「当然だ。かかってこいよ」
俺は天井を仰ぎ、肺いっぱいに酸素を吸い込み、二酸化炭素を吐き出す。そして、決意する。
俺は、もっと強くなる。
誰よりも、強く。もう二度と、失わない為に。
───放課後、俺はルビーシア帝国学院の現学長に会いに行くことになった。学長室。
扉を開けても、そこに人の気配はない。あるのは壁一面に並ぶ、歴代学長の肖像画だけだった。
……と思った、その瞬間。
一代目、二代目、三代目。飛ばされるように視線が流れ、十四代目の肖像画が、ぐるりと動いた。
「おう〜。太陽から聞いてるよ、音司類くん」
額縁の中から、声がする。
次の瞬間、ひげをぴんと立てた小柄な老人が、絵から飛び出してきた。
「わしが現学長、凛運だ。はっはっは」
……やっぱりだ。メイルック帝国に、まともなやつはいない。俺は一歩前に出る。
「凛運学長。ルビーシア忘却の惨禍、覚えていますか。結城ロミという生徒です」
学長は、あっさり首を振った。
「記憶にはないよ。だが――記憶になる前に、保管しておいた」
「……保管?」
学長は窓の方へ歩き、外を見下ろす。
校庭からは、グノリスとの模擬戦闘の音が響いていた。
「結城ロミはな。グノリスの異能力《強制の月照》によって、一九十五年そのものを、丸ごと忘却された」
俺の背筋が冷える。
「わしは、その瞬間を見ていない。
だが、彼女の行動には反対していた」
学長は、低く続けた。
「彼女を止めたのは、きらりだ」
「……は?」
「規定違反だ。きらりは、グノリス規定に基づき、結城ロミという存在そのものを消した。」
頭が、ぐらりと揺れる。
「……なんでだよ。どうして、きらりがそんなことを」
凛運学長は、静かに俺を見た。
「音司類くん。君は、君自身を守るために戦っているのか?」
言葉が、胸に突き刺さる。
脳裏に浮かぶ。異能生物に捕食される、隼人の姿。守れなかった。逃げた。
……きらりも、同じだったのか。
「行けば、ここには戻れない」
「それでも聞かせてください。きらりに頼まれたんです。どうすれば、結城ロミを思い出せる」
学長は、少しの沈黙のあと、低く告げた。
「《強制の月照》は再生できない。
それでも、この世界を壊してでもやるか?」
「やる」
即答だった。きらりの為もあるが、俺も変えられない過去を再生できるのならどこでも行く。
「世界がどうなろうと構わない。
きらりと俺で――必ず、再生させる」
凛運学長は、ふっと笑い指を立てる。
「そうか、なら教えよう。零憶
二〇九九九番。そこに、保管されている」
ルビーシア帝国学院の図書室は、静かすぎた。紙の匂いと、埃と、時間だけが積もっている。本棚は天井まで伸び、どこまで行っても終わりが見えない。
――零憶二〇九九九番。
ここは「忘れられた記憶」だけを収める、ルビーシア学院の最奥図書室だった。
「数が多すぎる……」
「どこにいるんだ…」
きらりの声が、静寂に沈む。
背表紙には年代も名前もない。ただ、触れると胸の奥がざわつく本ばかりだ。
俺たちは手当たり次第に探した。
結城ロミ。その名前すら、この空間では索引しない。
だめだ。このままじゃ、永遠に辿り着けない。
その時、背後で空気が明るくなった。
「ねえ、類。僕が開けてみようか」
振り返ると、いちご頭の太陽が立っていた。
掌に、淡い光が集まる。
《ソラリス・オープナー》――開門。
「始まり」と「役割」を、世界に思い出させる異能。太陽が光を押し出すと、図書室の中央に門が開いた。光は一直線に、本棚の奥へと伸びていく。
本棚が、応えるように震えた。一冊だけが、音もなく床に落ちる。
拾い上げた瞬間、きらりが息を呑んだ。
「……ガーベラの罪言」
背表紙に、一九十五年、確かに刻まれていた。
忘却されたはずの声が微かに響く。
きらりは本を胸に抱き、静かに息を吸った。
――見つけた、ここからだ。
結城ロミと、きらり自身を現在に取り戻すための、最初の一歩は。
本の表紙が、わずかに熱を帯びる。紙の隙間から、ガーベラと血の匂いに似た記憶の気配が、静かに滲み出していた。
「太陽……あったぞ!見つけた!」
きらりが名を呼ぶより早く、太陽はすでに一歩、前へ出ている。
「うん。始まりは、ちゃんと見つかったね」
太陽は本に手をかざす。次の瞬間、光線が走り、空間そのものが裂けた。
光でも闇でもない。ただ役割を与えるためだけに開かれる力
――開門。
「結城ロミに、会いにいこう」
太陽は静かに告げる。
「きらりの忘却を、見に行くんだ」
ページが、扉のように開いていく。紙面の奥に、別の世界――
忘却された時間の内部が、口を開けていた。
「連れていくよ。
――零憶二〇九九九番」
逃げ道はない。もう、迷いもなかった。
三人は《ガーベラの罪言》に吸い込まれていく。背後で、図書室は静かに閉じられ、彼らを迎え入れた。
――ここから先は、記憶ではない。
罪と声の領域だ。




