エピローグ(ティートの独白)
ティートの独白。
ぼくは何をしているんだろう。
ただ、ブラウギール国の料理を調べに来ただけなのに。
そんな好奇心は持つべきじゃなかった。──いまではそう思わずにいられない。
この国に来たのは間違いだった。
でなければ、悪夢のような日々に囚われることもなかった。
一月だけの強制労働だったはずだが、まるで数年をあの街で過ごしたように感じる。
亡くした人たちを想って、涙が頬をつたう。
思えばあの娼館で会った人々と、ろくな別れの挨拶をできずに出て来てしまった。
最後はあのようなことになり、どれだけの人が生き残れたのだろうかと、そんな不吉なことが頭をよぎる。
サラシェルル──美しい、異国の女性。
もう彼女に会うことはできないのだ。
どんなに願っても。
サラは不死者となり、そして彼女をアリスは例の短刀で殺害した。
不死者という世界の理に反する存在を滅ぼした短刀。
その呪われた短刀は少女が身につけている。
ぼくは呪われたような気がしている。
短刀にではなく、アリスに──
ぼくは逃げるつもりなら、アリスを見捨てて逃げられるはずだ。
なんなら彼女を「時の腕輪」で束縛し、「妖隠の護符」を使って逃げればいい。
仮にアリスの中にある「魔女」が表面に出ていたとしても、この二つの魔導具の力を無力化することはできないはずだ。
けれどあの少女は──アリスは、やっぱりただの少女なのだ。
傷ついた一人の少女。
彼女を見捨てていくことなどできない。
奴隷として売られ、さらには魔術の生け贄として利用されるところだった少女。
❇ ❇ ❇ ❇ ❇
アーヴィスベルを脱出し、いまはブラウギール国の北にあるディブライエ国にいる。
国境を越えた先にある小さな町。
いまぼくは、そこの宿屋に住み込みで働いている。
宿屋に併設して作られた食堂兼酒場。
ここでも一月ほど働いたら出て行くだろう。
これからは自分の分だけでなく、アリスの分の食費を稼がなければならない。
アリス──魔女にもこう言われていた。
「あなたと私は運命を共にする者になった。
私がアーヴィスベルでしたことを知られれば、あなたはブラウギールでは犯罪者として追われるでしょう。──あなたは当事者なのですから。
アリスを見捨てて逃げるようなまねをすれば、ブロッソン伯爵とメビル婦人を殺害したことを告発し、あなたを捕らえさせます」
「そんな!」
「嘘だとあなたが言っても、だれも信じませんよ。人というのは、なんらかの悪事に対して賠償を求めるもので、それが冤罪であっても気にしません。
ただ怒りのはけ口を求めて、あなたを私刑にかけるでしょう。──アーヴィスベルに死をまき散らした者としてね」
そう告げた魔女は、まさに邪悪な笑みを浮かべていた。
もう覚悟を決めるしかなかった。
彼女の言ったことはただの脅しではない。
あの街で起きたことを探る者が出るはずだ。
伯爵の死の真相について──それを追跡することは不可能だとしても、街にいたぼくやアリスがいつの間にか、街から失踪したことに気づく者が出るかもしれない。
ぼくとアリスは共犯者となったのだ。
悪夢のような一夜を越えて。
アーヴィスベルという街は、まるで蛇のようだと思う。
あらゆる他者の希望や活力を飲み干し、食らい尽くす蛇のようだと。
蛇がほかの生き物を丸呑みにしたり、卵を呑み込んでしまうように、アーヴィスベルという街に一度足を踏み入れると、その巨大な口に呑み込まれ、ただでは出られなくなってしまう。
──だが、今回の件に関してアーヴィスベルは、決定的な誤りを犯した。
あの街が呑み込んだ卵の中には、彼らの胃液でも溶かすことのできない、より大きな邪悪が紛れ込んでいたのだ。
アルテリスという少女。
それは破滅をはらんだ卵だった。
蛇が呑み込んだ卵は体内で孵化し、蛇の腹を突きやぶって出て行ったのだ。
蛇は死ななかったようだが、多大な犠牲を払い、いまなお危険な呪力の影響下にあるらしい。
そしていま、ぼくは、その破滅を齎す危険な少女と旅をしている……
── 蛇は卵を呑む 終 ──
最後まで読んでくれた人に感謝。
かなり暗く、救いのない内容だったかもしれません。
まだティートの旅はつづき、アリスとの共同生活もつづくようですが、『蛇は卵を呑む』はここまでです。
実は今回の話には異なる結末がいくつかあって、その中でも一番良い結末がこれだったりします(笑)
ほかの展開ではティートが死亡する結末──それもアリスの手によって命を落とす、というもの──ものもありました。
この物語は『魔導の探索者レギの冒険譚』と同じ世界の、同じ時代の物語であり、あちらにも今回の話に関係する話も出ます。
ただ、レギの冒険譚はかなり読みづらい文章で書いているので、お勧めはしません。細かい描写から場面を想像する楽しみを理解できる人にのみ勧めます(主人公の厄介な独白が多い内容です)。
それではまた、べつの物語で……




