幼女時代に巻き戻り。変態と書いて、国王エドワード四世と読む
歴史「に」味つけ「を」したフィクションではありません。
歴史「を」味つけ「に」したフィクションです。
大事なことなので三度言いました。
苦しい。呼吸ができない。
あまりの息苦しさに、私は手足をばたつかせた。
耳と鼻の奥がつんっと痛い。
生臭い水の匂いがした。変な味も。
ごぼごぼと気泡のはぜる音。
状況がわかりました。私、絶賛おぼれ中。
なんで、なぜ? 私はさっき死んだはず。
それともここは死んだらまず行く煉獄かしら?
煉獄って、生前の罪を軽くするため、炎責めで浄化するんじゃ……。
なんで水?
そうか。煉獄も物価高で薪代が出せなく、使いまわせる水に代えたのね。
あの世もこの世も経費節減……。
酸欠のせいだろう。あほな納得をしながら、暗闇のなかに意識が沈みかけた私は、突然、首根っこを掴まれ、水の中から一気に引きずりあげられた。
ばあっと明るくなった視界に、巨大な獣の顔がとびこむ。私を見て目をぱちくりしている。長い顔、ひげ、離れた目、耳がぴくぴくしてる。う、馬かしら!? でも、ちょっと大きすぎない!?
「おい、そこのちびっこ。馬の水桶で溺れるとはどういう了見だ。そこは風呂じゃないぞ。俺の馬の水飲みを邪魔するな」
私を仔猫のように空中につるしあげた相手が、あきれたように話しかけた。
こいつもでかい。私、巨人の国に迷い込んだのかしら?
だが、のぞきこむそいつの顔を見た途端、疑問も戸惑いもすべて吹っ飛んだ。
「エドワード四世!?」
私は口の中の水を盛大にふきだし、絶叫していた。
そこにいたのは私の人生最大の厄病神、前国王エドワード四世だった。
「いかにも。俺が偉大で美しいエドワード四世だ」
私を地面におろすと、格好よくポーズをとる。げんなりした。そのナルシスで自信たっぷりな物言い。まさしく本人だ。だが、私の記憶よりだいぶ若い。少年の面影を残している。そして、顔からに水をひっかぶるコメディーな目にあったのに、水滴が舞台演出のように陽光をきらめかせていた。
そうだ、こいつは、敵も味方も、なんでもかんでも、トラブルさえも、自分の引き立て役に変える主人公体質なんだった。腹立ちますわ。
私は口のなかに残った水を、もう一度吹きかけてやった。
それにしても私を片手で吊るしたとは、縮尺が狂いすぎ。
私はやっぱり死に、魂がこの世ならざるところを彷徨っているのね。
「国王の顔に、二度も水を吐きかけるとは、なかなか愉快なレディだ。フランス王女よりよほど楽しめそうだ。俺の嫁になるか?」
エドワード四世は爽やかに笑った。
煉獄は、火責めでも、水責めでもなく、エドワード四世責めを、私に課すことに決めたらしい。とんでもない再現度です。まさか弟嫁を口説くとは。
いろんな意味で、笑えません。たしかにその恰好良さに憧れたときはあった。腐った本性を知る前だけど。私の黒歴史です。
今の私の気分をひとことであらわせば、ずばり地獄に落っこちやがれですわ。
だいたいですね、たとえ話にしても、口にしていいこと、悪いことがありますのよ。
このフランス王女との結婚破棄こそが、私達ネヴィル家の転落のはじまりになったのですから。
お父様のウォリック伯が主導で進めてきた婚姻を、白薔薇の王は、こともあろうに、宿敵の赤薔薇の子連れ未亡人エリザベス・ウッドウィルを王妃に選ぶことでぶち壊した。言葉は悪いが成りあがり男爵の娘だ。
身分も敵味方もこえた恋。シンデレラストーリーだと、平民たちはおおいに盛りがった。でも、あてつけのような仕打ちに、フランス王家は大激怒。何年もかけて日程を調整してきたお父様の面目は丸潰れになった。
その不満が、のちにお父様を謀反に向かわせるきっかけとなった。
だが、あとではっきりした。
国王エドワード四世は、恋を選んだんじゃない。
