王太子の視察
ルナが幽閉されている場所は、石造りの古くて寒々しい部屋だった。朝晩はかなり冷え、体の芯から凍るほどの寒さだ。小さなストーブに薪をくべると多少は暖かくなるが、頼りない炎だけではルナの体は温まらない。
ストーブの炎に手をかざしながら、エドガーが来るのをじっと待つ。部屋の外に出たい時は、必ず監視の騎士がつくことになっている。用がある時は、扉についている鈴を鳴らして知らせる仕組みだ。
鈴の音を聞いて、騎士エドガーはすぐにやってきた。
「何か用か?」
扉の覗き窓からエドガーが顔を覗かせる。
「図書室に行きたいんです」
「図書室だな、分かった」
扉の向こうでガチャガチャと音がした後、扉が開いた。ルナはエドガーにちらりと目をやりながら、部屋の外に出る。
ルナとエドガーが並んで廊下を歩き出す。廊下には、ルナが幽閉されている部屋と同じような扉が並んでいる。他の部屋にいる闇魔法使いとは、話してはいけない決まりだ。ルナが確認できたのは、このフロアに他に三人の闇魔法使いがいるということだけ。三人とも彼女の知らない顔だったので、恐らく別の村の出身だろう。ひょっとすると、同じ村の魔法使いを同じフロアに入れないようにしているのかもしれない。
しばらく歩くと図書室に着く。廊下の一番奥には大きな扉があり、行き止まりとなっている。この扉には「聖魔法使い」が魔法の鍵をかけているので、簡単には突破できない。
重い扉を開け、エドガーがルナを図書室の中に入れた。エドガーは扉の前に立ち、ルナを監視しているが、この図書室にいる間は比較的自由に歩き回れる。背の高い本棚にぎっしりと詰め込まれた多くの本を、ルナはじっくりと見て回り、一冊の本を取り出した。
ルナが手に取った本はノルデンヴェルク王国の栄光の歴史について書かれたものだ。続いてもう一冊本棚から取り出す。こちらは王国を治める一族の功績を、ひたすら褒め称える本だ。
図書室にある本は、その全てが王国と、王国にいる貴族に関するものばかりだ。魔法使いの国「アルカシア」について書かれたものは一つもない。ここは元々アルカシアの魔法使いの塔なのだが、当時置かれていた本は全て焼かれたのだろうとルナは思った。
本を二冊抱え、ルナはエドガーの元に戻って来た。
「あなたは恋愛小説などには興味がないんだな。女性はああいうものが好きだと思ったが……」
エドガーはルナが持っている本に目をやった。
「今度、読んでみます。時間はたっぷりありますから」
ルナはエドガーに微笑む。二人の間に隔てるものは何もない。手を伸ばせば触れそうな距離に立つルナを、エドガーは後ろ手に組んでこれ以上近づかないようにしていた。
その時、エドガーの後ろにある扉が開き、仲間の騎士が顔を覗かせた。
「エドガー、今すぐにその女を部屋に戻せ。リヴァルス殿下が視察に来られるそうだ」
「今から? 随分急な話だな」
エドガーは怪訝な顔をした。
「殿下の気が変わられたんだろう。今日中には到着される予定だから、そのつもりで用意をしておけ」
「わ……分かった」
戸惑っているエドガーの横顔を、ルナはじっと見る。リヴァルス殿下、というのはノルデンヴェルク王国の王太子であるリヴァルスのことだ。彼がこれから魔法使いの塔に視察にやってくる。幽閉されている闇魔法使いと、監視している騎士団の様子を見に来るのだろう。
「では部屋に戻ろう、ルナ」
エドガーはそう告げ、ルナを連れて部屋に戻った。
♢♢♢
ルナが部屋に戻ってからしばらくして、リヴァルス王太子が魔法使いの塔にやってきた。
ノルデンヴェルク王国の王太子リヴァルスは二十六歳。輝くような銀髪に、整った顔立ちを際立たせる青い目という美しい見た目を持つ。だがその性格は冷酷と言われ、機嫌を損ねるとたとえ側近だろうと容赦はしない。王国騎士団の騎士達も、リヴァルスが来ると知り緊張感が高まっていた。何か粗相をすれば罰を受けることになるからだ。
「先日捕まえた魔女はどこにいる?」
騎士の説明を受けながら廊下を歩くリヴァルスは、ルナのことを尋ねた。
「はい、殿下。すぐにご案内いたします」
ぞろぞろと側近を連れ、騎士の案内でリヴァルスはルナの部屋の前まで来た。部屋の前に立っていたエドガーを見るリヴァルスの視線は冷たい。
「……お前が監視役なのか?」
「はい、殿下」
エドガーはこわばった顔で、リヴァルスに敬礼をした。
「この男に気をつけることだな。私の妻を誘惑しようとした不届き者だ」
リヴァルスはフンと鼻で笑い、隣に立つ騎士に話した。騎士は困ったような顔でエドガーに目をやる。
エドガーは何も言わず、ただリヴァルスに敬礼を続けていた。
「女の顔を見せろ」
覗き窓に近寄ったリヴァルスはエドガーに命じた。エドガーは慌てて「ルナ、こちらに来い」と声をかける。
ルナは椅子に腰かけ、本を読んでいた。本を閉じ、ゆっくりと立ち上がると扉に近づいてきた。
リヴァルスは無言のまま、しばらくの間ルナを見つめていた。眉一つ動かさず、感情を少しも見せず、ただ目の前に立つ怪しげな魔女の姿を、自分の目に焼き付けているようだった。
一方のルナも、リヴァルスの青い瞳から目を逸らさずにじっと見ていた。二人は少しの間、何も言わずにそうしていた。
「……なるほど、分かった。引き続き闇魔法使いの捜索を頼む」
「はい、殿下」
エドガーともう一人の騎士が返事をする。リヴァルスは踵を返し、さっさと歩いて行くのを側近達が慌てて追いかけた。