幻の鉄道
男は末期がんを患い、病院の病室でやがて来るお迎えを待っていた。
その患者は相当な年齢であり、おなかに水が溜まり、手の施しようがなかった 。そして、いよいよせん妄も現れ始めていた。 男は意識が朦朧とするなか、うわごとのように何かを口走っていた。
男はふと目が覚めると駅の改札に立っており 何かに吸い込まれるように、駅の改札を通り抜け、列車に乗り込んだ。 列車はどこか見覚えのある懐かしい蒸気機関車だった。 列車はドラフト音を鳴らしながらゆっくり動き始めた。 あたりの景色を眺めると自分が住んでいる町だったが、明らかに様子が違っていた。 列車は線路のない車道を横断して住宅が密集する中を走り抜けて行ったのだった。 「まさか、こんなことってあるのか!」と男は驚いた。 そう、この路線ははるか昔に廃線になった経路で、現在は土地も払い下げられて、 跡地には住宅街が密集しており、かつて線路があったことさえ忘れられていた。 列車は住宅街を押しのけて走ってゆき、近くの公園の脇も走り抜けていった 。そう、この路線は男がまだ若き学生だった時代に走っていた路線だった。 かつては、田園や野原が広がるのどかな風景だったが、今ではみる影もなかった。 男は懐かしさとともに、淡く切なかった青春時代を思い出していた。 かつては戦時中で勤労動員にも駆り出される厳しい時代だったが、 いつも同じ列車に乗り合わせる清楚で端正な顔立ちの女学生に心ときめかせていた。 その女学生は市内の女学院に通っており、男と目が合うと微笑んでくれていた。 男は一度もその女性と会話することはなく時の経過とともに、離れ離れになった。 男は懐かしそうにかつての淡い恋心の記憶を蘇らせていた。 列車はやがて山麓を通ってトンネル内に入り、あたりは真っ暗になった。 そしてトンネルを潜り抜けると、車内はふたたび明るくなった すると、驚くことに男の座席の正面にあの女学生が座っていた。 女学生はあの時と同じように軽く会釈をして男に微笑んでくれた。 あの時、叶わなかった時間を取り戻すがごとく、 2人が会話を始めるのにさほど時間はかからなかった。 彼女も勤労動員として国のために軍需工場で身を粉にしながら働いていた。 実家は薬屋を営んでいたが、戦争で物資が不足し、患者に渡す薬も欠いていた。 しかし将来は薬専に行って薬の勉強をするのが夢だとのことだった。 男は貧しいながらも将来は教員の資格をとって教壇にたつのが夢だと語った。 お互いの身の上話や夢を語らい合いながら、時間は過ぎて行った。 やがて、列車は都市内に入り、彼女がいつも降りる軍需工場最寄りの駅に到着したが、 彼女は降りなかった。きょうはこのまま乗り続けて大丈夫なのだという。 そして、互いに楽しく会話を続けながら、無限の旅へと列車は走り続けて行った。
所変わって病院では、男は痰を気管に詰まらせて息を引き取っていた。 しかし、顔はおだやかな顔をしていた。 そして、隣町の病院では、同時刻に薬店の老婦人が息を引き取っていた。 2人は無限の彼方へと旅立っていったのであった。
おしまい