既存の貴族勢力を削ぐために、おのれの手足になる新興勢力を欲していたんだ。王妃の血族、ウッドウィル家の連中は、まさにその役目にうってつけだった。子沢山で一族の結束が固く、野心にあふれている。けれど、もと敵方で、国王の威信を拠り所にしているので、絶対に王を裏切らない。大貴族たちによる群雄割拠の時代を終え、専制君主化することこそ真の狙い。
お父様は、自立した王たらんとする野心をはかりそこねた。エドワード四世にとっては、白薔薇派、赤薔薇派のくくりでさえどうでもいいことだったのだ。
エドワード四世の後ろ盾をえた王妃一派は強引な婚姻政策で、着々と勢力を広げた。19歳の息子に80歳の未亡人を娶らすことまでやった。妻が死ねば、その領地は夫のものになるからだ。まさに権力の亡者だ。
そしてウッドウィル一派は、お父様を筆頭にする古き貴族勢力と対立を深めていく。イングランドはずっと争いの火種を抱えることになった
……そのせいで、私やリチャードがどれだけ苦労したことか。
お父様の失脚もそうだが、エドワード四世の逝去後、イングランドは内乱に巻きこまれることになる。あんなねじれた政治構造は、でたらめなカリスマをもつエドワード四世の抑えあって、はじめて成り立つものだったのだ。
幻とはいえ、この目の前のエドワード四世に、おまえにひとこともの申す、かましてやらねば気が済みません。
「はっ!! 死んでもごめんこうむりますわ。おっかないエリザベス王妃に睨まれたくありませんもの。エレノアの件といい、懲りない御仁ですね。あなたの結婚話ほどあてにならないものはありません」
「なんだと? エリザベスとの仲は、まだ一部しかしらないはずだが……。まして王妃にしようとしていることなど……。それにエレノアのことまで……」
エドワード四世の顔色が変わった。私はかっとなった。イングランド国民なら、知らんわけがないでしょうが!! この女好き。死んで不都合な記憶が飛んだのかしら。あの世で気兼ねなく、ナンパできるように!!
忘れたっていうなら、思いださせてあげますわ!!
そして、こいつの死後に何が起きたか教えてやる!!
「ウッドウィル家を手足にするため、エリザベスを王妃にしたんでしょうが!! でもね!! ウッドウィル家の権力欲を、身内になったからって甘く見すぎなんですよ。弟のリチャードとウッドウィル家が協力し、残された王子を支えるように遺言!? お笑いですわ!! リチャードを排除しようと、国費で艦隊や軍を勝手に動かし、結果国庫は空っぽ。財政はめちゃくちゃになるんです!!」
エドワード四世はその死後、弟のリチャードを護国卿として王子の後見につかせ、ウッドウィル一派と協力させて、王子を守ろうとした。リチャードはその遺言に従おうと、北の領地から王宮に向かった。
だが、宮廷を牛耳っていたウッドウィル一派は、自分達だけで新王の即位式を強行しようとし、大艦隊や軍勢を動かし、リチャードに立ち塞がった。
おかげで虎の子の国庫はすっからかんになり、
リチャード三世として即位したとき、彼は頭を抱えることになった。
彼の絶望と苦労を思うと、涙が浮かんでくる。
「俺の狙いまで……。まるで見てきたように熱く語るじゃないか。なあ、ちびっこ。何者だ、おまえ」
にこやかなエドワード四世の目の奥が別人のように鋭くなった。女好き遊び好きは、彼の表面にすぎない。こちらが彼の本質だ。はじめて見た人間は威圧感に腰を抜かすだろう。だが、私には今さらである。
「ちびっこ!? 私はアン・ネヴィル!! お忘れですか!!」
私は金切声をあげた。感情が昂りすぎたのか、幼児みたいに甲高い声になっていた。
弟の妻の顔ぐらいおぼえておけ。それとも、いつもみたいにからかっているのかしら。こちとらそんな気分じゃないのよ!! 霊だろうと幻だろうとかまうもんか!!
「ほう、アン・ネヴィル。ウォリック伯の娘か。年から見て次女のほうか。で、予言者アンよ。次の神託はなにかな?」
むかつく!!
