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束の間の幸せ

 エドガーとキスをしてから、ルナはずっとそわそわと落ち着かない日々を送っていた。


 彼を誘惑して「魔法使いの塔」のどこかにあるとされる、エルマン王の遺体を探す為の情報を得るのが彼女の目的である。それは目的通りに進んでいて、順調なはずだ。


 エドガーに特別な感情は抱いていないはずだった。だがあの夜以来、ルナはエドガーのことばかり考えてしまう。よくある平凡な髪型も、髪と同じ色の瞳も、ごつごつとした手も、他の騎士と同じ格好も、全てが彼女にとって特別なものに見えた。


(しっかりしないと。目的を忘れては駄目)


 何度も自分に言い聞かせるルナだが、エドガーが見回りにやってくると、目を輝かせて扉に近づく。


「ルナ、寒くはない?」

「平気よ」


 扉越しにこそこそと話をする。覗き窓から彼の優しい瞳が見え、ルナはもっと見たいと顔を近づける。


「ルナの瞳は綺麗だな。見ていると吸い込まれそうになるよ」

エドガーは照れたように呟いた。

「私、エドガーの鼻が好き。綺麗な形をしてるから」

「鼻? そんなの初めて言われたよ」

 エドガーは笑みを漏らしながら、自分の鼻を触る。


 二人にとって、束の間の幸せな時間だ。あまり長居をしていると、いつどこで誰に見られるか分からない。基本的にこのフロアは騎士が一人で見回るが、用があると他のフロアから騎士がやってくることはある。


「じゃあ、また後で来るよ」

「またね、エドガー」


 名残惜しそうにルナはエドガーを見送る。エドガーが遠ざかるのを、ルナはじっと見送った。




 もっと一緒にいたいと思う気持ちは、エドガーも同じだ。エドガーの決死の告白は見事に実った。ルナに冷たく突き放されるかもしれないと思っていたが、ルナはエドガーを受け入れたのだ。


 エドガーは規律を重んじる性格だ。騎士の父の元で生まれ、自らも幼い頃から騎士になるべく鍛錬を積んだ。十四で騎士団に入り、従騎士として騎士の下で学んだ後、十八で騎士になった。

 他の騎士達のように娼館で遊ぶことはない。過去に何度か付き合いで娼館に行ったことはあるが、娼婦にのめりこんで散財することもなく、恋人を作ることもなく、騎士団の為に尽くしてきた。


 エドガーの真面目で忠誠心のある性格を気に入ったのは、リヴァルス王太子の弟であるアシュトン王子だった。アシュトンの推薦でエドガーは王城での仕事を与えられた。王城でもエドガーは真面目に務めを果たした。そしてリヴァルス王太子の護衛の一人にまでなったのである。


 だが彼の真面目すぎる性格があだとなる出来事が起きた。それがリヴァルスの妻であるアンジェリーヌを、彼の暴力から庇った事件である。


 リヴァルスは周囲の評判通り、冷酷な男だった。完璧な見た目に反して、人を見下すような冷たい目。そんなリヴァルスは、最初の頃はエドガーのことを信頼していた。外出先でも不審者にいち早く気づいたのはエドガーだった。リヴァルスはエドガーを気に入り、私室への入室まで許可していた。


 そんなある日、私室の中で大きな物音がしたことに気づいたエドガーは、中に入った。部屋の中に入ったエドガーはその光景に言葉を失う。


 床に大きな花瓶が粉々に割れてちらばり、美しい花が無残に踏み荒らされていた。瞳に怒りを浮かべ、リヴァルスが仁王立ちしながら妻のアンジェリーヌを睨んでいる。震えて縮こまるアンジェリーヌに、リヴァルスはテーブルの上に置いてあった紅茶のカップを持ち、更にアンジェリーヌに向かって投げつけた。


 咄嗟にエドガーはアンジェリーヌを抱えて庇い、エドガーの服に紅茶がかかった。


「殿下! 女性に暴力を振るうのはおやめください!」


 思わずエドガーはリヴァルスに怒鳴ってしまう。ハッと気づいた時にはもう遅かった。リヴァルスはすうっと感情を無くした顔になり、低い声で呟く。


「お前は、主人の俺よりもその女を庇うのか」


「そ、そういうわけではありません」

「今すぐ出て行け、エドガー」


 王太子に反論などできるわけもない。エドガーは黙ったまま、静かに部屋を出て行った。


 エドガーが「魔法使いの塔」行きを命じられたのは、それから数日後のことだった。




 魔法使いの塔での監視の仕事は、はっきり言ってやりがいのある仕事とは言えない。王国の敵である闇魔法使いを捕え、逃げ出さないように見張るだけ。ここでの仕事を命じられるということは、騎士団ではこれ以上出世できる見込みがないということだ。他の騎士もみんなどこかやる気がない。


