小説家を目指す僕の編集さんは、なんていうかアレだ。
あの夢を見たのは、これで九回目だった。
そう、九回だ。なぜそう断定できるかと言うと、僕はとある小説大賞に応募すること九回目だからだ。大賞を取ることは夢だけど、この場合そうじゃない。九回見た夢ってのは、夜眠って見るアレの方のことだ。
応募締め切り日の前日の夢は、この九年間毎回、シチュエーションはほぼ同じだ。違うと言えば、夢に登場する本のタイトルが僕がその年に応募した作品のそれであり、夢の展開もそれに準拠したものになっていた。
準拠というのは、以下の通りだ。
僕は夢の中で眼鏡をかけたきれいな編み込みが行われたロングヘアの女性にガン詰めされている。年の頃は僕と同じ、だいたいアラサーにさしかかったくらい。だけど、原稿を読む視線は鋭い。かつては文学少女だったのかもしれないが、今は鬼の編集。僕は反論もできぬままにボッコボコにされるのだ。
悔しいことに、その女性編集者の指摘は的確だった。僕の弱点という弱点を知り抜いた上で抉ってくるのだ。それをやられ続けること九回目。今日も彼女は絶好調だった。
「ほら、ここのところ。開始早々明らかに中だるみしてる。出落ちだよこれじゃ。出落ちで食っていきたいなら長編なんてやめちゃいなさいよ」
「主人公の心情が見えない。これはただの状況説明でしょ」
「登場人物って、粘土か何かなの? あと、この描写だと瞬間移動してる。位置関係わかってる? ちゃんと頭使ってる?」
「主人公が語ってるのはいいけど、その間他の子たちって棒立ちじゃない? ちゃんと生きてるの、これ」
「この国の広さって差し渡し何キロ想定しているの? 雰囲気だけで書いてない?」
「この子たち何食べて生きてるの? どこに持ってるの? 荷物持たないで旅していいのは昔のウィザードリィのニンジャくらいでしょ。全員裸なの、この子たちって」
「起承転結を唱えるのはいいけど、その前にまともな起読ませてもらえるかな」
「承、あなたには無理だから、起で勢いつけたら転でいいんじゃない? あなたには無理だから」
「あなたの会話シーンって、三文役者の棒読みなんだよねぇ。なんでだろうねぇ」
「目的のない会話シーンなんてオミットしたらいいんじゃない? 文字数稼ぎ? その割に大事なところがぜんっぜん書けてないんだけど?」
「転って、ここ? うわー、落差がないなぁ。驚きも疾走感もない転。これじゃ転は転でもすっ転ぶほうの転ね。滑ってるの。作者だけね、楽しいのは」
「そもそも構成ってわかってる? 読ませる構成とか賞レースを制する構成とかいう以前の話。あなたのは構成がまず初心者から抜けてないのよ。というか、構成以前にキャラクターがぜんっぜん生きてないの」
「いい、あなたのレベルだったら物語がどうのじゃないの。キャラクターが生きているかどうかが重要なのよ。あなたのはそれ、お面被った案山子よ。自分の意思がない、動きもない。くっそつまらない人形劇よ。これならまだ子どもが読む紙芝居のほうが百倍面白いわ」
やめてくれ、僕のメンタルはもう限界だ――というのももう九回目。しかし具体的に作品の部分部分を指さしながら指摘してくるからなかなか抉れる。
ところが、そこから先は今までの八回では見てない展開になった。
今までだとここで僕が発狂して逃げ出すのだが。
今回の僕は逃げなかった。
僕が見ている僕は、どこからともなくノートパソコンを取り出すと、彼女の前に置いたのだ。
「ん?」
「そう言われると思って改稿した」
「あら」
そう言うと、彼女は俺のノートパソコンを凝視した。頃合いを見計らって僕は訊く。
「どうかな」
「今までは駄文書きが書いた駄文だったけど、ようやく文字書きが書いた駄文にはなったわね」
「文字書きが書いた駄文、かぁ」
僕は白い空を見る。床も壁も真っ白な部屋の中央に、机と椅子があって、彼女はその椅子に座っている。僕は彼女の真向かいにぼけっと突っ立っている。
「でもそうね」
彼女はノートパソコンを閉じて、僕に返してきた。
「あと十年もしたら、それなりになるんじゃない?」
「じゅ、十年……」
これまで以上の期間だ。
「仕方ないでしょ、あなたはステータスが低いし、特殊スキルも持っていない。経験値とレベルでしかカバーできないのよ。そしてあなたがレベルを上げている間、才能ある人たちはもっとレベルを上げるのよ」
「追いつけないじゃないか」
「真っ向勝負するからそうなるのよ。オリンピックの陸上選手に100m走で勝負を挑もうったって無理なのはわかるでしょ。でも、腕相撲なら勝てるかもしれないわよね。いえ、もっといえば将棋ならまだまだ勝ちの目はあるでしょ」
「変化球でしか勝負できないってこと?」
「いやちょっと待ってよ、あなた。世の小説は押し並べて変化球の産物じゃない? 直球勝負の小説なんてないわよ。少なくとも売れてるやつはね。違う?」
違……わないかも。
「誰かが投げたのと同じような球を投げようとするから、へなちょこストレートになるんじゃない。誰かが磨きに磨いた変化球を真似る。ろくなトレーニングもしないでそんなものを投げようとする。そんなの、投げられるわけがないじゃない」
「そ、それもそうだ」
「でしょう? あなたはどんな球を投げたいのよ。どんな勝負球があるのよ。自分でそれが認識できていない今、あなたが放る球はみーんな中途半端なの。やっと今回の改稿で、『クソみたいな中途半端』が『それなりの中途半端』になったの。そこんところを加味して、どんな打者でも打ち取れる変化球を投げられるようになるまで、あと十年って言ったのよ」
「ステータスもスキルもなくても、それはできるようになるのかな」
「絞ればね。範囲を狭めて集中的に球を磨けば、その球では追随を許さないようにもできるわ。もっとも、それだけだと良くて一発屋だけど」
「それは」
「待って待って。一発すら当てられてない分際のあなたが一発屋はイヤだとか言うんじゃないでしょうね?」
「うっ……」
「一発屋ってのは一発は当てられる実力があってこそよ。あなたは打者の一人も討ち取れない。延々ヒットとホームランを量産される打たれ屋よ。贅沢言わずにまずは一発当てることをめざしなさいな」
彼女は眼鏡をクイと押し上げながら僕を見た。僕は息を飲む。
「でもそうね、あなたは変化球投げる才能はあるわよ。その無根拠なプライドと、意味のない頑迷さを捨てられればあるいは十年が五年になるかもね」
彼女はそう言ってにやりと笑い、立ち上がった。
「あなたはわかってるはずよ」
「何を?」
「わかってるから私がここにいるのよ」
「?」
「残念ながら、あなたが小説を続ける限り、私はあなたから離れない。あなたは私の鬼のダメ出しを食らい続けるの」
そう言って彼女は目を細めた。
――――――――
それから五年後、僕はとある小説コンテストで賞を取った。大賞ではなかったけど、編集がついた。これから書籍化作業を進めていく予定だ。
僕の脳内編集であった彼女は、その宣言通り僕が何かを書き上げるたびに激しいダメ出しを繰り返してくれた。おかげで僕は、小説に関してはこれ以上ないほどのキャパシティを持つに至った。舌鋒鋭いリアル編集さんとも楽しくやり取りができている。
「さぁ」
白い部屋で僕はまた彼女に会う。
「次の物語でも考えましょうか。ほら、プロットを出しなさいな」
僕は言われるがままに、用意してきたプロットを展開するのだった。