姉イザベルの暴走!!
「アンなんか、いつも泥だらけになって、外を走り回って、馬の水桶に顔を突っこんでるくせに!! アンなんて、勉強だってさっぱりなのに!! アンなのに、なんで、国王陛下に気に入られてるのよ!! 私はまだ婚約相手も決まってないのに!!」
国王の相手に疲れはてて、連絡橋を渡り、子供部屋によろよろ戻った私を待ち構え、そう姉のイザベルが泣き喚いた。
なんか、なんて、なのに、
はい、アン三段活用いただきました。
ほらね、やっぱりこうなった。
私はイザベルにわからないようため息をついた。
五歳年上の姉は、すでに子供部屋卒業生だ。自室だって与えられているのに、寂しがり屋でいつもこちらにいりびたっている。そのくせ年上風を吹かせ、私にマウントを取りたがる。私もちっちゃい頃はくっついてまわっていたが、大人の経験ありの今の人格から見ると、ちょっぴりイタいおねえちゃんだ。
まあ、それはともかく姉も13歳、そろそろ本格的に結婚の相手をさがすお年頃。焦る気持ちはわからないでもない。14歳ともなれば貴族女性は結婚適齢期に入る。
イザベルは妹の私が客観的に見ても美人だ。ちょっと我儘で子供っぽいが、性格だって許容範囲内と思う。
だが、ネヴィル家は強大すぎることが逆に仇になり、なかなか似合いの相手が見つけられない。
お父様は不幸にして男子に恵まれなかった。子供は私達姉妹ふたりだけ。つまり私達を手にいれたお婿さんは、いずれこの広大な領地をも手にいれることになる。ライバルで赤薔薇派だったパーシー家が没落したいま、イングランド北方は完全に我が家が支配している。
そして、北はイングランドの頭痛の種のスコットランドと国境を接しており、その抑えの役目もになっています。
あのおそろしい赤薔薇派の王妃マーガレット・オブ・アンジューも、白薔薇派に敗北したあと、まずスコットランドに亡命し、その支援を得て、北で激しい反抗戦を試みました。
エドワード四世が、マーガレットの頭を飛び越し、まさかの神速でスコットランドと和平を結んだことで、後ろ盾を失い、いまは古巣のフランスに亡命していますが……。
要するに、この北の地はイングランドの行方に大きく関わっており、私達が誰の花嫁になるかで、勢力図どころか外交政策までが左右されかねないわけです。
お父様も広大な領土持ちのお母様と結婚し、力を倍増させたが、私達姉妹も似たようなもの、いや、それ以上に危険をはらんだ爆弾といえるでしょう。
冷静に考えれば、まあイングランド王族に嫁ぐのが無難だ。
そのうち国王は、同盟強化などで、外国の王族と結婚する可能性が高いので除外。婚姻は政治のカード。イザベルだってそこがわからないほどアホ娘じゃないんだけど……。
ただエドワード四世はムダに顔がいい。華がある。美男美女を見慣れた外国の高官に「こんな美しい男性は見たことがない」と言わしめたのは伊達じゃない。中身をよく知らず、恋に恋するイザベルとしては、もしかして……と一縷の望みを託したいのでしょう。実際、はじめてエドワード四世に出会ったとき、顔をまっかにして立ち尽くし、そのあとまともに歩けず、壁のあちこちに頭をぶつけていましたから。
でも、残念でした。このアホ王は未亡人をえらぶ。
赤薔薇派が脅威だった頃なら、まだ白薔薇派最大勢力のお父様との関係強化のため、イザベルにも可能性があったかもしれないけどね。
まだまだ小競り合いは続くけど、もうほぼ大局での赤薔薇派との決着はついた。そうでなければ抜け目ないエドワード四世が呑気に未亡人といちゃいちゃなどするわけがない。(……もっともマーガレット王妃の脅威がまだ完全に去ったわけでないことを、私だけはよく知っているけど)
「アンのバカあ!!」
私が無言で考えこんでいるのを、無視されたと勘違いしたのだろう。イザベルが泣きながら掴みかかってきた。
