婚約
ルナはリヴァルスとの結婚を承諾した。
それはルナが望んだことではない。エルマン王の亡骸を埋葬し、仲間をアルカシアに呼び戻し、故郷を取り戻す為の政略結婚である。
約束を反故にされないように、リヴァルスと話した内容は全て書面に残したいとルナは要求し、リヴァルスはそれに応じた。
後日、ルナの部屋で契約は交わされた。リヴァルスの側近である聖魔法使いが、契約書に魔法の封印をかけた。これで文書の改ざんや勝手な破棄はできなくなる。
ルナは聖魔法使いの顔を思わずじっと見た。その聖魔法使いは中年の男で、ルナの知らない顔だった。リヴァルスの側近を務める程であることから考えて、この男は相当な魔力を持っているに違いない。ルナを閉じ込める魔法の鍵も、この男がかけたものだろうとルナは睨んだ。
「シウス。先に出ていろ」
聖魔法使いはシウスと言う名のようだ。シウスは「はい、殿下」と頭を下げ、部屋を出ていく。後にはルナとリヴァルスの二人だけになった。
「これで契約は交わされた。私とあなたは正式に婚約者ということだ」
「はい、殿下」
感情を表さない顔で、ルナはリヴァルスに応える。
リヴァルスは笑みを浮かべながらルナに近寄ると、おもむろに彼女の腰を掴んだ。
「……!? 殿下、何を?」
「やはり痩せているな。魔法使いの塔ではろくなものを食べていなかったのだろう。結婚式までにはもう少しましな体になっているといいが」
リヴァルスに無遠慮に体を撫でられ、ルナは鳥肌が立った。
「私の妻が痩せこけていると、周囲が心配するだろう? 私が妻にろくなものを食べさせていないのかと思われる」
ルナに顔を寄せ、囁くように話すとリヴァルスは手をようやく離した。
「では、また後で」
リヴァルスはルナに微笑み、部屋を出て行った。
リヴァルスが出て行った扉を、ルナはじっと睨んでいた。
(……エドガーに触られた時は、嫌な気持ちなどなかったのに)
嫌な気持ちどころか、もっと触れて欲しいとすら思った。エドガーのごつごつとして暖かい手を思い出し、ルナは自分の手を見つめた。
ルナの瞳から突然、涙があふれた。
(エドガー……)
エドガーのことは、魔法使いの塔の情報を得る為に利用しただけに過ぎなかった。彼を愛するはずなどなかった。だがエドガーに気持ちを打ち明けられた時、ルナの胸は高鳴った。
エドガーに想われて嬉しいと、確かにあの時思ったのだ。
ルナの涙はとめどなく溢れた。今すぐエドガーに会いたいと強く願った。
──初めてエドガーに会った時、彼はいかにも真面目で堅物といった印象だったが、意外にも闇魔法使いのルナに親切に接した。
ルナが塔に捕らえられた翌朝、食事を持ってきたエドガーは、手つかずの夕食に目をやった。
「……食欲がないのは分かるが、少しは何か口にした方がいい。ここの食事は美味いとは言えないが、食べないと病気になってしまうぞ」
エドガーは心配そうに、椅子に腰かけているルナに声をかけた。
「……ありがとう。優しいんですね」
騎士に心配されると思っていなかったルナは少し驚き、エドガーに弱々しく微笑んだ。エドガーはルナの笑顔を見て少し目を泳がせ、動揺したように見えた。
「……あなたが俺達を恨んでいるのは知っている。だが俺は、あなた達に死んでほしいとは思っていない」
ルナから目を逸らしたエドガーはそう呟き、古い食事を持って部屋の外へ出て行った。
その時、ルナはエドガーを利用しようと心に決めた。エドガーの優しさにつけこみ、彼を誘惑して魔法使いの塔の内部を調べようと考えたのだ。優しそうな彼を利用することに心が痛まないわけではなかったが、大事な使命の為には仕方がない。
それから、ルナは事あるごとにエドガーに話しかけるようになった。エドガーがルナのことを、女性として意識しているのは間違いなかった。
長々と図書室に籠っていても、エドガーは嫌な顔一つせずにずっとルナを待っていた。寒い季節なのでエドガーは常にルナが寒くないか気遣い、軽く咳をすれば飛んできて彼女の体調を気遣った。
(私、あの塔で、幸せだったんだ……)
彼女自身気づいていなかった気持ちだった。リヴァルスに触れられたあの時、不快感で鳥肌が立った。彼女の全身がリヴァルスを拒否している。
だがアルカシアを守る為、ルナはリヴァルスと婚約してしまった。泣こうがわめこうが、もう彼から逃れることはできない。一生リヴァルスの妻として生きて行かなければならない。
自分でよく考え、決断したはずだった。だがルナはこの先の人生を考え、絶望したのだった。




