臆病な少女のうわさ話
「おや、きみたちは……ここで働いている人だよね? 悪いけど、娼婦のみなさんに食事を用意してもらえる? どの食器を使えばいいかわからないんだ」
調理場を覗き込む少女たちに気づいたティートが声をかけると、四人の少女──そのうち二人はまだ十二、三歳のように見える──が、皿の用意をしはじめた。
「ぼくは今日からここで働くことになったティート。よろしく」
少年が挨拶すると少女たちも返事をしたが、まずは食堂にいる女たちの食事を運ぶことにしたようだ。
その動きを見て、少年はどの食器が娼婦たちの使う物で、彼女や召使いが使用する皿かを記憶した。
硝子戸の付いた立派な飾り棚に入った食器が女主人の使う食器だと聞くと、彼はそこからいくつかの皿を取り出し、肉料理と汁物を用意し、大きな編み籠の中に入っていたパンに紅茶などを準備して、銀の盆に載せて運んで行く。
「食事ができました」
ドアの前に立っていた男が料理人の顔を見てドアを開ける。
部屋の中に入るとメビル婦人はごきげんな様子で「待っていたわ」と口にした。
「ああ、いい匂い……!」
うっとりとした声で彼女は言い、盆を早く持って来いと手招きする。
机の横にあるテーブルの上に銀の盆を載せると、彼は一応の礼儀として紅茶を一杯、そそぎ煎れた。
「さっそくいただくわ」
待ちきれない様子で女主人が言う。
ナイフとフォークで分厚い肉を切り、それを口に運ぶ。
もぐもぐと軟らかい肉を咀嚼していたメビルは、かっと目を見開いてティートを振り返った。
「美味しい‼」
彼女の歓喜の声が部屋の外にまで聞こえた。
パンは軽く焼いて牛酪を塗っただけだが、いつも食べているそれすらも、とっておきの食事に変わったように感じられ、メビル婦人は二度、三度と驚いた。
そのことを告げると、ティートは簡単に説明する。
「ああ、それは……焼くときに、細かくした水分を少し加えてから焼くんです。ルシュタールの錬金工房で手に入れた霧吹きがあるので」
そう説明されても彼女にはなんのことかわからなかった。
ともかく普段から食べ慣れているはずのパンですらこの少年の手にかかると、まるで魔法のように生まれ変わってしまうという、その事実だけが婦人の中に刻まれたのだ。
「とりあえず、まだほかの人の食事も用意しなくちゃいけないので……」
彼はそう言って部屋を出て行った。
メビル婦人は無我夢中で出された食事を頬張った。──しかし、そうしてあっと言う間に食べてしまうと思うと、それも惜しいと思いはじめ、ゆっくりと噛みしめるように、肉や汁物を味わうのだった。
調理場に戻って来ると、鍋に入った汁物などをよそっている小間使いの女たちがいた。
今回は彼女らに肉料理は出されないが、卵を使った料理と、腸詰めを入れた汁物が出され、彼はほかにももう一品、芋と乾酪を使った料理を出した。
すばやい包丁さばきで芋を薄く切ると簡単に味付けし、牛酪で焼いたあとで、削った乾酪を上からふりかける。
娼館の調理場には胡椒は無かったが、いくつかの香辛料があったので、それで簡単に香りを付けて皿に盛った。
調理場の横にある食堂で、小間使いの女と小男、少女の二人が大きなテーブルを囲んで食事を食べる。
小間使いの女は二十歳くらいの女と、十代の少女たち。
おいしい、おいしいと言いながら四人が食べている姿を見て、ティートもやっと食事を口にした。──やはり自分で作った料理のほうが、ここブラウギールで食べたどの料理よりも美味しい。改めてそう確信する。
料理を学びに来たはずが、何ひとつ学ぶことなく、むしろ自分が教えるだけの立場になっていことに気づき、少年は軽い衝撃を覚えた。
(ほんとうに……何しに来たんだ、ぼくは……)
さっさと割ってしまった葡萄酒の賠償を済ませ、この街を出て行きたい。彼の中にある想いはそれだけだった。
料理を振る舞うのも、だれかに料理を教えるのも嫌いではない。むしろ好きなほうだ。──しかしこの場所では、望みの食材が手に入るとは思えない。それが彼を苦しめた。
もちろん望みの食材が手に入る、恵まれた環境での調理など、そんなに多くはない。
それでもよその町の料理屋で働いたときは、ここまでひどい食材を使うことは無かった。
しばらくすると、だれかが調理場に入って来た。ゆっくりとひかえめにドアが開けられ、調理場に入って来たのは、長い金髪をした少女だった。
彼の座っていた位置からやっと見られる場所に姿を現し、少女はきょろきょろとまわりを見回して、ティートに気がつくとぺこりと頭を下げる。
それは少しみすぼらしい格好をした少女で、小さな食堂で食事をしている小間使いの少女よりも、一層粗末な格好をさせられていた。
顔には長い前髪が垂れ、目が隠れて見えない。
頬は煤か何かで汚れ、衣服もシミが付いている。
「あの──食事」
少女は消え入りそうな声で訴えてきた。
「あ、ああ。──ちょっと待って」
もう一人いたのか、彼はそう思いながら椅子から立ち上がると、調理場に行き、少女の分の料理を皿に取ってやった。
すると少女はそれらを木の盆に載せて、調理場から出て行こうとする。
「こっちでみんなと食べないの?」
そう声をかけると、まるでばつが悪そうな顔をして、少女は調理場を出て行ってしまう。
いまの少女はなんだったんだ。そんな想いを抱きつつ食堂に戻ると、様子を見ていた女たちから彼女は「アリス」だと教えられた。
「あの子には関わらないほうがいいですよ。メビル婦人もあの子とわたしたちが話していると、近寄らないようにと追い払います」
「それにあの子はいつも、ある部屋に閉じ込められていて、部屋から出ないように言いつけられているんだとか」
すると少女たちも小間使いの意見に頷いた。
「あの子はわたしたちとも話しません。食事のときに顔を見せるくらいで、けど……たまに話しかけてきたりもします。そのときはなぜか、いつもよりも明るく話しかけてきて、まるで別人みたい」
「そうそう、いっつも暗い表情をして、ぼ──っとしているのに、急に明るくなったり、気味が悪い」
「それに、あの子にはうわさがあるんですよ」
そう切り出したのは十六、七くらいの小間使いの少女。
「部屋に閉じ込められるようになった理由。それは、お客さんに暴力を振るったからだとか」
どうやら問題のある娘だといううわさが広まっているらしい。
しかしティートには、あの少女がそんな問題児には見えなかった。
彼は食材以外にも目端の利くほうだと思っていたし、人のしぐさや顔つきなどから、性格を割り出したりするのが得意だった。
その点あの少女は、一見するとみすぼらしかったが、彼の目には──磨けば光る少女だと映っていた。
次話は日曜日に投稿する予定です。