やれやれよ。そんなとこが子供っぽいっていうのに。結婚したいなら、メンタルも鍛えなけゃ。もしあのあほジョージとまた結婚することになったら、気苦労なんて言葉じゃすまされない地獄が待っていましてよ。
私はさっとイザベルの手をかわした。
心に余裕があるせいかしら。動きがとてもゆっくりに見える。身体も軽業師になったみたいに軽い。
回避しながら宙がえりだってやれそう。
「なんでよけるの!?」
それゃよけるでしょう。
死ぬ前はずっとベッド生活を余儀なくされたので、私は体が自在に動くことが嬉しくてしかたなかった。
再び襲いかかってきたイザベルを、後方宙返りしてかわそうか、それともとんぼを切ろうかと迷いながら、私がスカートをたくしあげたとき、
「あらあら、なにを騒いでいるのかしら」
騒ぎを聞きつけてお母様が顔をのぞかせた。
「まあ、アンったらはしたない」
眉をしかめたお母様にイザベルがとびつき、
「どうしてアンが国王陛下に呼ばれたの!? 色仕掛けでもしたの!? だったら私のほうがずっと……!!」
と泣きついた。
するか。私はいま八歳だ。そんな色ボケ幼女は、マーガレット・ボーフォートひとりで十分です。
だいたいあのエドワード四世が、色仕掛けなんかで女になびくものか。私の記憶でも……なびきますわね。あれは病気の一種だ。
イザベルに詰め寄られたお母様が困り果て、
「どうしてと言われても……国王陛下はアンの才能に惚れたんですって」
と言うとイザベルの顔色が変わった。
「才能!? フランス語もさっぱりのアンが!? 勉強したら五分で知恵熱を出して倒れて、ニワトリを日暮れまで追いかけるアンが!? おかしいでしょ!?」
と髪の毛をかしむしって絶叫した。
頭を抱えたいのは私のほうです。
8歳の私、いったい何してるのリターンズです。
「それがねえ……。アン、お話してあげて」
お母様にうながされ、私は仕方なく流暢にフランス語で語りだした。
イザベルの顔が怒りの赤から、驚きの白へ、そしてうちのめされた青に変わった。
今さらだが、中身の私は28年の人生経験がある。フランス語は十歳ぐらいから理解できるようになってきたし、「私の言葉をまともに理解できぬ孕み袋など必要ないわね」と母国語で脅してくるマーガレット・オブ・アンジューに殺されまいと、必死にネィティブの発音も身につけた。命がけだったので、それは血肉レベルになろうというもの。
さきほど、エドワード四世がさらっとフランス語で質問してきたので、つい普通に同じくフランス語で返答したのが、そもそも間違いのもとだった。
お父様とお母様も当然イザベルと同じく「!?」と目が飛び出さんばかりに驚愕してたけど、私がとっさに「お父様の血と、お母様の血が、ついにめざめただけのことです」と大ウソをついたら、満面の笑みで納得してくれた。ちょろい。ふたりとも血筋に自信がありすぎでしょ。
もちろんイザベルは、そんな理由ではおさまらなかった。というか、それじゃ、自分の立場が余計になくなるもの。
しかたなく私が、
「馬の水桶で溺れて死にかけたのがきっかけだと思う」
と半分嘘で半分本当のことを言ったら、みなまで聞かず、ドレスの長裾を腰までまくりあげ、部屋を飛び出していった。
ややあって、遠くから「たいへん!! イザベルお嬢様が水桶に頭を!!」という悲鳴と、「離して!! 死にかけるまでやらなきゃ!! 姉よりすぐれた妹などいてたまるもんですか!!」というイザベルの怒鳴り声が聞えてきた。
あぶないなあ。悪いひとじゃないんだけど、この単純さと視野狭窄ゆえ、夫のジョージの甘言にのせられ、一緒になって妹の私を台所女中におとしたのかもしれない。
「私、まだ王妃になるのあきらめないから!!」
イザベルの雄叫びは続いた。
残念だけど、あなたが結婚したのは、エドワード四世のほうでなく、王弟のジョージのほうです。あの白薔薇三兄弟の面汚しの。あの馬鹿のせいで、リチャードだってどれほど苦労したことか。やり直し人生の今回でもし再会したら、後ろから棍棒でどつくぐらいの権利は私にもあると思う。いや、私では背が足りないから、長めの角材のほうが。本気でジョージ闇討ち計画を検討していた私は、お母様に突然アイアンクローをかまされて悶絶した。