いいですよ、そうやってぼけてなさい。こっちはやりたいようにやらせてもらうから。生前、言ってやりたかったことは山ほどあった。王という立場に遠慮していたら、死に逃げされてしまった。ならば、これはむしろ神がくれたチャンスだ。次は、エドワード四世の妙に身内に甘いところをしかりつけねば。
「予言!? 事実でしょ!! そんな身内に甘い考えだから、弟のジョージにも裏切られるんですよ」
ウッドウィル家との確執が、ネヴィル家崩壊のきっかけだとしたら、私個人を社会的に抹殺しかけたのがこのジョージだった。
この国王をふくめた白薔薇派の王の血筋は三兄弟。
お兄ちゃん命のリチャードは、終生エドワードに忠誠を誓ったが、もうひとりの弟ジョージは、反発するわ、裏切るわ、王を失脚させようと噂を流すわ、もうやりたい放題だった。なにをやっても自分は殺されないとタカをくくっていたのだ。思いつきばったりの行動を男らしいと勘違いしていた。そういうのはね、無分別のバカと言うんですわ!!
その最たる被害者が私だ。
ジョージは私の姉とはかり、私を過酷な台所女中な境遇にまでおとしめた。慣れない冬の水仕事と疲労で、私は何度も死にかけた。リチャードに救出されなければ、病死か、あるいは心が折れ、みずから修道院行きを願い出ていたろう。あれもこれも、エドワード四世が、あのあほ弟を放任していたせいだ!!
「……ジョージのこと。それも予言か」
「わかりきった事実です。さっきから言ってるでしょ!!」
強調して吐き捨ててやると、エドワード四世のこめかみが、ぴくりと動いた。彼が本気で苛立ったときの癖だ。だが、死後の世界である以上、怖くもなんともない。もうこれ以上死ねないもの。私はあっかんべーをしてやった。なに? まだ不足? 次はおしりぺんぺんして挑発してやろうかしら。
私達はしばし睨みあったが、ややあってエドワード四世は、視線をおとした。その頬に苦笑が浮かび、やがて声をあげて楽しそうに笑いだした。
「はははっ!! 断言か。どうやら本気のようだな!! 耳に痛いことをずけずけと!! どんな戦場でも敵から目をそらしたことはないが、まさかこんなちびすけに負けるとはな!! 外を走り回ってばかりの困った娘と、ウォリックは愚痴っていたが、なかなかどうして!!」
爆笑するエドワード四世に唖然としていた私は、馬が飲むのをやめ、揺れがおさまってきた水桶の水面にうつる自分の姿に、仰天した。
短い手足。ぷにぷにほっぺ。触覚みたいに一部がはねた髪。
あれ……これ、幼い頃の私……!? なんで!?
あわてて周囲を見渡すと、そこは、私が半生をすごした懐かしのミドルハム城の中庭とわかった。
「!? !? ……ッ!?」
「キングメーカーの血は、娘により濃くあらわれたようだな。それにたいした肝だ。成長すれば、どれほどになるか。俺ははじめて女の行く末を心から見守りたいと思った」
はわわと大混乱でパニックにおちいっていた私は、エドワード四世の独り言にも、彼が片膝をつき、私に向かって身を屈めたことに気づかなかった。柔らかい感触に唇をふさがれる。い、いきなりキス!? いたっ!? ビ、ビリッと電気が走った!?
反射的に突き飛ばしてとびのき、袖でごしごしと唇をぬぐう私に、立ちあがったエドワード四世はにやりと笑いかけた。
「そう嫌がるな。おまえだって口のなかの水を、俺に浴びせたんだ。これでお相子だろう」
そ、そうかしら。いや、やっぱおかしいでしょ!!
「俺は、才能や、美しいものが好きだ。あの奥方の娘だ。おまえは将来の美しさのほうも保証済だ。おまえが気に入った。本気で王妃に迎えたいくらいだ。今のキスは、俺からのマーキングだ。誰にも渡さん」
へ、変態国王のまなざしが怖い……。
「おまえだって、今のキスに何かを感じたはずだ。まるで稲妻が閃いたような……」
さ、錯覚です。静電気かなにかです。そうに決まってます……。
その後私は、おかれた状況を色々確認し、ここが煉獄でも幻でもなく現実であること、自分が1464年の八歳のときに舞い戻っていること、この国王エドワード四世に妙に気に入られたという悪夢の事実を、嫌々ながら飲みこむことになるのだった。なんで、こんなことに……。
だが、私の認識はまだ甘かった。
まさか、あのキスが、本当にただのキスではなく、このあとずっと振り回されることになるなんて、そのときの私は思いもしなかったのでした。
王妃一派はややこしいので、ウッドウィルで統一してます。
グレイやリヴァーズ伯一派と表現が入り乱れると、あほの作者が混乱します。