渡り鳥のスパイク
秋の陽がピッチに長く影を落としていた。26歳のグレッグ・マイヤーは、故郷から遥か遠く5つ目のチームとなるFCアルマの練習場で、汗と芝の匂いに包まれながらストレッチをしていた。プロデビューから8年、悠斗はどのチームでも「便利屋」だった。もともとはウイングの選手だったがセントラルミッドフィールダーから時にはサイドバックとどこでもそれなりにこなすが、レギュラーの座には手が届かない。監督からは「ユーティリティ性が高い」と重宝されるが、悠斗自身はそれを「器用貧乏」と自嘲していた。
練習後、チームキャプテンのホルヘがグレッグに声をかけた。42歳、FCカナリアの生きる伝説。この街で生まれ、このチームでプロデビューし、22年間一筋でプレーしてきた男だ。白髪交じりの髪と、ピッチの外でも漂う威厳。グレッグとは対極のサッカー人生を歩んできた。
「グレッグ、ちょっと話さないか?」
ホルヘはベンチに腰を下ろし、ペットボトルを差し出した。悠斗は少し緊張しながら隣に座った。キャプテンと二人きりで話すのは初めてだった。
「5つ目のチーム、だろ? 26歳でそれはすごいな」
ホルヘの口調は穏やかだが、どこか探るような響きがあった。グレッグは苦笑いした。
「すごいっていうか、落ち着けないだけですよ。どこ行っても『便利屋』で、結局レギュラーにはなれない」
和真は遠くのゴールポストを見つめながら言った。
「俺はな、生まれてからずっとこの街だ。アルマのユースに入って、プロになって、42歳になった今もここ。このピッチの芝の感触も、スタンドの歓声も、全部体に染みついてる。動かなくていい人生だったよ」
悠斗は少し羨ましさを感じた。一つの場所で愛され、根を張る人生。自分には縁遠いものだ。
「キャプテンは…迷わなかったんですか? 他のチームとか、海外とか。俺、いつも『次こそは』って思って移籍するけど、結局同じことの繰り返しで」
ホルヘは小さく笑った。
「迷いはあったさ。若い頃、海外のクラブからオファーが来たこともあった。でもな、俺はこの街の人間だ。アルマのサポーターが俺を育ててくれた。去るのが怖かったのかもしれん。逆に、お前みたいな渡り鳥の生き方は、俺には想像もつかんよ。いろんなピッチ、いろんな街、いろんな仲間。怖くねえか?」
悠斗は言葉に詰まった。怖い、と言われてもピンとこない。移籍は日常だった。新しい街、新しいユニフォーム、新しい期待。そして、いつも変わらない「便利屋」の役割。
「怖いって…考えたことなかったです。ただ、どこかで『自分の場所』を見つけたいとは思ってるんです。でも、毎回レギュラーになれなくて、結局また旅に出る」
ホルヘはグレッグのスパイクを見下ろした。擦り減ったソール、いろんなピッチの土がこびりついている。
「お前のスパイク、いろんな物語を持ってるな。俺のスパイクはアルマのピッチしか知らん。お前の物語、ちょっと羨ましいよ」
グレッグは驚いてホルヘを見た。カナリアの象徴、街の英雄が、自分のような渡り鳥を羨ましいと言うなんて。
「キャプテンが? 俺のこと?」
「ああ。俺はな、結局この街に縛られてきたのかもしれん。アルマのキャプテンとして、期待に応えなきゃって。それが俺のサッカーだった。でもお前は自由だ。いろんなピッチで、いろんな役割で戦ってきた。その経験は、誰にも奪えねえ財産だ。レギュラーじゃなくたって、お前はどのチームでも必要とされてきたんだろ?」
グレッグは胸の奥が熱くなるのを感じた。必要とされてきた。そうかもしれない。どのチームでも、監督や仲間は彼を頼りにしてくれた。レギュラーじゃなくても、ピッチに立てば全力を尽くしてきた。
「グレッグ、俺はこのシーズンで引退する。カナリアのピッチで終わるのは誇りだ。でもな、お前の旅はまだ続く。どこに行っても、お前のサッカーを信じろ。便利屋だろうがなんだろうが、お前はピッチで物語を作ってるんだ」
夕陽がピッチをオレンジに染めていた。グレッグはスパイクの土を指でなぞった。いろんな街のピッチの記憶が、そこに詰まっている。ホルヘの言葉が、胸に深く刺さった。
「キャプテン、ありがとう。俺…次の試合、いつも以上に走ってみます」
ホルヘは満足げに頷き、立ち上がった。
「そいつぁ楽しみだ。渡り鳥のスパイクが、このピッチでどんな跡を残すか、ちゃんと見届けるぜ」
グレッグはベンチに残り、沈む夕陽を眺めた。次の試合、次の街、そしてその先の旅。レギュラーになれなくても、自分だけの物語を刻んでいこう。そんな決意が、静かに芽生えていた。