「溺れ死にかけた? なにをやっているのかしら。アン。イザベルもそうだけど、ふたりともネヴィル家の令嬢としての自覚が足りないようね。お説教です」
私とイザベルはお母様にとっつかまって引きずられ、姉妹仲良く何時間もお説教コースをくらうことになったのでした。つらすぎる。子供の身体ってこんなに夜すぐ眠くなるとは思いませんでした。イザベルもへとへとになり、確執も忘れ、ベッドで私に抱きつくようにして眠りにおちました。この人は、いつもそうだった。険悪な仲が続いても、本当に悲しいとき、くじけそうなったときは、誰よりも妹の私にそばにいてほしがった。
「お願い、アン。あの子たちを守ってあげて」
臨終寸前にイザベルが頼り、泣きながら自分の子達の未来を託したのは、夫のジョージではなく、私だった。ジョージがそのあとやらかしたことを考えると正解だったと思う。いろいろあったけど、私も姉を憎みきることはできなかった。
この世でたったふたりの姉妹だもの。
今回は……ずっと、仲良く、できると……いいな……。
私の腰に手をまわしたまま、すやすやと寝息をたてるイザベルに、そっと手を重ね、私も安らかな眠りの世界におちていった。
◇◇◇◇◇◇◇
イザベル・ネヴィル
1451年9月5日生
1476年12月22日没
キングメーカーと呼ばれたウォリック伯の長女。アン・ネヴィルは五歳下の妹。
白薔薇三兄弟の次男ジョージ……クラレンス公とは夫婦。
だが、国王エドワード四世は、権力の鬼ウォリック伯と野心的な弟ジョージの結びつきを危険視ししため、この結婚は無許可かつ秘密裏におこなわれた。その後、案の定このコンビは国王に叛旗をひるがえし、海外に逃亡。イザベルは逃避行のなかで死産した。
その後も彼女は、やらかし夫のジョージにふりまわされ続けたが、寛大なエドワード四世のおかげで、なんとか公爵夫人としての人生はまっとうした。また夫婦仲も悪くなかったようで、死産を含めると四人の子をもうけた。妹のアンを財産目当てで監禁したジョージを止めなかったが、これは姉妹愛よりとことん夫に尽くす道を取ったのか、それとも欲に駆られたか、あるいは流されただけなのかで、人物評価が分かれるかも。
イザベル夫婦の死後、その子供たちふたりは、リチャードとアンに引き取られて成人するも、のちにヘンリー七世と八世により、非業の死を遂げた。特に妹のほうは悲惨(斧をもった処刑人に追い回され、無理やり斬首された)、ロンドン塔に、悲鳴をあげて逃げ回る幽霊になって現れるとか。
なお妻イザベルの死後(結核、産褥熱説。あるいはその複合の可能性あり)、ジョージはまたもやらかし、イザベル毒殺疑惑で無実の女性を強引な魔女裁判で殺してしまう。悲しみで錯乱して、だとまだ救われるが、イザベルの死後は、速攻でブルゴーニュ公国目当てで、義理の姪との結婚を画策した。権力欲という悪魔に終生とりつかれていた彼に、誰かを魔女呼ばわりする資格はないと思う。
さらにエドワード四世が嫡子でなく庶子(というか不義の子)という噂を流すは、暴動も扇動するわ。越権行為とやりたい放題に、弟に甘いエドワード四世もさすがに激怒。
とうとうジョージは逮捕されたが、すぐ処刑されず、長い間収監された。エドワード四世は、ふんぎりがつかないというか、弟が心から反省したらまだ許そうかなと迷ってたのかも。のちに発掘されたジョージの遺体には斬首のあとはなし。ワインの樽で溺れ死んだとも伝えられる。
なんかイザベルでなく、ジョージの紹介文みたいに……。素行が悪すぎ、書くほうはエピソードに事欠かないが、当事者達はたまったもんじゃなかっただろうと思います。
ネヴィル家も、本家や分家やいろいろありますが、面倒くさいので一本化して表現してます。