 それでもエドガーは、与えられた仕事を真面目にこなした。どこにいても、彼は騎士団の為、王国の為に働くと誓い、その通りにした。


 そんな彼が今、規律を破っている。騎士が闇魔法使いと通じるなど、あってはならないことだ。


 エドガーはそのことに当然、後ろめたさを感じている。だがルナを前にすると、冷静さを失ってしまうのだ。



♢♢♢



 ある日のこと。エドガーはルナの部屋の前に立ち、覗き窓越しにルナと見つめ合っていた。


「寒くない? ルナ」

「大丈夫」


 ルナは覗き窓から手を差し出す。エドガーはその手を躊躇せずに握りしめた。


「前もこんなことあったわね」


 ルナはくすくすと笑う。あの時はエドガーを誘惑する為に手を差し出した。エドガーは戸惑いながらもルナの手を握った。だが今は違う。二人の気持ちは繋がる手から通じ合っていた。


「……なあルナ。二人でノルデンヴェルクを出ないか?」

「この国を出る?」


 エドガーはルナの手を握りながら、何かを決心したような顔で話した。


「二人で王国を出て、どこか違う国で暮らすんだ。そうすればルナは自由に生きられるし、俺達はずっと一緒にいられる」

「エドガー……」


 ルナの表情に戸惑いが浮かぶ。ルナがここにいるのは、大事な目的がある為だ。その為に人生の全てをかけてきたし、いざとなれば命さえ投げ出す覚悟である。


 一方エドガーは王国騎士団に入り、騎士として厳しい訓練に耐え、王国の為に生きてきた男だ。それなのにエドガーは、騎士団を辞めて国を出ようとしている。


「……エドガー、あなたは王国騎士団の騎士でしょ? この国を出るということがどういうことか、分かってるの?」

「分かってるよ。でも俺はルナと一緒にいたいんだ。その為には俺が騎士団を辞めて、ルナと一緒に『魔法使いの塔』から出るしかないんだよ」

 エドガーの表情は真剣だった。ただの思い付きで言ったようには見えない。


「でも、国を裏切ることになるのよ? あなたの両親や兄弟は? 二度とノルデンヴェルクに戻ってこられなくなるわ」

「ルナは俺と一緒にいたくないの?」

 エドガーは悲しそうな目でルナを見つめる。


「もちろん一緒にいたい。でも……」


 ルナは言葉に詰まってしまった。仲間の闇魔法使いを見捨ててこの国から逃げ出すことはできない。仲間の中には隣国に逃げた者も相当数いるのは確かだ。だがルナはエルマン王の孫娘「ルナシェリア」として、未だ残って王国側と戦う仲間を見捨てるわけにはいかなかった。


「……私は闇魔法使いなの。仲間を置いて私だけ逃げるわけにはいかない」

 ルナは絞り出すように呟いた。


「そうだな……確かに、そうだ。悪かった、ルナ。俺はちょっと先走り過ぎたよ。この塔にも、王国のどこかにも、ルナの仲間がいるんだもんな」

「ごめんなさい、エドガー」

 エドガーは慌てて首を振り、笑みを浮かべた。


「謝るのは俺の方だ。ルナと一緒にいられる方法ばかりを考えて、君の気持ちを考えていなかった。俺を許してくれる?」

「ううん、私もあなたと一緒にいたい気持ちは同じだから……嬉しかったの」


 エドガーは鍵を取り出し、静かに扉を開けた。きしむ音を立ててゆっくりと扉が開き、エドガーは一歩、部屋の中に足を踏み入れた。

 ルナとエドガーはその場で抱き合い、キスをした。


「いつか、二人で暮らそう」

 エドガーは耳元でルナに囁く。ルナは「うん、いつか必ず」と答え、エドガーを更に強く抱きしめた。




「おい、何やってるんだ」


 その時だった。男の声がして二人は驚いて扉に目をやる。


 そこに立っていたのは、鬼の形相でこちらを見ている騎士だった。

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